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官能小説 ここにいること 4話 (一緒にいたい)
一緒にいたい
「今日は少し、風が強いね」
私はすぐ隣を歩いている翔を少しだけ見上げて、ストールを押さえた。
土曜の夕暮れ前、『喫茶 白樺』のドアの外。翔と私は、この1ヶ月ほど、毎週一緒にコーヒーを飲んでいる。 そして、途中の公園まで帰り道を共にしていた。
最初は、翔のことがいい加減にしか見えなかったけれどでも、…お互いの仕事のこと、幼い頃のこと、これからの夢。実際には、楽しくて興味深い話が尽きなかった。
でも、今日の翔はいつもと違う。口数が少ないし、話も上の空…。
「…何か、あったの?」
いつも別れる公園に着いたとき、私は思いきって訊いてみた。翔は、数秒うつむいて、それから私の正面に立って目を合わせた。
「ん?」
私は反射的に翔の目を覗き込んだ。
彼の目は不安そうに笑い、その奥の瞳が鋭く光っている。
そして、もう一度うつむくと、私の手を強く握った。
嘆願
思わずよろける私の耳に、さらにバランスを崩しそうな言葉が流れこんでくる。
「もっと一緒にいたい…」
「え?」
声になっているのかどうか分からない息で、私は顔を上げた。
「佳織さん…、今日、別れたくないよ」
うつむいたまま、彼らしくない細い声。あんなによく弾むボールのようだったのに。そのボールから、シュルシュルと音を立てて、空気が抜けていくような声。
体も、今にも震えだしそうなほどに硬直して、いつもよりもずっと小さく見える。小さく見えた翔は、…愛おしかった。
私は…、
私は、この瞬間を、翔の言葉を、待っていたのだと思う。
「ねぇ」
私は、できる限りの柔らかい声で言った。
そして、こちらを向く翔の唇に自分の唇をそっと重ねた。翔は、小さく一瞬震えたけれど、握っていた手を、滑らせるように腰に回した。夕暮れの誰もいない公園で、優しくて温かくて、そして濃いキス。
風の音も、葉を触れ合わせる木々も、オレンジ色に揺れる太陽さえ、遠くなっていくようだ。代わりに、口の中を温かく行き来する翔の舌だけが、近くなる。
私の居場所
それから私たちは、ふたりで私の自宅に帰った。
そして、何かを言葉で確かめるより先に、肌を重ねる。
独り寝の染み付いたベッドに、今日は翔がいる。
あぁ、腕でも、胸でも、背中でも。触れられるところは、すべて柔らかく溶けていく。心のずっと奥にある傷までも、癒やされていくようだ。
(今までひとりで癒やしてきたと思っていた 心の傷は、実はまだまだカサブタなんだよ)
…包み込むように腰を引き寄せる翔の手の平が、そう教えてくれる。
(カサブタの中は、まだまだ生傷。 だから、ひとりきりじゃ、 どうにもならないでしょ?)
…熱く首筋をなぞる翔の舌が、そう問いかけてくる。翔と一つになれたとき、彼は切ないため息を吐いた。
そしてうるんだ瞳で私を見つめている。「こんなに年下の頼りない男だけど…、 本気なんだ。信じて。一緒にいて欲しい…」
翔の声に目を向けると、最初に会ったときから変わらない、一直線に揺るぎない視線が、飛び込んできた。
私は、黙って小さく頷いて、翔の髪を撫でながら、自分の胸に抱きしめた。
(…夢でもおかしくないわ)
そう思う私の耳の奥に「あったかい」という、翔の声が響いてくる。
「佳織さん…、ここにいてよ。 ここにいることが… ここにいることだけで、…全部だよ」
翔は、私の心臓に耳を押し当てながら、そう甘えた声で呟いた。
―――ここにいること。
私がここにいることも、翔がここにいることも。
それは、それぞれの歴史と度重なる偶然から生まれた、ここにしかない瞬間。
―――ここにいること。
それは、彼に、ここにいてほしいということ。
そして、私が、ここにいていいのだということ。
そのふたつのバランスが、ちょうどよいということ。
(ここにいよう)
私は、そう心で確かめて、翔の指を手に取った。それから、指先にある小さな傷を、ゆっくりと口で温めた。
<ここにいること 〜おわり〜>