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官能小説 「クロス・ラバーズ」…spotB〜月乃編〜・シーズン9


一緒にいる時間を増やして…

(私たち、どうすればいいんだろう)

結ばれた後に訪れた危機。

いや、危機と呼んでいいのかわからない。

派手に喧嘩をしたわけでも、大きな不満があるわけでもない。

ただ何となく、哲也のことや、哲也にどう思われているかということ、これからの二人のことが心配で、落ち着かない。

(せめて少しでも一緒にいる時間を増やして……)

月乃はそう務めようとしたが、悪いことというのは重なるものだ。

副社長の海外事業展開の仕事は日を追うごとに忙しくなり、今や月乃は平日であれば終電間際まで残業することも珍しくなくなった。

哲也もまた法務部の業務に忙殺されるようになった。課長が突然入院してしまい、その仕事が同じ部の哲也たちにまわってきたのだ。

毎日会社では顔を合わせながら、交わす言葉といえば挨拶ぐらい……そんな日もあった。

メールはできるだけ送り合うようにしていたが、それもお互いに負担にならないか気遣いあってしまうので、数は多くない。

哲也に思いを寄せる女性は、哲也が忙しいのをわかっていてあまり近づいてはこないようだったが、それでもチャンスは虎視眈々と狙っているようだった。

あるとき哲也は給湯室で、彼女から手作りのクッキーを渡された。女性の所属する月刊誌編集部と法務部はフロアが異なるから、彼女が哲也たちのフロアまでわざわざやってきたことになる。

「疲れているときには甘いものがいいと思って」

彼女は給湯室に誰もいないのを見計らって、哲也にクッキーをほとんど押しつけるようにして渡すと、臆病で俊敏な小動物のように去っていた。顔が真っ赤になっていた。

月乃はそのことを、その夜に哲也からメールで伝えられた。おかしな噂になる前に、哲也は月乃に伝えておこうと思ったらしかった。

月乃は返信した。

『それって受け取らなければいけなかったの? 返せなかったの?』

伝えてくれてありがとうという気持ちよりも先に、そんな疑問のほうが先に出た。

『受け取れないといおうと思ったときには、もういなくなっていたんだ。でも、彼女には悪いけど、食べなかったから』

翌日会社で顔を合わせると、二人の間には何ともいえない気まずい空気が流れた。二人は挨拶だけするとお互いの部署に分かれた。

数日後、月乃は副社長とともに、提携予定の海外企業役員との会食に参加した。場所は麻布だ。会食の席には竜英もいた。具体的な販路の話も出てくることが予想されたため、日本での営業経験のある竜英も呼ばれたのだった。

竜英の英語はまだ拙いところもあり、ところどころで月乃が助け船を出したが、十分に上達していた。

会食が終わり、先方の役員と副社長をそれぞれ迎えの車に乗せて送ると、二人は一緒に帰ることになった。

(二人きりになりたくないな……)

と正直思ったが、ほかのメンバーは帰路の方向が違っていた。

月乃と竜英は並んで駅に向かった。


俺はずっと月乃さんを…

二人はしばらく無言で歩いた。

最初に口を開いたのは竜英のほうだ。

「……飯倉さんとはうまくいっていますか?」

月乃は一瞬息を止め、答える。

「えぇ、まぁ……」

ぎこちなくなってしまったのではないかと心配で、竜英のほうをちらりと見やる。不自然さに気づかれていなかっただろうか。

竜英はこちらを見ていた。
目が合う。

その瞬間、竜英に抱きしめられた。夜の麻布は、場所によっては人通りが絶えてしまうことも少なくない。二人がいたのは、そんな場所だった。

「月乃さん、元気がないように見えたんです。俺はずっと月乃さんを待っています。もし……」

月乃は竜英を突き飛ばして走り出した。

「月乃さん!」

後ろから竜英の呼ぶ声がしたが、振り返らない。

走っていると、涙がこぼれ落ちてきた。

抱きしめられたのが苦しかったのもあったし、「もし」の後が容易に想像できてしまったのも悲しかった。

大通りに出ると、ハンカチで目元を拭いてから歩き出した。

今のこと――竜英に強引に抱きしめられたことを哲也に知らせようか迷ったが、やめることにした。事が事、時が時だけに話がもっと悪い方向に進んでしまってもおかしくない。

(でも、前にエレベーターの中で神崎くんが私のことをあきらめないと言ったとき、哲也さんはいつもの優しさからは考えられないぐらいに積極的になってくれた。だから今も……)

そこまで考えて、月乃はやはり首を横に振った。哲也を動かすために竜英の気持ちと行動を利用するのは、二人ともに対して卑怯だ。

月乃は肩を落として一人、駅に向かって歩いた。

家に着いてシャワーを浴びる。浴室から出ると、哲也からメールが届いていた。

哲也は今、会社を出るところだという。時計を見ると、11時を回ろうとしていた。『お疲れさま、気をつけてね』と返事を送る。

(電話、したいなぁ)

無性に哲也の声が聞きたかった。声を聞くというより、声を聞くことでつながりを感じたかった。だが、今から帰るというのならそれも無理だろう。帰宅するまで待ってもいいが、きっと哲也は疲れているはずだ。

月乃は迷った末に、美陽に電話することにした。美陽なら、この茫漠とした不安を打ち明けても、きっと話を聞いてくれる。もう遅いから早めに切り上げようと決めて、美陽の電話番号を呼び出す。明日が早いといわれたら素直にあきらめるつもりだ。

何コール目かで、美陽が電話に出た。


目に見える形

隆弘の過去を受け入れ、今は新雑誌創刊を待つばかりとなっている美陽の声は明るかった。

恋愛がうまくいっている相手なら、頼もしい気がする。月乃は素直に話した。哲也のことは信じているが、やはり不安が拭いきれない、と。

美陽の答えは、哲也の気持ちが目に見える形になって現われればいいのではないかということだった。

「目に見える形?」

「んー……例えばだけど、部署の皆の公認になってしまうとか」

「それは……」

月乃は口ごもる。なるべくなら公私混同は避けたい。
美陽はすぐに月乃の気持ちに気づいたようだ。

「あっ、あくまでも例えばだけどね」

さらに少し話をしてから、二人はおやすみを言い合って電話を切った。

(公認かぁ)

寝る前に月乃は美陽の言葉を思い出した。公私混同はしないまでも、哲也にそのぐらい積極的になってほしいとは思う。

(哲也さんに期待するばかりじゃダメね。私もいろいろ考えて、動かないと)

そんなことを思っているうちに、いつの間にか眠りについた。

翌日、美陽は会社のメッセンジャーで哲也に連絡した。

美陽は哲也に屋上に来てもらうよう頼んだ。きょとんとしている哲也に、「プライベートな用件で連絡をしてごめんなさい」とまず謝る。

「月乃を不安にさせないでほしいの」

哲也の目をまっすぐに見つめ、美陽は昨夜月乃から相談を受けたことを説明した。

「飯倉さんの気持ちが目に見えるような形になって現われれば、それだけでも月乃はだいぶ楽になると思う。何か月乃にしてあげられることはないかな?」

「形……か」

哲也はうつむいて考えこむ。

そのとき屋上の入り口から数人の女子社員が入ってきた。

「何かあったらいつでも連絡して」

美陽は踵を返して屋上を去ろうとしたが、二、三歩進んだところで「あ」と振り返った。

「森尾副編集長のこと、教えてくれてどうもありがとう」

「あぁ」

哲也は初めて表情を緩めた。

「お役に立てたのならよかったよ」

「温泉?」

「そう。一泊二日でいいから有給休暇を取って二人で行こう。今の僕たちにはゆっくり二人で向き合う時間が必要だと思うから」

久しぶりに哲也の家で一緒に食事をした日、月乃は哲也に温泉旅行を持ちかけられた。哲也は美陽に「お説教」されたのだと苦笑していた。

スケジュール帳を見てみると、少し先に、日・月でスケジュールを立てれば何とか休めそうな日があった。

「その日だったら僕も何とかなりそうだ」

哲也がスマホのスケジュールアプリを見てうなずく。

「その日に有給を取ろう」

もしかしたらこれで二人の仲に気づく人もいるかもしれない。公私混同はしたくないが、こうやって少しずつ周囲に認められていくのは悪くはないと、月乃は思った。

哲也は個室に露天風呂がついている旅館を予約してくれた。

当日、旅館に到着すると、部屋からはすばらしい紅葉の景色が見えた。

二人はさっそく浴衣に着替える。

「色っぽいね」

月乃の浴衣姿を見て、哲也は息を飲んだ。


涙が溢れ出してくる

哲也に抱き寄せられた月乃の表情が翳(かげ)る。

「……ごめん」

哲也は月乃の肩からそっと手を離す。温泉に着いたとはいえ、月乃はまだ不安なのだと察したようだ。

「ちょっと待ってて」

かばんの中を探り、哲也はきれいにラッピングされた小さな箱を取り出した。

「本当は夕食の後に渡そうと思っていたんだけど……空けてみて」

「わぁ……」

開けてみると、中にはシルバーのペアリングが入っていた。裏側にお互いの名前が彫られている。そういえば以前、哲也の部屋に指輪を忘れたことがあったが、あのときにサイズを測っておいてくれたのかもしれない。

「僕は月乃と結婚も考えて付き合っていきたい。いずれ……きちんとした結婚指輪も渡したいと思ってる」

哲也は月乃をまっすぐに見つめ、右手の薬指に指輪をはめてくれた。

「哲也さん……」

涙が溢れ出してくる。目に見える形――温泉に来たことがそうなのだと、月乃は思っていた。だけど、こんな素敵なものまで用意してくれたなんて。

「ありがとう……嬉しい」

月乃は自分から哲也に寄り添う。哲也は改めて月乃の肩を抱いた。

二人の唇が重なり合う。

哲也の手が月乃の浴衣の帯に伸びる。結び目が解かれ、浴衣の前がはだけた。

乱れた浴衣で抱き合う月乃と哲也

するり、と浴衣が肩を滑って床に落ちる。哲也は続けて下着を優しく脱がせた。月乃はされるがままになっていた。愛する男性に生まれたままの姿にしてもらうことは、恥ずかしかったが、それ以上に嬉しかった。

裸になると今度は月乃が哲也の服を脱がせて、二人は露天風呂に入った。

爽やかな晩秋の空気が二人を包む。暮れかけた空に、向かいの山が紅葉でぼんやりと燃えているようだった。

「僕はどんなことがあっても月乃のことを愛し続ける。何も心配しないで、僕だけを見ていてほしい」

豊かな湯を湛(たた)えた檜の浴槽の中で、哲也は月乃を強く抱きしめる。

「私も、哲也さんだけが好き」

月乃は哲也の胸に体を預けた。

部屋での夕食を済ませた後、月乃は哲也に近づき、後ろからそっと抱きついた。

露天風呂で哲也と肌を触れ合わせてから、もっと深くつながりたい気持ちが高まっていた。
好きだという気持ちを体で確かめ合いたい。

「哲也さん、抱いて……」

「月乃……」

振り向いた哲也は月乃を抱くと、一間続きの向こうの部屋に敷かれた布団のほうにそっと誘(いざな)った。

掛布団をめくり、敷布団の上に月乃を横たわらせる。

月乃の帯が再び解かれ、浴衣の下から肌があらわになった。

「好き……」

月乃はみずから哲也の首に腕を回して、唇を近づけた。


誰にも渡したくない

「哲也さん……あぁ……」

「月乃……」

哲也に深く挿し入れられて、月乃は耐えきれず声を漏らす。その声と、確かに哲也を愛していると証明するかのような熱い奥の感触に、哲也もさらに激しくなる。

つながっているのに、まだお互いが欲しい。欲しくてたまらない。

誰にも渡したくない。絶対に。その気持ちがお互いを強く引きつけ合う。

「あ……あ……」

月乃は哲也の背中に腕を回す。そんな月乃を哲也はさらに強く抱きしめ返す。

が隣の部屋や廊下に聞こえないかハラハラするのも、これまで感じたことのなかった官能を引きだした。

時をほぼ同じくして、二人は果てた。

二人して心地良さげな疲れを浮かべた顔で布団に並び、手を繋ぐ。

「僕は独占欲ってそんなにないほうだと思ってたんだけど、月乃に対しては別みたいだ」

「私も、自分はもっと恋愛に冷めた人間なんだと思ってた」

ちらりと目を合わせる。微笑して、軽くキスをした。

夜遅くなっていたが、せっかくだからともう一度露天風呂に入ることにした。

水分を含んだ夜気は冷たかったが、湯が二人をあたためてくれる。

周囲の迷惑にならないよう、二人は声を潜めて話した。水音もなるべく立てないようにする。

「じつはもうひとつ、月乃に言おうと思っていたことがあるんだ」

「なぁに?」

哲也の肩にもたれかかっていた月乃は何気なく尋ねる。

「……一緒に暮らさないか?」

「……え?」

聞き間違いではなかったかと確かめるように、月乃は哲也を見上げた。哲也は真剣な表情でじっとこちらを見つめている。

「僕はさっき、月乃と結婚も考えて付き合っていきたいと言った。その前段階として、一緒に暮らしたいと思ってるんだ」

「でも……」

月乃はうつむいてしまう。

「私たち……付き合ってまだ数ヶ月よ。その……早くないかしら」

「最初から完全に同棲という形にしなくてもいいんだ」

哲也は言った。

「半同棲とでもいえばいいのかな。たとえばだけど、まずは今の僕の家で暮らしてみるのはどうだろう。二人で暮らせるぐらいの広さはあるからね。月乃はマンションを解約しないで、好きなときに帰れるようにする」

「半同棲……か」

月乃は呟く。結婚を前提に付き合うのなら確かに必要なことかもしれないし、それに今のまま会えない日々を送り続けるよりは、ずっと前向きかもしれない。

月乃は揺れる水面を見た。


⇒【NEXT】「月乃を好きになって、本当によかった」(「クロス・ラバーズ」…spotB〜月乃編〜・シーズン10)

あらすじ

やっと哲也と結ばれた月乃。
しかし哲也が同業者の女性から告白されたり、月乃は月乃で竜英と2人での海外出張の可能性があると知らされたりと不安をあおるような出来事が続いてしまい…。

松本梓沙
松本梓沙
女性向け官能、フェティシズム、BLなどを題材に小説、シ…
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毎日小説「夜ドラ」の挿絵も担当。書籍、ウェブ、モバイル…
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