「そういえば私、今日が誕生日なんです」
打ち合わせの合間に、
相庭由子は何気なく口にした。
すると、向かい合っていた取引先の男性が、
驚いたように顔を上げた。
瞳のきれいな男性だと、ふいに由子は気がつく。
「えっ?実は、僕もなんです」
由子は運命的なものを感じ、
微かに胸が高鳴るのを感じた。
「じゃ、渋谷さんもバレンタインデーが?」
男性が、柔らかく笑って答えた。
笑うと大人っぽい容貌が、
ふっと少年のように変わる。
「ええ、バレンタインがバースデー」
それが、由子と渋谷友樹の出会いだった。
由子はそれまで、仕事に夢中だったのと、
元来のサバサバした性格のため、
社会人になってからは、
恋をする機会がないままだった。
しかし、友樹と出会って、
彼こそが求めていた男性だと感じた。
友樹も同じ気持ちだったのか、
二人は急速に親密になり、恋人になった。
友樹は男臭さを全面に押し出すような所はなく、
どちらかと言うと控えめで包容力のある
タイプだったが、その大人な部分に、
由子はかえって魅かれていったのだ。
恋の始めは夢のような日々だった。
デートの帰り、公園での初めてのキスに、
由子は女子高生のようにときめいた。
初めてのベッドイン、
友樹の少し不器用だが丁寧な愛撫に、
由子の全身が甘くとろけた。
それまでセックスをあまりいいものと
感じなかった由子は、友樹に出会い、
快感を極めるという事を知った。
気の強い由子と温厚な友樹は、
お互い愛の言葉をなかなか口に出来ないでいたが、
それでも最初のうちは、恋の高揚感が
二人をぴったりとつないでいたのだ。
しかし、二年も過ぎると、
日々の忙しさと慣れで、由子はいつの間にか
友樹をぞんざいに扱うようになっていた。
「どう?今度の土曜日、映画でも見ない?」
その日、友樹の誘いの電話に、
由子はあっさりと答えた。
「ごめん、土曜日、
友達とイタリアンの先約あるんだ」
「そうか……それじゃ、仕方ないね」
友樹は静かに答えて電話を切った。
その声の響きに、一抹の寂しさがあるのを、
由子は気がつかなかった。
友樹はいつでも自分の事は優しく
受け止めてくれる、由子はそううぬぼれていた。
「うそっ、カレシの誘いを断ったのかよ」
大川俊は、フォークを宙に浮かせたまま
大声を上げた。
土曜日に由子を誘ったのは、
幼なじみの大川俊だった。
一人っ子の由子のお兄さん役のような存在で、
由子とはさばさばした親友同士だ。
「だって、俊ちゃんと先に約束したし……」
由子は肩をすくめてサラダを突つく。
「あのな由子、恋人としてそういう態度、
どうかと思うぜ。
瑠香なんか、オレがちょっとでも連絡しないだけで、
『俊ちゃんに会えないと死んじゃうよ!』なんて
メール何通も送ってくるぜ。まいっちゃうよ」
俊の恋人の瑠香は、由子の後輩だ。
容姿も性格も女らしく可愛らしい。
「ふぅん、俊ちゃん、
そう言いながら、顔がにやけてるよ」
由子が指摘すると、俊は少し赤面する。
「ま、まあ、そういうとこが
すっごい愛おしいんだけどねー」
俊ののろけを聞いているうちに、
由子は、ふいに口の中のパスタが
味を失ったような気がした。
(私は今まで、友樹に
『会えないと死んじゃう』なんて言ったことない。
それどころか、『好き』だって、ろくに口にできない。
私って、本当に可愛くない女だわ)
由子は無性に友樹に会いたくなった。
食事を終え俊と別れ、駅へ向かう道すがら、
由子は友樹に『今、なにしてるの?』と、
メールしてみた。
すぐに返事が来る。
『一人で酒飲んで、テレビ見てるよ。
ちょっと…つまんないかな』
由子は週末、一人で部屋で
ぽつんといる友樹の姿を思い、
心がちくりと痛んだ。
しかし思わず返したメールは
『ごめん。今日はしかたないよね』
送信してから、
由子は激しい後悔の念に捕われた。
(ばかばか!なんでこんな返事しちゃうの!
こんな可愛くない女、友樹だって嫌になっちゃう!
なんで私っていつもこうなの!)
いつも本当の気持ちと
裏腹なそぶりをしてしまう自分に、
由子はどうしていいか分からなかった。
(このままでは、友樹とどんどん気持ちが
離れていってしまう…)
重苦しい不安が、由子の胸に渦巻いた。
【渡辺やよい】
●プロフィール
早稲田大学在学中に「花とゆめ」で漫画家デビュー。「レディコミの女王」の異名をとる。2003年、小説『そして俺は途方に暮れる』(双葉社)で新潮社の第2回R-18文学賞読者賞を受賞。
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