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官能小説 愛と自立【1-4】彼女の、愛のゆくえ


愛と自立【1-4】彼女の、愛のゆくえ

これから久住と会ってしまったら、全てを与えてしまいそうな予感がする…

電車の窓に久住の面影が浮かび上がる。彼の端正な顔と仕草を思い出すたびに胸が苦しくなる。
車内に目を泳がせると、車両の一番端に、紅茶のインストラクター養成教室で一緒の酒井ナツミが、連れのアジア系のハンサムな男性に悲しげに微笑んでいた。

彼女は私と同じヘアパフュームをつけている。
待ち合わせのバーのカウンターで、久住はストレートグラスを傾けていた。ブランデーの甘い香りが私を包み込んだ。

「何を飲む?」

上目づかいの目はアンニュイだった。憂いのある瞳が鈍く輝いていた。
オーダーを決めかねていると久住が注文してくれた。

「ラッフルズホテル風のシンガポールスリング」

ボーイが去ってから、私は訊ねた。

「ラッフルズホテル風って何?」
「シンガポールにある有名なホテルのバーのカクテル。世界の富豪や作家が宿泊したところだ」
「久住さんも泊まったことがあるの?」
「……まあね」

虚空を見つめる久住が、どこか遠い国の住人のような気がして、ふと寂しくなった。

私の知らないところで、久住の時間が流れている。35年もの月日を経て目の前の愛する男はとても魅力的だ。そんな彼に私はふさわしい女なのだろうか。

「どうしたの?黙ってしまって」
「私、あなたに嫉妬している。だって私の知らない世界が、あなたにはちゃんとあるもの」

甘えたくても甘えられなかったこれまでのことが、一度に吹き出た。
嫌われるかもしれないと思った。

「さっき羽田で」と、久住は傾けていたグラスをカウンターに置いた。

「亡くなったという知らせがあったんだ、僕の仲人。明後日通夜で、明々後日お葬式だ。僕達のことをちゃんと考える時期がきたと思った」

久住はそっと私を抱きしめて、唇を重ねてきた。
いつもの包み込むようなキスではなく、深いところまで熱くさせるほど、ほとばしっていた。

「君を裏切りたくないんだ。嘘をつくと苦しくなる。だからちゃんとするよ」

私は思わず彼を抱きしめた。

いとおしさがこみあげてきて

赤坂の外れにあるラブホテルへ、久住は連れて行ってくれた。
そこは日本庭園のある瀟洒な旅館風のラブホテルで、床の間には生花が生けられていた。羽毛布団が敷かれ、きちんと畳まれている浴衣が木造りの箱にちょこんと乗っていた。

久住の指先の動きは優雅で、体の隅々まで奏でた。
私は何度も声をあげ、そのたびに感じ、そして切なくなるほど甘く激しく、クライマックスを迎えた。

甘美な快楽が体の中に残っている。愛されているという幸せ。甘い陶酔は永遠に…

ふと、煙草の匂いが漂ってきた。
目を開くと、浴衣を脱ぎ散らかして裸体の久住が腹ばいで煙草を吸っていた。
煙をくゆらして、ぼんやりとしていた。

「ゴメン、起こしたかな」

久住は私の頭を軽く撫でた。嬉しくなって私は彼に抱きついた。彼の裸の背中は少しひんやりとした。
彼は勘違いして「もうできないよ」とそっぽを向いた。いとおしさがこみあげてきて、今度は私がそっと彼の頭を撫でた。

夜明けはもうすぐだった。

翌朝ホテルを出て、私達は近くのカフェに入った。
久住が電話をかけるために席を立ったすぐ後で、注文したロイヤルミルクティーが運ばれた。
イギリス製のアンテークな陶器から香りたつティーをスプーンでかきまぜているうちに、ある決意が芽生えてきた。

戻ってきた久住はテーブルの向かいでにこやかに微笑んでいる。
久住の瞳を見つめた。

「あなたは私達の事をちゃんと考えるといってくれた。だから私も考えてみたの」

私は水族館でミノルから誘われたスイーツと紅茶の新しいスタイルのカフェビジネスに参加すると伝えた。

「愛だけでなく自立もしたいの。自分でちゃんと立てたら、あなたのことをもっと深く愛せるような気がするの」

驚いた久住の目の下の隈が、朝の光で際立った。
彼の隈すらいとおしくて、私は久住の手を両手でそっと握り締めた。

彼の唇が少し動いた。

<彼女の、愛のゆくえ[素子] 〜おわり〜>

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あらすじ

夏目かをる
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