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官能小説【14話】夢も欲も愛も飼い慣らして


色づいた日常

「いらっしゃいませー!どうぞお手に取ってごらんくださーい!」

「こちらのワンピース可愛いですよね。ご試着もできますので!」

日曜日の店内は平日とは比べものにならないほど賑わう。自然とスタッフの声も大きくなって、接客にも熱がこもっていた。

桃花が貴之と出会ってからまだほんのひと月ほど。その間に桃花の心持ちは目まぐるしく変化した。

いつもと変わらない日常。

けれどそこに色味がさす。

同じだと思っていた毎日は、本当は毎日違う時間の中にあって。どこか惰性で続いていた時間はどれも意味のあるもののように感じ始めていた。

仕事が好きだと言った貴之の気持ちが、今の桃花には少しだけ分かる。

今のこの仕事が好きで好きで堪らないわけではないけれど、その中にやりがいを見つけるとそれはまったく違う色を放つ。

ただコーディネートをするのが好きなだけじゃない。お客様の喜ぶ顔、満足する時間、洋服で高められる気持ち。それらを考えていると胸が満たされた。

――そんなある日の休憩中のことだった。

知らないアドレスからのメールがあることに気づいて、少しためらってから開いてみる。

「え」

貴之からだった。

それは明らかに、彼のプライベートなアドレス。

「なんで!」

桃花は思わず座っていた椅子から立ち上がった。

立ち上がったあとで周りを見て安心する。誰もいない時間で良かった。

『今夜会えるか』

内容はたったそれだけ。

仕事用からプライベート用のアドレスになったからといって、貴之の素っ気なさが変わるわけでなかった。

『うん』

桃花もそれだけの素っ気ない返事をする。

会いたいと思っていた。
ずっと、会いたいと思っていた。

今すぐに会うわけでもないのに、桃花は化粧ポーチを取り出してメイクを直し始めた。

セックスの後のぐずぐずのメイクを見せて貴之に笑われたことを思い出す。

最初から、出会った時から、貴之には素の自分でいた。今頃になって飾ったところでなんにもならない。

そう分かっているのに、桃花は色んな角度からメイクをチェックした。

これが恋なら、もっと最初から女らしく振る舞って彼の気を引いたのかもしれない、と桃花は思った。でもそうしなかった。何故か、しなかった。

それは直感で、どうせこの人は見抜くんだろうと分かっていたからかもしれない。

もしくはもっと別の理由。

でもそれは桃花には分からない。

一体いつ、彼への気持ちが変化していったのかも分からない。

けれど。

最初から傾いていたんだろうことは分かる。桃花は最初から、貴之のことが『特別』だった。

嬉しいお迎え

桃花が仕事を終えて職場のビルを出ると、道路脇に停車した貴之の車をすぐに見つけた。

駆け寄って窓を軽く叩く。

運転席から顔を向けて、貴之は「乗って」と口パクで言った。

「お疲れ」

「うん、お疲れ様。車ってことは、今日は飲まないんだ」

「いや。桃花へのご褒美にシャンパンを買った。うちで飲まないか」

「えっ?」

「君が好きだと言ってたやつだ。高くてなかなか飲めないんだろう?」

「言った気がする。え、でも、貴之さんの家?」

「ああ。人の家が苦手なら予定を変更してもいい」

「ううん、大丈夫。でもいいの?家に入れたりして」

「誰かと寝るのは苦手だと言ったが、人を家に入れるのは苦手じゃない」

そういう意味じゃないんだけどな。と、桃花は思った。

まだ彼女でもない女を家に入れるのはけっこう危険だ。

私が悪い女だったら、わざとピアスを落として帰るかもしれないし、なかなか見つけられないようなところにリップを置いて帰るかもしれない。

「どうする。もう向かってるけど」

「行く!」

「分かった」

「今日は酔っぱらっちゃうね」

「明日休みなんだろう」

「え、なんで知ってるの?」

「前に、大体月曜は固定で休みだって言ってただろ」

「そうだっけ」

「ああ」

そんな小さなことを覚えてくれていたんだと思うと、桃花の胸は弾んだ。

それに、自宅へ招かれた。

自分のテリトリーに入れてくれる。

本当に、最近の私って乙女みたいだな、と桃花はひとりこっそりと苦笑いをした。

貴之の自宅で

貴之の自宅は1LDKのゆったりしたデザイナーズマンションで、数年前に購入したのだと言う。

桃花は落ち着かない気持ちで部屋に入ると、すすめられたソファに座って大きく深呼吸をした。

「何してるんだ」

「貴之さんの匂いが充満してる」

「……加齢臭とか言うなよ」

桃花はぷ、と噴き出して笑い声を上げた。

「そんな自虐ネタ持ってたんだ。ウケる」

「…………」

無言になってしまった貴之。桃花はソファから立ち上がると、冷蔵庫を開けようとしている貴之に後ろから抱き着いた。

「とりあえず、飲むか。食事はケータリング頼んでるからもうすぐ届く」

「……うん」

やんわりと抱き着いた腕を引きはがされて、桃花の胸はチクリと痛んだ。

そういえばベタベタするのはあまり好きじゃないと言っていたことを思い出して、少し反省する。

貴之が準備をするのを手伝って、シャンパンを開けた。ポン、と小気味いい音がして発泡の音が微かに聞こえる。

「じゃあ、乾杯」

「乾杯。ありがとう」

チン、と小さくワイングラスの音が響いて、黄金色のシャンパンが揺れた。

官能小説挿絵:

口に含むとあっさりとした味わいとほんのりした甘さ、舌に感覚の残る泡が気持ちよくて、もうひと口飲む。

「幸せそうだな」

「うん、好きだから」

好きだから。

ただそのひと言の意味が深くなる。

貴之の心遣いが嬉しかったし、こうして彼の部屋で過ごせることが幸せだった。そのことを伝えたかったけれど、桃花は胸にしまった。

今言うことじゃない。

「通販サイトは今週金曜にオープンだ。同時に桃花の作ったデザインも並ぶ」

「どれくらい応募があったの?」

デザイン選定の真実

「応募だけで言えばSNSの力もあって200くらいあったが、クライアントとも話し合って厳選している。元々そういう触れ込みだ」

「そうなんだ」

「どんなデザインでも構わず載せていたら、収拾がつかないからな。コンセプトが違えばすべてアップしてお祭り騒ぎにもできるんだろうが、今回はそうじゃない。盛り上げるのと同時に、スカウトを狙っている」

「え?」

「面白い試みだろう。ぽっと出の新進気鋭のデザイナーを引き上げて、デザイナー側に夢を見させる。すると作り手、働き手が勝手に集まる。人手不足と話題性、同時に手に入る」

「ちょっと待って。だから私に声をかけてくれたってこと?」

「――タイミングよく君と出会った。もし駄目ならそこまでだ。俺たちの関係も、君の未来もなかっただろう」

「本当に待って。頭が追いつかない。でもそれってもしかして、クライアントの目に留まるようなものが上げられてたら、私にデザイナーデビューの可能性があるってこと?」

「そういうことだ。でもまだ一次選考を通過しただけだ」

「分かってる。分かってるよ。でも」

桃花は手にしたワイングラスの中の液体をじっと見つめた。

小さな泡が上へ上へと上がってくるのを見ながら、まるで溺れてるみたいだと思った。

ゴールの見えない海で溺れている。

でも上まで上がったら……、

息ができる。

「桃花。チャンスは無限にあるわけじゃない。巡り合いも才能だし、君のデザインも才能によるものだ。ただチャンスの転ぶ先は分からない。でもどの道、止めなければまたチャンスは訪れる」

「やめてよ。すでに私が落ちたみたいな言い方」

「受験や就職活動と一緒だ。一択に絞れば落ちた時に手痛い」

「分かった。貴之さんが慎重派のお説教おじさんなのは分かったし、こうしてご褒美をくれたのも感謝してる。でも、私を引き上げてくれたのは貴之さんだから。夢、見ちゃうよ。でもそれでいいでしょ。夢見て敗れて、でもやめないから。それならいいでしょ」

「――ああ。そうだな」

鋭かった貴之の瞳が細められて、微かな笑みが浮かぶ。

その時、インターフォンが鳴って話が中断された。貴之の頼んだケータリングだった。

⇒【NEXT】淫らなキスをしながら貴之の手が桃花の首筋をなぞる。ブラウスの前がはだけられて…(夢も欲も愛も飼い慣らして 15話)

あらすじ

桃花が貴之と出会ってからまだひと月。いつもと変わらない日常のはずなのに、色味がさす。

惰性だと思っていた時間が意味のあるもののように感じ始めた桃花。以前感じなかった「情熱」を感じ始めていた…。

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