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官能小説 「クロス・ラバーズ」…spotA〜美陽編〜・シーズン7


ただじゃ帰さないってことは…

どう答えていいかわからず、美陽は固まる。

「その……ただじゃ帰さないってことは、あの、家に来いってことですか?」

やっと出てきたのは、そんな質問だった。だって、これから一緒に帰る上に、ただじゃ帰さないなんて宣言するなんて、そういうことだとしか思えない。

「まぁ、そういう選択肢もあるな」

隆弘は顎をわずかに上げて笑う。美陽から逸れない切れ長の目が、さらにすぅっと細められた。

美陽は黙りこんだ。

「おいおい、勘違いされちゃ困るんだがな、俺はお前を無理やりどうこうしたいわけじゃない。家に来るっていうのはあくまでも選択肢のひとつだ」

ん? どういう意味? 隆弘の意図をはかりかねて、美陽は首をひねる。

「他の選択肢としては、俺の行きつけのバーでちょっと飲んで帰る、なんてのもある。明日は休みだし、多少酔っぱらっても大丈夫だ。帰りのタクシー代ぐらいは出してやるよ」

隆弘の行きつけのバーというのは、会社からタクシーで十五分ほどのところにあった。閑静な住宅街に隣接するファッションエリアだ。

バーが個室だったことに、安心感と緊張感を同時に覚える。ここでならどんな話をしても大丈夫だと思う反面、何かされてもまわりには気づいてもらえないという不安もある。

もっとも気づかれたら気づかれたで、それもまた恥ずかしいだろうが……。

お互いカクテルを頼み、軽く仕事の話をする。だが、話題はすぐに変わった。

「俺への返事ができないのは、西原のことが気になってるからか?」

突然出てきた浩太の名前に、美陽は戸惑う。

「ど、どうしてそんなことを聞くんですか?」

「あいつはお前に気があるからな。見ていればわかる。大学時代は先輩と後輩の関係だったというのなら、ひょっとして懐かしさから二人とも……なんて思ってな」

気のせいか、隆弘にしては語尾に弱々しさがあった。

が、それは本当に気のせいだったのかもしれない。

「そんなこと……」

美陽が否定するよりも早く、

「それでも俺はお前が俺を選ぶのはわかってるけどな」

喉を鳴らして笑いながら、隆弘は鷹揚に構えた様子で言った。

「お断りしました」

浩太のことを考えると少し迷ったが、美陽はきちんと伝えることにした。

「確かに、西原先ぱ……副編集長には、気持ちを打ち明けられました。ですが、お断りしたんです」


それってつまりさ

話を聞きながら、隆弘がさりげなく体をこちらに傾けてくる。視線が鋭くなっている。射すくめられてしまいそうだ。

美陽は決心する。正直に言おう。思っていること、不安なことすべて。

「あの、森尾副編集長は、本当に私でいいんですか? 同じ会社で、同じ部署で、私たちは上司と部下で、私は副編集長のこともたぶんまだよくわかっていなくて……どうしたらいいのかわからないんです」

そこまでで一息ついて、美陽はカクテルを口に含んだ。緊張したせいか、妙に喉が渇く。

「確かに副編集長のことはずっと前から憧れていました。でも下僕のように扱われて、自分でも気持ちが分からなくなってしまって……でも京都でのことやら何やらで……」

まずい。何を言っているのか自分でもだんだんよくわからなくなってきた。

お酒のせいではない。まだほんの少ししか飲んでいない。

「で、結局何が言いたいんだよ」

隆弘美陽に尋ねる。表情にこそ出ていなかったものの、その底に包みこむようなあたたかみがあるのを美陽は感じ取った。

「わからないけど……とにかく、あの……私、副編集長といると、ドキドキしてなんか自分じゃないみたいで……」

「それってつまりさ」

隆弘はカクテルに伸ばしたままだった美陽の指に、長い指をそっと重ねる。それだけで美陽はぞくっとした。

「俺が好きってことだろ」

断定される。美陽はたっぷりひと呼吸は置いた後、黙ってうなずいた。

「出るぞ」

隆弘は伝票を持って立ち上がる。美陽は何だかよくわからないままに隆弘についていった。

バーを出たところで、隆弘は美陽を抱きしめた。

「やっぱりお前が好きだ」

耳元にそっと、低く艶のある声が舞い降りる。

「なぁ、俺の家に来いよ。俺のことがわからないって言うなら、俺のこともいろいろ知ってもらえるしな」

美陽はこくりと顔を縦に振る。頭で考えて答えを探すよりも先に、勝手に体が動いた。体は気持ちに、嘘をつかなかった。

隆弘のスーツの裾を掴む。隆弘がその手を握ってきた。その手の力強さを感じ、美陽は隆弘に対する思いを噛みしめる。

私、この人のこと、好きだ――。

二人は手をつないだまま大通りに出て、タクシーに乗った。


俺もお前のことを知りたい

家に着くとまず、電気もつけないまま再び抱きすくめられた。

「副編集長、こ、こんなところで……」

「わかってるよ」

隆弘はすぐに玄関脇のライトを灯した。

美陽を奥に通すと、隆弘はキッチンからミネラルウォーターを二本持ってやってきて、テーブルの上に置いた。

広めの1LDK。白と黒を基調にしたシンプルなインテリアで、どこを見てもすっきりと整理整頓されている。12階ということもあって、大きな窓からは美しい夜景が眺め渡せた。天井が高いせいもあって開放感もある。

「じゃ、俺はちょっとシャワーを浴びてくるわ」

「シャ……」

美陽が焦るのもお構いなしに、隆弘はバスタオルやTシャツなどをクローゼットから引っぱりだしてバスルームに向かう。

十数分後、石鹸の香りの湯気とともに隆弘が部屋に戻ってきた。

髪が濡れて、輪郭がいっそう鋭くなっている。もともと整った顔だちがさらに端正に見えた。

隆弘はその足でもう一度クローゼットに近づき、もう一セット、バスタオルとTシャツ、それに短パンを出した。

「ほら、お前も入ってこい」

鼻先にそれらを押しつけられる。

「私はいいですっ」

「体がベタベタして気持ち悪いだろ。安心しろ、変な真似しないから」

「ぜ、絶対ですよ!」

美陽は隆弘に約束させて、バスルームに向かった。

さらにバスルームには内側からしっかり鍵をかける。

――とはいうものの、ここまで来たらある程度覚悟はできていた。それでも、ガードの緩い女だとは思われなくない。

さまざまな矛盾が、美陽の中では渦巻いていた。

浴室のドアを開けると、まだ湯気がもうもうと立ちこめていた。さっきまで副編集長がここで……と考えると、甘ずっぱい感覚が体を駆け抜けていく。

シャワーを浴びて隆弘の服に袖を通すと、洗剤の香りの他にうっすらと隆弘の香りもした。いつも隆弘のつけている香水が、たぶん繊維にまで染みこんでいるのだろう。

(なんだか副編集長に抱かれているみたい……)

編集部での隆弘をうっすらと思い出しつつ、美陽は隆弘の服を着た。

バスルームを出ると、隆弘がノートPCで何か作業をしていた。眼鏡をかけている。

「目、悪かったんですね」

「あぁ」

隆弘が流し目で答える。黒縁の眼鏡とその動作の組み合わせには、普段の彼にはない何ともいえない色気があった。

「こうやってひとつずつ、俺のことを知っていってくれ。俺もお前のことを知りたい」

「何してるんですか」

美陽は何だか照れてしまって、照れかくしに隆弘のPCを横から覗きこもうとした。

その拍子に、隆弘にまた抱きしめられる。


俺のものになったみたい

隆弘に抱きかかえられる美陽

隆弘は美陽を抱きしめ、髪の香りを嗅いだ。

「同じ匂いがする。俺のものになったみたいだ」

美陽は答えられない。こんなとき、何と反応したらいいのかわからない。

隆弘はククッと笑って美陽をそっと放した。

「そろそろ慣れろ」

「こんなのなかなか慣れられませんよ!」

美陽は反発する。だが隆弘はどこ吹く風でノートPCをパタンと閉じると、かたわらのベッドにさっと乗った。

「おいで」

それまで見たことがないほどの柔らかな笑顔で、しかし当たり前のように美陽に手を伸ばす。まるでもうずっと付き合っている恋人に対してするように。

美陽がその手を取ろうかどうか迷っていると、ふわっと体が浮いた。隆弘に抱きかかえられたのだ。

そっと仰向けに寝かされる。

「まったく世話の焼けるお姫様だな。それでもそんなお前が……好きだ」

声とまなざしとともに、キスが降ってきた。最初はこれまでのように頬に。二度目は――唇だった。

「ん……」

美陽はその唇を受け入れた。隆弘との、初めてのキス。ねっとりと熱くて甘くて、その部分から体が溶けてしまいそう。

「ふぅ……ん……」

隆弘の手がTシャツの下から差し入れられ、腰の曲線を撫でた。

「あ……」

手はゆっくりと、しかし確実に上がっていった。美陽は体をこわばらせる。いやではないが、だからといってすぐにスイッチを切り替えられるわけでもない。私、今までのお付き合いでどうやって「心の準備」ってしてきたんだっけ。ブランクがありすぎてわからなくなっている。

隆弘の指先がブラのカップに触れたとき、
「……やめておく」

その手が止まった。

隆弘はいったん起き上がり、部屋の電気を消すと呆然としている美陽の横に寝転んだ。

引き締まった腕が美陽を抱きすくめる。だが、隆弘はそれ以上ことを進めようとはしない。

「お前のことが本当に好きだからな……焦らないで、大事にするよ。ちゃんとした答えを聞くまでは手は出さない」

薄闇の中で、隆弘はゆったりと笑う。

そのうちに隆弘は寝息を立て始めた。

(私がバスの中で先に寝ちゃったとき、副編集長はこんな気持ちだったのかな)

あの夜のことを、美陽は思い返す。あの夜が、すべての始まりだった。

やがて美陽も、静かな眠りに落ちていった。


平和な時間…

本当に、何も起こらずに朝が来た。

――お前のことが本当に好きだからな。

目を覚まして美陽がまず思い出したのは、昨夜の隆弘の言葉だ。

「私も好きです」

そっと呟いて、隆弘の胸に縋る。

眠っていたと思った隆弘の目が開いた。

「やっと言ったな」
「ちょ、ちょっと寝てたんじゃ……!」
「お前の寝顔をこっそり見てたんだよ!」

隆弘は笑って美陽を抱く。

「いじわる〜!」

美陽は胸の中で暴れながらも、満たされた気分をいっぱいに味わっていた。

やがて二人はベッドから離れ、並んで歯を磨いた。

口をゆすいでいると、一足先に歯磨きを終えた隆弘に後ろから抱きしめられ、首筋にキスをされた。

「新雑誌が創刊されて落ち着いたら ……いただくからな」

数日後。新雑誌「Conrad」の創刊まであと1週間を切った。ここまで来たらもう美陽たちにできることはほとんどない。雑誌が刷り上がってくるのを待つだけだ。

それはつまり、「新雑誌が創刊されたらいただく」……その日が近づいてくることでもあった。

気持ちに余裕ができたこともあり、美陽は月乃とよくメールを交換するようになり、時間を見つけて飲みにも行った。月乃は同じフロアの飯倉哲也という男性と付き合うことになったらしく、お互いに同時期に恋が始まったことに、驚いたりも喜び合ったりもした。

そのまま、少なくとも「Conrad」の創刊日までは平和な時間が過ぎていくかと思っていた。だが……

あるとき美陽は、隆弘についての「ある話」を月乃から知らされた。

何でも哲也と隆弘は、部署こそ違うが、共通の知人……哲也の大学の先輩で、隆弘の同期……がおり、お互いのことをある程度知っているらしい。

「飯倉さんも言おうかどうか迷ったそうなんだけど……こういうのってうやむやにしないほうがいいんじゃないかって教えてくれたの」

そう前置きした上で、言いにくそうに月乃は教えてくれた。

哲也自身も詳しいことは知らないものの、6年前、隆弘には親しい者たちの間では結婚秒読みとされていた相手がいたらしい。

しかし、隆弘とその相手が結ばれることはなかった。

6年前といえば、美陽たちが入社する前だ。

(いったい6年前に何が……?)

気になる。だが哲也と隆弘の共通の知り合いという男性も、それ以上は知らないようだ。

隆弘にいったいどんな過去があるというのか? 過去のことを尋ねるべきか? 尋ねるとしたら、どんなふうに訊けばいいのか?

美陽は悩んだ。


⇒【NEXT】「……あの、副編集長……6年前、何があったんですか?」(「クロス・ラバーズ」…spotA〜美陽編〜・シーズン8)

あらすじ

あるときの仕事終わりに「一緒に帰ろう。ただでは帰さないが」と誘ってきた隆弘。
どう答えてよいか固まる美陽だったが…!?

松本梓沙
松本梓沙
女性向け官能、フェティシズム、BLなどを題材に小説、シ…
poto
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毎日小説「夜ドラ」の挿絵も担当。書籍、ウェブ、モバイル…
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