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官能小説 コイの記憶


写真を撮って…

ファインダー越しに見る光景は 現実より少し遠くにあって、 葉子が居る世界より美しく見えた。

人混みに紛れると、 葉子自身も風景の一部になったように思えたが、 カメラを構えた瞬間、世界は反対に葉子の手の内に入り、 自分が風景を手に入れた気になった。

20歳の頃、葉子は写真の専門学校に通っていた。

目立つ容姿でもなく、 取り立てて個性的でもない葉子にとって、 華やかなものはいつだってカメラの向こう側にあった。

それでも、輝く瞬間を切りとることができる カメラという武器がある限り、葉子は自分の存在を 小さな神に仕立てあげることができたのである。

葉子はその頃、恋をしていた。

相手は、クラスメイトの翔太と言う背の高い痩せた男子だった。

2人が親しくなれたのは、お互い友達が極端に少なかったせいである。

クラスでイベントがあると、いつも2人は取り残された。そんなことが重なるうち、助け合いの精神が芽生え、必然的に一緒に居る時間が増えたのである。

彼は無口だったが、常に笑っているような 優しい顔が無邪気な少年のようだった。

休みの日は、2人で写真を撮りに行った。

「撮っていい?」

ある日葉子は、森の中で翔太に訊ねた。 不思議そうな顔で振り向いた彼に、 葉子は突然シャッターを切った。

翔太は瞼をまたたかせた。

つき合い初めて半年以上経つが、 2人は手を握るどころか、 お互いの写真も撮り合ったことはなかった。

葉子は、彼の写真を撮ることで 何かを突破したかったのかもしれない。

あるいは燃え立つように紅葉する木々が、 葉子の奥底にある情熱をかきたてたのか。

「顔、憶えておきたいの」
「毎日、見てるじゃん」

そんな当たり前のことを言う翔太を見ていたら、 葉子の目に突然涙が溢れた。葉子は、初めて翔太の胸に顔を寄せた。

「背、高いね」

葉子の顔は、翔太の胸まで届かない位置にあった。 翔太の鼓動が伝わる。

「僕達って、何なんだろ?」

初めて聞く翔太の本音。 恋していたのは私だけだったの?咄嗟に細い首に手をまわし、 葉子は翔太の顔を引き寄せた。

見なれた顔が目の前にある。 視線が絡み合い、小刻みに揺れる。

葉子は、ファインダーを通さずに 他人の瞳をこんなに見つめたことはない。

翔太は、葉子の唇に静かにキスをした。

震える2つの唇は、それ以上の熱を 押しつけ合うことなくそっと離れた。

秋風にさらされた 冷えた翔太の唇の感触だけが、葉子の唇に残る。

これが翔太の心の温度だったと、 葉子はそのとき初めて気づいた。

彼氏とすれ違いはじめて…

葉子は学校を卒業後、 ブライダル写真館に勤務した。28歳にして、アシスタントから カメラマンへと昇格した。

勤め始めた頃は、 翔太との失恋の傷が癒えておらず、 他人の幸せを毎日見続けるのが辛かったが、 一方で、恋にも素敵な結末があることを 実感できて嬉しくなる時もあった。

葉子が家に帰ると、恋人の由則が ソファーで居眠りしていた。交際2年の由則は、携帯電話会社に勤める32歳。 よく気が利く、穏やかな人だった。

ブライダル写真を撮りながら、時々カップルの顔を 自分と由則に置き換えることがある。

悪くないと思う。でも、そんな日はけっして来ないと思う時もあった。

土日休みの由則に対し、 葉子の仕事は休日がメイン。 彼氏とのすれ違いばかりの2年の間に、 葉子の心にはうっすら靄がかかり始めていた。

由則を無理矢理起こし、 葉子はベッドに連れて行った。

彼をベッドに寝かせた瞬間、 ふいに葉子は抱きしめられた。 葉子を押し倒し、強引にキスをする由則。

「俺、寂しいよ」

そう言って、葉子のシャツのボタンを外し 胸をゆっくり揉み始める由則。大きくて温度の高い由則の手。久しぶりの感触に、葉子は太ももから
ぞくぞく欲望が湧き上がってきた。

由則のキスは執拗だ。 唇から首筋へ、そしてむき出しになった葉子の胸へと、 舌を這わせながら強く肌に押しつけてくる。

由則の指が、葉子のショーツをかきわけ 秘部へと侵入してくる。

「感じてるね……」

囁かれて、葉子はさらに濡れた。

いつしか素っ裸にされ、 葉子はされるがままに愛撫を受ける。 まだ一つになっていないのに、 何度も絶頂に達する葉子。

放心して自分の意志では 到底動けそうもないと思った時、 由則が背後から入ってくる。

彼は激しく奥を刺激しつつ、背中のラインを 舌でなぞり、太い指で胸をがっちりつかむ。 カラダ全体が由則に捕えられたようだ。 気を失いそうで、葉子は声すらあげられない。

「葉子!」

由則が遠くで名を呼ぶ。 葉子の背骨に電流が走る。

直後、2人はどさりとベッドに倒れ込んだ。

由則が帰った後のベッドに横たわり、 葉子はぼんやり考えていた。 普段は温和で優しい彼が、 セックスになると急にむき出しの雄になる。

すると、煙草の匂いに混じって 甘く魅惑的な香りが漂う。 その匂いがかすめた瞬間、 葉子の雌もまたむき出しになった。

性の悦びは、由則が教えてくれた。

「…だけど私達が『一つ』になれるのは、 ベッドの上だけかもね。」

写真の中で優しく微笑む由則を見て、 葉子は呟いた。

カメラマンの女性として…

ブライダルカメラマンを生業として、 早15年。葉子は36歳の女性になっていたが、 未だ自分のパートナーは得ていなかった。

それでも、チーフとして 現場を仕切る立場にまでなれた自分を誇っていた。

時々、初恋を思い出す。

翔太の写真を見るたび センチメンタルな気分が蘇るが、 それは彼を思ってのことではない。瑞々しく純粋で、カメラだけが心の支えだった 自分を思い出してのことだった。

誰かの応援をしながら 裏方人生を歩んでいくのも悪くないと、 葉子は昔から思っていた。

だから、もしかしたら一生独身かもしれないと、 日々他人の結婚を眺めつつ、葉子は密かに覚悟していた。

しかし、「その時」はさりげなく訪れた。

「葉子さん、 楽しそうな顔で写真撮ってはりますね。 妬んだりとか無いんですか?」

口の悪い誠二は、関西支店から ヘルプで来た2歳年下のカメラマンで、 何かにつけ葉子をからかった。

「誰かさんと違って、プロ意識が高いので」

葉子はそう言って誠二と目を合わせると、 2人同時に噴き出した。

常にこんなやりとりが続いていた 2人が3ヶ月後につき合うことになるとは、 本人達も予想していなかった。

「なんで葉子は、俺とつき合ってんやろ?」

葉子の部屋で、 ごろごろしていた誠二が突然そう言った。

「俺はな、葉子のあっさりした顔が好きやねん」
「すみませんね、地味な顔立ちで」
「ええやん、素うどんみたいで」
「素うどん?」
「何でも好きなもんがのせれんねんで。 俺は葉子に、キツネのお揚げと天ぷらをのせたいな」
「何それ?」
「キツネだけにでっかく化けれるし、 天ぷらだけにどんどんアガる!」
「くっだらない!」

葉子は笑いながらも 誠二がどうしようもなく愛おしくなり、 床に寝ころんでいる彼に抱きついた。

「甘えん坊やな」

そう言いながら、 誠二も葉子の背中を抱きしめた。

葉子は、誠二に覆いかぶさり抱擁をねだる。 誠二は全身で彼女を抱きしめ、 優しく唇を重ねた。

半年が経った。

「花嫁さん、笑って!」

花嫁がカメラに向かって 笑顔を作ろうとするが、どうにもぎこちない。

花婿が花嫁に囁く。

「今日は、素うどんちゃうやんけ。 お揚げと天ぷらだけやなく、 月見も、山菜も、とろろまでのってるわ。 豪華やな」

花嫁が、思わず噴き出す。

その瞬間、カシャッとシャッターは切られた。

葉子は今、誠二の母が編んでくれた レースのベールをまとい、純白のドレスを着ている。

お腹周りが微妙にふっくらとしていた。

初めてファインダーの向こう側に立っている葉子は、 愛おしそうにお腹に手を当てながら、 こっそり自分に「おめでとう」と言った。

<コイの記憶 〜おわり〜>

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あらすじ

写真を撮りながら、当時のクラスメイトに恋をしていたことを思い出して…。

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