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官能小説 「クロス・ラバーズ」…spotA〜美陽編〜・シーズン1


彼氏いない歴、4年

 出社時のエレベーターホールで、谷崎美陽(たにざき・みはる)は森尾隆弘(もりお・たかひろ)と顔を合わせた。 

「おはようございます」

「おはよう」

美陽から声をかけると、隆弘は人の好さそうな笑みを浮かべて答えた。
美陽は大手出版社である暁水社で編集者として働いている。
担当する雑誌は二十代後半から三十代前半のキャリア女性向けのファッション雑誌「Brigid」(ブリジッド)だ。

新卒で入社してすぐティーン向け雑誌に配属されたが、三年前に異動になり、二十八歳となった今も同じ編集部で働いている。
月刊誌ではあるが、その日々はなかなかに多忙だ。
だが、大人の女性向けのファッション誌の編集をしたくて就職したのだし、毎日、とても充実している。

ただ一点、仕事が充実しすぎていて男性と出会うことにさほど興味がなくなってしまい、生活に男っ気がないのが懸念していることではあるが……。
彼氏がいたことはあるが、別れてからだいぶ時間が経っている。「彼氏いない歴」はざっと四年ほどだろうか。
しかし、今挨拶した隆弘は、何となく気になる存在ではあった。

気になる年上の彼

 優しげな佇まいながらもどこか泰然としていて、ミステリアスな影も宿している隆弘は、美陽より七歳年上の三十五歳で、入社当時からひそかに憧れを抱いていた。

 美陽が彼氏をなかなかつくろうとしないのは、隆弘のせいもあるかもしれない。ブリジットに異動になったとき、それ自体も嬉しかったが、嬉しいことはもうひとつあった。



 隆弘と同じフロアで仕事ができるようになったことだ。

 隆弘も美陽と同じ編集者で、担当誌は三十代の男性向けファッション誌「Ernest」(アーネスト)だ。ブリジットとアーネストの編集部は隣り合っている。もしかしたら、何かチャンスが巡ってくるかもしれない。

 編集部のある階で隆弘に続いて降りると、美陽はまずトイレに入った。メイク崩れはなかっただろうか。朝だから大丈夫だろうが、気になってしまう。

 鏡の前でチェックする。よし、問題なし。キレイな顔を森尾さんに見てもらえた。

 ポーチをバッグにしまっていると、トイレットペーパーを抱えたバイトの女の子たちが入ってきた。

「朝から森尾さんに会えるなんてラッキーだよねー」

「ホント。やっぱり超かっこいい」

 女の子たちはトイレットペーパーを補充すると、トイレを出て行った。

月乃

美陽は溜息をつく。そうなのだ、隆弘は「モテる」。雰囲気が魅力的なこともあるが、顔も申し分ない。(ライバルが多いなぁ)
きっと他にも隆弘を狙っている女性はいるだろう。まだ未婚らしいが、年齢も年齢だし付き合っている女性もいるかもしれない。

「あ、美陽」
鏡に映ったドアが開き、見覚えのある顔が入ってきた。同期入社で、同じ大学でもあった吉井月乃(よしい・つきの)だ。
月乃は入社してすぐに総務部の秘書課に配属され、現在は副社長の秘書を務めている。総務部の同期入社のメンバーでは出世頭といえた。
秘書の仕事は多岐に渡るから、このフロアに何か用があったのだろう。

二人は周囲からは「対照的な性格」だといわれていた。美陽が明るく陽気なのに対し、月乃はおとなしく、何事にも慎重なタイプだ。

「浮かない顔してるね。何かあった?」

 月乃は鋭い。美陽は笑顔をつくった。

「気のせいだよ」

 美陽にはそれよりも月乃のほうが沈んでいるように見えた。沈んでいるというより、疲れているようだ。尋ねてみると、「最近、あんまり寝てなくて」と月乃は答えた。

 二人は軽く挨拶を交わして別れた。

合同飲み会にて…

 それから数日後、ブリジットとアーネストの編集部合同で飲み会が開催されることになった。両編集部に渡って雑用を引き受けてくれるバイトが数人入ったので、その歓迎会だった。

その日、両編集部の人々はいつもより早く仕事を終わらせて、会社のそばの居酒屋に向かった。

 美陽は確かに明るかったが、それが調子の良さとして出ることもあった。

バイトたちにいいところを見せたいと、美陽はついつい飲みすぎてしまった。「お酒の強いカッコいいお姉さん」、そんなふうに見られたかったのだ。

(……しまった!)

 みずからの失態に気づいたのは、二軒目の店を出てすぐだった。一次会で帰った人も多かったので、すでに人数は元の五分の一ほどになっている。

 大事な書類や資料が入った袋を店に忘れてしまった。お金や雑誌の機密事項に関する資料も入っているから、紛失となれば大問題になる。

「ちょっと忘れ物を……」

 美陽は何食わぬ風を装って、さっきの店に戻った。

 ところが……。

「その袋でしたら、さっきどなたかが持って行かれましたけど」

 入口にいた店員が答える。

「えぇぇぇっ!」

 店内に美陽の悲鳴が響き渡った。

彼の下僕

(たぶんどちらかの編集部の人だろうけど……あの中身が大事な資料だって知られたら……。うぅん、まったく関係ない人が何かの手違いで持って行ったりしたら……)

 胸に不安を渦巻かせながら、美陽は地下からの階段を上がる。

「これ、忘れてたけど」

 上から声が降ってきた。仰ぎ見ると、そこには隆弘が立っていた。
 手に美陽が探していた袋を持っている。

「あ、ありがとうございます……!」

 美陽は慌てて袋を受け取ろうとする。だが、隆弘はさっと持ち上げて取れなくしてしまった。

「このことを田中編集長が知ったら、カンカンになるだろうね」

 隆弘は口の端をすっと上げる。その表情は、今まで美陽が見たことのない、「何かを企んでいる」顔だった。悪い顔。

「他の編集部員たちがどんどんキャリアップしていく中で、今後君にはあまり重要な仕事は任されなくなるかもしれない」

 いつもは優しげな隆弘の口から出てくるとは思えない言葉。

「もし、僕がこのことを編集長に話したら……」

脅されている、すぐにそうとわかった。
 憧れの人がこんなことをするなんて信じられないという失望よりも、焦りが先に立つ。

「……私はどうしたら?」

 隆弘は袋をひらひらと振ってみせる。

「俺の下僕になれよ」




⇒【NEXT】【小説】「クロス・ラバーズ」…spotA〜美陽編〜・シーズン2

あらすじ

大手出版社で働く美陽(28歳)は念願かなって大人向け女性雑誌の編集部に配属され、充実した毎日を送っていた。

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