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官能小説 「クロス・ラバーズ」…spotA〜美陽編〜・シーズン12


後悔しないやり方を選べ

隆弘や美陽の家に届く式場のパンフレットや、試食会の案内の数は、日に日に増えていった。週末のたびに会場の下見に行ったり、ドレスの試着会に行ったりもした。

実際に行動すると、ただ漠然と考えていたときよりも結婚するのだという気分がさらに高まってくる。

気分が高まるというよりも、覚悟ができてくるといったほうがいいかもしれなかった。

「こちらのドレスですと二十万円からで……」

「こちらの式場ですと、四十名様から、お一人様当たり八千円ほどのお食事となりますね」

具体的な数字によって、夢だったものが現実にはめこまれていく。何だかんだいっても独身時代はお気楽だったのだなぁと美陽は思った。

「やっぱり都内のホテルで披露宴ってのが妥当かな」

いくつか式場を見て回った後、隆弘は言った。

夕方を過ぎ、二人は隆弘の家でお茶を飲んでいた。その日も一件、式場を見てきたばかりだ。

「都内なら地方からの来てくれる人にとっても交通の便がいいし。結婚式は祝ってくれる人があってのものだしな」

「……そう、ね」

美陽はうなずいた。

うなずいたが、胸の内にどうしても拭い落とせないものがあった。

「どうした?」

黙りこんでしまった美陽を隆弘が覗きこむ。

しばらく間を置いた後、美陽は声を出した。

「でも私、高原の式場もよかったな」

美陽が言ったのは見学に行った中のひとつで、リゾートウェディング用の式場のことだった。高原の森の木々に囲まれて建つ教会に、披露宴用のホールが併設されている。車を少し走らせれば海にも行けた。

言うのに少し勇気が必要だったのは、隆弘のいうことのほうが正論だとわかっていたからだ。美陽だって結婚式それ自体を心から祝ってもらうためにも、来客には面倒な思いはせず来てほしかった。

高原の教会での結婚式は、幼い頃、漠然と思い描いていた夢だった。でもそれは、幼い頃の夢に過ぎないと思っていた。だが、一箇所なりとも見学してみると、美陽はその夢が自分の中でまだ確かに息づいていたことを感じた。

それでも、わざわざ来てくれる人のことを考えると……

「じゃあ、そっちにするか」

隆弘はあっさり意見をひるがえした。

「どうせお前のことだから、来てくれる人に悪いとか思ってたんだろ。そこまでいい子になる必要はないよ。結婚式は確かに祝ってくれる人あってのものだが、そのために自分を犠牲にするようなもんじゃない。後悔しないやり方を選べ」

隆弘の手が美陽の頭に置かれる。その手に頭を撫でられて、美陽は胸が暖かくなるのを感じた。


高原の教会で

結婚式当日――。

美陽は着替えもメイクも終えて、新婦控室で式が始まるのを待っていた。

選んだのは結局、高原の教会での結婚式だった。

余裕のあるスケジュールを組んだおかげで、教会に向かうまでだいぶ時間がある。美容師は気を使って美陽を一人にしてくれた。

(これが、私――)

鏡に映った自分を、美陽は椅子に座ったまままじまじと見つめる。

真っ白なウェディングドレスに清楚なメイクをした姿は、まるで美陽自身の幼い頃の思い出の底からやってきたお姫様のようだった。こんな日が自分に来るなんて、何日もかけて準備をしてきたのにまだ実感が持てない。

控室のドアがノックされた。

「どうぞ」と答えると、ひょこりと顔を出したのは月乃だった。

「月乃!」

美陽は立ち上がる。

月乃は美陽たちより一足先に結婚式を挙げていた。神前式だったその厳かな式に、美陽も隆弘も参加した。

「美陽、おめでとう。すごくきれいよ」

「ありがとう」

月乃との会話で、心の中にあった緊張が少しだけほぐれる。

「月乃、不思議だよね。私たち、同じぐらいの時期に恋を始めて、同じぐらいの時期に結婚して……」

「昔から私と美陽って、なぜかリズムが合うのよね」

二人は顔を見合わせて微笑み合う。お互いの恋を、お互いの悩みを共有してきたからこそ浮かべられる、穏やかな笑みだった。

またドアをノックする音がした。

二人がそちらを向くと、そこには白いタキシード姿の隆弘が立っていた。隆弘のほうもすでにすっかり準備は整っているようだ。きちんとセットされた髪型も凛々しい。

「じゃあ、私は行くわね」

隆弘が近づいてくる。それだけで美陽の胸は高鳴った。

「きれいだ」

隆弘は美陽の前に立つと、頬をそっと撫でた。さっき月乃が言ってくれたことと同じなのに……さっきはゆったりとした気持ちになれたのに、今度は顔が熱くなって、落ち着かなくなる。

隆弘の顔が近づいてくる。キスされるのだとわかって、美陽はそっと目を閉じる。

だが、柔らかな唇の感触は訪れなかった。

「口紅を落としたら叱られそうだからな」

目を開けた美陽の唇を、隆弘はキスをする代わりに指先でそっと触れてみせる。

「式が終わったら……な」

隆弘は美陽の耳元で囁いた。

「どうしたの? 何かあった?」

照れ隠しもあって、美陽は目を逸らし気味にして尋ねる。

「いちばん大事なことを最初に言っておこうと思って。式が始まったら、バタバタして言えなくなるかもしれないからな」

隆弘は正面からじっと美陽を見すえた。その瞳のまっすぐさに、美陽はめまいを覚えそうになる。

「……俺は今日、美陽と結婚式を挙げられて、これからずっと同じ時間を死ぬまで過ごせることが……すごく嬉しい」

隆弘の腕が、美陽をふわりと包んだ。


涙が一気に溢れ出して

バージンロードの先には、隆弘が立っていた。

美陽は母からもらったブーケを持ち、父に手を取られてその道をゆっくりと進む。参列者のまなざしが注がれるのが、誇らしいようでも照れくさいようでもあった。

教会の窓からは木々の梢を透かした金色の陽光が降り注いでいる。きらめく光が舞う中を、美陽は一歩一歩歩いた。

祭壇の少し前で父が止まる。隆弘が美陽と父に近づいてくる。父は美陽からいったん手を離すと、両手で隆弘と硬い握手を交わした。

父は隆弘に美陽を託すと、自分はその場から去っていった。

その時点で、もうだめだった。歩いているときから涙腺の危機を感じていたが、涙が一気に溢れ出してきた。式の進行を確認しているときは、「お父さん、本当に間違えないでできる?」なんて父をからかっていたくせに。

参列席からも泣き声が聞こえてくる。そちらをちらりと窺うと、母と妹が並んで泣いていた。

よく似た母娘で、よく似た姉妹だった。

牧師が聖書を読み上げ、賛美歌が歌われ、式が進んでいく。

「……その健やかなるときも、病めるときも、死が二人を分かつときまで、あなたの妻に対し、節操を守ることを誓いますか?」

「誓います」

牧師の質問に対する隆弘の答えが朗々と響いた。

牧師は続いて美陽にも同じ質問をする。

「誓……い……ます」

だが、美陽のほうは涙で喉が詰まってしまってうまく答えられない。それでも、何とかきちんと言いきる。

「それでは指輪の交換を」

隆弘と美陽は向かい合った。指輪を手にする前に、隆弘は胸ポケットのハンカチを出して美陽の涙を拭いてくれた。当たり前だが、そんな動作は式の中にはない。それでも隆弘は堂々と、そうするのが当然のようにしてくれた。

そのときにやっと、美陽は自分の涙の理由がわかった。

この人と結婚できて、嬉しいから。

いろんなことがあった。傷ついたことも、くじけそうになったこともあった。でも、隆弘のほうを向き続けてきて、よかった。心から、そう思えるから。

「それでは、誓いのキスを」

牧師が言う。隆弘が足を踏み出して、美陽の肩を抱く。

(え……こんなにたくさん人がいるところで、恥ずかしい)

唇が触れ合う直前、どういうわけか美陽は我に返ってしまう。

そのときにはもう、隆弘の唇は重なっていた。


一生忘れない

隆弘と美陽は腕を組んでバージンロードを退場し、いったん教会の中にある控室に入った。

その間に参列者たちが次々と教会の外に出る。

二人が再び教会の出口に立つと、参列者たちはすでに屋外の小道に並んでいた。

チャペルが高らかに鳴り、二人は参列者たちの間を歩き出した。

参列者の手から、白く輝くものがまき散らされる。ライスシャワーだ。ライスシャワーをまく参列者の中には、哲也と月乃の姿もあった。

そのまま教会の近くのホールに移動。ホールの控室でお色直しをすると、次は急いで披露宴用のホールに向かう。ホールではすでに来客たちが待っているはずだ。

「予想はしていたことだけど、けっこう慌ただしいものね」

「パーティは主役がいちばん忙しいんだよ」

ホールに入る前に、美陽は隆弘と目を合わせて苦笑し合った。

披露宴が終わった頃には、すっかりくたくたになっていた。それでも、心地の良い疲れだった。皆に笑顔でありがとうを言うことができた。

大きく取られた会場の窓から、西の空を夕焼けが真っ赤に染めているのが見える。

親族たちと来客を送りだした後、美陽は夕焼けを見つめてしばらく動けずにいた。疲れのせいなのか、感動のせいなのかは自分でもよくわからない。

隆弘はその後ろ姿をじっと見守っていた。そしてそのさらに後ろには、哲也と月乃が立って、二人の姿を微笑みながら見つめていた。

リゾートホテルのバーで友人たちが開いてくれた二次会がお開きになり、隆弘と美陽は二人で部屋に戻った。

二次会ではさんざん友人たちに冷やかされたが、もちろんいやな気分はしなかった。

「あぁ、疲れた……」

美陽はベッドに倒れこむ。このまま眠ってしまいたいぐらいだ。

だが、

「ちょっと出かけないか?」

隆弘は、新鮮な空気を吸いに海に行きたいのだと言った。

その気持ちは美陽にも何となくわかった。今日は慌ただしくて、深く呼吸をする余裕もなかった気がする。

二人は外に出て車に乗りこんだ。

二十分も車を走らせないうちに、夜の海辺に着いた。あたりは静まり返っていて誰もいない。

月は出ていなかったが、空気が透き通っていて星がきれいだった。

「何だかんだで今日は一日バタバタしていたからな。もう一度、お前にちゃんと伝えたい。――もう一度結婚式をしよう」

「ここで?」

美陽の問いに、隆弘はそうだと答える。

隆弘は美陽の手を引いて波打ち際近くに立たせると、美陽を抱きしめた。

「一生、俺のものでいろ。一生、大事にするから」

美陽は答える代わりに、抱きしめ返す腕に力をこめた。何か言いたかったが、また涙が溢れ出して声にならなかった。人生最良の日だというのに、今日は本当によく泣いている。

「ったく、世話が焼けるな」

隆弘は美陽の頬を包み、結婚式でしたときよりもさらに深くて熱いキスをした。

この波の音を、美陽は一生忘れないと思った。


パパとママ

結婚式が済んで、約1年が経った。

美陽のお腹は、少しずつ目立つようになってきた。出産予定日はまだ先だが、体に目立った変化があるとまわりの人も何かと気を使ってくれて、母になることをそれまで以上に強く自覚した。

仕事はぎりぎりまで続けるが、出産後は少しゆっくり休みを取るつもりだった。

ほどなくして、女の子が生まれた。隆弘と美陽は子供にさゆりと名づけた。出産してすぐは静岡の母が上京して何かと面倒を見てくれたので、精神的にも落ち着いて育児に専念することができた。

数ヶ月後にはだいぶさゆりのリズムのようなものが読めるようになった。隆弘は娘が泣くのにおろおろするばかりなのに対し、美陽は早くも肝っ玉ママの風格を見せ始めていた。

「隆弘さん、それはお腹が空いて泣いているの。そんなふうにあやしてもダメよ」

隆弘と美晴に抱きかかえられるさゆり

あたふたしている隆弘の手からさゆりを抱き取ると、美陽は慣れた手つきで乳首を含ませて授乳する。その後、げっぷを出させる手つきも慣れたものだった。

やがてお腹がいっぱいになると、さゆりは安らかな寝息を立てて眠ってしまった。美陽はさゆりをベビーベッドに寝かせると、ソファーに座って大きく息を吐いた。

隆弘はベビーベッドを覗いて顔をほころばせている。

「何だか、最近すっかりパパとママね」

その姿を眺めて、美陽は苦笑する。

さゆりのことで頭も手も一杯で、それはそれで満足な反面、隆弘との夜の生活の数が明らかに減っているのが寂しくもある。

隆弘はベビーベッドから離れて、美陽の座るソファーに歩いてきた。

隣に腰かけ、美陽の頬を撫でてキスをする。

キスは軽い唇だけのものでは終わらず、口の中ににゅるりと入りこんできた。

「ん……んんっ……」

ずいぶん久しぶりな気がするディープなキスを、美陽は目を閉じて味わう。隆弘の舌が動く感触だけで感じてしまいそうだ。

「パパとママもいいが、俺は男と女でもいたいけどな」

隆弘はそのまま美陽をソファーに押し倒した。

さゆりがぐずる気配はない。このまましばらくはおとなしく寝ていてくれるだろう。

隆弘は服の上から美陽の体に触れる。丁寧に、美陽の体をほぐしていくように。

「あ……っ」

首すじ、肩、胸、腰……しばらく隆弘の愛撫を受けていなかった体は、敏感に反応する。

本当のことをいえば、待ち望んでいた。結婚してから、美陽の体はますます隆弘に対して開かれていた。

「隆弘さん……」

「久しぶりだからな。すぐには終わらせられないかもしれないぞ」

隆弘はニヤリと笑って、美陽の腕を押さえつけた。


END

あらすじ

「一生俺のものでいろ」という隆弘にこたえる美陽。
ふたりはどんな結婚式にしようかとプランを考え始め…。

松本梓沙
松本梓沙
女性向け官能、フェティシズム、BLなどを題材に小説、シ…
poto
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毎日小説「夜ドラ」の挿絵も担当。書籍、ウェブ、モバイル…
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