注目のワード

官能小説 アストロロジーの恋愛処方箋 第二章 2話


いつまでも、旦那を好きではいけないの?

「おつかれさまでーす」

 職場の控室はいつも賑やかだ。一斉に早番が上がるためにかなり広く作られている。

「笹野チーフおつかれさまでーす」

 声を掛けられて、さやかは私服を取り出した手を止めた。

今日は久しぶりの旦那との外食の予定だった。
夕方のホットサンドは丁度いい腹ごしらえで、きっと美味しく食べられるに違いない。

「チーフ、その服素敵ですね」
たった一人の女の子の声にわらわらと女子が振り返る。

「本当だ」「デートですか?」「いいなあ」
の声に焦りと、当然のような驕りがせり上がって来た。

「ええ、旦那との約束で」
「え? またですか?」

 ――また?

 不穏なイメージを感じてさやかは
「半月ぶりよ」
と言い返したが、確かこの子は遠距離恋愛……。

一か月に一度、休暇を取るから覚えている。

 シフト上の突然の休暇は実は困る。
しかし「私用で」と書かれてしまえばそこまでだ。

「ラブラブですね」

 その一言には悪気はなかったと思う。
しかし、さやかには悪意を感じさせるようなものだった。

だから女子は好きではないのだ。

 ――あの喫茶店の店長はまだ良いほうだ。
皆が訊いてくるから平然と答えると、今度はそそくさ、と逃げていかれる。

「……だってもう●●でしょ……」
「なんでうちらが我慢してるのに。これだから」

 会話は上手く聞き取れない。
しかし、自分のことのような気がする。

「お先に失礼しまーす」
と別の子に声を掛けられて、その声は途切れてしまったが。


旦那とはうまくやっているのに

 ――ちょっと早かったかしら。
時計を見ると、ちょうどいい頃だ。

家にいる時は夕食の支度を始める時間を、旦那な「ご褒美デー」として外食に誘ってくる。

今日はシャンパンのお店で牡蛎のフルコース。
子育てを終えた夫婦の特権だろう。

旦那は“奏一さん”と呼ぶ。
旦那は“さやか”と呼ぶ。

子供たちも家を出て自由だ。

「さやか」

 振り返ると、走って来たらしいロマンスグレーの旦那が見えた。

旦那は商社マンで、今でも偶に海外出張をこなす。
それゆえか、少々積極的な部分は若いころから変わってはいない。

「車をすぐ先に駐めたんだ。ガソリンを入れて来たから、少しドライブしながら行こう」

 裕福な家計、長年共働きで貯めた。
車に乗り込むなり、助手席の私に軽く手を伸ばしてきた。

キスをしようとしたのだろう。
旦那が顔を寄せたところで、さやかの携帯が小さく震動した。

『おかーさん、明日、子供お願いしたいんだけど』

 また勝手な。

「どうした?」
「レイコから孫を預けたいって。……明日は無理と返事するわ」

 近場に住む次女レイコはちょこちょこと実家に孫を預けて出かけていく。
旦那には言っているのかいないのか……

「ちょっと待ってて」
とシートベルトを締めたまま、さやかはLINEの返答をした。

『ごめんなさい。これから奏一さんと食事に行くの』

 返事はすぐには来なかったが、
「こっちは大変なのに」
と文句の詰まったメッセージが山ほど送られて来た。

「私だって息抜きしたい」
「旦那は自由にやってるのが悔しいのにお母さんまで」
「こんな結婚しなきゃ良かった」

等々。

 仕事から帰って来た夫を癒すのはずっと妻の仕事で、義務だと言われることもある。
それでも私にとっては大好きな人との触れ合いに近い大切な時間だ。

 牡蛎をつつきながら、さやかは「エトワール・サインポスト」での会話を旦那に聞かせた。

「今度、占い師に会って来るの」
「占い師……まさか、あの」

「そのまさかよ。……でも、私はあなたと幸せだと言ってやるわよ――」

***

 その夜は、互いにお風呂を済ませて、旦那の手を取って、二人でベッドに倒れ込んだ。

愛し合うさやかと奏一

 熟練した手業に心地よくなりながら、さやかは母でもなく、妻でもなく、奏一を好きな女性として、首に腕を巻き付けるとキスを強請った。

 ――私達はいくつになっても離れない。

「さやか、占い師とは」
「もう大丈夫。だってあなたがいるんだもの。最後まで一緒よ」

 最後、いや、最期かと思ったが、さやかはそのまま身を任せた。

もっと、もっとと胎内が疼く。
それは若い頃とは違う。

何かが変わってきているが、さやかにも奏一にも分かりはしない。
この同時に駆け上がるタイミングも何もかもは時間を掛けて慈しんだものだ。

 それは年輪を重ねたからこそ出来る行為で、これは愛だ。
間違いなく。

「さや、か……っ」
「奏一さ……あ、そのまま、そのまま――」

 真っ白に弾け揺蕩ううちに、旦那はうとうとと微睡み始める。

***

『いえ、貴方達に愛はまだ見えません。このままではだめになりますね』

以前にさやかは大樹に入れあげたことがあった。
なんという運命の巡り合わせ。

しかし、大樹ことアンソニーははっきりとこの恋はだめになると告げたのだ。

(これは、神様が訂正をさせろと言っているんだわ)

 カレンダーを見ると、ちょうど繁忙期前。
早上がりも出来るだろう。

明日はまた「エトワール・サインポスト」へ行こう。
ブランケットを引き上げて、さやかは旦那の隣に横になった。

 唯一無二で支え合って来た。

 ――この恋は終りにはならない。


大樹の考え

 エトワール・サインポスト。
本日もOPEN。

「七海さん、これで終わり?」
「よし、もっと明るくなったわ」

七海は大樹を使って、模様替えを済ませたところだった。

お礼のパンケーキ三段重ねにみりんとバター。
英国風味なのに、みりん味が好きな大樹へのお礼だ。

「うん、悪くないんじゃない? ソファなら倒れないからと思って」

 掘り出し物の組み立てソファを奥に仕入れた店内は、更にゆったりできるレイアウトになった。

これでは窓の陽射しがきついので、カフェカーテンをかけてみたら、海のようにゆらゆら揺れて、オシャレな一室にもなって良い感じだ。

 お疲れ様の紅茶を差し出して、七海はソファに座ってみる。
膝掛けがあるといいな、仕入れておこう。

「で、どうだった七海さん」
「どうだったって何?」

「笹野さやか」

七海は
「もう、おてあげ」
と大樹の前にミルクティーを出した。

「よく、見抜いたなあと思っていたわよ。確かに、彼女の生きている年数は想像になってしまって失礼だから、何も言えないのよね。そうなると他の方もとなりそうだけど、何故か彼女だけは……」

 そう、七海は別に年上が苦手なのではない。
肌で感じるが「笹野さやか」タイプが苦手なだけで。

「あの客は、きみには無理だ。職業柄、対応したお客は憶えているんだけど。うっすらと」
と目線を下げる。

 言いたくないことが或る時の大樹の仕草だ。

「あなたがいうなら、ここは任せる」
と七海は頭を下げて見せた。

 大樹の言うとおりだ。

私は私でお持て成しの準備をしよう。
サンドイッチも覚えよう。

まずはお客様のご要望を飲み込めるかどうかから。

「んー……お客様に何をお出ししようかな」

 メモを手にぶつぶつやり始める。
ふと、視線がこちらに注がれている気配がした。

「なに」
「和むなあ、と思って」

 大樹もこういうところなのよ……時折……。
とペンでこりこり額を擦っていると、正午過ぎの第一陣がやって来た。

やはり周辺にビルが増えたのだろう。
ちょこちょこ来ていただけるのは有り難い。

もっとメニューを増やしても……
いや、至高のパンケーキで心を温めると決めている。

留学先で、自分が辛かった時に、マムに作って貰ったパンケーキはふわふわだった。

 ――だから、わたしも、ふわふわのパンケーキを出したいと思ったのだ。

「今日もいいお日柄、営業を開始しましょ。私なら大丈夫よ」
「心配なのは、あっちだな」

 大樹はミルクティーを飲み終えると、
「僕も出かけるか」
と立ち上がった。

「あっちって?」
「さやかさんのほうだよ」
と大樹は答えたが、その声はアンソニーにも思えたのだ。


アンソニーに会いに

 午前中は、大した案件もなかった。
このまま早退出来るだろう。

チーフともなると、お客様の相談内容如何では、その計画も取りやめて対応しないといけない時もある。

しかし、今日はスムーズだった。
足取りも軽く、さやかは控室に引き上げたところだった。

「おはようございまーす」
とやって来たのはあの遠距離恋愛の女の子だ。

一人だから何も言わないと思いきや、眼があった。

 その子はじーっとさやかを疎まし気にみると、問いかけて来た。

「また今夜も、旦那様とですか」

 冷水を浴びせられたような感覚の中、
「お疲れ様でした」
と女性は出て行った。

さやかは一人で更衣室で硬直した。

 ――なによ、その、言い方。

 また今夜も……よ。
何が悪いの?

アナタの考えに私を左右しないで。

言いたい言葉が溜まって来た。
奏一さんには言えないだろう。

さやかは足早にそこを出て、また「エトワール・サインポスト」への大通りを歩いた。

 分かっている。
私は気性が荒い。
嵐のようなお客様への対応の中で、抑圧を覚えてしまった。

「タクシー」
しかしタクシーは迎車ばかりでつかまりそうにない。
歩くしかなさそうだった。

 十分後――。
さやかは新しいソファで七海と向かい合っていた。

***

「アンソニーはいないの?」
「あー……」

さやかの気配を察知した大樹が廊下に逃げ隠れた様子だ。

「明日、夜にお会いするそうです」
と七海は説明した。

さやかは一気にまくしたて始めた。
昨日よりパワーアップしているが、日に日に泣きそうな気配も漂っているのだ。

大樹の言う
「心配なのはあっちだ」
が見えてくるような。

「更年期だとか、セックスしているのはおかしいとか、そんなのは変よ」

 ――あ、それは分かる、かな。

「あの、年上の経験豊富なお客様に私が言うのもなんですが」

 切り出すと、さやかは
「そんなに気にしないで」
と初めて思い遣りを見せた。

いや、さやかは見せていた。
それを七海が汲みとれなかっただけかもしれない。

「今日はアイスオレンジティーを仕込んでみたんです。シトラスチップを作って漬け込むんですよ。ご家庭でもできます。元気になると思って! いかがですか?」

 オレンジや柑橘系はストレス緩和に良いし、ビタミンカラーでもある。
もっと元気になっちゃうかも知れないけれど、いいじゃないかと思ったのだ。

(私は、この方が苦手だけど、元気でいて欲しいとは思えるから)

「良いわね。あと、何か、クッキーみたいなものが欲しいわ」

 ――大樹の置いて行ったサブレのようなお菓子がある。
これはサービスで。

 オレンジに元気をもらったさやかだが、今日はいつもとは違った。
ただ、一言、グラスを握りしめて呟いただけだった。

「旦那を愛しているのよ。悪い? 馬鹿みたいかもしれないけれど、ずっと、ずっと、恋は終わらないの。旦那が消えたら、わたしも消えると思う」


愛と恐怖

(そう言っても、あの店員はただ、涙を浮かべて頷いてくれたのだわ)

「いや、いいお風呂だったよ。きみも入れば?」

 お風呂上りの水分補給に、同じようなオレンジティ―を出してみた。

「珍しいな。アイスティーかい」
「……いつまでも、元気でいて欲しいから」

 20歳の時は、ハイソサエティだね、なんて言って笑っていた。

でも、もう40……倍の年を過ごしてしまったのだ。
終わりが見えるのも、仕方がないこと。

 抗えない何かを感じて、愛する旦那と体を重ねることは悪いことではないのに。

(怯えてしまったら失礼だわ)
変わらずの愛に私は浸れば良かった。

 でも、ひたひたと、なにかが迫って来る感覚に気付いてしまった。
もし、この人が消えたらと思うと怖い。

その恐怖は年々強くなっている。
それは死に近づいているから。

だから、この一瞬を忘れたくない――……。

「アナタ、愛してるわよ」

生理が少なくなっていても、愛はきっと変わらないのだと。

だから、あの占い師にこの愛は素晴らしいと言って欲しい。
あの言葉は違うと訂正が欲しい。

それだけだった。

また会えたなら、絶対に訂正させると誓った。
神様の思し召しかも知れない。

 ――この愛はだめになる。
そう言ったアンソニーと明日、対峙するのだから。


⇒【NEXT】「愛はもっと緩やかに長く続くものだ。」(アストロロジーの恋愛処方箋 第二章 3話 再びの占いの答と更年期)

あらすじ

さやかは長年夫と愛し合って来たと自負していた。
しかし「それは本当の愛情ではない」と言われた過去があり…。

亜麻寺優
亜麻寺優
TLと星占いが大好き。男女双方の視点から書くのが売りで…
カテゴリ一覧

官能小説