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官能小説 「クロス・ラバーズ」…spotA〜美陽編〜・シーズン5


お礼

「……お礼って?」

即座に下僕という単語が頭をよぎる。下僕に求められる「お礼」……セクシャルなものを想像しそうになったが、慌てて打ち消した。
(いくら副編集長の性格がネジ曲がっているといってもそれはないよね……)

「いったい何をすればいいんですか?」

それでもおそるおそる、尋ねる。 回答を聞いて拍子抜けした。

「マッサージ。手のマッサージなら独立シートでもできるだろ。手だけでも疲れって結構取れるんだよな」

「………………」

何も返せないでいる美陽を見て、隆弘がニヤリと笑う。

「……ひょっとしてヤラしい想像した?」

「してません!」

大きく横に首を振って否定した。



出発時間まではまだ間があった。美陽はふと思い出す。

「副編集長の和菓子があったからこそ、女将さんも話を聞いてくれたんですよね。どうしてああいうお店をご存じだったんですか?」

「あぁ、あれな……」

隆弘は美陽から目を逸らし、人差し指で鼻の頭を掻く。

何でも隆弘は、東京で五代続く老舗呉服店の次男なのだそうだ。五代といったら創業は江戸時代。跡取りではないものの、どこに出して恥ずかしくないようにと幼い頃からひととおりの教養を叩きこまれて育ったという。

そういえば交渉中に出た話題も、美陽にはとてもついていけない知識に溢れたものだった。
(スゴイ人だったんだなぁ)
素直に尊敬したが、そのために再び憧れの気持ちが芽生えそうになるのは何だか複雑だった。

「昔の話といえば……お前、西原のことどう思ってるんだ?大学時代の先輩なんだろ?」

唐突に浩太の名前が出てきて、一瞬、びくりとする。

「どうって……昔は先輩、今は上司、それだけです」

告白した日の情景が思い浮かんだが、それを振り払って毅然としてみせる。

「それだけか」

「それだけです」

「……なら、いい」

それ以上、隆弘は浩太については尋ねなかった。



バスに乗りこむと、隆弘はさっそくカーテン越しに手を差し出してきた。
指に力を込めて手のひら全体をマッサージする。
だが、

(ちょ、やだ……)

バスの揺れで隆弘の手が体のいろんな場所に触れてしまう。胸や、太腿といった場所にも。これは計算外だった。

熱と心

隆弘は美陽の体に手が触れてしまったことに気づいているだろうか。

……いるだろう。女性の体のいちばんやわらかい場所なのだから、気づかないほうがおかしい。

それでも手は変わらずに投げ出されている。わかっていてやっているのかもしれない。 むげに押し返すことはできなかった。どうして突き放すのか聞かれたときに、胸や太腿に触れるからだとは言いづらい。

下半身が熱くなる。

(私、何考えてるの……こんなときに)

「なぁ」

美陽が心の中で自分を叱りつけたのと同時に、突然カーテンが開いて隆弘が顔を覗かせた。
きゃっとあげかけた悲鳴を、口を押さえられ封じられる。

「ちょっと聞きたいことがあるんだけど」

「な、何ですか?」

バスの中はすでに消灯されていた。客も少ないとはいえ、まったくいないわけではない。声をひそめた隆弘は美陽の耳元で囁く。それがまた、美陽の心臓の鼓動を早くさせる。

「好きなヤツいるのか?」

「え……?」

「もしくは付き合っているヤツとか。ちなみに俺は今はいない」

質問の意図がわからず思考が止まりかけたが、一応は上司だからか、幸いすぐに頭は再回転を始めてくれた。「こんなことで嘘をついてもしょうがない」と判断する。

「……いません」

「俺のことはどう思ってる?嫌いじゃないか?」

何なのだ、この流れは。これは、ひょっとして……

(こここここ告白されるとか?)

ぼん!と音が立ちそうな勢いで血が一気に顔にのぼる。

(いや、でも私は下僕扱いのはず。下僕に告白とかあり得ないよね?ってなんで私、自分が下僕なのがデフォルトになってるわけ!?だけど、でも……)

「嫌いじゃ……ないです……」

頭の中でものすごい勢いで自問自答を繰り返しつつ、美陽はぽつりと呟いた。

「じゃあ、ちょっとこっち来い」

ぐい、と手を引っぱられる。何が起こったのか、とっさにはわからなかった。

(きゃああああっ……!?)

美陽は隆弘のシートに引きこまれ、後ろから抱きかかえられる形で隆弘の膝の間に座っていた。

熱い息

この格好は、確か背面座位とかいうアレ……
いやいやいや、服を着ているんだからエッチの体位に喩えるのは間違っているし、そもそも上司相手にそんな……
目まぐるしく回る考えは、隆弘の囁きで中断された。

「このほうがお前も楽だろ?俺も楽なんだ。喋りやすいしな」

潜められた声が熱い息とともに耳に流れこんでくる。後ろから。
はい、とも、いいえ、とも言えなかった。ただ、固まってしまう。

「緊張してるの?」

声、というより息が今度は首筋にかかる。

「いえ……」

何とかそれだけ答えるのが精一杯だった。もちろん大ウソだ。
緊張している。料亭で女将さんと面会したときなんかとは比べものにならないぐらい。

「嘘つけ。しょうがない、俺もマッサージしてやる」

隆弘は預けていた手を美陽の肩に乗せて揉み始めた。
大丈夫です!と振り切ろうとしたが、「髪、いい匂いだな」と髪に鼻を近づけられると、また動けなくなったしまう。
バスが急なカーブを曲がったらしく、車体が傾いた。 その拍子に隆弘の唇が美陽の首筋をかする。

「あ……っ」

わずかだったが、声が漏れてしまった。ダメ。こんなところでこんなときに、こんな声を出していけないとわかっているのに。 その声は隆弘にも聞こえたようだった。

「かわいいなぁ。期待しちゃうぞ」

隆弘の唇は、今度は確実に耳に触れていた。 美陽は今、隆弘がどんな表情をしているのか想像できる気がした。きっといたずらっ子のような「悪い」顔をしているに違いない。

「お礼、もうひとつしてほしいな」

「な、何を……?」

体の中はすでに恥ずかしさでいっぱいだ。その状態で美陽はかろうじて振り向き、聞く。

「チューしてほしいなぁ。ここに」

隆弘は自分の唇を指差した。

気持ちのキス

二人はしばらく見つめ合った。
先に決断を下したのは美陽のほうだった。

(やっぱりできない。口にキスなんて)

だが、隆弘を振り払って前に向きなおることはできなかった。なぜなら隆弘はそのときにはもう、美陽の頬を両手で包んで、前を向けなくさせていたからだ。

(あぁもうっ……しょうがない!)

美陽は仕方なく、渾身の勇気をこめて隆弘の頬にキスをした。

「あーあ」

隆弘が肩をすくめる。

「知らないのか?そういうのは寸止めっていってなぁ……男をもっとヤバくさせるんだよ」

その言葉の意味を理解すると同時に、美陽はシートから逃げようとした。しかし隆弘は後ろから美陽の二の腕を押さえつける。

動けない。
しかし、どういうわけだろう。隆弘は力をふっと抜いた。

「やっぱやめた。行きたいなら行きなよ」

今なら隆弘の膝を離れて、自分の席に戻れる。戻れば隆弘はもう何もしてこないだろう。なぜかそれは確信できた。 この十数分の出来事はなかったことになる。明日からはまたいつも通りの日々が待っている。

美陽は、動けなかった。
逃げられなかった。
バスのエンジン音が一度、大きく響く。

「じゃあ、同意の上ってことで」

隆弘はくすくす笑いながら、美陽の首筋にかする程度ではないキスをした。

「安心しなよ。こんなところで変なことしないから」

(それは十分変なことですっ……)

言い返したいが、言葉にならない。 いつの間にか左手を握られ、指を絡められていた。 美陽はその手を握り返す。強く握っていないと……感じて、声が出てしまいそうだった。

憧れと…

「これぐらいならいいだろ?」

背後から首筋へのキスが何度も繰り返される。

「ん……んっ……」

そのたびに美陽は隆弘の手を握る。 首筋なんて、そんなに敏感ではなかったはずだ。なのに感じてしまう。 隆弘は美陽が感じているのに気づいているのだろう、ときどき意地悪く指でくすぐったり、軽く歯を立てたりする。

「ひゃんっ……」

いきなり太腿を撫でられた。首筋にばかり神経を集中させていたからか、よけいに感じやすくなっていた。

「感じた?」

隆弘は太腿に手を置いたままで尋ねる。 美陽はその質問には答えない。

「こ、こういうこと……」

「ん?」

「こういうこと、誰にでもするんですか?」

美陽にだって女としてのプライドはある。誰にでもするようなことで感じてしまうのはいやだ。 背中で、隆弘がむっとしたのが気配でわかった。

「そんなわけないでしょ。お前こそ、誰の膝にでも乗っかるわけじゃないよな?」

「まさか!大体、こんな状況……」

「しーっ!声が大きい」

隆弘が握っていた手を離して美陽の口をふさぐ。次に掛けられた言葉に、美陽は息が止まりそうになった。

「じゃあ……付き合う?」

付き合う?私が?副編集長と?ずっと憧れていた、でも失望したこの人と? 嘘でしょ?本気なの? 考えが全然、まとまってくれない。

どういうこと?どういうこと?どういうこと?
冗談だってさっきみたいに言って。うぅん、こんなこと冗談で言われるなんてやっぱりイヤ。
そのときふいに、浩太の顔が浮かんだ。告白して、断られたときの顔。続けて、今、同じ編集部でときどき心配そうな視線を投げかけてくれる顔が。 どうして思い出すの?もう「そういう目」では見ていない人なのに。 美陽は黙ったままでいた。
その無言を、隆弘がどう受け取ったのかはわからない。しばらくして隆弘は「……寝ろ」と美陽を自分の胸に引き寄せた。 ビールの酔いのせいも、隆弘の胸が暖かかったせいもある。美陽は本当に、そのまま眠りに落ちてしまった。

(ホントに寝るかよ、こういうときに)

隆弘は美陽の頬をそっと撫で、自分のほうを向かせる。 その唇にキスをしようとして、しかし動きを止めた。 隆弘は少しだけ迷って、美陽の頬に軽く、そっとキスをした。




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あらすじ

旅館へのプレゼンは無事成功し、雑誌への記事掲載の許可をもらった美陽。

隆弘はバスの中で美陽に「お礼」を求める。

「下僕がご主人様にするお礼とは…」
美陽は隆弘に対するエッチなお礼を想像しそうになるも、実際は意外なもので…。

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毎日小説「夜ドラ」の挿絵も担当。書籍、ウェブ、モバイル…
松本梓沙
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女性向け官能、フェティシズム、BLなどを題材に小説、シ…
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