注目のワード

ロマンチックなネイル 後編(夏目かをる小説)


ロマンチックなネイル 後編

アンドレと一夜を共にした翌朝、一緒にアパートメントへ帰ると、ジョンが血相を変えて迎えた。

「家にすぐに電話をしたほうがいい」

電話をかけ終わったアンドレはみるみるうちに顔が青ざめ、すぐに荷物をまとめた。
玄関で私を抱きしめ、「エリカ、待っていて。必ず帰ってくるから」とキスした。
アンドレは小走りに出て行き、閉められたドアの前で私は呆然とした。

「王族の?」

何だか現実離れした話だ。
一夜を共にした男がこれから王になるかもしれない、なんてことがあるのだろうか?

「アンドレを待っているわ」

私にできることはそれだけだった。
アンドレのこと思い続けていた間、王族の証という星の形でさまざまなバリエーションのデザインを作ってみた。
それを美容学校のネイルデザインコンテストへ出すと「ロマンチックな音色が聴こえてくるよう」と好評で入選。
でも私の心は塞いだままだった。

「アンドレ、会いたい…」

私の一途な思いを、ジョンは黙って見守っていた。

待ちわびていたアンドレからやっと手紙が届いた。パリのお祭りの日に帰ってくるのだという。
待ち合わせのエッフェル塔近くのカフェへ行く前に、私は思い切りおしゃれをした。
爪に星の形のネイルを丁寧に塗りながら、私の心は高鳴った。

でも再会の高揚感は、たちまち不安に変わった。

「今日はエッフェル塔の周辺で大きなデモがある」というニュースがテレビに流れ、すぐにアンドレに電話をしたが、着信音がむなしく鳴るだけ…
「行ってみるわ」

私はジョンが止めるのを振り払って、アンドレとの待ち合わせ場所へと向かった。

パリのデモはハンパではない。人権に敏感なフランス人は自分たちを守るために、時には暴動にまで及ぶデモを繰り返していた。
その日もかなり過激なデモが起こり、待ち合わせのカフェに到着する前に、私はデモに巻き込まれて群集の間を彷徨っているうちに、ふいに眩暈がしてそのまま気を失ってしまった。

病院のベッドで目が覚めた。
ベッドサイドにはジョンが心配そうに付き添っていた。ジョンは私の手を握りながら、優しい目で打ち明けてくれた。

「僕はいつもそばにいるよ」

でも、アンドレはいなかった。帰国予定が取りやめになったのだとジョンが教えてくれた。

それから何度かアンドレに連絡をしたが、彼からの連絡は絶えた。
「待っていて」と言ったのに。

アンドレを失った悲しみ、そしてジョンとの愛

1年後―
私は美容学校の2年生になった。

ジョンは大学を卒業して、大学院へ進学。ジョンがアパートメントを引き払う前日の夜に、ジョンの大学の友だちが主催のパーティが行われた。
会場のカフェで、赤いワンピースを着た女性が私を頭のてっぺんからつま先まで見つめた。

「あなたがジョンを振った人ね」

みんながいっせいに私のことを見た。
ジョンは苦笑いをして、「彼女は僕の従兄弟の恋人だよ」と私をかばってくれたが、「帰ってこない恋人を待っているなんて、ナンセンス」とその女性がはき棄てるように呟いた。
私はまるで殴られたようにショックだった。

みんなが帰った後に、ジョンは私に謝った。

「悪かった」

でも不思議なことに、あの女性のことは恨んでいなかった。それどころか、大事なことを気づかせてくれたのだ。
アパートに帰ってから、私はジョンにコーヒーを入れた。
アンドレから連絡が絶ってからの一年を思い出して、私は胸が苦しくなった。

「いつも私のことを見つめていたよね」

思い起こすと、涙が溢れてくる。
ジョンはそっと私の涙を指でそっと拭いながら「いいよ。好きになったのは僕だから」
熱いものが体の中から湧き上がり、私は思わず涙声で訴えた。

「違う。私だって好きだった。でも…アンドレとの約束が先だったから…」

ジョンがそっと私を抱いた。
彼に抱かれることを密かに待っていたことに気がついた。

いつものジョンの部屋なのに、ベッドもリネンのふんわりとした布団も、初めて見るような気がした。
ベッドサイドの明かりでお互いに見つめていると、何だか恥ずかしい。良く知っている相手のはずなのに、何も知らないというあの奇妙なとまどい…

時間をまるでゆっくりと転がすように、ジョンがキスをした。静かに長くキスをしていると、次第に私たちの心が高まっていくのがわかる。
心の襞と襞が絡まっていくように、私とジョンは抱き合った。

ジョンは念入りに愛撫をして、乳房にたどり着いた。
私を裸にしてから性急で情熱的だったアンドレと違って、確かめながら確実に私の感じるところを探っていく。

「あ」

ジョンはいきなり私をうつ伏せにして、そして荒々しく濡れているところへ指を入れてから、後ろからキスをして乳首をつまんだ…

いきなりバックでくるなんて…

その意外性に私は興奮した。ジョンの燃えたぎるような男根が私を貫通したときに、「あああッ」と思わず大きな声をあげてしまった。
ジョンは私の口を手で塞ぎながら、後ろから激しく何度も突いてきた。
これまで味わったことのない快楽が体中を駆け巡って、痺れるような陶酔感を感じた。

終わった後で、ジョンが私に膝枕にしてくれた。
その時ふと、脇の下に小さな星の形を見つけた。それはアンドレと同じ“王族の証し”

「これは?」
「ああ、それは小さい頃からのアザだよ」
「アザ?」
「そう」

ジョンはにやにや笑っていた。

「僕はアンドレのように自分の素性を明かさないよ。自由に生きていたいからね」

ジョンもアンドレと同じ王族だった――
ジョンに抱かれているのが、まるで夢心地のようだった。

カリスマ美容師から明かされた真実、エリカの愛のゆくえとは…

「恋人を待っているなんて偉いですね」

私が施したメイクとメイルに満足した川村素子さんが微笑んだ。
これから恋人の指揮する演奏会に出かける彼女は、匂い立つようなフェロモンを放っていた。
ふと、彼女のことがうらやましくなった。待っていることは必ずしも褒められることでもない。

その夜、カリスマ美容師の上村和夫が食事に誘ってきた。いつもの傲慢な態度を和らげ、しおらしい態度だったので、私はつい承諾。
噂通り、彼が独立をするなら、彼との食事は最初で最後になるかもしれない。
私はこのサロンを一生辞めないとオーナーに誓い、ある秘密を託したのだから。

私は甘いフローラルの香りのヘアパヒュームを毛先にさらっとつけた。
最近気に入っている香りで、気分転換にとても効く。

連れて行ってくれたのは、蔦の絡まる一軒家で年輩の夫婦が一緒にやっている居酒屋だった。
炭火焼料理がオススメで、上村はかいがいしく注文をして、店自慢の梅酒も勧めてくれた。
「俺、実はマメなんだよ、一緒にいる人に対して」とひょうきんに話すのも、意外だった。

梅酒で少しほろ酔い加減になった私に、上村がカバンからファイルを取り出した。

「これ、オーナーの棚から見つけた。君が持っているべきだ」

そのファイルには、ネイルのデザイン帳が入っていた。
そしてアンドレの死亡記事とジョンからの手紙も。
「読んだの」と震える声で聞くと、上村は頷いた。

「悪いけどね。そしてこれはちゃんと君が持っているべきだと思った。オーナーに預けているのは、現実を認めたくないからだね」

私の頬にはいつのまにか、涙が流れていた。上村は上着のポケットからハンカチを取り出して、私に差し出した。

「いつまでも恋人を待っている、というロマンを客に売ることはないよ。客は君のネイルに魅了されているんだ」
「ロマンなんか売っていない」

私は強い言葉で拒否した。ただ現実を認めるなんて、できないだけ…

「パリで恋人がデモに巻き込まれて亡くなったのは本当に災難だと思う。その恋人の従兄弟に救いを求めて、恋人の代わりになってとお願いしたまではわかる。でも亡くなった恋人とその従兄弟は全くの別人なんだよ。恋人の従兄弟にプロポーズを拒否されたからといって、現実を曲げることなんかないよ。君には君の人生があるんだから」

上村の手厳しいが優しい言葉に、私は打たれた。

「私が二人の男性の心を弄んだの。だから一人は亡くなり、一人は傷ついてしまったの」

アンドレだけを愛していたら、こんなことにならなかった。愛の妄想を描き、純愛を演じていた自分が許せなかった。
上村は呑んでいた日本酒のお猪口を、テーブルに静かに置いた。

「誰だって、蓋をしたい過去があるよ。しかも人を好きになるということがまだわかっていない20歳前後に、二人の魅力的な男性を同時に愛する、というのは自然なことなんじゃないの」

上村の大人びた口調にただ頷く私は、まるで先生から教えをもらっているような生徒のようだった。
私は「うんうん」と涙ぐみ、涙で味がわからなくなった梅酒のお代わりをもう一杯欲しいと思った。

あらすじ

夏目かをる
夏目かをる
2万人以上の働く女性の「恋愛」「結婚」「婚活」を取材し…
カテゴリ一覧

官能小説