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官能小説 「妄カラ女子」…spotA〜未由編〜・シーズン5


この世にいた…! ●小森未由

朝野悠人のアシスタントに行くか、北村くんとの食事に行くか――考えた末、わたしは朝野悠人のほうを選んだ。
北村くんにも会いたかったけど、妄想ノートの内容をバラされたらと考えると怖かった。
「次回はネタ出しもしてもらう」と朝野悠人は言っていた。もし行かなかったら、妄想ノートの中から何か使われてしまうかもしれない。「パクリ」にならないように、わたしの名前つきで。
それに、まだ返事をしていないとはいえ、先に声を掛けられたのは朝野悠人のほうだ。
わたしは北村くんに、その日はどうしてもはずせない用事があると伝えた。メールだと申し訳なく思っている気持ちがちゃんと通じないような気がしたから、電話で。……めちゃくちゃ緊張した。たぶん声、ふるえてたと思う。
北村くんはどんな用事なのか深く聞いてこなかったけど、話しているうちに声がどんどん沈んでいくのがわかった。わたしと会えないことでそんなにがっかりされるなんて、申し訳なく感じると同時に、すごく、すごく照れてしまった。

「あっ……あの、でも、ほかだったら大丈夫な日、あるから……」

わたしは慌てて代わりの日程の候補をいくつか挙げた。
結局わたしたちは翌週の同じ曜日に会うことになった。
電話を切ると、自分の脈がだいぶ速くなっていることに気づいた。額のあたりにうっすら汗もかいている。

(わたし、現実の男の人に対してこんなに積極的になれたんだ……)

申し訳ないという感情が根っこにあったとはいえ、男の人と食事に行く話――それも、たぶんただの食事とはいわない――を、自分から進めていったなんて……。

(これってデートなのかな、やっぱり)

こういうとき、食事の後にあんなコトやこんなコトがあるかも……なんて妄想を女の子だったら誰でもするのかもしれない。でも今のわたしは現実を受け止めるのに手いっぱいで、そんな妄想さえうまくできなかった。
とにかく、わたしは朝野悠人にアシスタントに行くことをメールで伝えた。

「そのこと」が起こったのは、翌日だった。
道を歩いていたら、バッタリ朝野悠人に会ったのだ。

(えっ……)

わたしは思わず固まってしまった。
朝野悠人は悪いモノでも食べたのか、伸ばしっぱなしの髪をきちんとセットし、スーツ姿で歩いていた。

「あぁ、あんたか」

朝野悠人はわたしに気づくと声を掛けてきた。
わたしが目を白黒させているのがわかったのだろう、彼はすぐに自分の格好について説明した。少し照れくさそうに。

「今日は大御所の漫画家の先生や編集者が集まる懇親会だったんだ。そんなところにペーペーの俺がいつもみたいな格好で行くわけにはいかなくてさ」

じゃあアシスタントの日、よろしく、と言い残して、彼はそそくさと去って行った。
わたしが固まったのには理由があった。キッチリした格好をした朝野悠人は、わたしが初めて妄想で思い描いた人物によく似ていたから。
その人は、現実には存在しない。現実に絶望した子供時代のわたしが、自分の空想の中でつくりあげた人だった。わたしの初めての「妄想の君」だった。彼は今でもときどき、わたしの妄想に登場する。

なのに、まさか、まさか……「あの人」が本当にこの世にいたなんて……

わたしはしばらくその場に立ち尽くしていた。

初恋の相手 ●清水旭

その日、ぼくが家に帰ると北村くんが落ちこんでいた。
ぼくの家は3階建てで、1、2階はお父さんが社長を務める会社、3階はお父さんとお母さん、ぼくの3人家族が住むフロアになっている。
3階に行くには1、2階を通らないといけないから、ぼくは社員の人たちや、外から用事があって会社に来ている人たちとけっこう仲がよかったりする。
北村くんが落ちこんでいるとわかったのは、何も彼から直接話を聞いたわけじゃない。北村くんは小学5年生のぼくから見ても素直すぎるというか真面目すぎるというか――とにかく見た目にわりといろんなことが表われてしまうタイプなんだ。

(未由とのことで何かあったのかな)

これは直感だった。ぼくは昔から勘がいい。
未由はお母さんの妹で、つまりぼくにとっては叔母にあたる。
この間、北村くんと未由はデートをしたらしい。詳しいことはわからないけど、北村くんが未由に何か謝りたいことがあったから、お母さんがセッティングをした。結果、二人は仲直りできたらしく、お母さんは北村くんに感謝されたと言っていた。
だから、気になった。

「なんかあったの?」

北村くんが休憩のために小さな庭に出たタイミングを自分の部屋から見計らって、ぼくは声を掛けに行った。
いっておくけど、ぼくは誰にでもこういうことをするわけじゃない。北村くんは特別なんだ。優しいし、それに子供にこんなふうに思われて北村くんがどう受け止めるかはわからないけど、イケメンなのに見るからに不器用そうで、つい何とかしてあげたくなってしまう。「さん」じゃなくて、「くん」づけで呼びたくなってしまう。
北村くんが返答を濁したので、ぼくは出方を変えることにした。

「そういえば、未由とのことはどうなった? また会うの?」

北村くんは一瞬間を置いて、苦笑した。

「会う約束はしたんだけど、じつは一度断られたんだよね。ひょっとしたら彼女、本当はいやだったんじゃないのかなぁとか……」

ね? 北村くんは小学5年生の質問にもこんなふうに正直に答えてしまうんだ。放っておけなくなる気持ち、わかるだろ?

「でも結局は行くことになったんでしょ? だったら大丈夫だと思うけど。そもそも断られた理由って何?」

「どうしてもはずせない用事があるって言ってた。気を悪くされたらいやだから、詳しくは聞かなかったけど」

あー、もう、そういうのは聞き方ってものがあるんだよ。
それにしても、はずせない用事か。バイトかな。でもバイトだったら、未由は基本的に早番だし、食事の時間をちょっと遅めにしてもらえば間に合いそうなものだけど。

「そっか、まぁあいつにもいろいろあるんだろうね」

ぼくはできるだけ素っ気なく答えた。

ぼくは北村くんと未由にくっついてほしかった。どう転んでも不器用な二人だから、逆にそれはそれでうまくやっていけそうだし、それに……未由はぼくの初恋の相手だからだ。
北村くんみたいな真面目な人なら、絶対に未由を幸せにしてくれるだろう。
未由のことが気になり始めたのはいつだったか、どうしてそうなったのか、ぼくにはもう思い出せない。ただ、物心ついたときには好きになっていた。もしかしたらすごく小さいときに優しくされたとか、あったのかもしれない。未由は格好は野暮ったいけど、顔だちは悪くないし、スタイルだってそこそこいいことを、ぼくはずいぶん前から知っている。
だけどそのうちに、ぼくの恋は絶対に叶わないんだということがわかってきた。立ちふさがる年の差というやつが、どれほど高い壁なのかが少しずつ理解できてきた。
あきらめてからは、以前ほど苦しい思いはしていない。
ぼくが未由に辛辣な口をきくのは、幸せな恋愛をしてほしいからだ。

(まさか未由に限って、ほかに好きな男がいるとか、そいつと約束があったとか、ないよな……)

ぼくは念のため、未由の動向を探ってみることにした。

これは妄想…? ●小森未由

朝野悠人が去った後、わたしは不安になった。
あんな相手――昔から夢見ていた理想通りの人と、ひとつ屋根の下で仕事するなんて。しかもちょっとエッチな漫画を描く手伝いをするなんて、できるのかな。ドキドキしてしまって、仕事にならないんじゃないかな。
あぁ、妄想が始まってしまう……!

モワンモワンモワワ〜ん♪…

* * * * * *

「さて……ネタ出しの時間だ」

作業中だというのになぜかスーツ姿の朝野悠人が、壁に手をつき、わたしを逃がさないようにして迫ってきた。
壁ドンは壁ドンでも、前にファーストフード店でやられたアレとは明らかに違う……わたしを女として狙い、捕えようとする、捕食者の壁ドンだ。

「質問の仕方を変えたほうがいいかな。……俺にどんなことをされたい?」

声が一段低くなる。ぞっとするけれど、それは性的な興奮とつながっている。

「されたいことなんて……」

「こんなにいやらしいことをたくさん考えていたくせに?」

妄想ノートを鼻先に突き出される。

「この中には俺のこともずいぶんたくさん書いてあったな。何だったらひとつひとつ読み上げながら実行してもいいんだが」

普段の朝野悠人とは違う冷ややかな表情。スーツ姿にやけに似合う。
わたしが黙っていると、朝野悠人はそれを本当に実行した。
『壁に押しつけられたわたしの唇に、彼の唇が迫ってくる。逃げようとしても、腕を壁に押さえつけて逃げられない。そうこうしているうちに唇をふさがれて……』

「ん……んんっ」

パサリと音が立てて、朝野悠人の手からノートが落ちる。
彼は私の両手首を掴んで壁に押しつけ、強引なキスをした。
唇の隙間から舌が侵入してくる。

やめて、やめて……! ……うぅん、わたし、本当にそう思ってる?

頭がぼーっとする。

「続きは自分で言うんだ」

「……触って……キスして……体ぜんぶ、悠人さんのものにして」

唇ごしに薬でも飲まされてしまったみたいだった。わたしは浮かされたように、恥ずかしいことを口にする。

「悠人さんの好きなようにして」

朝野悠人はにやりと笑って、スカートの隙間からそっと手を差し入れた。しばらく太腿を撫でていた手が、どんどん上がっていく。あぁ、その上に触れたら……

* * * * * *

(違う! 仕事っ! 仕事をするんだぁぁぁ!!!!)

わたしは頭をかきむしって妄想を振り払った。

アシスタントの日がやってきた。

「この女の子のキャラクターはどんなふうにされたらエロいかな」

「どんな展開でそうなるのがいいと思う?」

朝野悠人の質問は巧みだった。わたしは自分の妄想を喋っているという恥ずかしさもなく、一般論のように答えていく。こういう技術は漫画家特有のものなのか、それともこの人がスゴイのか。

「えーと、逃げ場のないところで、壁ドンとか、床ドンとかいいんじゃないですかね」

この間の妄想を思い出し、顔が熱くなった。

「壁ドン? 床ドン?」

「あ、はい……えー、こんな感じですね」

口で説明してもわからなさそうだったので、わたしは逆カベドンしてみた。すると朝野悠人は、

「こういうこと?」

と自分で壁ドンをしてみせる。

「!!!」

「で、これが床ドンな」

びっくりする間もなく、押し倒されていた。
目が……合いそうになる。ヤバイ。今ここで、見つめてしまったら……
でも幸いなことに、彼の目は伸ばしっぱなしの前髪で隠れていた。いつも通りの、ボサボサの髪で。
この人、どう思いながらこういうことをしているの? 本当に漫画のネタを考えるのだけが目的かな? ドキドキしているのはわたしだけ? ひょっとして、そんな気持ちを見破られてたりしない? もう、何が何だかわからない。

「あと、ノートに『手をタオルで軽く縛られて』…とかあったじゃん。あれって別のシチュエーションでも使えないかな」

「べ、別のシチュエーションって?」

「んー、エロいゴーモンとか。縛られて、体じゅうをこういう羽根でまさぐられたり」

朝野悠人はいきなり羽根ペンを出してきた。え、えぇぇぇっ!?

「ちょっとやってみるから、アリかどうか教えてよ」

服を着たままだったけど、わたしはタオルで手を軽く拘束されてしまった。
近づかれた拍子にいい匂いがした。シャンプーのようだ。

(あ、なんかいい匂い……ってそんなこと考えてる場合じゃ……)

朝野悠人は羽で私の脇腹や胸のあたりをくすぐった。

「どう?」

「ひゃ……あ、どうって……あの、いいんじゃないかと……思います……!」

もう、何が妄想で何が現実かわからなくなりつつあった。
作業は結局夜中までかかった。ネタ出しが終わっても、通常の作業が残っていたからだ。

「仮眠をとるから帰っていいよ、お疲れ様」

朝野悠人はわたしの頭をポンポンと撫でてから、倒れこむように床に横になった。そのまますぐに寝息を立てて寝てしまう。
床にこぼれ落ちた髪で、顔がよく見えた。

(やっぱり、「あの人だ」……)

ふらふらと、わたしは朝野悠人に近づく。
何時間もぶっ続けで作業したせいで、朦朧としていた。
何が妄想で、何が現実か……わからない。
寝顔の頬にそっと、唇と近づける。

「…………!!!」

すんでのところでわたしは唇を止めた。

これは妄想、じゃない。

…できない ●小森未由

それから数日後、わたしは北村くんが改めてセッティングしてくれた食事の席で彼と会った。
今回は和洋折衷でカジュアルな雰囲気の居酒屋だ。適度に席は離れているけど個室ではなくて、前回よりは打ち解けた雰囲気だった。
わたしは自分で服を買って、メイクもした。前回、おねえちゃんにずいぶんキレイにされてしまったから、北村くんにガッカリされたくないという、意地みたいなものだった。でももう一度おねえちゃんに頼むのは何だかヤだし……
うぅん、わたし、本当に「ガッカリされたくない」っていう理由だけなのかな。
そんなことを考えているうちに、妄想劇場の幕が開いていく。

「きれいだよ、未由」

派手すぎないピンクの口紅を塗った唇を、北村くんの指が撫でる。もう片方の手はわたしの耳をそっとなぞって……
なぞって……
なぞって……

(………………できない)

開きかけた妄想劇場の幕が、するすると閉まってしまう。
わたしはやっぱり、北村くんに関してはうまく妄想することができなかった。

メイクはおねえちゃんにしてもらったときよりはレベルダウンしたけど、まぁ悪くはなかった。たぶん。
北村くんもギョッとした顔はしていなかったし。
少しだけ小学校時代のことを話すと、そのうちお互いの仕事の話になった。
わたしは本屋のバイトのほかに、最近漫画家のアシスタントを始めたと言った。

「へぇ、どんな漫画? どういう職場なの?」

北村くんは興味津々といった様子でいろんな質問を投げかけてくる。

だんだん彼の顔が険しくなっていった。

「エッチな絵を描く男性一人の作業場に、夜遅くまで一人でいる」ようなこともある仕事場だと伝わってしまったから。

言葉を濁したつもりだったけど、いくつもの質問に答えているうちにわかったようだ。

「そんな仕事をしていて大丈夫? 男性と二人だけで……その、夜遅くまで……」

眉をひそめてわたしの顔を覗きこむ。
わたしは朝野悠人にネタ出しのときにされたことや、キスしそうになったことを思い出して、一瞬口をつぐんだ。
だがすぐに、動揺したことがバレないように、口元に笑みを浮かべてみせた。

「大丈夫だよ。わたし野暮ったいから、たぶんそういう目で見られてない」

「そんなことない」

北村くんの声が大きくなったので、わたしはびっくりする。

「小森さんは……きれいになった…と、僕は思う……」

北村くんの顔がみるみるうちに赤くなっていく。

「あ、いや、変な意味じゃなくて、だから男と二人だけで夜遅くまでいたりしないほうがいいっていう……」

しどろもどろになる北村くんの前で、わたしも赤くなっていく。
隣の席が離れていて、よかった。わたしたちは顔の色が元に戻るまで、しばらく黙ってしまった。

「でも、何もそんな漫画を選ばなくてもいいじゃないか」

北村くんは再び毅然とした。

「そんな……その、性的にあまり品のない漫画なんて。男が暇つぶしに読むようなものだろう? そんな漫画よりも、もっと……」

「ちょっと待って」

かちん。頭の中で金属がぶつかり合うような音がした。

「暇つぶしに読むって何? 北村くんは読んだこともないのに、どうしてそんなこと言えるの?」

確かにエッチではあるけれど、内容は結構濃いし、そうするために朝野悠人がどれだけ苦悩しているかも知っている。間近で見ている。それをなんとなくのイメージだけで侮蔑されたくなかった。
北村くんははっとした表情になった。ほとんど同時にわたしの手を取る。
たぶん、彼は焦ったんだと思う。
今度はわたしがはっとした表情をする。
わたしたちは慌てて手を離して、見つめ合った。

好きな人 ●小森未由

「ごめん、また怒らせてしまった……」

つらそうに顔をしかめて、北村くんは目を伏せる。
わたしは少し、冷静になっていた。

「いいの。わたしのこと、心配してくれたんだよね。ありがとう」

本当に、そう思った。
今までわたしのこと、そんなふうに心配してくれる人はいなかった。
わたしたちはもう一度見つめ合った。
北村くんがわたしを強引に抱き寄せる妄想が頭をかすめて、すぐに消えた。

その日もわたしたちは食事だけして別れた。北村くんがあまりにも真面目すぎてその後を誘えないでいるというのは、わたしにさえわかった。
でも、わたしにも何もできない。現実の恋愛経験なんてゼロで、妄想しかしてこなかったわたしには。
それは北村くんのせいで、でも北村くんもずっとそれを気にしていた以上、もう責めることもできなくて。
わたしたちは二人とも、前に進むにはどうしようもない人種だった。

ごろごろごろごろごろ。

わたしは部屋でひとりで転げまわっていた。
朝野悠人が初めての「妄想の君」そっくりだったこと。
北村くんに妄想できないことの意味。
そんなことを考えていたら、転げまわるしかなかった。わたしの現実は、妄想を飛び出そうとしている。

しばらくして、わたしはまた朝野悠人のアシスタントに行った。それ以前にも何度か行ったから、作業にもちょっと慣れてきていた。
ネタ出しはもう終わっていたから、あの日のようなこともなかった。
あのとき朝野悠人が何を考えていたのかは相変わらずわからない。
家に着くなり、彼はとつぜんおかしなことを尋ねてきた。

「あんた、小学校高学年ぐらいの男の子の知り合い、いる? ちょっとかわいい感じの」

ほかの特徴も聞いて、旭くんのことだと確信した。

「たぶん、姉の息子……わたしの甥です。その子が何か?」

「彼氏候補がいるから未由には手を出すなって道で声を掛けられた。あんたが俺の家に入るのを見たんだってさ」

旭くんがそういう光景を見かけたというのは、まぁ、あってもおかしくはない話だ。ウチと朝野悠人の家は近所なんだし、わざわざ見ようとしなくても、おねえちゃんに連れて来られたときに偶然目にすることはあるだろう。
それよりも、なぜ旭くんがそんなことを言ったのかが気になる。
彼氏候補? って、誰のことを言っているんだろう? いや、単なるイタズラだろうな……。

「甥がすいません。よく叱っておきますんで、もう相手にしないで下さい。ていうか、そういうときには怒って下さっても結構です。たぶん変なイタズラですから」

「怒りはしなかったけど、俺はあんたにそういう気はまったくないって答えておいたよ」

ずきん。

朝野悠人の答えに、ほんのちょっと胸が痛む。
「妄想の君」にそんな気はないなんていわれると、朝野悠人自身に対してその気はなくても、ちょっとツライ。

「今度、なんでそんなことをしたのかちゃんと聞いておきます」

わたしはとにかく、それだけ言った。

その日の作業は結局夕方頃に終わってしまった。
朝野悠人が「今日は調子が乗らないから、ちょっと散歩に行こう」なんて言い出して、外出することになったのだ。

「ネタ出しのボーナスとして、何か甘いものでもおごるよ」

わたしは甘いものが特別好きなわけではなかったけど、外出には賛成だったのでついていくことにした。
広々した通りの並木道を歩きながら、朝野悠人はわたしに尋ねた。

「ねぇ、あのネタ帳ってさ、誰か特定の人を想定して書いたわけ?」

「やっ、そ、そんなことはないです! あくまでもネタ! 想像の産物!」

わたしは必死で否定する。本当はいることはいるけど、現実的な接点はない場合がほとんどで、あっても顔見知り程度の域は出ないのだから、こんなふうに答えても許されるだろう。

「ふーん、俺はてっきり、あんたには好きな人がいるんだと思ってた。だからあんなリアリティのあるネタが思いつくんじゃないかって」

……褒め言葉として受け取っておきますね。
そこで終われば、うららかな午後のたわいもない会話だった。だが、そうは問屋がおろさなかった。朝野悠人は続ける。

「なぁ、彼氏候補はいないとしても、好きな人ぐらいはいるんじゃないの?」

――わたしは固まってしまった。

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あらすじ

北村君と食事にいくか悠人のアシスタントに行くか悩んだ末、未由は悠人を選んだ。

北村に会いたい気持はあるが、妄想ノートの内容をばらされるかもしれない弱みを握られているために、未由は悠人を選ぶ他に選択肢はなかった…。

松本梓沙
松本梓沙
女性向け官能、フェティシズム、BLなどを題材に小説、シ…
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毎日小説「夜ドラ」の挿絵も担当。書籍、ウェブ、モバイル…
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