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官能小説 「クロス・ラバーズ」…spotB〜月乃編〜・シーズン10


少しでも長く…

月乃は戸惑った。

二人はいったん露天風呂を出て、暖かい部屋の中で改めてきちんと話し合うことにした。

「毎日顔を見て、お互いの話がしたい。その日あったこと、仕事のこと、友達のこと、いろんな話をして、お互いのことをもっと知っていきたい。これからのためにも、僕は少しでも長く月乃と一緒にいたいんだ」

林に囲まれた温泉旅は静かだった。冬がすっかり近づいているからか、鳥の声さえ聞こえない。テレビもつけていないので、どちらかが黙りこむと、部屋は静寂に包まれた。

自分の呼吸がやけに大きく聞こえる中で、月乃はやがて、そっと答えた。

「少し考える時間がほしい」

哲也ははっとした様子で、月乃に注いでいた視線をわずかに逸らした。

「すまなかった」

「どうして謝るの?」

哲也は睫毛を伏せる。

「急だったから驚いただろう。びっくりさせてすまなかった。答えは何日でも待つよ」

月乃も同じように目を伏せた。テーブルの上の急須を何となく見つめる。

ふいに哲也が立ち上がった。

「僕も少し一人になってくる」

大浴場に行ってくると言い、タオルを手にして哲也は部屋を出ていった

自分も大浴場に行ってみようかとも思ったが、何となく気が乗らなかった。月乃は部屋の三面鏡の前で髪を梳かし始めた。

同棲ではなく「半」同棲とはいっても、やはり早すぎるのではないか。まずはプロポーズがあり、それからお互いの両親に挨拶をして婚約、そして同棲というのが本来の順番だろう。

考え方が古いのかもしれないが、きちんと段階は踏むべきだと思う。

それに同棲するとなったら、もしかしたら仕事にも影響が出るかもしれない。仕事はきちんと続けていきたいから、そうなってほしくはない。

しばらくして哲也が戻ってきた。夕食のときに仲居が敷いてくれていた布団に、二人は入る。二人分並んでいたが、一人分に寄り添った。

月乃は「そのつもり」でいたが、哲也は抱きしめるだけで何もしてこない。月乃を悩ませてしまったことが胸に引っ掛かっているのだろう。

それでも、体をぴたりと合わせているだけでも嬉しかった。

こんなふうに触れ合えるのは次はいつになるだろう。今がとても幸せなだけに、これからまたしばらく孤独な日々を過ごさなければいけないと思うと余計につらい。

そのうちに二人はどちらからともなく眠りに落ちたが、かすかに緊張が残っていたせいか、眠りは浅かった。どちらかが動けばどちらかが目覚める。

そのたびに目を合わせ、残された時間を惜しみ合うようにキスを交わした。

答えはもう、ひとつしかないような気がした。


同じ時間を共有して…

翌朝の朝食後、月乃は哲也に伝えた。

「昨夜、考えたの。同棲……してみようと思う」

哲也の顔が、表情自体は大きく変わらないまでも明るくなったのがわかった。

月乃は話した。昨日、結婚まで考えてくれていると聞いて、とても嬉しかった。一緒に湯船に浸かって、抱きしめられて眠って、哲也ともっと一緒にいたいと心から思った。今日が終われば、また長い時間あなたと離れなければいけなくなる。それはとても不安で、とても寂しい。だから、少しでもそばにいたい、と。

「そうして哲也さんが言ったように、もっとお互いのことを知っていきたい。毎日一緒にご飯を食べたり、テレビ番組を見て笑ったり……同じ時間を共有して、絆を深めていきたい」

しかしそこまで言って、月乃は一度言葉を止めた。「でも、約束してほしいことがあるの」

哲也は心配そうに、わずかに眉をひそめる。

「結婚を前提にしている以上、同棲の期間はあまり長くならないようにしたい。本当だったら、まずはお互いの両親に挨拶をするだとか、きちんと段階を踏む必要があることだと思うから……」

今の二人が忙しすぎるから、仕方なく本来の順番を入れ替えたのだということに自覚的でいたい。そして落ち着いたら、その段階をきちんと踏みなおしたい。月乃ははっきりとそう言い切る。

それから会社での距離感や振る舞いも、これまでと変わらずにいられるよう保ちたい。同棲したことが仕事に悪く作用しないように、二人で注意を払っていきたい。

すべて聞き終えると、哲也の顔からゆっくりと緊張が解けていった。

「月乃を好きになって、本当によかった」

哲也はゆったりと微笑む。

「そんなふうに真面目に考えてくれて……本当によかった」

「じゃあ……」

「もちろん約束するよ。当たり前だ」

哲也は月乃の手を取り、昨日から嵌められていた指輪をいとおしげに撫でながら力強く答える。

チェックアウトの時間までまだ余裕があったので、二人は最後にもう一度露天風呂に入ることにした。朝の露天風呂には清涼な空気が漂っていて、ただ呼吸をするだけでも心地良かった。

「絶対に大切にする」

哲也は月乃を強く抱きしめ、キスをする。とろけるように甘いのに、芯の強さを感じさせるキスだった。


楽しいこともつらいことも

近隣の観光をして、東京には夕方過ぎに戻った。

哲也の家に着くと、二人はもう一度抱き合い、それだけでは物足りなくなって、さらにまた体を重ね合わせた。

「昨日したばかりなのに」

月乃が笑うと、「もっと長い時間に感じていた」と哲也が肩をすくめる。

月乃は不思議な安心感に包まれた。旅館ももちろんリラックスできたが、ここにいると帰ってくるべきところに帰ってきた、そんな気持ちになれる。

夜、あまり遅くならないうちに、哲也は月乃を家まで送っていった。

別れ際、鍵を渡される。

「月乃が来たいときに来てほしい。僕がいても、いなくても」

哲也がいなくてもというところが、月乃が特別な存在であることを証明しているようだった。

「次から少しずつ荷物を持ってきなよ。新しく買ってもいいし」

「うん、ありがとう」

軽くキスを交わして、月乃は車を降りようとする。

その背中に声が掛けられた。「月乃」

振り返ると、哲也が真剣な面持ちでこちらを見ている。

「これから、気になることや、お互いこうしてほしいという気持ちがあるときには、ちゃんと伝えていこう」

哲也の視線はまっすぐだった。

「うん、そうする」

月乃はその視線を受け止めてうなずいた。

次の週末、パジャマやちょっとした化粧品などを持って哲也の家に行くと、哲也は部屋の一角にさりげなく月乃の私物を置けるスペースをつくっていてくれていた。

「とりあえず急ごしらえで空けたんだけど、ここのほかにも置いてくれて構わないから」

月乃はそこに持ってきたものを並べた。

午後からは買い物に出かけた。スペース自体は2人が暮らせるほどあるといっても、食器などは一人分だったし、古くなっているものもあったから、これを機に多くを新しく買い替えることにした。

「せっかくならお揃いにしたいな」

月乃の提案で、お揃いのマグカップやお皿などを選ぶ。

二人の生活が始まった。

朝起きると哲也はまず、おはようの挨拶とともに「月乃が隣にいるのが嬉しい」と抱きしめる。

トーストとサラダなどの簡単な朝食を摂ると、二人で一緒に駅に向かう。会社の最寄り駅からはさりげなく離れて歩くことにした。

夜は月乃がなるべく料理をしようとしたが、月乃のほうが帰りが遅いときもあった。そんなときは哲也がつくって待っていてくれた。

一日の終わりのバスタイムでは、お気に入りの入浴剤を入れてゆっくりとくつろぐ。

「何だかもう夫婦になったみたいだね」

湯船で体を寄せ合って、二人は笑い合う。

「これからは楽しいこともつらいことも、二人で半分こしよう」

そう言った哲也に、月乃はうなずいた。


女としての目覚め

一方で、会社では約束通りこれまでと変わらずに過ごした。

周囲は月乃と哲也の変化に気づいていないようだった。半同棲を始めたことを知る人といえば、二人があえて伝えた、美陽や隆弘といったごく少数の親しい人たちばかりだ。

そんな、どこか冷めた面はかえって良い方向に作用して、二人はセックスのときにはこれまで以上に情熱的になった。

普段、素知らぬ顔をして仕事に没頭する哲也の手や唇で体をすみずみまで愛撫されるとき、月乃はいいようのない静かな興奮を覚える。哲也も同じようなことを感じているのか、月乃を愛するときはこれまで以上に激しくなった。

そんな日々の中で、月乃の体は少しずつ女として目覚めていった。

もともとセックスで「イク」ことは知っていたが、そこに至るまでの過程が多彩になり、絶頂自体もさらに深いものとして感じられるようになった。イクのではなくても、哲也に触れられ、哲也を受け入れるだけで、体が震えるほど気持ちよくなる。

哲也が毎日のように丁寧に、情熱的に愛撫してくれるおかげだろう。比べるものではないと思うが、今まで付き合っていた男性のときにはなかった反応だった。

月乃は少しずつセックスに対して積極的になっていき、哲也もそれを喜んだ。

あるとき月乃は、強く興味を惹かれるコスメをあるサイトで見つけた。

一言でいえばローションなのだが、ただのローションではなく、塗るとその部分がじわりと熱くなり、さらに感じやすくなるらしい。もともと生理の周期や生活リズムの変化などで濡れにくくなることのある月乃だったから、なおさら試してみたいと思った。

哲也には内緒で買い求め、セックスのときにそっと取りだして話してみると、哲也もぜひ使ってみてほしいとのことだった。

ほんの少し指に取り出して、その部分に塗ってみる。それだけでじんじんしてきて、愛撫もそれほどしていないのに早くも哲也が欲しくなった。愛撫をされたらされたでいつもよりずっと感じてしまい、声をあげて体をよじらせてしまった。

「あぁ……お願い、早く……私、私もう……おかしくなりそう……」

これまでの月乃だったら、絶対にいえないことだった。それでも哲也にならいえる。哲也にそんな自分を見てほしいと思える。心も体も哲也と深くつながっていると感じられるから。

「月乃はどんどんきれいになるね」

哲也は月乃を抱き、みずからを深くまで挿し入れた。


クリスマス

すれ違っていた心が、また重なり合っていくのを二人は感じていた。
会社で何か不安なことがあっても、家に帰れば顔を合わせてきちんと話すことができる。そんな生活が二人に余裕をもたらした。お互い、仕事にもこれまで以上に集中できるようになった。

どんなに疲れていても、お互いの笑顔で元気が湧いて、お互いの寝顔を見ると、じんわりと癒される。安らかな寝顔を眺めるだけでも、心がつながっていることを実感できた。

哲也はアプローチを受けていた女性からの誘いをはっきりと断った。

月乃は竜英と仕事をする機会が増えたが、哲也はもう心配には思わなかった。

「最近、月乃さん、きれいになりましたね」

「え?」

ある会食後の帰り道、竜英がぽつりと呟いた。

「いや、あの、前からきれいでしたけど……最近ますますというか……」
竜英は歩きながら自分の足先をぼんやり見つめている。笑ってはいたが、どこか寂しげな目つきだった。

月乃は黙りこんでしまう。少し前に「どんどんきれいになる」と哲也に言われたことを思い出す。あのときは嬉しかったが、今は複雑だ。

「きっと彼氏さん……飯倉さんにとても愛されているんでしょうね。俺はそろそろ……あきらめようと思います。そんなにきれいにしてくれる彼氏さんとの間には、もう割りこむ隙間がなさそうです」

「神崎くん……」

「あ、でも仕事ではこれからもよろしくお願いします。英語のことでご迷惑をかけてしまうこともあるかもしれませんが、なるべくそうならないように、俺、がんばりますから!」

うつむきかけた月乃の顔を照らすような笑顔を、竜英は向けてみせた。

師走に入り、目が回るような忙しさの日々が続いたが、それも何とか乗り越えた。一緒に住んでいなかったら、二週間や三週間はろくに言葉を交わすこともできなかったかもしれない。

エプロン姿で楽しくケーキを作る月乃と哲也

クリスマスがやって来た。派手なことがあまり好きではない二人は、クリスマスはあえてどこにも行かず、腕によりをかけたディナーを一緒につくって、哲也の家でのんびりと過ごすことにした。

ワインに興味があるという哲也が選んだ赤ワインで乾杯をして、普段より豪華な食事に舌鼓を打つ。月乃が手作りのケーキのいちごを哲也に食べさせると、哲也ははにかんで笑った。賑やかさとは無縁なものの、幸福感が深いところから染みだしてくるようなクリスマスだった。

シャワーを浴びて、一枚の毛布に二人でくるまる。いつもならここで抱き合うところだったが、今日はその前に決めてしまいたいことがあった。

「何時に出発しようか」

哲也がスマートフォンを取りだして、時刻表のサイトを開く。
年末年始はそれぞれの実家に挨拶に行き、結婚を考えていることを両親に伝えるつもりだった。年末は鎌倉にある哲也の実家へ。年始は仙台にある月乃の実家へ。親たちの了承はすでに得ており、どちらの家にも一泊することになっている。仙台への新幹線の切符もすでに予約していた。
時刻表を眺めつつ、二人は相手の両親に何と挨拶をしようか考えた。


⇒【NEXT】「僕は月乃さんを必ず幸せにします。絶対に泣かせることはしません」(「クロス・ラバーズ」…spotB〜月乃編〜・シーズン11)

あらすじ

旅先の露天風呂で見つめあう二人。
哲也は半同棲をしたいと月乃に伝える。
戸惑う月乃だったが…。

松本梓沙
松本梓沙
女性向け官能、フェティシズム、BLなどを題材に小説、シ…
poto
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毎日小説「夜ドラ」の挿絵も担当。書籍、ウェブ、モバイル…
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