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官能小説 パラレル・ラブ ストーリーB 〜洋輔編〜 シーズン11


「決意を胸の中で 繰り返した」●西原ななみ

「ひとつだけ、気をつけてほしい」

眠る洋輔さんを前に、カミサマが言う。

「行く手に危険を感じたら、無理に前に進んではいけない。意識の持ち主である彼はいいが、君の場合、飲みこまれたら戻ってこれなくなるかもしれない」

「戻ってこれなくなったら、どうなるの?」

尋ねると、カミサマは「それは……」と目を逸らした。それでだいたいわかった。つまり死ぬか、それと同然の状態になるということだろう。

でも、ここまで来て行かないという選択肢を選ぶことはできなかった。 だって洋輔さんのいない世界で生きるなんて、今の私にとっては死んでるみたいなものだから。

「わかった、気をつけます」

うなずくと、カミサマは安心してくれたようだった。

「では、いくぞ」

いわれるが早いか、意識がすぅっと遠ざかっていく。

(どんなことがあっても、彼を目覚めさせてみせる……!)

それでも私は、決意を胸の中で繰り返していた。

気がつくと私は、誰かの子供部屋らしきところにいた。
壁に貼ってある新幹線やアニメヒーローのポスター。本棚には子供向けの百科事典。
そして目の前には、子供用の学習机がある。

そこに座って、黙々と勉強をしている後ろ姿……今とどこか似ている雰囲気ですぐにわかった。これが子供時代の洋輔さんなのだと。

話しかけようかどうか迷っていると、洋輔さんのほうが振り向いた。 目を大きく見開いて、驚いている。

「いつからそこにいたの? というか、あなたは誰?」

いくら意識の中の世界だとはいえ、こんな状況で後ろに人が立っていたら驚くのは当たり前だろう。私だったら飛び上がっていたかもしれない。

子供時代の洋輔さんは、今の面影を残していながら可愛らしかった。賢そうだけど、そういった子にありがちな生意気そうな感じもない。
睫毛が長くて、それが大人になった彼に残っていないのが少し残念な気がした。

誰、と尋ねられ、自分の正体を伝えようか瞬間的に考えを巡らせた。相手は賢そうだといっても子供だ。私はあなたの意識の外から来たあなたの婚約者なの、なんて言って通じるだろうか。
……大人でも通じないだろうけど。

「ご、ごめんなさい。私、なぜかここに迷い込んでしまったみたいで……」

かなり不自然な言い訳ではあったが、洋輔さんは「ふぅん」とあっさり信じた。

「まぁ、いいよ。勉強の邪魔をしないでさえくれれば」

「あ、う、うん。ごめんね」

洋輔さんはまた机に向きなおってしまう。それほど勉強が好きなのだろうか。

少し離れて改めて周囲を見渡すと、ドアがあった。
外に出たら何か手がかりになるものが見つかるかもしれないと、近づいてドアノブを回そうした。

が、開かない。鍵がついているわけでもないのに、ぴくりとも動かない。

「あぁ、それ、閉まっているんだ」

私の行動に気づいた洋輔さんが振り返った。

「勉強が終わったら開けてあげるよ」

 

今、開けてもらわないといけない理由もないので、そう言うのなら待っていたほうがいいのだろう。

「わかったわ」

私は壁際にあったベッドに腰かけた。

なんだか体が重い。ひどく疲れている。つい、横になってしまった。
眠りの淵に、体が、落ちていく……

「あなたにもいつか 大事な人ができる」●西原ななみ

視線を感じて目を覚ます。
ベッドの脇に、洋輔さんが立っていた。じっとこちらを見下している。

「ご、ごめんなさい。あなたのベッドで勝手に眠ってしまって」

慌てて半身を起こす。洋輔さんは何もいわない。

「なに……?」

何だか居心地が悪い。

「……気のせいかもしれないけど、僕、あなたとどこかで会ったことがある気がするんだ」

息を呑む。もしかしたら洋輔さんは、気づき始めているのかもしれない。
ひょっとしてチャンスなのだろうか。ここで打ち明けるべきなのだろうか。

だが、迷っている間に洋輔さんはベッドを離れ、また勉強机に向かって座ってしまった。

ノートのページをめくり、鉛筆を持つ。しかし、その手はなかなか動かない。こちらを気にしているのが、肩や腕の動きからなんとなく伝わってくる。

「あのさ……」

ついに洋輔さんは振り向いた。

「他人の部屋に来て寝てしまうなんて、僕がドロボーとかだったらどうするの?少し緊張感が足りなさすぎるんじゃない?」

呆気にとられた。

やっぱり洋輔さんだ。子供のころから洋輔さんは洋輔さんだったんだ。

思わず笑ってしまいそうになったが、すんでのところで押さえた。そんなことをされたらきっと気を悪くするだろう。
同時に私の胸にはある考えがひらめいていた。

洋輔さんは私を好きになった最初のきっかけとして、「人を傷つけるような言い方をしてしまったときに、ちゃんと抗議してくれたこと」だといった。で、あれば……  

私は洋輔さんに向きなおった。

「あのね、あなたの言うことは正しいと思う。でもそんな言い方をされたら傷つくわ」

「でも、正しければそれでいいじゃないか」

「正しければそれで全部解決するわけじゃない。あなたは頭がいいんだから、正しさの伝え方も考えてみてほしいの。そんな言い方ばかりしていたら、いつかいろんな人を傷つけてしまう。あなたの大事な人も……」

「大事な人?」

「そうよ。あなたにもいつかそういう人ができるの」

洋輔さんはじっと私を見つめていた。私もその目を逸らさず受け止める。少しでもいいから、思い出してくれればいい。心にざわつきが生まれてくれればいい。

「……ふぅん」

しかし洋輔さんは、また机のほうを向いてしまった。何を思ったのかは、よくわからなかった。 仕方がない。また次の機会を待とう。気づかれないように小さく溜息をつく。

しばらくすると洋輔さんは、勉強をしながらも窓の外を気にするようになった。ときどき、ちらちらと視線を投げかける。集中力が途切れてきたのだろうか。

「気分転換に外に行かない?」

私は洋輔さんが横を向いたタイミングで声をかけてみた。

「まだ勉強が終わってない」

洋輔さんは素っ気ない。

「じゃあ、ドアだけ開けてくれない? 一人でそのあたりを散歩したいの」

じつをいうと、私自身も退屈しきっていた。

「……わかったよ」

浮かない顔をして、洋輔さんが立ち上がる。勉強を邪魔された不快感からの表情だろうか。悪いことをしてしまった。

洋輔さんは、ドアノブに手をかけた。

「二人で 乗り越えていこう」●西原ななみ

開かないドア

しかし、ドアは開かない。

「あれ? ……あれっ」

洋輔さんは焦った様子でドアノブをガチャガチャと回すが、どうしても開かなかった。

「ちょっと、私にもやらせて」

洋輔さんが手を離したタイミングでドアノブを握った。少し力を入れると、

「……えっ」

ドアはあっさり開いた。

「どういうことだろう」

そのままドアを押して、外に出ようとする。だが、そのとき、

「やめて!」

洋輔さんは叫ぶや否や、ドアノブを掴んでまたドアを閉めてしまった。
バタン!と大きな音が響く

「どうしたの?」

いつの間にか真っ青になっていた洋輔さんを覗きこんだ。息も少し荒くなっている。

「……理由がわかったんだ。ドアが開かなかった理由。思い出した」

絞り出すような声だった。

洋輔さんは私を窺うように視線を上げる。その不安そうなまなざしに、私は大きくうなずいてみせた。
大人びた言動をとろうとするが、やはりまだ子供なのだと感じる。

「僕が、その……僕が怖がっているから。だからドアは開かなかった」

「怖い?」

歯を食いしばっているのがわかる。そんなことをいわなければならないのが悔しいのだろう。でもひとりでは抱えきれなくて、誰かに打ち明けなくてはいられないのだろう。

「……ここから出なければ、どこにも行けないってわかってる。でも、外は怖いんだ。見たこともないものや人に会って、それで……自分は本当はダメな奴なんだと突きつけられるのが、怖い」

語尾がだんだん小さくなっていった。うつむけた顔が赤くなって、握りしめたこぶしが小刻みに震えていた。自分への怒りを、小さな体いっぱいに膨らませている。

それは子供の洋輔さんというよりは、今はもう大人になった洋輔さん自身がいっているように、私には思えた。

このドアを開けて外に出れば、洋輔さんは目を覚ます。そう直感した。

「大丈夫よ、私が一緒にいてあげる。だから外に出てみない?」

微笑みかけると、洋輔さんははっとした様子で顔を上げた。

「どんなことでも一緒に受け止めてあげるから。二人で乗り越えていこう」

洋輔さんはじっと私を見つめる。口がわずかに動いたが、何も言葉は出てこなかった。

私は続けた。

「傷つくのが怖くても、進まないといけないときがあるの。私はあなたに、あなたをとても好きで、あなたとずっと一緒にいたいと思っている人のところに辿り着いてほしいの。この先にはその人がいて、あなたの帰りを待っているのよ」

洋輔さんは再びうつむく。

私は洋輔さんの意志を尊重することにして、それ以上は何もいわなかった。無理に畳みかけていい結果になるとはどうしても思えなかった。

しかし、洋輔さんは言った。

「……行こう」

自分からドアノブに手をかける。

「行かなくちゃいけないって、わかってるんだ」

ドアノブをまわす。

ドアが、開く。

その先の光景を見て、私は唾を飲みこんだ。  さっき一瞬だけ見えた廊下の風景とは違う、黒々とした闇。

しかし目の前に一本だけ、細い、細い道が伸びていた。闇にかき消されそうになりながら。

子供に戻った今の洋輔さんと、現実の世界にいる洋輔さんをつなぐ道、なのだと思う。思うだけで、本当はどこにつながっているのかよくわからない。

でも道はこれしかない。

足がすくんだ。横を見ると、洋輔さんも唖然としている。 でも、私は言った。一緒にいてあげる、二人で乗り越えていこう、と。

「行こう」

私はがんばって笑って、一歩踏み出した。

「将来、 お嫁さんになって」●高木洋輔

この人を、ひとりで行かせるわけにはいかない。
そのときの僕がまず思ったのは、それだった。

一人だったらきっと、部屋の中に戻っていただろう。

僕たちは手をつないで歩き出した。

強く握り合ったお互いの手に、お互い勇気をもらっているような気がした。

細い道を踏み外したりように、気をつけてゆっくり進む。闇は距離感なんてまるでなくて、はずれたらどうなるのかまったく見当がつかない。

突然、彼女の体ががくんと大きく沈んだ。

「どうしたの?!」

驚いて足元を見ると、彼女の片足の膝から下に、闇が生き物のように絡みついていた。

「くそっ、離れろ!」

手で追い払おうとしたが、闇はさらににじり上がってくる。不思議なことに、僕には近づいてこない。

「きゃっ!」

絡みついた闇は、彼女を道の外に引っぱりだそうとしている。

「一度部屋に戻……」

振り返って、唖然とした。ドアが影も形もなくなっている。一本の細い道が、たよりない細いチューブのようにどこまでも伸びているだけだ。

「ちくしょう!」

だが、絶望している暇はなかった。

彼女を奪おうとする闇は、今や腰のあたりまで彼女を捕えていた。その体は道の外に向けてずるずると引きずられていく。

守らないと。奪い返さないと。……だけど、あぁ、僕はなんて無力なんだろう。彼女の手を引く力は情けないぐらい弱い。子供の体では、抱きかかえて走ることもできない。

もっと大きくなりたい。もっと大きく、強く。

……あれ? 僕はすでに、十分に大きくなっていたのではなかったか?

何かが脳裏に浮かびかけ、すぐに消える。それを追っている暇はない。
縋りついた僕の奮闘も空しく、闇はついに胸まで広がっていた。

彼女の体がふわりと浮いた。もはや彼女の体は闇が支配していた。

……もう、だめだ。

「覚えていて」

彼女は悲鳴をあげることもなかった。不思議に、あまり怖がっていないように見える。

「あなたが壁にぶつかったとき、必ずヒントを与えてくれる人はいるから。だから周りの言葉によく耳を傾けて、あなたの人生はあなたが決めるのよ」

そう僕に必死に伝えようとしながら、闇に捕えられ、消えゆこうとしている。

「ななみ!」

僕は、叫んだ。

その名を、やっと思い出した。

「帰りを待ってくれているのは、この人だ」ということも。

ななみは、僕が守る。

もとの大きさに戻った体で闇に飛び出し、ほとんどかき消えていたななみの体を抱きかかえる。
確かな質感とぬくもりが、あった。

目が覚めると、病院のベッドにいた。 横にななみがいて、こちらをじっと見て微笑んでいた。

頭がぼんやりしている。何が起こって病院にいるのか、よくわからない。

だが、いちばん最初にやるべきことはわかっていた。

手を伸ばして、ななみをしっかり抱きしめた。自分の腕の長さやついている筋肉に、なぜか安心感を覚える。
ななみのぬくもりが伝わってきた。なんだかついさっきまで感じていたような気もする。

「ななみがそばにいてくれて、うれしい」

そんな言葉が、正直に出てきた。

抱きしめているうちに、さっきまで見ていた夢を少しずつ思い出した。

「よく覚えていないけれど、子供時代の夢を見ていた。夢の中で、ななみに似た人に会ったんだ。とても優しくて、あたたかい人だった」

「そう……よかったね」

ななみは腕の中で答えた。声が涙声になっていた。

「本当はずっと、その人に『将来、お嫁さんになって』って言いたかったんだ。だからあれはななみだったのかもしれない」

背中が動く。笑ったのだろう。

「……戻ってこられないかと思った」

ななみが呟いたことの意味がわからなかったので尋ねたが、ななみは何でもないと答えた。

顔を上げて、彼女は言った。

「お帰りなさい。よかった……戻ってきてくれて、本当によかった」

「いよいよ結婚が 秒読みになった」●西原ななみ

いったい自分に何が起こったのか洋輔さんに聞かれて、「世界がひとつになった衝撃で昏睡状態に陥っていた」と話すと、ずいぶん驚いていた。それはそうだろう。

意識を閉ざして心を子供時代に戻してしまったことや、私がそこへ連れ戻しにいったこは伝えなかった。いわれても、バツの思いをするだけだろうから。
夢だと思っているのだとしても、ぼんやり覚えてくれているのならそれでいい。

私はずいぶん後になって、なんて危ないことをしたんだろうと改めて青くなった。

カミサマはこう言っていたのに。

「行く手に危険を感じたら、無理に前に進んではいけない」

ドアを開けて暗闇を前にしたとき、私は確かに危険を感じていた。
だけどそのときは、カミサマの言葉をすっかり忘れていた。とにかく洋輔さんを連れ出したい一心だった。
闇に飲みこまれそうになったときも、洋輔さんに弱いところは見せられないと思ったら自然と怖くなくなった。

洋輔さんが私のことを思い出してくれなかったら、今頃どうなっていたか……考えるだけでぞっとする。

それから少しして、洋輔さんのご両親に挨拶に行き、私の実家のそばに先に新居も借りて、いよいよ結婚は秒読みになった。

双子になった私ともうひとりの私は、「なな」と「なみ」という名前になっていた。私は「なみ」だ。
私たちはしばらくの間、「何だかおかしな感じ」「なかなか慣れないよね」などと笑い合った。洋輔さんと直紀さんだけは、相変わらず「ななみ」と呼んだ。

カミサマは自分の役目は終わったとして、去っていった。

ある日の夜、ひょっこり部屋に現われたかと思うと、私と洋輔さんの前で突然別れの言葉を述べ始めた。

「最初はどうなることかと思ったけど、何とかなってよかったよ。君たち4人の強さと、それから木崎ユリや高見遥のおかげだな」

その二人にも連絡しようかと気をきかせて言ってみたが、その必要はないとのことだった。

後日知ったことだけれど、同じ日、同じ時間にユリさんも高見さんもカミサマに会ってお礼をいわれたという。カミサマはやっぱり神様だったんだと、最後にまた実感した。

カミサマはベランダから無造作に入ってきて、そしてまた無造作に出ていった。私たちが慌てて追いかけてベランダに出たときには、さっき出たばかりのはずの彼の姿はもう消えていた。

カミサマによると、みんなのカミサマについての記憶はゆっくりとなくなっていくらしい。
少し寂しかったけれど、それが自然なことだと彼は言った。

私と洋輔さんは、ある計画を立てていた。

「結婚式が終わったら、ダブル新婚旅行をしよう」。

義兄弟になる洋輔さんと直紀さんに親交を深めてもらうために、そして私たちみんながそれぞれのことをもっとよく知るために、みんなでゆっくり旅行に行こう、と。

「どこがいいかなぁ」

私たちは旅行雑誌を買い集めてきた。


⇒【NEXT】「もう我慢できない……ななみがほしくてしょうがない」(パラレル・ラブ スストーリーB 〜洋輔編〜 ラストシーズン)

あらすじ

『洋輔を必ず目覚めさせる』その決意を胸の中で繰り返すななみ。気が付くと誰かの子供部屋らしきところにいて…。

松本梓沙
松本梓沙
女性向け官能、フェティシズム、BLなどを題材に小説、シ…
poto
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毎日小説「夜ドラ」の挿絵も担当。書籍、ウェブ、モバイル…
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