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官能小説 恋欠女子とバーチャル男子 Story10〜失恋〜


千由美が打ち明けた悩み

失恋して数年たちますが、彼のことを忘れられず、貰ったアクセサリーなども捨てられません。

どうしたらけじめをつけて前進できるでしょうか。

***

彼女の悩みにアイはどう答える…!?

…別れてほしい

彼にふられたのは、突然だった。

「ごめん、千由美(ちゆみ)。俺、ほかに好きな人ができたんだ。……別れてほしい」

 2年以上付き合った相手だった。
告白してきたのは彼からだったけれど、いつの間にか私のほうがより強く彼のことを好きになっていた。

 少し前から様子がおかしいとは感じていた。
メールの返事が遅かったり、時間には正確な人だったのに約束に遅れてきたり。でも、追及したりはしなかった。
危機感がなかったというよりも、人間なんだからそんな時期もあるだろうと軽く受け流していた。ううん、そんな考えが意識に上ることすらなかった。
信じていたというよりは、愛し、愛されることが日常になっていた。

「いきなりそんなことを言われても……」

 別れを突きつけられた喫茶店で、周りに目があることも忘れて泣いてしまった。
あまりにも急なことに、自分の気持ちを制御できない。

 心の準備ができていなかったのは、私だけだった。
彼のほうはもう、新しい彼女と新しい生活に向けて、私と過ごした時間を過去のものにしていた。
私は未練たらしく――唐突別れを切り出されたらほとんどの人がそうなると思うけれど――、やり直してほしい、せめて話し合ってほしいと何度もお願いした。

彼は一方的に連絡を絶った。
電話を着信拒否にして、メールも受け取らないようにした。

 あんなに愛し合ったのは、何だったんだろう。
この人しかいないと思った恋を、こんなにあっさり切り捨てるこの人は何なんだろう。

 もう少し気力や体力があったら、もしかしたら私はストーカーになっていたかもしれない。
もう一度だけ話し合ってほしい、それだけを願って、彼の家や職場にまで訪れていたかもしれない。

 しかし私は幸いにもというか、すっかり疲れ果てて動けなくなってしまった。
ちょうどその頃は仕事が忙しかったこともあって、失恋の痛みを抱えたまま日々をやり過ごすのが精一杯だった。

 その代わり、痛みは長く続いた。

***

(もう3年も経つんだ)

 会社から帰宅する電車の中で、私はそっと溜息をついた。

(付き合った時間より、別れた後の時間のほうが長くなっちゃったな)

 彼とはあれから連絡がとれないままだった。
でも、一日だって忘れたことはない。

失恋した直後に比べれば、痛みは減った。
けれどもそれは、正確にいえば痛みの種類が変わったに過ぎなかった。
皮膚を切り裂くような鋭い痛みだったのが、重く疼くような痛みになった、というだけ。

 ケジメをつけて進まなければと思うけれど、もらったアクセサリーさえ捨てられない。
胸のどこかにまだ「もしかしたらやり直せるのでは」という期待もある。
そんな期待に賭けてもいいような兆候は、現実にはまったくないのに。

(ん、アイ?)

 スマホでぼんやりネットサーフィンをしていた私は、不思議なサイトを見つけた。

『アイがあなたのお悩み解決します』

 人工知能の「アイ」がその人の悩みに合わせた姿で現れて、悩みの解決に力を貸してくれるという。

(本当にそんなことがあるのかな)

 帰宅後、半信半疑ながらもダウンロードしてみることにした。
いつまでもうじうじ悩んでいる自分に嫌気が差したのもある。
何か新しいことを取り入れれば、ほんの少しでも気分が変わるのではという淡い希望があった。

 果たして、「アイ」は本当に現れた。

「君が、千由美か」

 スラリとした長身に、紺色のフレームの眼鏡。
その奥で切れ長の目が光っている。見るからに知的だが、同時に冷たい印象もあった。
顔立ちが整いすぎているせいだろう。

「私は、アイ。これから君の悩みを解決する。よろしく」

 ニコリともせず、アイは人差し指でメガネをくいと押し上げた。

***

「無理に忘れることはない」

 というのが、アイの「見立て」だった。

「昔があるから、今がある。
別に焦ることはない。前を向くには時間が必要で、その時間は人それぞれだ」

 少しだけ気持ちが楽になる。
前進しなきゃ、変わらなきゃとずっと焦れていたから、そのままでいいといわれて、今の自分を否定されずに受け入れてもらえた気分になれた。

 だが、続きがあった。
アイの口調は、少し鋭くなった。

「しかし、私が出てきたからには、その時間のあいだ何もしないでいるという選択肢はない。君のために対策を考えてみた。まず、引越しをする金銭的、時間的な余裕はあるか?」
「いえ、ないです……」

 ちょ、ちょっと待って。時間はともかく、いきなりお金とか何ごと?
 ひょっとして詐欺か何かにひっかかってしまったのだろうか。

「仕方がないな」

 また、メガネをクイ。

「では、模様替えで環境を変えようか。最初はカーテンがいいだろう。部屋の中でもかなりの面積を占めるからな。それから、リサイクルショップのものでいいから、服の趣味も変える。髪もバッサリ切ろう。ショートカットはどうだ?」
「え……えっ?」

 アイはどんどん店の検索を始めてしまう。
彼が触れているわけでもないのに、スマホの画面が次々と切り替わっていった。

 目を白黒させていると、彼は私の頬を両手でそっと包んで覗き込んだ。
冷たくも澄んだ目にドキリとする。

「気持ちを変えるには、まず環境や外見から。意志の力では、気持ちは変わらない」
「う……」

 自覚はある。
そもそも前向きになりたいと思うだけでなれていたら、この人は今、私の前にはいない。

「元彼関連のものは箱に入れて目に付かない場所にしまっておけ。未練がなくなったときに、箱ごと捨てればすむ話だ」

ビシバシ指示されるのは驚きもつらさもある反面、こんなふうに引っ張ってもらわないと、確かに何もしなかっただろうとも思う。

(私のこと、わかってるなあ)

 そう感じざるを得なかった。

「まあ、それだけ想える素敵な人と出会えたのだから、また良いご縁があるだろう」

 アイは私の頬から手を離すと、目を逸らしてぽつりと言った。
心なしか恥ずかしそうにも見えた。

***

 アイは、カーテンや服の買い物にも付き合ってくれた。
色やデザインについて、アドバイスもしてくれた。

 本物の男性ではないとはいえ男性に見えるアイと一緒に外出することは、ときめきをよみがえらせてくれた。
タイプではないけれど、気を抜いたら好きになってしまいそうで怖い。相手はバーチャルな、0と1でできた存在なのに。

(好きになる前に、彼氏を見つけなきゃ)

 ひそかに誓った。

 アイは、日記を書くことも勧めてくれた。

「日記というと堅苦しいかもしれないが、思いついたことを、思いついたときに書き留めるようなものでいい。もちろん、一日の最後にまとめるのでも構わない。自分の中に現れてくる思いや感情を、書き出してみることが大事なんだ。文章にすると心の中が整理されるから、今、自分はどうしたらいいのか、自分は本当は何がしたいのか、指針にするものを見つけやすくなる」

 文章を書くのが苦手と言うと、少し高価なノートときれいなインクのペンを買うようにと言った。これは効果てきめんだった。
きれいなノートにきれいな色の文字が埋まっていくのがうれしくて、飽きることなく書き続けることができた。

 気づいたことは何でも書くようにしていると、客観的に自分を見つめられることに気づいた。どんなものを好きだと感じ、どんなものに感動するのかがわかって、自分をいい気分にさせてあげることがたくさん見つかった。

 たとえば、今まで私は一人で何かするのは嫌いだと思っていた。
でもそれは、まわりから「誰にも相手にされない寂しい人」だと思われるのがイヤだったのだ。
こんなふうに一人でじっくり何かを楽しんだり、内面に向かい合ったりすることを、本当は望んでいた。

 カフェで孤独を楽しみながら自分のことを書き連ねるのが、お気に入りの時間になった。

「なんだか最近、明るくなったね」
「ショートカット、似合う。知的な感じだよね」

 周囲から、そんなふうに褒めてもらえるようにもなった。

あ、久しぶり……

「そろそろ、次の段階に挑戦だ」

 ある日、アイが言った。

「次の段階?」 「ああ。合コンでも婚活パーティーでも、ただの飲み会でも何でもいい。とにかく異性の目のある場所に行け。もちろん、今できうる限りのおしゃれをして」

 今までしていたこととはまるで違う。
さっぱり意味がわからなかった。

「いいか。お前は今、結構イケてる」

 アイは私の肩を掴んで……正しくはアイはホログラムだから掴むような仕草をしただけだが、真正面から見つめた。
アイにイケてるなんて言われると、やっぱりドキっとしてしまう。
アイのほうは顔色ひとつ変えず、いつも通りの冷たい目をメガネの奥で光らせている。

「お前自身だって、彼氏がいた頃はそう思っていたはずなんだ。自分はイケているという感覚を思い出すために、行くんだ」
「……わかった」

 私は頷いた。今まで半信半疑ながらもアイのアドバイスを受け入れて、結果が出ている。
いいアドバイスというのは、今までの自分の価値観にはそぐわないものが多いということが、その中でわかってきた。
だからみんな、せっかくもらっても活かしきれないのだ。自分を変えるということは、それまでの自分を壊すということでもある。
今までの価値観でいいか悪いか判断するのは、もうやめることにした。

少し恥ずかしかったけど同性の友達にお願いして、飲み会があったら誘ってほしいとお願いした。

誘ってもらいやすいよう、おしゃれや自分磨きを頑張るようにもした。
コスメで肌を磨いたり、髪のトリートメントの回数を増やしたり。
せっかく紹介してもらえた人との話題づくりのためにも、自分の将来のためにも、以前少しだけかじっていた英語の勉強も再開した。
うちの会社は外国にも支社があるので、英語ができると昇給や昇進にもつながる。

おしゃれについては、女友達の意見も取り入れるようにした。

「変なプライドは今は捨てろ。そもそもお前は、プライドなんて持てるほどの人間じゃないんだ」

 と、アイに言われたからだ。
キツいなーとは思ったけれど、その通りだと納得してしまったので頷いた。

 そのときのアイは、怒ったとも困ったともつかない顔をした。

「本当はこういうことを言われたら、怒るんだよ。プライドを持ってはいけない人間なんていない。そう思い込まされる人間がいるだけだ。素直なのはいいが、むやみに何でも手放すな。プライドを持てないと思ったら、どうしたら持てるようになるか考えて、努力するんだ」

 ともあれ、女友達はみんな協力してくれた。

その甲斐あって、少しずつ飲み会などに声をかけてもらえるようになった。

***

 いろんな男の人と知り合うきっかけができた。

最初は元彼と比較して「やっぱり元彼のほうがいい」と、悲しいような、がっかりしたような気持ちになった。
それもあって、話もうまくできなかった。

(でも、もう少し頑張ってみよう)

 新しい段階に入ったばかりなのだから、失敗するのは当たり前だ。
自分はダメなのだとすぐに決めつけるのはやめよう。

私は、話し方や簡単な心理学の本などを買って研究し、まずは笑顔でハキハキ話すことを心がけた。
内容なんて、今はなくてもいい。とにかく怖気づかず、言いたいことをはっきり、わかりやすく伝える。そこからだ。

 そのうち、リラックスしてお喋りを楽しめるようになった。
男性の中には英語の話題もで一緒に盛り上がれる人もいて、おすすめの学習法などを教え合った。

 だんだん、自分のタイプが変わっていったことに気づいた。
最初は元彼に似た、少し押しの強い男性が気になっていたけれど、今は一見気弱そうでも、「これ」といえる特技のある、落ち着いた人が好きになっていた。

押しの強さを求めていたのは、自信が足りなかったことの現れだったのかもしれない。
誰かに強く愛され、求められることは間違いなく自信になる。けれど、自分には最終的にはどうしようもできない、誰かの気持ちに縋るだけなのは危険だ。
自分が頑張りさえすれば手に入ることも、自信の種類の中には必要なのだ。

それでも、元彼とのメールを消去したり、思い出の品を捨てるまでは、まだ怖くてできなかった。

***

あるとき、友人と食事をしていると、その友人に連絡があった。

「今から飲み会があるよって誘われたんだ。千由美は知らない人だけど、もし興味があれば一緒に行かない?」

せっかくだから、ご一緒させてもらことにした。

 友人に続いて居酒屋の個室に入った私は、息をのんだ。そこには元彼の姿があった。

「あっ」 「あ、久しぶり……」

 知り合い? と友人に驚かれたので、「まあ、昔の」とお茶を濁した。

「せっかくだから隣に座ったら?」

そう促されたので、ありがた迷惑だと正直思いつつも、隣の席に腰かけた。

「最近、何をしていたの?」
「えと……とくに何も、これと言ったことはないかな。前と同じ仕事だし。千由美は?」

「私は……英語の資格をとろうかなって思って、勉強してる」
「すごいな」

 話しながら、心に乾いたものが広がっていくのがわかる。
3年前の私だったら、たったこれだけの会話でも泣いてしまうぐらい嬉しかったかもしれない。
今は、全然どきどきしなかった。

(この人とは、もう終わったんだ)

ただ、そう実感した。

飲み会の後、「もう少し一緒にいない?」と誘われたが、断った。

翌日、アイに頼んで思い出の品を捨てるところを見ていてもらった。
メールも消した。多分、アイがいなくてもやっていた。

ゴミ捨て場から部屋に戻ると、アイは改まったように向き直った。

「そろそろ、私は消える」

 突然のことだったけれど、心のどこかで、遠くない日にこんなことが起こるのではないかという気がしていた。
タイミングとしては、十分あり得ることだった。

「行かないで……!」

 とっさに腕を掴もうとしたが、手は空を切っただけだった。
そう、アイは、「存在しない」。

アイは単なるグラフィックでしかない手で、私の頭を撫でた。
当然、感触は何もなかった。

頭を撫でられる千由美

「お前はもう、私がいなくても大丈夫だ」

 それでも私は、アイの手のぬくもりを感じていた。

***

その後すぐに彼氏ができました……なんて夢のような話はなかった。

彼氏ができたのはその1年後だ。やっとできた、といっていい。
でも、この生活の延長線上にあったのは確かだ。続けていたから、結果が出た。

彼とは友達に誘われて参加したお見合いパーティで出会った。
そこでのビンゴゲームで意気投合して後日二人だけで会い、何度かの食事を経て付き合うことになったのだ。

お見合いパーティということで、私にも彼にも結婚願望があった。
私たちの付き合いは結婚前提で進んだ。来月からは同棲も始める予定だ。

あの日捨てたアクセサリーよりも、今の私にとっては素敵だと思える新しいアクセサリーもプレゼントしてもらった。
彼は買ったアクセサリーを、自分の手で私につけるのを好んだ。

そして今日は……指輪をつけてもらった。
左手の、薬指に。

「愛してるよ」
「私も、愛してる。これからもよろしくね」

 舌の芯や歯までとろけてしまいそうな、甘くて熱いキスを交わす。
私は指輪をした手で、彼の背中を抱きしめた。彼は私を抱きしめ返し、そのままベッドに押し倒した。

END

⇒【NEXT】あっと声を上げる間もなく、唇を唇でふさがれる。(恋欠女子とバーチャル男子 Story11〜マンネリ〜)

あらすじ

何年たっても別れた彼のことが忘れられない千由美。
そこに現れたアイはどうやって彼女を立ち直らせる!?

松本梓沙
松本梓沙
女性向け官能、フェティシズム、BLなどを題材に小説、シ…
poto
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毎日小説「夜ドラ」の挿絵も担当。書籍、ウェブ、モバイル…
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