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官能小説 パラレル・ラブ ストーリーB 〜洋輔編〜 シーズン4
「僕と話をしているつもりで」●西原ななみ
私は高見さんに押されるまま受けてしまった。
「野暮ったくて普通っぽい子がいい」なんて飾らない言葉で説明されたから、自分にもできそうかな、なんて思ってしまったせいもある。
でも、高見さんの会社は決して小さくはない。手がける仕事だってそれなりの規模だろう。
その日の夜には私はもう、安請け合いしたことを後悔していた。
(高見さんはメイクもプロをつけるし、ポージングも全部指導するから問題ないっていっていたけど……本当に私に務まるのかな)
ベッドに寝転んでいると、悪い想像ばかりが湧き上がってくる。いざメイクをしたはいいけれど、高見さんの予想とは違っていて、がっかりされたりだとか、私が慣れないせいで撮影がなかなか進まなかったりだとか。
(やっぱりやめます、なんて迷惑だよね。でも後になってもっと大きな迷惑をかけることになるよりはいいのかな)
そんなふうに考えていると、枕元に置いてあったスマホがメールを受信した。
手に取ってみると、洋輔さんからだった。私と洋輔さんは、あれからたびたびメールをやりとりするようになっていた。私たちはメールでも、あの日のように気負わず話しあっていた。
洋輔さんはさっきニューヨークに着いて、一睡もしていないものの時差の関係でこれから朝食をとりにいくのだという。
メールの最後に「今日はどうだった?」と質問があったので、モデルをすることになった話を思いきってした。
<でも、軽い気持ちで受けなきゃよかったかなって思っているんです。自分にモデルとして通用するようなものがあるとは考えられないし……>
あちらはいわば徹夜明けなのだし、返事はしばらく先になると思っていたけれど、意外にもすぐに届いた。
<僕といるときのななみさんは、その社長さんが言っているモデルのイメージに合っていると思うし、既存のモデルじゃダメだから君に声をかけたんだろう。撮影中に緊張したり自信がなくなったりしたら、僕と話をしているつもりにでもなって気を紛らわせればいいよ>
私は洋輔さんからのメールを何度も読み返した。
少しずつ気持ちが晴れてくる。……そうだよね、モデルと同じものを求められるんだったら、始めからプロのモデルを起用しているはず。どうなるかわからないけれど、いつものままで臨んでみよう。
数日後、撮影の詳細が決まった。可憐なドレスを纏う「白雪姫バージョン」と、豪華な着物を纏う「かぐや姫バージョン」の2パターンで撮るそうだ。
さらに数日後、私は指定されたスタジオに運んだ。
楽屋のドアを開ける。その段階で、私はひるんでしまった。そこには同じポスターに出演するのだと高見さんに紹介された女性たちがいた。みんなプロのモデルだそうで、私なんか比べものにならないぐらいキラキラしている。なのに彼女たちはあくまでも私のバックなのだという。
「よろしくお願いします」
彼女たちはプロとしての余裕なのか、最初から私なんて敵じゃないと思っているのか、優雅なほどの動作でにこやかに私に握手を求めてくれる。
(こんなきれいな人たちと並ぶなんて、無理っ!)
心の中で私は叫んだ。
「君を選んで正解だった」●西原ななみ
どんなに心の中で叫ぼうとも、もう遅かった。
私はまずメガネからコンタクトに変えるように指示された。昔はコンタクトだったけれど、数年前に何となく面倒でメガネにしてしまった。久しぶりにコンタクトをつけると、視界がぐんとクリアになった気がした。
続いて白いレースがふんだんにあしらわれた、けれどどこか大人っぽくもある「白雪姫」ドレスを着て、その上からローブを掛けて、ヘアメイクをしてもらった。プロのメイクさんは慣れた手つきで私の顔を、自分では見たこともない垢抜けた顔にしてくれた。髪も、指が10本しかないことが信じられないぐらいの器用さで、手早くまとめていった。
「わ、ぁ……」
ヘアメイクを終えた私は、鏡の前で思わず声を漏らしてしまった。まさか自分がこんなふうに変身できるなんて。 そりゃあプロのモデルさんたちにくらべれば見劣りはするけれど、でも私が今まで生きてきた中でいちばんキレイな私だった。
ヘアメイクさんに付き添われてスタジオに入ると、高見さんがいた。高見さんは私を見ると、嬉しそうに目を大きく開いた。
「中身の良さが外に表われ始めたね。恋をすると女性はきれいになる。内側もイキイキとしているのが外見からわかるよ。野暮ったいなんて言ったけれど、一皮剥けたね。君を選んで正解だった」
本当なのか、私の気分を盛り上げてくれるためのお世辞なのかわからないけど、高見さんはてらいもせずにひたすら褒めてくる。私はといえば照れて赤くなることぐらいしかできなかったものの、それでもやはり気持ちがうきうきしてきた。
だけど、それも撮影が始まるまでのことだった。
いざカメラを向けられると、私は笑顔をきちんとつくることができず、ポーズもぎこちなくて、カメラマンに何度もダメ出しをされた。高見さんは「気にしなくていいよ、マイペースで」と言ってくれた。でも、後ろのプロモデルさんたちもヘアメイクさんも、うんざりしているように見えてしょうがなかった。
早く帰りたい。でもこのまま帰るわけにはいかない。何とかして結果を出さないと……。
(やっぱり私みたいな素人がモデルなんて受けちゃいけなかったんだ……)
休憩時間、楽屋に戻ると、溜息とともに何げなくスマホをチェックした。
洋輔さんからメールが届いていた。洋輔さんは今、サンフランシスコにいるらしい。メールにはカラリと青い空と海の写真が添付されていた。
<今ごろちょうど撮影をしているのかな。自分を見失わないように、落ち着いて>
僕と話をしているつもりにでもなって気を紛らわせればいいよ……少し前に受け取った洋輔さんのメールを思い出す。
そうだ、高見さんが求めている私は、いつもの私なんだ。無理にモデルっぽく振る舞おうとする私じゃない。
スタジオに戻ると、撮影が再開された。
私はあの日――手をつないで歩いた日の洋輔さんがそこにいるかのような笑顔を、カメラマンに向けた。
「君の魅力に気づかないなんて」●西原ななみ
撮影はあっという間に終わった。うぅん、終わったときにはもう夜になっていたから、本当にあっという間ということはなくて、私がそう感じただけだ。
私はとにかく必死だった。白雪姫も、その次のかぐや姫も。
撮影が終わってスタッフさんたちにお礼を言い、高見さんと一緒にスタジオを出た。高見さんが車で家の近くまで送ってくれるという。高見さんなら信用できるし、疲れていたので、好意に甘えることにした。
「本当に素晴らしかったよ。メイクも雰囲気も僕の好みに仕上げてもらったんだけど、こんなに理想と一致する女性はいないと思った」
高見さんは相変わらず大袈裟なぐらいに私を褒めてくれる。きっと労わってくれているのだろう。
「西原さん、今度2人で食事にでも行かないか?何でも好きなものをご馳走するよ。今日のお礼」
「お礼なんて……私だっていい経験をさせてもらったと思っているし、気にしないで下さい」
「そうしないと気が済まないんだ。もちろん、いやじゃなければだけど」
「いやだなんて……」
労わってくれるのを断るのも悪い。
「じゃあ……お願いします」
私は素直にお誘いを受けることにした。洋輔さんのことがふと思い浮かんだが、高見さんは別に私を一人の女性として意識しているわけじゃないだろう。普段、私なんかよりもっとずっとキレイなモデルの女性たちと接する機会もあるのだし。
店のチョイスを高見さんにまかせると、彼は和風創作料理のお店を予約してくれた。
翌週、私は最寄りの駅で高見さんに拾ってもらい、一緒にその店に行った。
部屋は個室だった。高見さんはさっそくおすすめの料理と日本酒を注文した。
お猪口にお酒を注ぎ合い、乾杯する。私はお酒はあまり弱いほうではないけれど、それでもこんなときに酔ってはいけないと思い、水と交互に慎重に飲んだ。
「それで、西原さんの恋人はどんな人なの?女性をこんなにきれいにするなんて、同じ男として興味がある」
「恋人……じゃないんです。その、私は少しずつ惹かれているんですけど、相手が私のことをどう思っているのか、あの、まだ……はっきりしなくて。嫌われてはいないと思うんですけど」
「そうなんだ」
高見さんは本当に驚いているようだった。
「君の魅力に気づかないなんて、ダメな男だね。こんな素敵な女性を放っておいたら、すぐに別の男に取られてしまうのに」
「もう、冗談はやめて下さい」
「冗談じゃないよ。本当にそう思っている」
高見さんが私を見つめる。私は何だか恥ずかしくなって、目を逸らした。
その後私たちは仕事や趣味、お互いの交友関係のことなど、あたりさわりのないことを話して別れた。高見さんはまた私を送ってくれた。
数週間後、高見さんから写真のデータが送られてきた。
私はそのデータをすぐに洋輔さんに転送した。この撮影は洋輔さんのアドバイスがあったからこそ成功したといっていい。いちばん最初にお礼をいいたかった。
洋輔さんは、着物の写真が気に入ったと返事をくれた。
<いろんな国に行く仕事をしているからね、着物姿って新鮮に見えるんだ>
洋輔さんの顔を見て直接その言葉を聞きたかったなと、メールを見ながら思った。
「正直―― かわいかった」●高木洋輔
ななみさんの写真は、正直――かわいかった。
ふわふわとしたドレスもよかったけど、着物のほうはさらに新鮮で、これがもしポスターになって空港に貼られていたりしたら、もしかしたら足を止めてしまうかもしれない。僕がとくに着物に愛着を感じていることは差し引いても。
だから、次の休暇にななみさんと会えるのは、ちょっと楽しみだった。
日本に戻り、丸1日たっぷり寝て時差ぼけを解消した翌日、ななみさんと会った。
ななみさんは前に会ったときと雰囲気が少し変わっていた。
メイクや服こそ違うものの、見せてもらった写真からそのまま抜け出してきたようで、あの撮影で一皮剥けたのだろうと思った。
(何だか少し悔しいな)
僕のアドバイスのおかげでうまくいったのだとななみさんは言ってくれたが、それでも自分が直接関係していないことでななみさんがきれいになったことが、なぜか、わずかに複雑だった。
「聞いていなければななみさんだってわからなかったかもしれない。女性ってホントわからないなぁ。どうしたら今の君がこうなるんだろう」
ななみさんに残りの写真をスマホで見せてもらいながら、悪戯っぽく彼女の頬を指でちょんとつつく。そんな自分が、ひどく子供じみている気がした。
「もう、きれいになったね、とか言えないんですか」
ななみさんがぷぅっと頬を膨らませる。
馬子にも衣装ってところかな、そう言おうとしたとき、一緒に眺めていたななみさんのスマホがメールを受信した。
べつに見ようと思っていたわけではないけれど、タイトルと最初の数行が表示される設定だったので、モデルの仕事の関係者からのものということは察せられた。
ななみさんはすぐに非表示にしたが、僕はしっかり見てしまった。
<件名:残りの写真を送ります
西原さん、本当にきれいになったね。もちろん女性としてという意味だよ>
僕は、メールの向こうにいる誰とも知らない男性に対して遅れをとっているような気がしてならなくなった。
いつまでもこんなことをしていたら――取り返しのつかないことになってしまうのではないか。
これは負けん気なのか、それともななみさんへの執着なのだろうか……。自分でもよくわからない。こんな気持ちになったのは、初めてだ。
「きれいになったね」
僕は自分でも驚くぐらい、自然に口にしていた。
意外だったのか、ななみさんは自分で言っておきながらきょとんとしている。
「そんな……私が言ったからっていいんですよ、無理しないでも」
「嘘じゃない。自信を持っていい」
「そんなの……」
「本当だよ。キスしたいぐらい」
冗談のつもり、だったと思う。けれどうまく笑えなかったから、ななみさんはそうとは受け取らなかったかもしれない。
彼女は目を大きく開いて硬直していた。その顔が、みるみる赤くなっていく。
「キスされるかと思った」●西原ななみ
「ごめん、変なことを言って」
洋輔さんは目を逸らした。
私は自分の顔が赤くなっていくのを感じていた。
キスしたいぐらい、なんて冗談だとわかっていてもつい想像してしまう。私たちはしばらく黙りこんだ。
「あのね……」
しばらくすると、洋輔さんがぽつり、ぽつりと話し始めた。
「キスしたいぐらい、は変なことだったかもしれないけど、きれいだと思ったのは本当だよ。 僕は君といると落ち着けるしほっとするんだけど、だからこそ今までとは違う君を見て、少し驚いてしまったというか……」
「あ、はい……」
私はうなずくことしかできない。もちろん嬉しいのだけれど、「キスしたいぐらい」の衝撃がなかなか去っていかない。
「君にはもっといろんな面が隠れているんだろうね」
洋輔さんが私の顔に向けてそっと手を伸ばす。そのままするり、とメガネをはずした。
「メガネをはずしただけでもだいぶ印象が変わるし……」
私の顔を覗きこむ。
とっさに後ずさった。
顔が、あまりにも近かったから……キスされるかと思った。
洋輔さんの顔が、少し悲しそうに歪む。
私たちはまた黙ってしまった。
洋輔さんのことは嫌いじゃない。どちらかといえば、ううん、どちらかじゃなくても、かなり気になっている。 ほかの男性と同じような目では、もう見られない。洋輔さんも私のことを悪くは思っていないだろう。 一緒にいると落ち着ける、ほっとするなんて言ってくれるのだから。
だったら、私たちはそろそろ先に進むべきなのかもしれない。でも、
(どうしたらいいのかわからないよ……)
恋愛経験の少なすぎる私は、ここから何をすればいいのかわからない。 洋輔さんももしかしたら戸惑っているのだろうか。 自分が天然Sだということを自覚したばかりに、一歩踏み出すに踏み出せないのかもしれない。
「ごめん」
洋輔さんが呟く。
その後、私たちはドライブをして、別れた。次に会う約束もしたけれど、二人ともどこかぎこちなかった。
数日後、高見さんからもう一度誘いを受けた。一緒に食事をしたとき、ミュージカルを見るのが好きだと話したのだけれど、私が興味のある公演のチケットが手に入りそうだという。
でも何となく気乗りしなくて、先延ばしにするような返事をした。
その夜、私は鏡の向こうのもう一人の私に呼ばれた気がした。
吸い込まれるような感覚があってからというもの、その鏡には近づかないようにしていた。でも強く呼んでいるようだったし、私もこのモヤモヤを話して、できれば相談に乗ってほしかった。
あちらの私は嬉しそうに、加藤さんに告白されたことを報告してくれた。
「えっ、本当に!?」
一瞬、モヤモヤが吹き飛んだ。自分のことみたいに嬉しい。自分なんだけど。
「じつは私も話したいと思っていたんだ。私……高木さんと……」
そのとき、体がねじれるような感覚に襲われる。ひどいめまいがした。
鏡に、吸い込まれていく。怖くなって目を閉じた。
――どのぐらい経っただろう。目を開けると、そこは私の部屋だった。
でも、さっきまでいた私の部屋じゃない。
ベッドの上にあったスマホを取り、ロックを解除する。洋輔さんや高見さんではなく、加藤さんとメールをやりとりした記録が残っていた。
(どうしよう……)
申し訳ないとは思いつつ、メールを確認させてもらった。自分のこれからの行動の指針を決めるためにも、こちらの世界が今どうなっているのか詳しく知っておきたい。
どうやら加藤さんは今入院していて、この週末にもう一度お見舞いに行くことになっているようだった。私は……
あらすじ
取引先の社長、高見に「野暮ったいくらいの子がいい」と言われて、
モデルをすることになってしまったななみ。
楽屋へ行くとプロのモデルたちもおり、
その雰囲気に圧倒されてしまったが、もう後戻りはできず…。