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官能小説 パラレル・ラブ ストーリーB 〜洋輔編〜 シーズン2


「何が何だか わからない」●高木洋輔

夕焼けの道
 

「あの……私、やっぱり降ります」

反対、というほど強い語調ではない。だけどもうひと押し何かがあれば、すぐにそちらに転じそうだった。
西原さん(確かそんな名前だったと思う。名札をちらっと見ただけだったから、間違っているかもしれないけど)は、停まっている車のドアに手をかけて降りようとした。

「え? どうして?」

 

僕はスマートフォンから顔を上げてそちらを向く。車で20分ほどのところに病院があると、ちょうどわかったところだった。

「どうしてって……」

彼女は少し迷ったようだったが、も言わなかった。ただ、ひどく悲しそうな表情をしていた。

「ご親切、ありがとうございました。病院には自分で行きます」

「でも、足……」

僕の制止を受け入れず、西原さんはさっさとドアの向こうの歩道に出てしまう。
一度ぺこりと頭を下げて、ドアを閉めた。

そのまま、一歩、二歩を歩き出す。……だが。

(言わんこっちゃない)

四歩目あたりで動きがおかしくなり、五歩目を無理に出そうとして、靴が脱げてしまった。 それをしゃがんで拾おうとするが、痛むのかうまく座れないようだ。 やはり放っておけなかった。一度助けたからには心配だし、道行く人の彼女への視線を見るにつけても何だか心配だ。

「あぁ、もう……」

舌打ちをして運転席から出ると、駆け寄った。

「そんな足でどうやって帰るつもりなんだ。下手に動いたら、もっと悪化してしまうよ。付き添ってあげるから、ちゃんと病院に行こう」

僕は彼女を抱え、靴を拾って履かせてから車に戻ろうとした。西原さんはしぶしぶ従った。 周囲の視線が先ほど以上に注がれたから、いたたまれなくなったのかもしれない。

 

再び車に乗ると、西原さんはうつむいたまま、言い訳するような声を出した。

「どうやって、って……タクシーを呼んで、帰るつもりでした」

「ろくに歩けもしない足で、タクシーが来るまで待つってこと? あれだけ言ったのに君は本当に……」

溜息混じりにそこまで言ったところで、西原さんは顔を上げてこちらをじっと睨みつけてきた。
とたんに、僕はそこから先の言葉を継げなくなる。単に睨まれたからじゃない。その目からぽろぽろと涙がこぼれ落ちてきたからだ。

「え、どうして……?」

僕は呆然と彼女を見つめた。 車から降りようとしたのも、いきなり泣き出すのも……何が何だかわからない。

「悪い人じゃ ないんだ」●西原ななみ

「どうして泣いているの?」

高木さんは眉をひそめる。瞳の奥に混乱と困惑があった。こんなことになるなんて、思ってもいなかった……揺らぐまなざしが、そう語っている。 高木さんのそんな表情を見て、気持ちが落ち着いていった。
(この人も、悪い人じゃないんだ)

ただ――そう、不器用なんだろう。

でも、何もいわずに、なかったことにするのはできなかった。

「高木さん、厳しいですね。誰に対してもそんな態度なんですか?」

「え?」

眉と眉の間にできていた溝が、さらに深くなる。

「私に見通しの甘さがあったことは認めます。確かに私は高木さんからすれば楽観的すぎるのかもしれません。 でも、だからといって反省していないわけじゃないんです」

自分でも意外だったけれど、すんなりと口から言葉が出てきた。言葉が出てくると、その流れに飲み込まれるように、少しずつ興奮してきた。

「高木さんのおっしゃることは100%正しいです。でも、怪我をして一番へこんでるのは私なんです。正論だけでは苦しく感じる人もいるって、わかりませんか? それに、私たちほぼ初対面ですよね。初対面の相手にそんなに言う必要はないんじゃないですか」

そこまでまくし立てて、はっとした。こんなふうに誰かに向けて息巻いたのって、たぶん初めてだ。

私は普段から、自分のことは引っ込み思案な性格なんだと思っていた。でもそれはこれまできちんと誰かと向き合って、怒ったり、笑ったり、失望したり、期待に胸を膨らませたりということがなかったからなのかもしれない。

気持ちを表面に出さなければいけないほど、深い付き合いをしたことがなかっただけかもしれない。

私の胸の中には、高木さんへの怒りだけでなく、自分に対する驚きも渦巻いていた。

だけど、もっと驚いているのは彼のほうだっただろう。目をまん丸にして、絶句していた。

「顔と顔が 近づいた」●西原ななみ

私のほうこそ言い過ぎたかもしれない。そう感じたのは、直後に高木さんの表情が悲しげに歪んだからだ。

「ごめん」

高木さんは呟くような声で、しかしはっきりと謝った。
少し予想外だった。あんなに「正しさ」を言い募った人だったから、こんなに素直に自分が悪かったと認めてくれるとは思わなかった。

「ときどき言われるんだ。お前は人の気持ちが全然わからない奴だって」

高木さんは額に手を当てると、自分のイヤな部分を潰そうとするかのように前髪をくしゃっと握った。

「そのせいで、これまでもたぶんたくさんの人を傷つけてきた」

高木さんの眉間に再び皺が寄る。でもその皺の意味は、ついさっきのものとはまったく違っていた。

「別に恰好つけるつもりもないからいうけれど、僕はプライベートや婚活で何人もの女性にフラれてきたんだ。冷たいとか、厳しいとか、失礼だっていわれたこともあったな。でも、僕はずっとこんなふうに生きてきた。自分でも気をつけているつもりなんだけど、この年になるとそう簡単にはなおらないようでね……」

高木さんが自嘲する。その笑い声が、痛々しかった。
高木さんは悪い人じゃない。ただ、それを表現する方法が極端に下手なだけなんだ。

パイロットというからにはすごく頭のいい人なんだろう。本人の言った通り、誰よりも努力をしてきたのだろう。 でも、それゆえのバランスの悪さや危うさも同時に持っていて、それが彼を苦しめている。

「自分語りをしていても仕方がないね。とりあえず病院に行こう」

高木さんはギアを入れて、停めていた車を発進させる。私は何と返したらいいのかわからず、黙っていた。
病院に着くと高木さんは素早く運転席を降りて、助手席のドアを開けてくれた。

「肩につかまって。僕に体重をかけて歩くんだ」

ほとんどエスコートといってもいい、スマートな対応。これだけ見れば多くの女性が高木さんに心惹かれるだろう。

「転ばないように気をつけ……」

言われたそばから、体ががくんと沈んだ。
とっさに高木さんが腕を引っぱってくれた。その瞬間、私たちの顔と顔が今までにないぐらいに近づいた。

「…………っ!」

慌てた。腕を掴まれているから体を離すわけにもいかない。

「……ごめん」

私を立ち上がらせると、高木さんは目を逸らした。
高木さんは診察が始まるまでは一緒に待合室にいてくれた。だが、診察が終わって出てくると、もう姿はなかった。

(そりゃあそうだよね……)

松葉杖をついた私は苦笑して、ひとり肩をすぼめた。 あんなにはっきりとダメ出しをしたのだ。 そりゃあ私だって傷ついたけれど、彼も私に負けず劣らず傷ついていたように見えた。

(自分を傷つけた相手と、わざわざいつまでも一緒にいたいとは思わないよ。 病院まで連れて来れば、あとはお医者さんが何とかしてくれるって考えるのが普通だよね)

  診察時間が終わってすっかり暗くなった待合室の椅子に、私は会計を待つために一人で腰かけた。

「……お詫びだよ」●西原ななみ

慣れない松葉杖に苦戦しながら、病院から出ようとしたときだった。駐車場のほうから大きな声で名前を呼ばれた。

「西原さん!」

びっくりしてそちらを向くと、高木さんが車の窓から半分顔を出して手を振っていた。

「高木さん?」

近づくと高木さんは運転席を降りて、来たときと同じように助手席のドアを開けてくれた。乗れということらしい。てっきり高木さんを失望させたとばかり思っていたので驚いたが、断る理由はないので、勧められるままに乗り込んだ。

「よかった、間に合った。本当は連絡してから出たかったんだけど、スマホの番号もわからなかったし」

私は首をひねった。何か用事でも終わらせて、わざわざ戻ってきてくれたのだろうか。

「これを買ってきたんだ」

 

高木さんは体をひねって後部座席に腕を伸ばし、靴屋のブランドマークがプリントされた紙袋を手に取った。

「くじいた足じゃ、ヒールは歩きにくいと思ってさ。さっき靴を拾ったときにサイズが見えたから、同じサイズのペタンコの靴を買ってきたんだ。趣味に合っているといいんだけど」

 

紙袋から箱を取り出し、ふたを開けると、キャメルブラウン色のシンプルだが質もデザインも良い靴を取り出した。

「……でも、必要なかったかな」

 

高木さんは視線を落とす。その先にはスリッパを履いている私の足があった。

 私はそれに答えるよりも先に、もっと根本的なことを尋ねた。

「あの……どうして私にそんなに良くしてくれるんですか?その靴、安くなかったでしょう」

「……お詫びだよ」

 

高木さんは少し考えてから、どこか照れくさそうに言った。

「傷つけて、泣かせてしまったお詫び。このぐらいで許してもらえるとは思っていないけど」

「お詫び……」

 

私は思わず、高木さんをまじまじと見つめてしまった。

 

正直にいって、見直した。他人を正論でやりこめる自覚のない天然ドS、だけど相手から悪いところを指摘されれば、即座に反省して行動する。

 

私にこの素直さや謙虚さはあるだろうか。私はそもそも自分に落ち着きがなかったのを棚に上げて、歯に衣着せない言い方ではあったけれどそれをきちんと指摘してくれた高木さんを恨んだ。

「もらってくれる?」

 

高木さんは笑っているが、どこか不安そうだ。

「ありがとうございます」

 

私は笑顔を浮かべた。今は高木さんの不安を拭い取ることが、いちばんの感謝の意思表示になると思った。

「助けて下さった上に、こんなプレゼントまでいただいて、ありがとうございます。改めてきちんとお礼を……」

「いいよ」

 

高木さんは途中で遮る。

「これはお詫びなんだから」

「でもこんな高いもの……」

「……じゃあさ」

 

少し逡巡して、高木さんは私のほうに改めて向き直った。

「ひとつだけお願いを聞いてくれないかな」

「賽は投げられた」●西原ななみ

その日は、真夜中になるまで眠れなかった。
私はその日、高木さんが車の中で打ち明けた「お願い」について再度考えていた。
高木さんのお願いとは……

「君も僕も婚活パーティで今のところ成果がないし、もし君がいやじゃなかったら、お互い決まった相手ができるまででいいから、また何度か会ってダメ出ししてほしい。もちろん食事代や場所代は全部僕が出すよ。つまらない思いはさせないようにする」

断れなかった。高木さんの素直さを見なおした直後の私には。
だってこのお願いは、高木さんのまさにそんな部分のあらわれなのだから。

 

それに私は――高木さんに少しずつ惹かれ始めてもいた。高木さんと私が釣り合うとは考えられない。 でも、憧れの相手として、もう少しそばにいられるのならそれもいいかなと思った。

スマホの、高木さんのアドレス画面を開く。今日だけでもう何度、そんなことをしたかわからない。

賽は投げられたのだった。

それでも、日が経つにつれ気が重くなってきた。
下手に高木さんと近づいても、別れるときによけいつらくなるだけじゃないだろうか。

それにダメ出しをするために付き合うなんて、少し荷が重すぎる。 私はあの日こそ啖呵を切ったけれど、普段はどちらかといえばおとなしくて、いいたいことがあっても引っ込めてしまうようなタイプだ。 また怒りに火がつけばああなることも考えられるけど、それはそれでイヤだ。

もう一人の世界の私に相談すると、約束をしてしまったものはしょうがないし、興味があるのならどんな立ち位置であれ、そばにいれば何かしらチャンスが巡ってくるんじゃないかということだった。

「だって、いつ世界が消えてしまうかわからないし……やれるだけのことをやっておこうよ」

 

私たちは以前に比べて、ずっと積極的になっていた。あるいはもともと積極的になりたくてもなれずにいたのが、世界がなくなるという「言い訳」を得て、やっと実現したのかもしれない。

(あぁっ、緊張する!)

高木さんと会う予定の前の日、私はベッドで頭を抱えていた。

 

高木さんはきっとまた、天然ドSぶりを発揮してくるだろう。だけど、あまり厳しくダメ出しをして嫌われたくない気持ちが正直、ある。

(でも相手はダメ出しを期待していて、そもそもそのために私と会うんだし……)

 

だが、このときの私にはまだ知るよしもなかった。翌日、まさかあんなハプニングが起きるなんて……。

【次回】パラレル・ラブ ストーリーB 〜洋輔編〜 シーズン3

あらすじ

パーティ会場で転んで足を怪我しまったななみ。
がまんしていたものの徐々に足の痛みがひどくなり、歩けなくなってしまった。

そこへ洋輔が声をかけ、ななみは洋輔に車で病院に連れて行ってもらうことになり…?

松本梓沙
松本梓沙
女性向け官能、フェティシズム、BLなどを題材に小説、シ…
poto
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毎日小説「夜ドラ」の挿絵も担当。書籍、ウェブ、モバイル…
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