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官能小説 パラレル・ラブ ストーリーA 〜直紀編〜 シーズン10


「あんた、 バカなの?」●西原ななみ

カミサマが消えた後、私は決意した。

「俺も行くよ。ユリのことは、俺が何とかしなくちゃいけない問題だ」


直紀さんは言ってくれたが、私は首を横に振った。

「たぶんユリさんは、私たちが二人で行ったらよけいにかたくなになると思う。それにこれは直紀さんの問題じゃなくて、私の問題でもあるのよ。だから私がひとりで説得する」


宣言した声は震えていた。ひとりで直談判なんて私の柄じゃない。誰かとぶつかったりしないように、誰かを不快にさせたり、怒らせたりように、ときには自分を殺して生きてきた人生だった。


今、このときだって、それで済むならそうしたいと思う。


でも、だめなんだ。今は私から立ち向かっていかなくちゃいけないんだ。

「わかった……」


直紀さんはユリさんの連絡先を教えてくれた。

「カミサマからあなたが聞いていることについてお話ししたい」とメールすると、すぐに返事が来た。ユリさんの家に来てほしいという。


当日は出かける前から心臓がばくばくしていた。……怖い。

「本当に大丈夫か?」


直紀さんの部屋を出ようと靴を履く私に、直紀さんが優しい声をかけてくれる。

「大丈夫」


気づかれないように深呼吸して答えた。

「信じて、待ってるから」


肩を強く抱かれる。

キスをして、ドアを開けた。


私はできる、私はできる……


直紀さんの家から徒歩10分ほどの距離にあるユリさんの住まいに向かいながら、何度も何度も自分にいいきかせた。

できなかったとしたって、やるしかないんだけど。


エレベーターに乗り、聞いていた部屋番号の前でチャイムを押す。


数秒で、バッチリメイクをしたユリさんが出てきた。

(り、臨戦態勢だ……!)


私だってメイクはしているけれど、ここまでじゃない。

「直紀は?」

「私ひとりです……ひとりよ」


いけない、いきなり飲まれそうになってどうする。

ワンルームの部屋

部屋はワンルームの小さな部屋だった。もともと都内に実家のあるお嬢様だから、ひとりで暮らす分にはこの広さで十分なのだろう。


窓からは直紀さんのマンションが見えた。思っていたよりもずっと近い。レースのカーテン越しに見えるそれは、蜃気楼のように心もとなかった。


お茶も出されないまま、話は始まった。


カミサマのこと、ユリさんに協力してほしいことを切り出すと、ユリさんはふんと鼻を鳴らした。

「あんた、バカなの?」


カチンと来る。面と向かってバカ呼ばわりされたことは初めてだ。が、怒ることに慣れていないから、とっさに何もいい返せず黙りこんでしまった。


それにしても、ユリさんは直紀さんのご両親にはそれほどウケが悪くないと聞いたけど……かなり二面性のある女性のようだ。

「どんな理由があったって、ライバルを助けたりしない。あなたが直紀をあきらめて別れない限り、絶対に協力なんてしない」

予想していたこととはいえ、ここまできっぱり言われると何も続けられなくなってしまう。

ユリさんはもう一度鼻を鳴らした。

「私が協力しないと、どちらかの世界が消えるんですってね。もうひとつの世界が消えたら、向こうのあなたがかわいそうよね」


その表情からは、恋敵への憎しみと、それをいたぶる快感が滲み出ていた。

「好きになった人は譲れないの」●西原ななみ

目の奥が熱くなる。


年下の、自分よりずっとかわいい女の子に責められて、私は泣きそうになった。


だけど――負けない。

信じて、待ってるから――直紀さんの声が響く。響いて、助けてくれる。

背筋を伸ばした。自分ひとりのことだったら、ここまで強くなれなかった。直紀さんとずっと一緒にいたい、その思いが、私を強くしてくれた。

私が動じないことに、ユリさんは少したじろいだようだ。

このまま、今度は私が飲んでやる。

「直樹さんとユリさんの間にあった過去は、私にはわからない。入れるとも思わない。けれど、好きになった人は譲れないの」


ユリさんの瞳の奥が揺らぐ。動じないどころか、反撃してくるとは思わなかったのかもしれない。ユリさんにしてみれば、私は見るからにおとなしそうな、いうことを聞かせやすそうな人間だっただろうから。


まだ終わらない。この際だから、いいたいことは全部いわせてもらう。

「私のことを嫌いなのはかまわない。でも、あなたも直紀さんが好きなら、直紀さんが嫌がるようなこと、悲しむようなことをしないのが、直紀さんのためなんじゃないの?」


ユリさんの唇が歪む。ぐっと奥歯を噛みしめたのだとわかった。

じわりと大きな目が潤む。あれっ? と思ったときには、そこからぽろぽろと涙がこぼれていた。


こちらが呆気にとられてしまう。まさか自分が誰かを泣かせてしまうなんて。

私は慌てた。

「あのっ……ユリさんにはユリさんに合う人がいるわ。いつか……その、きっと……」

「あんたに何がわかるのよ」


次の瞬間、顔のごく近くで何かが音高くなった。

自分の頬をユリさんにはたかれたのだとわかったのは、一瞬遅れて痛みと熱さがやってきてからだった。


……なんで? なんでこんなことをされなくちゃならないの!?


頭にカッと血がのぼる。私は椅子から立ち上がった。

「必ず世界を ひとつに戻す」●西原ななみ

ユリさんに詰めより、手を振り上げる。

叩き返そうとしているのだと、まるで他人事のように察した。もうひとりの自分がすぐ近くにいて、自分ではない私の動きを眺めているような気分だった。

その「私」の動きが、ぴたりと止まった。


脳裏に直紀さんの姿がよぎったから。その像は、離ればなれになった体と心をもう一度ひとつにした。


……私は説得に来たんだ。ケンカしに来たんじゃない。ましてや、こんな方法で。


大きく息を吸う。新鮮な空気で、意識して頭を冷やす。

「気が済んだ?」


衝撃に耐えようと、ぎゅっと目を閉じていたユリさんが、おそるおそるまぶたを開いた。


もう一度深呼吸をして、いいたいことを整理する。

「私は絶対に諦めないわ。もうひとりの私とふたり揃って幸せになるために、がんばってみせる。あなたが協力しないとしても、必ず世界をひとつに戻す」


ユリさんの目に、怯えが広がっていくのがわかった。今や彼女にとって、自分の前に毅然と立って揺らがない私は、恐怖の対象ですらあるのだろう。


その目から、一度は止まっていた涙がまたぽろぽろとこぼれ落ちる。


涙の理由はわからない。怖いからなのか、悔しいからなのか、情けないからなのか、それとももっとほかに理由があるからなのか。あるいは、全部なのか。

「あっ……あんたなんかに、何がわかるっていうのよぅ……あんた……なんかに……」


ユリさんは何度も同じことを繰り返す。


ふと疑問を覚えた。なら、ユリさんにはわかっていて、私にはわかっていないことって、何なのだろう。私はまだ知らない直紀さんの一面をユリさんは知っているのだろうか。悔しまぎれに言葉を選ばず攻撃している可能性もあるけれど……。

「教えてほしいんだけど、私には何がわからないというの? あなたは直紀さんのどこが好きだというの?」

「……だって、直紀は……」


しゃくりあげながらも、ユリさんはすぐに答えた。

「直紀はあんなに大きな会社の、将来の副社長なんだよ。べつに贅沢がしたいわけじゃない。でも私はね、権力を……力を持った男性が好きなの。普通の男の隣にいる人生なんて、考えられないのよ」

思わず、固まってしまった。

「あの……それはちょっと……」

人の好みについて上から意見する気はない。「権力を持った男性が好き」なのは、たとえば「優しい男性が好き」や「背の高い男性が好き」というのと、好みという意味では同じはずだ。世間への耳ざわりがいいか悪いかで無理に気持ちを押さえつけたりするのは違う。どこから入っていこうが、最終的にその人全部を受け止められるのであれば、それでいいと思う。

自分がなかなか恋愛できなかったのは、自分の中にそういう軸がなかったせいだとも思っている。確固とした軸を持たず、「いつか、なぜかわからないけどビビっと来る人が突然現われて、突然私を選んでくれるに違いない」なんて曖昧で他人まかせな夢を見ていたから、焦るようなことになってしまったんだ。

ずっと自分に自信がなかったのも、その裏返しだろう。軸がないだけにどこに向かってどんな努力をしたらいいかわからず、そうこうしているうちに時間だけが経っていってしまった。

もっとも軸なんて、つくろうと思ってもなかなかつくれるものじゃない。だから私が直紀さんに出会えたのは、本当に幸運だった。

そんなだった私だから、本来は偉そうに何かを言えるような立場じゃない。説得はするつもりだけれど、説教なんてとてもできないし、してはいけない。それはよくわかっている。

でも意見したくなったのは、ユリさんが彼女のいう「権力」の一面しか見ていない気が、強くしたからだ。

「副社長だからって、安定した暮らしがずっと約束されているとは限らない。堕ちるときには、ユリさんのいう普通の男性よりももっと深くまで堕ちるでしょう。それもわかっているの? そんなときに支えていけるの?」


ユリさんはマスカラの繊維が混じった涙を頬にこびりつかせたまま、呆然と私を見つめた。そんなことは想像もしていなかったと、その表情は語っていた。

そのとき、家のチャイムが鳴った。

「絆の強さを 否が応にも感じる」●木崎ユリ

久しぶりに直接会った西原ななみは、以前よりずっときれいになっていて、女の私でもドキっとするような動作もときどきあったりした。


幸せなんだな、愛されているんだな、そう認めざるを得ないほどに。


うぅん、そんなことには、本当はずいぶん前から気づいていた。彼女のことは直紀を追うついでに遠くからずっと観察していた。見るたびにきれいになっていく彼女に、私は焦りを覚えていた。


チャイムを鳴らしてやってきたのは直紀だった。直紀は家に入るとすぐに、私の涙にも、西原ななみの頬に赤く残っていた私の手のひらの痕にも気づいた。カっとなったとはいえ、手加減すればよかった。

「ななみ、大丈夫か」


涙とビンタの痕では、ビンタのほうに軍配が上がった。昔から私は何かあるとすぐ泣いてしまうのも、負けてしまった理由だろう。私の涙は、直紀の中では軽い。

「いったいどうして……」


直紀が西原ななみの頬を撫でる。

「何でもないの。私とユリさんの間の話だから、気にしないで。それよりも直紀さんはどうしたの?」

西原ななみは頬を押さえるでもなく、ごくごく普通にしている。バカな女。私だったら泣きついて、「あなたの助けが必要な私」をアピールするのに。


直紀はくるりと振り返ると、私をじっと見つめた。

睨むでもなく、あきれたふうでもなく、ただじっと。


どうしたのか私にも聞いてくれるのかと思ったけれど、それはなかった。

「何があったのかはわからないが、この状況はそもそも俺にも責任があるんだよな。すまなかった」


直紀は深々と頭を下げる。何かと思う間もなく、続いて私に向かって床に膝をついた。

「俺はいちばん最初に自分がはっきり言っておかなければいけなかったことを言いに来た。……ユリ、何があっても俺は気持ちを偽ることはできない。俺にはななみしかいないんだ。諦めたくない」


……嘘だ。あの直紀が私の前で膝をつく?


直紀の言葉の内容よりも、動作のほうにおののいていた。


ねぇ、将来の副社長なんだよ? 偉い人なんだから、そんなことしなくていいんだよ?


けれど直紀は、さらに信じられない行動に出た。その場で頭を深々と下げて土下座してみせたのだ。

「今の俺があるのはななみのおかげだ。ななみが大切なんだよ。俺はもうお前を好きになることも、お前と結婚することも考えられない。その上でこんなことをいうのは図々しいとわかっているが……お前の力を貸してくれないか」


「直紀さん……!」


西原ななみが直紀の肩に手をかけて立ち上がらせようとしたが、直紀はそれを優しく振り払う。

夢を見ているみたいだった。うぅん、夢のほうがもっと現実味があるだろう。


誰よりも強くて逞しくて、たくさんの人の頂点に立つことになる直紀。大きな会社を背負い、いずれそれに見合った華々しい人生を享受することになる直紀。その直紀が、なんで土下座なんてしているの? たった一人の女のために……


今の直紀は、ひとりのちっぽけな人間だった。さっき口にした「普通の男」よりももっと卑小な。


こんなの、直紀じゃない。私の知っている直紀はもっと……!


……ちょっと待って、私の知っている直紀って、何? ここにいるのはまぎれもない直紀本人なのに。


私は直紀の何を見ていたんだろう。私は、直紀のキラキラしたところばかりを追いかけていた。


私の中で「憧れ」の象徴だった直紀が、血も肉もある「人間」に降格していく。だけどそれは、不思議といやな感覚ではなかった。

「直紀さん、本当にもうやめて」


西原ななみに再三うながされても、直紀は動かない。


二人の絆の強さを否が応にも感じる。西原ななみは直紀のためにきれいになり、あんなに気弱そうだったのに、私に怖じずに張り合うぐらいに強くなった。直紀は西原ななみのために、プライドを捨てて土下座までしている。


直紀とつき合っていたとき、私はこういった絆を得られていただろうか。


苦笑して小さく首を振る。そもそも直紀を一人の人間として見ていなかった私には、人間の弱さが絡みあい、しなやかに強くなって生まれる、そんな絆や成長とは無縁だった。


自分がみじめだった。

負けた、と思った。

でも、心の中はすっきりしていた。

「いいわ。協力してあげる」


声があまり沈んでいなかったことに、自分自身が驚いた。

「ここは…… どこだ?」●西原ななみ

数週間後、私たちはカミサマの前に集まった。私たちというのは私、ユリさん、そしてユリさんの念の源ともなっている直紀さんだ。要さんも行きたいと言ったけれど、カミサマに「よけいな意識が入りこむと失敗するから」と許してもらえなかった。


集合までに日数がかかってしまったのは、もうひとつの世界の私たちと時間を調整するためだったらしい。

カミサマいわく、もうひとつの世界でも私たちはこんなふうに集まっているらしくて、想像すると不思議な気分になった。会えないし、感じられないけれど、その世界は確かにあると私にはわかっているから。向こうは私と洋輔さん、それから高見さんという男性も加わっているらしい。

広々とした場所が必要だというので、直紀さんの会社が管理する、使っていない倉庫を借りた。埃っぽく、いかにもオバケが出てきそうで怖かったけれど、カミサマを前にしてオバケを怖がるというのもヘンな話だ。


カミサマは倉庫の真ん中にユリさんを立たせて、私たちには少し離れるように命じた。向こうの世界にもカミサマの分身がいて、同じように指示をしているという。

「目を閉じて、この世界がもうひとつあるんだというのをじっと考え続けるんだ。べつに具体的なイメージは必要ない。それから、それがだんだんこちらに近づいてきているとひたすら考えればいい。大事なのは集中力だ」


カミサマのユリさんへの指示は明確だった。ユリさんのほうも、とくに質問はなかったようだ。


ぽつんと立ったユリさんが目を閉じて数分経ったあたりで、倉庫の反対側の壁がぐにゃりと曲がったように見えた。


何かと思うよりも早く、体が浮き上がるような感覚に襲われる。


目の前がまっくらになる。私は慌てて直紀さんの手を握った。息が苦しい。体が浮き上がるような感覚から、ねじれるような感覚に変わった。さらに、目に見えないものに押し潰されるような感覚へ。真っ暗闇の中だから、どうしてそうなっているのかわからない。直紀さんは私を抱き寄せようとしてくれたが、私たちは二人ともうまく体を動かせなかった。

どれぐらいの時間、そんなふうにしていただろう。


気がつくと、元いたはずの倉庫ではない、大きな駐車場のようなところに私たちは倒れていた。


いや、私たちだけでない。洋輔さんと、おそらく高見さんという男性も。


カミサマはひとりになっていたけれど、私は……二人いた。

「成功だ」

カミサマはふらふらしながら立ち上がった。


私は初めて対面した私自身と見つめ合った。言葉にはしきれないまでも、これはどういうことなのかとお互いの目が尋ね合っている。

「きみたちは、双子として生きることになったんだよ。いや、この世界ではもともと双子だということになっている。二人とも強い念と葛藤、それに意志を持っていたから可能になったことだ」


カミサマが横から教えてくれる。

「う……そ……」

私たちは同時に呟いた。

だが、喜ぶのは早かった。

「あんた……誰? ここは……どこだ?」


私の手を握っていた直紀さんが、急に怪訝そうなまなざしを向けてきた。

「誰って……直紀さん、何言ってるの?」

だが直紀さんは首をひねるばかりだ。

直紀さんは世界がひとつになった衝撃で、私と出会ったときからの記憶をすべて失っていたのだ。私が何者で、私とどんなふうに過ごしてきたか、何も覚えていなかった。

私は……


⇒【NEXT】直紀さんが私を忘れても、私は直紀さんが好き。(パラレル・ラブ ストーリーA 〜直紀編〜 シーズン11)

あらすじ

またカミサマと会ったななみはユリについての話を聞く。
そしてユリと決着をつけるべく、彼女の住むマンションにひとり訪れ…。

松本梓沙
松本梓沙
女性向け官能、フェティシズム、BLなどを題材に小説、シ…
poto
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毎日小説「夜ドラ」の挿絵も担当。書籍、ウェブ、モバイル…
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