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官能小説 プリンセスになりたい 2話


皆からの注目

数日後の朝、私は電車にかけこむように出社した。幸い、まだ朝礼は始まっていないが、皆からの注目を集める形になる。お騒がせしました、と謝りながら化粧室へ向かった。

化粧台の上にカバンを置く。誰も見ていないよね。そして、取り出したのは前の日に見ていたヘアオイルだ。つけることが楽しみすぎて寝られず、寝坊してしまうなんて我ながら恥ずかしい。

さっそく、ふたを開け出してみる。水とは違いサラサラしていて、ほのかにフルーツの甘酸っぱい香りがした。それを手櫛を入れながら塗り込んでいく。確かに、髪の指通りが良くなり全体が髪を洗った後のような香りに包まれた。これで少しは女の子らしくなったかな。試しに鏡を見てみるが、見た目としては髪の艶が良くなったくらいだ。ヘアオイルだし、しかたないか。

カバンに戻そうとしたとき、その中で光るものがあった。取り出してみると、それは千晴がくれたヘアピンだった。横髪を一束残し、残りを耳の上で三本を順番に止めていく。いつも見えない耳が見えていて雰囲気が変わったような気がする。よし、頑張るぞ。頬を両手が叩き、化粧室から出た。

とはいうものの、仕事をしている分には特に変化はなかった。時々、女性社員にヘアピンや香りについて聞かれる程度だった。でも、女の人ってどんな風でも可愛いって言ってくれるしな。さすがに、そんなすぐに変わらないか。分かっていても、少しショックだった。休憩所で項垂れていると、こちらへ向かってくれる足音がする。顔を上げると、前に話した鈴木だった。

「どうしたんですか? さっきまで落ち込んでたような気がしたんですが」

「大丈夫、考え事してただけ。気にしないで」

私は逃げるように彼の横を抜けた。それじゃ、と手を振り休憩所から離れようとする。

「先輩って良い匂いしますね」

鈴木のつぶやきに思わず振り返った。私の反応に気づいた鈴木の顔は少し赤い。

「突然すみません、変なこと言っちゃって」

「そんなことはないよ。言われ慣れてないから驚いただけ」

私も照れ隠して頭を掻く。千晴以外で言われたの初めてかも。

「そうなんですか。先輩は可愛いと思いますよ?」

鈴木の発言に今度は自分の顔が熱くなった。次々と誉めてくる鈴木にデレデレしてしまう。一工夫でこんなに変わるんだ。千晴に感謝しなくちゃ。

千晴の家へ

私は仕事のあと、千晴の家に行った。もともと大学の友人で集まるときには大学生で独り暮らしの千晴の家が多く、今でも来ることはある。自分は少しドキドキするが、千晴自身はいつものように入れてくれる。女の人を部屋に入れることに抵抗がないのだろうか。それにしても相変わらず、きちんと整理整頓された部屋だ。家具や家電が白や茶色で統一されている。

私は缶ビールを2本空けてしまい、酔っぱらっていた。千晴は頬が少し赤く飲んでいても、どこか上品だった。千晴が作った肴も美味しい。千晴の彼女になる人が羨ましい。というか千晴よりなんでも出来ることが条件かも。そうなると、自分は無理だな。バカ笑いしながらも色々考えていた。

「そういえば、今日僕があげたの付けてるね」

千晴が私のヘアピンに気づく。そのとき、私も鈴木くんに褒められたことを思い出した。

「そうなの。そしたら、後輩の男の子に『可愛い』って言われて。こんなの初めて」

その瞬間、千晴から笑顔が消える。何か考え事するようにふーん、と声を漏らした。なんか嫌なこと言ったかな。

「どうしたの」

「別に。なんでもないよ」

カシスオレンジのカクテルを飲みながら、千晴は視線を反らす。普段笑っている印象が強いだけにすごく怖い。私も声をかけられず、しばらく時計の針しか聞こえない時間が続いた。

「その人、彼氏? それとも好きな人?」

千晴が突然言う。

「そんな、どっちでもないよ」

「嘘ばっかり」

目に映っていたものがあっという間に天井と千晴の真剣な顔に変わった。肌触りの絨毯に手首を縫い止められる。今頃缶ビールがこぼれているはずなのに、お構い無しだ。

「なんで『初めて可愛いって言われた』なんて言うんだ。僕の方が前からずっと言っていたのに」

抵抗しようにもびくもとしない。手首を掴む千晴の手に熱が籠り、手の甲に血管が浮き出る。そのとき、改めて気づかされる。千晴は男の人なんだ。なのに、私は女性の理想として見ていた。清潔感があることも気遣いができることも男女関係ないはずなのに。

甘い香りに包まれた女性の足

「ごめんなさい。千晴に色んなこと求め過ぎたのかのしれない」

千晴を男性と意識すると、この状態が急に恥ずかしくなる。私は今まさに男に押し倒されているのだ。見下ろされている私は、無意識にこの状況で何かを期待をしてさえいる。千晴の顔が徐々に近づいてきて思わず目をつぶってしまった。首元に髪が当たり、耳の近くで息遣いが聞こえる。

「じゃあ、この髪の匂いは?」

息が当たると気持ち良くて私の身体は大きく捩れた。

「千晴がアドバイスくれたから、やってみたの」

「僕が言ったから?」

「そう。千晴のこと尊敬しているうちに、どこかで女の子と勘違いしてたみたい」

そう言うと千晴は意地悪そうにほくそ笑む。

「そうだ、僕は男だ。真琴が他の人の話をしただけで嫉妬してしまう男。気に入って欲しいから真琴に色々していたんだよ?」

好きになって欲しかったから優しくしただけ。そう置き換えるだけで嬉しくなる。王子様は私ではなく、千晴の方だった。

「別に平気よ。私も好きだから」

私が言うと目を見開き、涙を流す。急いで涙を拭うと、またさっきの顔に戻った。真剣な眼差しにまた照れ臭くなる。そして、ゆっくりと口づけをした。触れるだけの唇は柔らかく微かにカクテルの味がする。

「女の子みたい……」

甘い感覚にうっかり口に出してしまった。千晴がまだ言うか、と呆れ顔になる。

「じゃ、こういうのは?」

と、また唇を塞がれる。今度は長く、だんだん鼻だけでは苦しくなってきて思わず口を開いた。すると、千晴は私の唇の表面を舐める。その回数が増える度に徐々に唇の内側へ近づいては舌先でなぞった。返事をするように私の舌先をくっつける。一瞬驚いたように千晴の舌が引くが、すぐに伸びてきて口内で舌をゆっくりと絡め始めた。何度も可愛いと千晴は呟きながらキスをする。とろけるような甘さに頭がふわふわしてくる。舌を軽く吸いながら、千晴は手を私の髪に添えた。糸を引いて唇が離れると、今度は私の首筋にキスをする。

「この匂いも笑顔も、真琴のは全部僕のだから」

唇や舌が触れる感覚に溶けそうになった。まるで吸血鬼に血を吸われているみたい。夢みたいな状況に興奮し息が上がる。私はその日、甘い感覚に酔いしれていた。

焼きもち

そして、数ヶ月後、私は女性社員たちと話をしていた。

「それにしても真琴先輩変わりましたね」

「そうでもないよ」

と、照れ隠しをする。しかし、変わっていたのは自覚していた。膝たけのスカートにクリーム色のブラウス、髪も肩まで伸ばし内巻きにしている。全部、千晴のコーディネートだ。さすが、デザイナーをしているだけある。でも、ヘアオイルだけはあの日から欠かさずつけている。

「まさに恋しちゃってる感じですか?」

社員の質問に頷くと、黄色い悲鳴があがった。すぐに上司の大げさな咳払いが聞こえ、静かになる。

「じゃ、頑張ってくださいね」

小声で応援すると女性社員たちは自分の席に戻っていった。それとは入れ違いに鈴木が声をかけてくる。

「先輩。もし、良かったら食事にでも」

ホントに、と一瞬喜びそうになった。すぐに千晴のことを思い出す。あの日を境に私たちは付き合うことになった。あのときの真剣な顔を思い出すと申し訳なくなってくる。

「ごめんね。焼きもち妬いちゃう人がいるから」

すると、鈴木が私の肩辺りを見て、目を見開いた。そのあと少し笑って、

「そうですね。ちゃんと『僕の』書いてありますね」

失礼しました、とだけ挨拶して鈴木は行ってしまう。何を見ていたんだろう。私が手鏡で確認すると、首元に蚊に刺されたような跡があった。
虫刺されとは無縁の季節なのに。そういえば、今日仕事行くとき、千晴にキスされたな……。気づいた瞬間、今度は自分の顔が沸騰するように熱くなる。千晴の奴、そこまで妬かなくてもいいじゃない。

思わず呟いた独り言はどこか嬉しそうだと、自分でも分かる。その部分を隠すようにジャケットに隠し、仕事を始めた。


END

あらすじ

ヘアオイルをつけて鈴木に褒められた主人公。そのことを千晴に報告すると意外な反応で…

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