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官能小説 「妄カラ女子」…spotA〜未由編〜・シーズン4
壁ドン ●小森未由
「俺のいうこと、聞けるよな?」
朝野悠人がわたしに迫る。
こ、これはいわゆる……壁ドンというやつでは……!
でも、実際にやられてみても全然ときめかなかった。うぅん、たぶん相手がイケメンだったらときめいたんだろうけど、目の前にいるのは伸びきった髪で顔立ちもよくわからない漫画家だ。
加えて今のわたしは、妄想ノートの中身を彼に知られているという事実が気になって仕方がなくて、とてもときめいている余裕なんてなかった。ただ、不安なだけだ。
疲れたような顔。ぎらつく目。朝野悠人は飢えた獣のように見えた。そんな男に命令されるのは、エッチなこと以外ありえない気がする。
わたしはおそるおそる尋ねる。
「い、いうことって……何ですか?」
朝野悠人の唇が少しずつ開いていく。
いったいどんな命令が飛び出すのだろう。
だが……
「アシスタントになってくれ」
「……え?」
――あの、アシスタントって、漫画家の手伝いをする、アレですよね?
少し間を置いてわたしがそう訊くと、彼は「そうだ」とうなずいた。
あ、ひょっとしてこの人、わたしが漫画家志望だと勘違いしているのかもしれない。
「わたし、漫画なんて描いたこともないド素人ですよ?」
薄笑いを浮かべながら言ったが、予想と反して彼は「構わない」とばっさり答えた。
「基礎の技術は教えるし、そもそも難しいことを頼むつもりはない。その代わり、ネタ出しの段階から協力してほしい。ギャラもちゃんと出す」
朝野悠人は最近、ネタ出しにかなり詰まっていて、そのために仕事に遅れが生じ、あまり眠れていないそうだった。
プロットをつくるのは少し先のことになるが、とりあえずそれ以前にも頼みたい作業はあるらしい。
お疲れ顔とギラギラおめめ、それに強引に迫ってきたのは睡眠不足で余裕がなかったせいのようだ。
「普段はアシスタントは頼まないんだけど、今回はまぁまぁヤバいんだ。それにまずは俺の普段の仕事を見ておいたほうがアイディアも出やすくなるだろうから」
うわ、アシスタントになることが決まったかのように話を進めていく。
「……あのー、もし断ったらどうなるんですか?」
「あのノートに書いてあったことをネタに使う」
な、何ですとぉ!! わたしは慌てる。
「そ、それは朝野さんがわたしに注意したパクリにあたるのでは……」
「だから巻末に、設定協力者としてあんたの名前を載せるよ」
「ギャーーーーー!!!!」
そんなの、悪夢以外の何ものでもない! メイド・イン・わたしの妄想が名前つきで全国に流通しちゃうなんて、いくら何でも恥ずかしすぎる!!
「わっ、わかりました! なります! アシスタントになります!」
わたしは夢中で口走った。
その足で朝野悠人の家に向かった。
寝室と仕事場、それにダイニングキッチンに分かれた2LDKで、そこそこ高級そうだったが、そんな高級感を叩き壊すかのようにどこもかしこもコンビニ弁当のゴミや漫画の資料らしきものでちらかり放題だ。
「じゃあ、ちょっとここ座って」
コンビニ弁当の空き箱をゴミ袋に放り込んでスペースをつくったテーブルを指し示される。彼自身の作業机は別にあった。
「じゃあ、まずはこれ」
ひらりと置かれた原稿を目にして、唾を飲みこむ。
ほとんど裸同然みたいなコスチュームの女の子たちが、きわどいポーズで、銃の撃ち合いをしていた。
これは、かなり、エロい。
こういう環境で男性と二人きりになるなんて、大丈夫かな。わたしは再び不安になった。
アシスタント ●小森未由
しかし実際に始まっても、エロい空気はまったく生まれなかった。
アシスタントの技術を教えてくれるときはそこそこ接近したけど、そこそこ接近しただけで、それ以上のことは何もなかった。それ以外は朝野悠人は原稿にかかりっきりになってしまって、ろくに口もきかない。
わたしもわたしで、朝野悠人にまかされたベタ塗りや枠線引きといった一見単純そうに見えた作業もそれなりに神経を使うもので、すぐに他のことが目に見えなくなった。
気がつくと、肩がずいぶん凝っていた。
「ふ……わぁ……」
大きく息を吐きながら、両腕を天井に向けて伸ばす。
ふと横を見ると、朝野悠人が一心不乱に作業机に向かっていた。
(……お、ちょっ、こ、これは……っ?)
わたしは思わず目を見張ってしまった。
朝野悠人は伸びっぱなしの髪を、ヘアクリップで留めていた。作業の邪魔になるからだろう。
そうして表われた顔は意外にも、イケメンの範疇に入れてもよさそうなものだった。
考えてみれば、ご近所さんとして何度となく顔を合わせながら、わたしは朝野悠人で妄想をしたことがない。それは顔がわからなかったからだけど、これは、これはひょっとして……
(妄想に足りる人材なのでは……)
ノートを返してもらえなかったことや、わたしをアシスタントにするまでの経緯が強引だったというマイナス要素に引っかかりはある。だが彼のいうことは理屈としては理解できたし、それで大嫌いになったというほどではない。
となれば、妄想劇場の幕が開いていくのに時間はかからなかった。
モワンモワンモワワ〜ん♪…
*-*-*
「んー……ちょっとこのカット、描きにくいな……」
朝野悠人が原稿を前にして腕を組む。
「どうにもデッサンが狂うんだよな。……ちょっと、あんた」
急に呼ばれて、わたしはびくんと顔を上げる。
「は、はい?」
「そこによつんばいになってみて」
「よ、よつん……」
突然どういうことかわからず、舌を噛んでしまう。
「時間がないんだ、早くしてくれよ。いやだというのなら、あのノートの中身を……」
「やります!」
わたしは机から離れて、いわれたとおりの姿勢になった。
「こっちにお尻を向けて、で、そのお尻を高く上げて」
そんなエッチなポーズ……でも、やらないわけにはいかない。わたしは仕方なく従う。
「うーん、今イチわかりづらいな。そんなダボっとした服を着ているからだな。……ちょっと服を脱いで、下着姿になってほしいんだけど」
やだ、恥ずかしい。だけどやらないと、わたしの妄想がみんなに知れわたっちゃうんだよね……?
わたしはしぶしぶ服を脱いで、下着姿になって、ふたたびよつんばいになる。お尻を高く上げて。
「もう少し脚を開いて。それで振り返って、こっちを誘うような目をして……」
朝野悠人の声が、少しずつ熱を帯びてくる。
「やっぱりもっと近くで見ないとわからないな。近くで、じっくり……」
椅子から立ち上がり、近づいてくる彼。その手が、わたしの下着に伸びてくる……
*-*-*
「おい、手が止まってるぞ!」
朝野悠人の一喝で、わたしは現実に引き戻された。
期待される喜び ●小森未由
作業がひと段落つくと、あたりはすっかり暗くなっていた。
「次はこの日に来てほしいんだけど……」
朝野悠人が壁に掛けたカレンダーをめくり、来月の中から1日を指す。
「今度はプロットを一緒に練ってもらうことになるから、よろしく。もしかしたら今日より遅い時間まで働いてもらうかもしれないから、そのつもりで時間を空けておいて。あ、そこに並んでるの、全部俺の漫画だから、持って帰って予習して」
漫画家さん直々に単行本をセットでもらえるなんて光栄……なんて気分には、もちろんなれない。
「あ、でもわたしバイトしてるんで、シフトがどうなるかまだわからなくて……」
「バイト以上のギャラは出すから、調整できないかな」
朝野悠人は今日の分のギャラを、わたしが見ている前で財布から茶封筒に入れて渡してくれた。額は思っていたよりも多かった。今の時点ですでにバイトの日給以上だ。
「あんた、飲みこみも早いし、筋がよかった。面白いプロットもつくれそうだし、期待しているんだ」
期待しているんだ。
しているんだ。
るんだ。
……だ。
その言葉は自分が思っているよりも強く、大きく胸に響いた。
地味で成績も運動神経もそこそこだったわたし、今の仕事ぶりも「まぁ、使えないってほどではないよね」という程度のわたしが、誰かに何かを期待されるなんてこと、あっただろうか。
ギャラをたくさんもらえること以上に、「期待している」と言ってもらえたのが、何だか無性にうれしい。
とはいえ、安請け合いして結局来られないなんてことになってはいけない。わたしはなるべく笑わないようにしながら、
「できるだけ調整してみます」
とだけ答えた。
家に帰ると、おねえちゃんと息子の旭(あさひ)くんが来ていた。
おねえちゃんはわたしを見るなりスケジュール帳を取り出すと、
「今日、北村くんが日程の候補を出してくれたから、この中から都合のいい日を選んで」
と今月のページを開いた。
一気に気分が落ちこんだ。わたしは「イヤなんですよ!」というアピールをするために、いかにも無気力そうに「この日かこの日なら……」と2日ばかり指した。
「なんだよ、そのやる気のなさそうな顔」
横から旭くんが口を出してくる。
「デートなんだろ。そんな顔するなよ。それにそういう部屋着みたいな野暮ったい格好で行くのもやめろよな」
顔立ちの愛らしい旭くんは、他のガキンチョが言ったら問答無用で殴りたくなるようなことを言っても、なぜか様になってしまう。小学校5年生という年にして、不思議な貫禄がある。もしかしたらもうそれなりに恋愛の経験もあるのかもしれない。
だからといって、まったく頭に来ないということはないんだけど……。
「そうよねぇ。せっかくイケメンと食事するんだからねぇ」
ちょっと! おねえちゃんも息子に乗せられないで!
「そうだ! デートの日の夕方にウチに来なよ。服貸してあげるし、メイクもしてあげるから」
「えー、面倒くさ……」
「少しは相手の気持ちも考えろよ。せっかく準備したデートにそんな服で来られたら、僕だったらそのへんの川に落としたくなるなー」
旭くんがわたしの服を指す。
「かわ……」
なぜ川なのかという疑問よりも先に、ムカついてしまった。小学校5年生の男子児童にバカにされるのは、いくら相手が愛らしくても貫禄があっても癪に障る。
わたしは反射的に答えてしまった。
「じゃあ行くよ!」
北村くんとの食事当日。
わたしはおねえちゃんの家から、フラフラしながら出てきた。慣れないヒールが歩きにくい。
普段はメイクもしないので、何となく顔が重いようにも感じる。ヒラヒラしたシフォン生地の服にも違和感しかない。
これからデートだというのに、胸に広がるのは不快感ばかりだった。
不器用 ●北村修
最悪、断られる覚悟はしていたが、小森さんは食事の誘いをOKしてくれた。小森さんのお姉さん・清水さんには感謝してもしきれない。
考えた末、店は個室が売りの日本料理屋を選んだ。出す話題を考えれば、オープンな場所では話しづらいだろうと思ったからだ。
駅からは少し歩くので、車で行くことにした。
待ち合わせ場所で20年弱ぶりに再会した小森さんは、あっけにとられるような美人とまではいかないまでも、ずいぶんきれいになっていた。小学生の頃の面影を残したまま、すっきりと垢ぬけていた。
メイクもこなれた感じがする。もしかしたら、男性不信を克服できたのかもしれない。そうだったらいいんだが……。
だが、もしそうだったとしても、小森さんはまだ俺のことを怒っているようだった。
「久しぶり」
待ち合わせ場所にいた小森さんに車の窓を開けて声を掛けると、彼女はこちらは見ずに、ふてくされたように、
「……久しぶり」
と返した。
俺は運転席を出て、助手席のドアを開けた。
「乗って。店、少し遠いところにあるんだ」
小森さんの足が一瞬止まる。躊躇したのだとわかった。
(しまった)
俺は頭を抱えたくなった。
小学校の同級生で、義兄と一緒に仕事をしている相手とはいえ、男性の車にいきなり乗るのには抵抗があるのだろう。
(やっぱり俺は女心がわかっていない)
しかし、とにかく小森さんは乗ってくれた。
車の中で、彼女は無言だった。いきなり車に乗せられたことにも、きっと怒っているのだろう。こんなときは謝るべきなのかどうかもわからない。
店に着くと、俺は自分がいかに短絡的だったかをさらに思い知らされることになった。
部屋に通してもらおうとすると、小森さんは「個室なんだ……」と呟いた。
この呟きが意味することは、ひとつしかない気がする。つまり、二人きりになることに抵抗があるのだ。
やっぱり俺は……いや、でも個室を選んだのにはちゃんと理由がある。であれば、きちんと説明してわかってもらうしかない。
おしぼりを出してくれた女性が、「ご予約された通りのコースでよろしいですか?」と確認してきたので、「お願いします」とうなずいた。
前菜が出てきたが、俺は手をつけなかった。
「今日は来てくれてありがとう。その……いきなり個室なんかでごめん。でも、まわりの目を気にせずにきちんと謝りたいことがあったから、個室のほうがいいかな、と……」
「……大丈夫」
小森さんは俺の目どころか顔も見ずに言う。
あぁ、距離の取り方がまったくわからない。相手のあることなんだから、むやみに当たって砕けるわけにもいかない。無鉄砲に行動したら、また傷つけてしまうかもしれない。
だが、言わなくてはいけないこと自体は最初から決まっている。俺はそれをまっすぐに、飾らずに伝えることにした。
「俺、口下手だし、不器用だからストレートにしか言えないんだけど……あのときは本当にごめん」
「……あのときって?」
小森さんが聞き返してくる。わかっていて尋ねているのだろう。自分が試されているようだと感じた。
「小学校でプールに入るときに、俺、すごく失礼なことを小森さんに言っただろう。それから小森さんは俺だけじゃなく他の男子とも喋らなくなって……後になって、俺は小森さんを傷つけたんだってわかったんだ。子供だからって許されることじゃなかったと思ってる。本当にごめん」
俺は頭を深々と下げた。
店員さんが料理を持って部屋に入ろうとしたが、俺が頭を上げないのを見て、いったん去っていった。
小森さんがもういいと言ってくれるまで、頭を上げないつもりだった。
何とか応えたい ●小森未由
「も、もういいよ。頭、上げて……っ」
店員さんが去ってしまったこともあり、わたしは少し焦って北村くんに声をかけた。
北村くんは「クソ真面目」と額に書かれていそうな顔を上げる。まさか、ここまでちゃんと謝ってくれるとは思っていなかった。
車に乗るときや、店が個室だとわかったとき、北村くんにはいいイメージがなかったから少し引いてしまったけれど、理由を聞いたら好感が持てた。
そして今、わたしは北村くんを許しかけている――。
最初は許すつもりはなかった。
というか、もはや許すとか許さないの問題じゃないと思っていた。あのことは私の一部になって、もうすっかり固まってしまったから。
でも、こんなに誠実に、素直に謝ってくれるのなら、何とか応えたかった。
(だけど応えるって、どんなふうにしたらいいのかな。もういいよって言えばいいの?)
「もういいよ。気にしないで」
言ってはみたけど、うまく笑えない。顔がこわばってしまう。心では許したいと思っていても、十数年来こびりついたトラウマが邪魔をする。まるで怒っているみたいだ。
だから黙ってしまった。
北村くんは、たどたどしい口調ではあったけれど、小学校時代のいろんな話を出してきた。彼も焦っているんだろう。
わたしはわたしで、無表情で遠くに目を逸らし、「そうだね」「覚えてる」などとうなずくことしかできなかった。
ふいに北村くんが言った。
「今になって思うんだけど、あのとき冷やかしたのは、小森さんのことが気になってたからかもしれない」
「えっ?」
わたしは伏せていた目を上げた。
北村くんが慌てる。
「あ、あの、違……っ、恋愛とかそういう意味じゃなくて! 小森さんってなんか、本とかよく読んでいてあまり外で遊ばなかったし、そういうのが珍しくて……」
「そ、そうだよね。私、そういう子供だったもんね……」
だよね。少し、勘違いしそうになってしまった。
でも、そうだったら嬉しかったのかな。それとも、もっと複雑な気分になっていたのかな。
北村くんは小学校時代のことを本当によく覚えていた。会話の中でわたしの記憶も少しずつよみがえって、空気が和らいでいった。
「そろそろラストオーダーのお時間ですが」
店員さんが外から個室の襖を軽く叩く。それでやっと、だいぶ遅い時間になっていたとわかった。
「今日は解散にして、また改めて飲まない? ……飲みませんか?」
話が楽しくなりかけてきたのもあったし、わたしはそれを素直に受け入れることにした。わたしもできる限り、彼に歩み寄っていこうと思った。
駐車場までの道で、わたしは油断していた。
高いヒールを履いている緊張感が薄れて、転びそうになってしまったんだ。まずい……と思ったとき、北村くんの手が腰のあたりを支えてくれた。そのまま引っぱり上げられて、胸の中に収まる。
わたしは北村くんに抱きしめられた格好になった。
「ご、ごめん」
北村くんが急いでわたしから離れる。
わたしも急いで北村くんから離れた。
不自然な沈黙が流れる。
「あ、あの……」
北村くんが口を開く。
「あの、ずっと、怖くて聞けなかったんだけど……仲直りってことでいい……のかな……?」
「あ、うん……っ、いいと、思う……」
車の中で、わたしたちはまた黙りこんでしまった。
家に帰っても、わたしはしばらく妄想できなかった。
妄想ではなくて、ついさっき起こったことを繰り返し思い出していた。
翌日、北村くんから次の食事のお誘いメールが届いた。
「うえぇっ?」
思わず声を出してしまう。
朝野悠人のアシスタントの日と重なっていたのだ。夜遅くまで空けておいてといわれたから、北村くんの食事の予定と合わせることはできないと考えたほうがいいだろう。
予定を調整すると言ったまま返事はしていないので、今ならまだ断れるけど、
(せっかく期待してもらっているのに……悪いな……)
わたしは悩んだ。
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あらすじ
「俺のいうこと、聞けるよな?」と悠人が未由に詰め寄る。
未由はいわゆる壁ドンをされてる状態に…。
未由の恋愛妄想ノートを見られた件で悠人に弱みを握られている未由。
おそるおそる申し出の内容を聞くと…。