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官能小説【12話】夢も欲も愛も飼い慣らして


助手席の憂い

送ると言われて車に乗り込む時、タクシーで送られるものだと思っていただけに桃花は驚いた。

「貴之さん、車持ってたんだ」

「ああ」

「知らなかった」

「飲む予定のある時には車は会社に置きっぱなしだ」

「ふうん。ちゃんとしてるんだ」

「当然だろ」

「まあね」

深夜の道路は空いている。夜のネオンのせいで星空は見えないけれど、何故だか桃花はそれが見えるような気がした。まだ体には甘い倦怠感が残っている。

本当に、自分たちの関係にはどんな名前がつくんだろう。

セフレ。

恋人。

パパ活。

ビジネス?

そこまで考えて桃花はふっと笑った。

もしかすると今日限りでこの関係は終わりかもしれない。あのデザインを出して、それで終わりかもしれない。

それ以前に、こんなのは貴之のお遊びかもしれない体の関係も仕事の関係もあったけれど、桃花と貴之はそれだけだ。明日から音信不通になったっておかしくもなんともない仲だ。

その不安定な場所に立たされて、桃花は言いようのない不安に襲われた。

――ねえ、私たちこれからどうなるの?

――私たちって、何?

聞きたいけれど、聞いてはいけない気がした。聞けばすべてが崩れる気がした。

不均衡に見えるかもしれないけれど、私たちはウィンウィンな関係だ。

私は体を満たされ、念願だったデザインにおいて一歩前進できた。貴之さんは、そうだな、若い女の子を抱けていい気分なんじゃないかな。

その考えはまるで昔の自分に逆戻りしたかのように思えて、桃花は慌てて振り切った。

「何を考えてる」

運転しながら貴之がちらりと桃花を見た。

「別に」

「……デザインだが、あのまま出すか?小一時間で仕上げたものだ、調整が必要ならもう数日猶予はある」

「調整する」

桃花はとっさに答えていた。

信号が赤になり、車はゆっくりと止まる。貴之は桃花を見ると、肩を引き寄せキスをした。

官能小説挿絵:

「待ってる」

「うん……」

「疲れたなら寝てるか。もう少しかかりそうだ」

「うん、眠かったら寝る。着いたら、うち寄ってく?」

「いや、デザインを仕上げるんだろ」

「そうだけど。クールだね、おじさんは」

「本当は――」

何かを言いかけて貴之は口をつぐんだ。

信号が青に変わり、車はまた動き出す。

貴之の過去

「本当は、何?」

「いや、なんでもない」

「何? 気持ち悪いんだけど」

「…………」

無言のまま、車は夜の道路に流れていく。桃花は一度寝たふりをして、それから起き上がって貴之を睨みつけた。

「歯切れ悪いのとか、らしくない」

貴之はちらりと桃花を見ただけで何も言わない。けれどそれからしばらくして、

「本当は、デザインのことがまったく分からないわけじゃない」

「え?」

不意打ちな貴之の発言に、桃花は驚いた。

「美大出身だ。若い頃はデザイナーだった。服飾とは違うが、コンペに落ちる悔しさも満足いくデザインが仕上がった時の気持ちも、クライアントに喜ばれた時の気持ちも、分かる」

「嘘」

「嘘は言わない。コンペに落ち続けた時、自分自身を否定された気持ちになるのも……、よく分かる」

桃花は無言で俯いた。

何も分からないくせに、敗者の気持ちなんて想像もできないくせに、横暴で身勝手な人だと思っていた。自分と同じように苦しんだことがあるなんて知らなかった。そんな人だとは、思いもしなかった。

桃花は俯いたまま、ぽたりと涙を落とした。

「――だから、私に同情して?」

「いや、それは違う。デザインはセンスだ。特に服なら着る人のことを考える必要があるだろう。個人じゃなくてもいい。細身なら、背が高いなら、いや、日本人の体形なら。色んなことを考える必要がある。君は、客に似合うコーディネートを考えるのが好きなだけだと言った。それは原点だ」

「こじつけみたい」

「そうだな。でも事実だ。センスがあって野心があってまだ若いなら、それはすべて財産だ。無駄にするな」

「泣いていい?」

「もう泣いてるだろう」

「バレてた?」

「ああ」

「――貴之さんって、全然クリエイターっぽくないね」

「よく言われる。でも若い頃は無鉄砲でまわりを呆れさせた」

「あ、今はおじさんになったってこと?」

「そうだな」

「ごめん訂正する。悟り開いたんだね、うん、そうだ」

ぷ、と貴之が噴き出した。

桃花が驚いて涙に濡れた顔を上げると、貴之の目尻に優しい皺が寄っていて、桃花はまたそれを……、愛しいと思った。

この人は、私が若いからでもヤりたいからでも、誰かを育てるとかそういうのが好きなわけでもなんでもなくて、『私だから』こうしてるんだ。

いつか感じたのと同じようなことを、桃花はまた感じた。

どうして?

何故?

そのすべてに『あなただから』それが当てはまる。桃花が何故だか分からないのに貴之を求めてしまったのと同じく。

「悪いが、悟りを開くにはまだ俺は若い」

「そうかな。けっこうおじさんだよ」

「君からすれば、だろ。仕事をする上ではまだまだ若い」

「まあ、だね。いつか、貴之さんのデザイン見てみたいな」

「もう引退した。今は社長業だ」

「私にはやらせたくせに、そっちは引退宣言?」

「俺は中断したわけじゃない。仕事をする中で自分に正直に進んだらここにたどり着いただけだ」

「ならもうデザインはいいの?」

「若い才能が開花するほうが有意義だ」

「やっぱりおじさんだね」

「否定しない」

「ふうん。私は、どうなるのかな。この先」

「続けないと分からない。続けた人間だけが次のステップにいける」

「なんかの啓発セミナーみたい」

「……そうだな。でも俺はそう思う」

会話は続く。

途切れていても続いている気がする。

無言のままでもいい。不快じゃない。

桃花はぼんやりと夜景に目をやった。流れていく景色を眺めていると、心地よい疲れに眠気が襲ってくる。

今夜はたっぷり寝よう。明日はシフト休みの日だし、お昼まで眠れる。

それで起きたら。

起きたら。

デザインを練って、完成させよう。

そんなことを考えていると、さっきまでふたりの関係を憂いていたのが馬鹿みたいに感じられた。

どんな関係だっていいじゃないか。

満たされていれば、それでいい――。

デザインの仕上げ

帰宅すると桃花は、泥のように眠った。

深い深い睡眠は心地よく、本当にお昼前まで一度も目が覚めなかった。すっきりとした気持ちで目を覚まし、コーヒーを飲んでパソコンに向かう。昨日のデザインは一時間で上げただけあってまだ粗削りだ。

髪をひとつに束ねた。

「よし」

そう口にしたら一瞬でスイッチが入った。

昨晩、デザインを考えていた時の高揚感が思い出される。胸の奥から湧き出すような熱とドキドキ。

そういえば。

専門学校に入って初めて自分のデザインを完成させた時、ただの課題だったけれど同じように嬉しかった。

そのデザインが実現して誰かが着た姿を想像すると、胸が熱くて踊り出したい気持ちになった。

なんでも初めてっていうのは胸が躍る。その気持ちをずうっと持ち続けられるものっていうのがきっと、本当に好きなものなんだ。

桃花は溢れる気持ちを抑えきれないまま、デザインの完成度を高めていった。

頭が冴えている。

これならきっと、後悔しない。

『続けないと分からない。続けた人間だけが次のステップにいける』

昨晩、車の中で貴之の言った言葉が頭に浮かぶ。

続けて、続けて続けて、そうしたら私はどんなステップに上がれるんだろう?

どんな未来でもいい。

傷つくのを避けて言い訳をして、逃げて、自分に嘘をついて。結局最後には後悔する生き方より、うんといい。

もう何年も逃げ腰だった自分がこんな短期間で変わるなんて、桃花は自分のことながら嘘のようだった。単純すぎて笑いが出る。

でも。

なんだってきっかけがあれば変化が起きる。

「うん。完成」

桃花はひとり呟いて、貴之にメールを送った。

時刻は19時。集中しただけあって早くできた。

でも今夜は約束がある。急いで身支度を整えると、桃花は家を飛び出した。

⇒【NEXT】これまで『ただ好き』だった気持ちが『これが好き』そういう強いものになっている感じがした。(夢も欲も愛も飼い慣らして 13話

あらすじ

桃花は貴之との関係にどんな名前がつくかずっと考えていた。セフレ?パパ活?それとも、恋人…?そこまで考えて笑った。デザインが出来上がったのだからきっとこの関係も終わりかもしれない、と…。

――ねえ、私たちこれからどうなるの?

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