「何だかあたし、ブスになったような気がする」。 朝、洗面台の鏡の前で唇の下にできた、 大人のニキビを見つけた私はすごくあわてた。 今どきニキビなんて!触ってみると大きい。 ヤバイ!その瞬間プチっとつぶれてしまった。
「わぁ〜跡が残ったら大変!」
寝室に駆け込んで整理棚の救急箱から軟膏を取り出した。
そのときふと「病院、辞めようかな」と独り言が自然にこぼれた。
体中から力が抜けてしまった。「素子、待って」
後ろから声をかけてきたのは、友達の須藤由紀だった。
勤務先の病院まで私は渋谷からバスで、
六本木にオフィスのある由紀と時々一緒に乗車することがある。
「病院辞めたくなって…」
「ドクターと別れてから?」
「…う〜ん、どうかなぁ」
大学病院で栄養管理士をしている私は、 今年の春に4歳年上の森ドクターから交際を申し込まれた。
彼のはにかんだ表情に、28歳の私の脳裏に「結婚」の2文字が浮かび上った。
ドクターとの付き合いは順調。……と思いこんでいただけかもしれない。 夏が訪れようとした頃、栄養管理士の後輩の洋子が私と大木研修医との仲をジャマして、 ありもしないことをばら撒いた。
もう!どういうこと!!
しかも大木研修医までが大真面目な顔で
「僕達は何もないですよね」と調理室へわざわざ言いにきた。
「どうして私が巻き込まれなきゃいけないの?」
頬をふくらませて森ドクターに甘えた。
恋人だったら慰めて欲しかった、当然でしょ。
でも彼の口から出たのは信じられない一言!
「君が軽々しいからだ」。
驚きと失望であっけにとられて、黙り込んでしまった。 一番信じてほしい人に誤解されるなんて。悲しいというより、情けなかった。
ぎくしゃくした関係が一ヶ月ぐらい続いた後で、 「故郷に帰る」と森ドクターは突然あっさりと去ってしまった。
バスがやってきたので、私は由紀に早口で伝えた。
「今夜から銀座のクラブでバイトするの」。
由紀はほおっと息を吐いて、切れ長の目で私を見つめた。
「新しい冒険が始まるね」。
週2回の銀座バイトを始めてからすぐに、 既婚ドクターから帰宅途中まで跡をつけられた。 それが直接のきっかけで病院を辞めた。 次の仕事が見つかるまでクラブ勤めするのも悪くない。
病院を辞めたその夜、 大学時代につきあった彼に良く似ていた客に送ってもらった。 タクシーの中で男性にしなだれかかると、男性は私の肩をそっと抱いた。
乳房を大きな掌に包まれ、たちまち唇を塞がれた。
「送っていこうか」。
翌朝、着替えが終わった私に、
元カレに似ている男性がベッドから優しく声をかけた。
彼の裸体はホテルのカーテンから漏れてくる朝の光で輝いていた。
30代半ばの鍛え上げた男の裸体に昨夜の事が重なる。 恥ずかしくなった。
「独りで帰る」。
西新宿の高層街のホテルから駅へと向かった。 出勤の人たちとすれ違うたびに、自己嫌悪が膨れ上がっていった。
「私、何をしているの?」
電車に乗った途端に、頭痛と嘔吐感に襲われた。 帰宅してトイレで嘔吐すると、昨夜のセックスが蘇ってくる…… 男は荒々しく服を脱がせ、乳房をむさぼった。
乳首をかまれたときに悲鳴をあげたが、 男は大事な部分に割って入ってきた。
熱いものが身体に流れてきたときに、男の動きが早くなった。 入れられている…という即物的な感覚しか、なかった。 興奮した。男の背中や腰に、爪を立てた…
トイレから出て洗面台の鏡の前に立つと、 昔の男と昨夜の男の二人が鏡に浮かび上がった。私は思わず心の中で叫んだ。
「男のセックスを比較しないこと!」
棚からヘアパフュームを取って毛先に塗りこんだ。 柑橘系の香りが爽やかに漂った。