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【後編】恋愛とセックスのかけ算/39歳 由芽の場合


舞い込んできた幸運

日曜の夜、家に戻ると龍樹は食事しにでかけているようだった。由芽は音羽に電話をかけた。

「音羽先生、アドバイスありがと。私、冒険したわよ」

音羽はすぐに察したようで、歓声をあげた。

「うわおうう! 誰と? 元カレ? 出合い系?」
「ネットで見つけた女性向けデリバリー…」
「やるわねー。驚いた」
「あなたがすすめてくれたんじゃない」
「うん、でも、由芽先生って硬派だから、まさかするとは…。で、よかった?」
「生まれ変わったわ」

由芽は本音を堂々と伝えた。音羽は、なぜかベートーベンピアノソナタ熱情を電話の向こうで口ずさんだ。

その日から、龍樹にあまり腹が立たなくなっていた。週刊誌で、浮気をしている夫は妻にやさしく接するようになると読んだことがあるが、まさにドンピシャの逆バージョン。

10年も男に触れられず、女として終わったと思いながら40歳を迎えるなどいやだとジクジクした思いを抱えていたのが嘘のように吹き飛んでいる。週末には料理に腕をふるって、手の込んだイタリア料理を龍樹にふるまった。

翔からメールが時々届く。営業メールとわかっていても顔がほころんだ。キャバクラやナイトクラブのホステスからの営業メールに鼻の下を伸ばす男の気持ちもいまさらながら理解できる。

由芽は男と女のいろいろなことがわかってきたと思った。たった一晩、翔とすごしただけで。4万円払っただけで。

しかし公務員の給料ではしょっちゅう遊べるわけではない。ホテル代とシャンパン代もかかる。翔の会社ローズナイトに払う代金のみではすまない。翔の「いつ会えますか」という営業メールには「給料日来ないとむずかしいの」と本音で答えた。

ある日、翔からまたメールが届いた。

「お金かからないようするには、ラブホテルのフリータイムとか…自宅とか使う女性もいるんですよ」

場所はお金がかからないところでも出張できるという内容。由芽は安心した。一人暮らしではないから自宅は難しい。ラブホテルなら安く泊まれそうだ。

夕食時、リビングのテレビでサッカーの試合が流れている。龍樹は目線を画面に向けっぱなしだ。ビールを飲みながら言う。

「月末の土曜、うちの課全員でゴルフ旅行に行くことになった。僕はサッカー観戦のほうがよかったんだけど多数決で。しかたないな」

由芽は思わずはしゃいでしまう。

「あら、そう。角町の打ちっぱなしで練習でもしたら。長いこと打ってないんじゃない」
「そうだな。夜間割引あるな。お前も行くか?」
「いいわよ。付き合う。ウッド、磨いてあげる」

月末の土曜になった。給料も振り込まれた。龍樹は仕事仲間と泊まりがけで出かけた。翔の予約は完璧におさえた。19時から由芽の自宅。朝まで一緒のワンナイトコース。交通費は由芽が払う。翔は新宿からやってくる。

由芽はベッドの相手だけでなく、自慢の手料理を食べさせたいと、朝から仕込みをしている。翔は白ワインが好きと言っていたから、魚介のマリネ。ちょっと痩せ気味なので、栄養つけてもらおうとボリュームのある牛頬肉の煮込み。

「精力がつく食べ物」で検索し、玉ねぎというのを見つけた。涙を流しながらオニオンスライスサラダもたっぷり作り、真ん中に生卵を落とす。

一晩中、愛し合いたい。ずっと翔とひとつになっていたい。秘密の花園を何度も見たい。

キッチンに立って料理を作りながら、翔に会えることだけを考えている。ひと月前の夜のことを思い返すだけで乳首がピンととんがる。料理をすることがこんなに楽しく感じるなんて、女は幸せだ。

 

由芽は笑いが止まらない。あれも作ろう、これも作ろうと、テーブルには小皿料理が所狭しと並んだ。

寝室のベッドのシーツも新品にかけかえた。

ルームスプレーは「エロチカ」という名前のものをネットで買った。青紫色のパンティーも買った。龍樹に悪いなど微塵も思わない。10年間も由芽に見向きもしなかった夫、痛いセックスを数回しかしてくれなかった夫。

夕暮れが近づき、食事の準備は整った。翔に会えると思うと、息がはずむ。

「あっ…」

夜のことを考えるだけでパンティーが湿ってくる。

「履き替えなくちゃ」と、その時、濡れたままの下着をつけている方が翔も喜ぶかもしれないという思いがよぎる。

「私、ばかみたい。40近くになって急にサカリがついたメスになったみたい…」

下着に手を入れてみる。指に生暖かい蜜がまとわりつく。

「翔に会う前から、こんなになって…」

ピンポン…。来た。翔が来てくれた。

待ちに待った瞬間

ドアをあける由芽はまるで新妻の時代にタイムスリップしたような心持ちだった。待ちわびる。そんな純粋な気持ちを10年間忘れていた。

龍樹を待ちわびたことなど、最初の数ヶ月だけだったような気もする。

ドアの向こうでカジュアルな白のジャンパーのポケットに手をつっこんだ翔がにっこり笑った。初めてホテルで会ったときはスーツを着ていたので大人に見えたが、今の翔は学生のようにあどけない。

「ご近所の目があるから、親戚の子が来たってごまかせるようフツーの格好で来ました」

翔は慣れている。出張というやつに。由芽はドアをパタンと閉め、龍樹のサンダルを踏んで翔の首に抱きつく。

「会いたかった…翔…とっても」
「また指名してくれてうれしいです」
「そんな商売っけある話し方はやめて!」
「あ、すみません。今日も純粋に由芽先生の奴隷になります」

食卓に翔を座らせる。もちろん龍樹の座る席。由芽は知らぬ間に龍樹に少し復讐してやりたいと思っていたのだ。痛いことしかしなかった夫。10年間自分を放置した夫に。

「すごいごちそう。びっくりだな…」
「おなかがすいてると激しい遊びができないでしょ」

大胆な言葉が口からスラスラ流れてくる。翔と一緒にいる時、由芽は重い鎧を脱いでいる。教師の顔は捨てている。

「満腹になると眠くなっちゃいます」
「だめよ、眠らせない。キュってつねるわよ」

 

由芽の作った手料理をおいしそうに食べる翔を頬杖をついて見つめた。今夜だけじゃなくて毎晩、この席に翔が座っていればいいのに。龍樹じゃなくて翔が。

ワインが進む。ほろ酔い気分になる。頬がほんのり蒸気する。

「あのね、翔」
「はい」
「実は、料理作ってる時から、濡れてたの…」
「エッチなおねえさんだなあ」
「確かめて。私の奴隷でしょ」

翔は食卓の椅子に座っている由芽の横に膝まずく。由芽の身体を翔の方に向けて座らせる。

「腰を少し浮かせて」

由芽がそのとおりにすると、翔は巧みにパンティーをずり下ろした。足首からスっと抜き取る。椅子に腰掛けフレアスカートをはいたまま由芽は膝を開く。翔が顔を近づけてくる。

近づいてくる気配を感じる数秒の間に由芽の秘部から愛の蜜が湧き上がる。ジュワっと音がするように。待っていたのだ、この時を。

絡み合う男女

翔のかわいらしい鼻先が茂みを掻き分けるよう由芽の中心を探す。

「ああん、すごい恥ずかしい…」
「たしかに、ベトベトしてます、由芽さん」

翔の鼻先がいきなり由芽の一番感じる突起をおさえつける。

「きゃああ」

座ったまま思わずのけぞる。膝を閉じようとして翔の頭を挟み込む形になる。

「痛いよ。頭。今、チョイイキしたでしょ」

由芽は朦朧とした目で翔を見下ろす。翔が上目遣いに由芽を見て笑う。かわいくてたまらない。

「ホンイキさせてあげる」

翔が由芽の膝を両手でさらに大きく開き、中心の割れ目に舌先を入れ込む。

由芽は気を失いそうだ。身体中の細胞がダンスを踊っているように感じる。翔は舌先をねじり入れながら人差し指でまたふくらみきっている突起物を転がす。

「…ダメ、もうダメ」

由芽の下腹部がドクリと波打つ。由芽は翔の髪の毛を掻き毟りながらまた空を飛ぶ鳥になった。綺麗な花が咲いている。白い薔薇、黄色いパンジー。赤いケシの花。

**

 

「一緒にシャワーあびようか。もう恥ずかしくないわ。この前、おなか見られてるから」

意識を取り戻した由芽が翔を誘う。翔はバスルームの脱衣所で由芽の服をゆっくり脱がせてくれる。

「奴隷ですからおねえさまの身体を洗ってあげます」

ボディソープを手のひらで泡だて、由芽の身体のいたるところを撫でる。うなじ、鎖骨、脇の下…。脇の下に手が差し込まれると休んでいた細胞がプチンと音を立ててまた騒ぎ始める。

由芽の身体のパーツすべてが翔の手を待ちわびる。由芽は知る。私の気持ちも身体も飢えていたのだと。

愛したはずの夫はその飢えに気づきもせず、満たそうともせず、そっぽを向いた。何年も放っておかれ、無視され、飢えていた身体は欲することを止めた。

それが10年経った今、目の前にいる若い男に呼び覚まされた。翔の手が由芽の唇に向かって這い上がってきた。

ソープの香りにまじり、またメスの匂いがしている。

「翔、私、うれしい。翔が、私を女だったこと思い出させてくれた」
「どこから見ても女です。大きなおっぱい。処理してないヘア。ちょっとお肉がついたおなか。エッチなここの匂い。いやらしいおねえさんだ」
「もう、翔ったら」

由芽は今度は自分の手にボディソープをつけ、翔を洗う。少年のようにきゃしゃな身体。骨ばった胸。細い髪の毛。つるっとしたおしり。高校生にも見える。

「翔がもし年齢ごまかしてたら私、淫行教師で捕まっちゃう」

ソープをつけた身体同士で抱き合う。ツルツル滑り、心地良い。

「お風呂って身体洗う場所だと思ってたけど、こんなに楽しいことできる場所だったんだね…」

翔がシャワーをひねり、由芽の身体についた泡を流しながら切なそうに言う。

「由芽さん、よっぽど冷たい旦那さんなんだね。こんな楽しいことはしてくれないんだ…」

由芽はその時、一粒の涙を流した。熱いシャワーの湯が涙にかぶさり、翔には気づかれることはなかった。

どうしようもない虚無感

風呂あがりにリビングに置いてあるサーバーで水をコップに入れた。全裸の翔がサーバーの前にやって来て由芽を背中から抱きしめる。

「口移しで飲ませてあげようか」

翔が水を口に含み由芽にくちづける。

「…あ…」

冷たい水が夢の口の中に少しずつ流れこむ。翔の口から流れ出る水。前歯の間をスルっと通る。

「ああ、感じる、すてき、翔の味。翔、抱いて、すぐ欲しい」

サーバーの脇にある二人がけのソファにもつれ合いながら寝転ぶ。ヘアのない翔のその部分はかわいらしく盛り上がっている。

「ソーセージみたい。かわいい」

由芽はゆるく握りながら微笑む。

濡れた髪の毛を撫で合いながら、由芽は翔のソレを導き入れる。いつも龍樹が座っているソファ。テレビを見たり、スマホをいじっているソファ。翔のソレは由芽の身体の内側にある肉の部分の弾力を味わいながら喜んでいる。ヒクヒクしている。包み込む由芽の肉の部分も数秒ごとにビクつく。

「こんなに気持ちがいいものだったの。痛くないものだったの…」

 

由芽が嫌がっていたのは龍樹のセックスそのものだったのだ。肉を引き裂くような痛み。その時はしたくなかった。断り続けていた。今、わかった。本当は飢えていたことに。やさしいセックス。女の部分を見つけてくれるセックスに。

由芽は大声をあげる。翔が小さな声でつぶやく。

「あ・い・し・て・る…」

愛がこもってなくてもいい。今だけ翔は由芽のもの。一緒に鳥になって花畑を見てくれる。

夫婦の寝室で2時間ほどウトウトした。真新しいシーツ、龍樹に悪いという思いはみじんもない。細い翔の身体に由芽はぴったり寄り添って眠った。

翔が始発電車に間に合うように由芽の家を出たあと、どうしようもない虚無感に襲われた。由芽はけだるそうにジーンズを履き、髪の毛をだんごにまとめてリビングと寝室の掃除を始めた。

夜には帰ってくる龍樹に気づかれないよう余韻は消さなければ。ブルーのソファを家具用洗剤でていねいに拭く。艶光がするほど拭き込む。ここで翔に愛された、一緒に花畑を見た。思い出すとまた涙が頬をつたい落ちる。

「翔に本気になっちゃだめ。あいつはビジネスでこんなことしてくれてるんだから」

サーバーの水をコップに入れて一瞬で飲みこんだ。一夜の思い出を飲み干すように。翔の口移しのキスが蘇る。由芽は床にペタンと座り込み、大粒の涙を流しながら思い切り泣いた。

仕事中も翔のことを考えるようになっていた。黒板を黒板消しで消していると、後ろから生徒に声をかけられた。

「先生、なんで同じとこ何度も消してんの。ぼーっとしてますなあ」

漢字の送り仮名を何度か間違えて指摘もされた。

終わりの会のあと、廊下で俳句会のポスターを貼っていると男子生徒二人がふざけて抱き合っていた。

「壁ドンしてよん。ツヅキくーん」

由芽はそのシーンを翔とのキスの場面に重ねて見ていた。

「あ、先生も旦那さんに壁ドンされたことある?」

立って見ている由芽に気づいたツヅキが由芽をひやかす。由芽は一瞬ぐらついたが、笑顔で返した。

「当たり前よ! 夫婦仲いいもーん。毎日、壁ドンよ」
「ヒョー!」

周りの男子生徒たちが奇声をあげる。

由芽は職員室に戻りながら、「翔、会いたい」と何度も心の中で叫んだ。音羽が心配そうに由芽を見ていた。

 

龍樹は無神経だ。由芽が男を家に招き入れたことも気づかず、由芽の気持ちの浮き沈みが激しくなっていることもまったくわからない。由芽との会話は夕飯のうまいまずいの意見とサッカーの感想。時に仕事の愚痴だ。

テレビでサッカーを見ている龍樹に由芽は話しかけた。

「ねえ、私達、周りから見たら幸せな夫婦かなあ」
「うわ、入れられちゃったよ。GKがぼーっとしすぎだ」
「龍樹ってば」

由芽が声を荒げる。やっと龍樹が由芽の顔を見る。

「はあ? お前、不満あんの? 誰が見ても普通の夫婦だろ。もしかして子供欲しいのか。今更いらないだろ。ローンは35年だし、子供の学費のために惨めな生活になるの嫌だよ。ワールドカップ観に行きたいしさ。」

由芽は肩を落とす。陰鬱な空気。TVの音だけが無意味にはしゃいでいる。

「そうじゃない。子供は作らなくていい。ただ、二人きりで生きてゆくならもっと向き合わないとと思ったの」
「二人で毎晩メシ食って、たまに打ちっぱなし行って、どこに否がある? 喧嘩するわけじゃなし。俺はたいして酒も飲まないし、家でサッカー見るだけの金がかからない亭主だ。もしかしてお前、したいのか? ずうっと俺の誘い断っといて今頃したくなったのか?」

いらだってきた。龍樹との会話が噛み合わない。論点がずれる。

「俺は由芽のこと認めてるんだ。公務員まじめに務めて、家のこともちゃんとやる、手の込んだメシも作る。いい奥さんだと思ってる」

龍樹がその言葉を言ってすぐに、テレビ画面を見つめ「うわあああ! 負けたよーー! 惜しかったあ」と頭をかかえた。

ガラガラガラ、夢のなかで積み木のタワーがくずれたような音がした。

本当の幸せ

由芽は音羽をファミレスに呼び出した。深夜のファミレスは意外に賑わっている。駐車場ではバイクを囲んで若者たちがタバコを吸っている。

窓越しに彼らを見ながら「私もあの年齢に戻りたい。翔と同じ年令に」とつぶやく。音羽が真剣なまなざしで言う。

「由芽先生、離婚して新しい人とやり直すのはいいよ。でも、デリヘルボーイはだめ。まんまとひっかかってるじゃない。もしかして高価なものおねだりされてない?」

由芽は何も答えず3杯目の紅茶に口をつける。音羽は言い含めるように話しを続ける。

「いい、よく聞いて。商売なの。彼らはお客全員にやさしいし、女の言うことはなんでも言うこと聞くの。セックステクニックだって磨きまくってる」

やっと由芽はうなづく。

 

「由芽先生、風俗より、再婚相手見つけるのが正解よ。旦那さんとよりを戻す気になれないなら離婚してから再婚。風俗サイトじゃなくて婚活サイトを見るのよ。人生を見誤っちゃだめ」
「音羽先生はなんで結婚してないの。もう40歳になるのに」

音羽がフーっと息をついて天井を見上げる。

「隣町の中学の山辺先生…待ってるの。結婚するって言ってくれてもう4年。市の教員親睦会で知り合った。47歳。」
「え? 不倫?」
「ちがうよ。奥さん、病気で亡くなって独身」
「隠れて付き合ってたのね」
「うん。あちらはお子さん3人いるから、思春期の難しいお年ごろ」
「そうかあ…すぐ結婚ってのはむずかしいのね。音羽先生、大胆な発言多いから、自由に遊んでるって思ってた」
「明るく見せてるの。ほら音楽って情操教育だから。指導者はおおらかで芸術家っぽくしておかなきゃって…」
「えらいね。音羽先生。私は落ち込んだら態度に出るのよ」
「うん、見てられない。職員室の由芽先生。心配してるよ。その、翔くんだっけ? もう買わないほうがいい。まず旦那さんとケリつけなさいよ」

「買う」という言葉を聞いて、由芽はますます落胆した。音羽の言うとおり。相手に愛されているわけではない。お金で奉仕してもらっているのだ。

「あ・い・し・て・る」

無機質な心がこもらない翔の言葉がよぎる。

「翔、最後にもう一度会いたい。予約取れるかな。来月の給料日に会社に振り込むから」

由芽は明け方、翔にメールを入れた。

「最後に? もう遊んでくれないんですか。なぜ?」

翔から返事が届く。由芽は理由を言うことができない自分がもどかしくもあり、腹が立った。

給料日の翌々日の土曜の午後。翔と新宿西口のカフェで待ち合わせる。駅から高層ビル街に向かって少し歩いたところにあるカフェは人気が少ない。

由芽は先に座りガラスごしに外を見る。空が暗い。重く由芽の心にのしかかる雨雲。しとしとそぼ降る雨の中、翔はグリーンのきれいな傘をさして現れた。髪の毛の色がいつもより明るい。染めたのだろう。クリーム色の上着がよく似合う。

「由芽さん、この前のメール気になる…僕、なんか気に触ること言いましたか。他のやつにチェンジですか」
「ううん、そうじゃない。その逆。本当に翔にのめりこみそうだから怖いの。今の私、夫よりずっと翔が好き…」

翔は一瞬、真顔になり、その後おもいっきり上等の笑顔をくれた。

「むちゃくちゃ嬉しい。光栄です。でも由芽さんの家庭を壊すわけにはいかない…。えっと…ほんとに会わないことで由芽さんは幸せになれますか」

由芽は言葉を返せない。幸せ? 自分の幸せは何? どこで誰と何をしていたい? 誰といれば安心? 将来、龍樹と幸せな関係になれる?

「翔、わからない。私、どうして風俗のサイトなんか見たのか。どうしてあなたを指名して、好きになったのか、よくわからない。ただの欲求不満妻だったから?」
「違うよ。寂しかったんでしょ。旦那さんと心が通じなくて。エッチだけじゃないでしょ。エッチがなくて寂しいっていう奥さんたちはたくさんいるよ。でも彼女たちは由芽さんみたいに真剣に僕のこと思ってくれない。遊びと割り切ってるよ。プレゼントもいっぱいくれる。僕はその場しのぎのピエロ」

由芽は翔の説明に驚く。翔のほうがよっぽど大人だ。いろいろな女性と接しているので結婚の機微も女性の計り知れない寂しさもわかっている。龍樹と翔に振り回されてオロオロしている自分が情けない。音羽だってスムーズにいかない恋に耐えているのに。

人生の決断

「翔、ありがと。私がどうすれば強くなれるか教えてくれる?」

翔は目をキョロっと動かしていたずら坊やのような顔で頷く。

「ホットケーキ、注文していいですか」

ホットケーキにのっかっているホイップクリームを口の周りにつけながら笑う翔がいとおしい。このまま二人で鳥になって花畑で暮らしたいとさえ思う。

「抱き合いましょう。キュウって抱き合って考えるといいかもしれない」

ホットケーキをたいらげた翔が小声で言う。

「歌舞伎町には安いホテルあります。案内します」

 

由芽は翔のグリーンの傘に入る。翔が由芽の腰に手を回す。相合傘…。照れくさいようなはがゆい思いがポッと湧いてくる。

まさか教師になってからラブホテルに入るなど考えても見なかった。しかも25歳の茶髪の男と相合傘で。お花をテーマにした部屋を翔が選ぶ。

「由芽さん、花畑見えたって言ってたから」

壁は花のイラストで埋め尽くされている。カーテンはショッキングピンク。ところどころほつれている。ベッドのサイズだけは大きい。安っぽい作りだが翔と一緒ならどこにいても幸せだと感じる。

「リッチな奥さんがお客だといつも高級ホテルに呼ばれるんでしょ」
「あれ、由芽さん、そんなひがみっぽい言葉似合わない。関係ないですよ。場所なんて。1Kの築20年のアパートでもパラダイスにしてあげるのが僕らの仕事なんです」

翔は言い切った。

「翔はプロね。じゃあ、私もプロのお客さんになればいいんだ。最後の夜なんて言わなくてもいいか」

翔の顔が曇る。

「いや、それは…。マジな恋愛対象にされないほうが僕らにはラクですけど、由芽さんは…。寂しいな。そう割り切られると」

由芽は翔の「何か」を察知した。

「それ、営業トークじゃないよね。駆け引きしてる? お客を逃したくないから」

翔はプルっと首を横にふる。長い前髪が目元に垂れる。由芽はその前髪をつまんで翔の目を覗き込む。

「あの、こうしませんか。僕、高校1年の1学期で中退なんで、馬鹿なんです。根っから勉強苦手で。でも、大検受けたいんです。だから、その、由芽先生が家庭教師になってくれるのはどうでしょう。月謝5000円で。安いかなあ」
「私が勉強を教えて、翔は何をしてくれるの」
「ううん、エッチかな…」

二人ともベッドの上で笑い転げた。涙が出るほど笑った。そして最後に静かに抱き合った。

「今度からローズナイトには内緒で、僕個人のスマホに連絡してください。番号教えます。だって、お客さんじゃなくて僕が頼んだ家庭教師ですから。会社には関係ない」
「5000円だと国語しか教えないわよ。英語と数学も教えて欲しければプラス…愛してるの言葉。愛がこもった言葉…」

 

翔は、由芽の頬を両手で包み込んだ。頬がじんわり温かい。涙の跡に翔が軽いキスをする。

「愛してるよ、由芽さん」

由芽は翔をきつく抱きしめる。口元からホットケーキの甘い香りが漂う。

「私も。あなたのこと愛してる。大検がんばって。今よりずっとずっと賢くなって。」

そして、ふたりはこれまでで一番激しく交わり合った。翔の体温を感じながら、ホットケーキの甘いキスに酔いしれながら由芽は何度も花畑に連れて行かれた。

疲れて寝息をたてる翔を見つめながら由芽は心に決めた。

「たとえ、あなたと一緒にいれなくなってもいい。この先あなたとどうなろうとかまわない。龍樹とは別れる」

25歳のデリヘルボーイ、ひと時の遊び相手にと思っていた由芽が、彼に人生の決断をさせられた。そして強くさせられた。

「翔、もうメソメソしないからね」

眠っている翔の頭をやさしく撫でる。

「愛してるよ…」

起きているのか寝言なのか、翔がボソっとささやいた。由芽は翔のおなかに「薔薇」という文字を指でなぞった。


END

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あらすじ

学校の先生をしている主人公・由芽は、お固い会社だから安定しているだろうという理由で今の夫と結婚をした。
ただ、感情が揺れ動くほど好きと感じたことは一度もなく、淡々と過ぎてゆく結婚生活に飽き飽きしていた。
そんな時、外で恋をしなさいと言うアドバイスを受けた。
エッチな誘いをしても夫は反応してくれないので、「女性向け風俗」とタブレットで検索してみると…

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