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官能小説 【小説版】タワーマンションの女たち 10話


ひとりの時間

憧れの人がいる。
好きというには遠すぎて、憧れているというには想いは募りすぎていた。 けれど、今の私には彼を見つめるだけで精一杯。 たまに話しかけられることがあれば、それだけでハッピーな気分になれる。

もうこんな時間……。
私は少し遅めのお昼休憩を取る為に、お弁当の入ったバッグを持つと、ホワイトボードに”ランチ 〜14時半“と書いて、部署を後にした。 エレベーターに乗って、休憩室のある十二階に着くと、景色がよく見える窓際のお気に入りの席に着いた。 ランチは基本的に一人で食べる。 休憩時間まで先輩に気を遣ったり、同僚のつまらない話を延々と聞かされたりするのは、ストレスが溜まって仕方がない。 私は静かに昼食を摂り、残りの休憩時間は読書やネットサーフィンをして過ごすのがお気に入りだった。

夢のような時間

私がお弁当箱を開け、食べようとしたその時だった。

「ここ、いいかな?」

声がして顔を上げると、そこには雪沢さんがいた。
雪沢旺志郎――。
私が憧れている、その人だ。

「……はい」

驚きのあまり、ワンテンポ遅れて私は返事をする。

「ありがとう。俺、一人でランチするの苦手でさー」

雪沢さんは笑顔を私に向けたまま、私の前に座ると、コンビニで買って来たお弁当を広げた。 どうしよう……。雪沢さんと話せれば一日ハッピーな気持ちで過ごせるけど、今、彼は私の目の前にいて、少なくとも、お弁当を食べ終わるまでの時間は一緒にいられるのだ。 ランチを一緒に出来るなんて夢みたい……。

「あれ? 宮原さんは手作り弁当?」

「はい……」

「自分で作ってるの?」

「そうです。毎朝作ってます」

「へぇ〜、エライね。俺、料理全然出来ないから、尊敬するわ」

「そんなことないですよ。習慣になってますし……」

「この卵焼きなんて、すっごくキレイに出来てるじゃん! 美味しそう!」

「あの……良かったら、どうぞ」

私はお弁当箱を雪沢さんに差し出した。

「マジ!? サンキュー!」

雪沢さんは白い歯を見せて喜ぶと、割り箸で卵焼きを取り、口に運ぶ。 私はそれをドキドキしながら見つめていた。

「美味い!」

「良かったぁ……」

思わず、ほっと胸を撫で下ろす。好きな人に自分の手料理を食べてもらったことがない私にとって、食べてもらうことがこれほどまでに緊張と不安を感じるものだとは思いもしなかった。

「卵焼き、甘くない派なんだね。俺んちも一緒」

「雪沢さんもなんですか? 甘い派の人の方が多いですよね」

「そうそう。コンビニの弁当も駅弁も全部甘い卵焼きだからさー、すっごくびっくりしたんだよね」

「私もです。お菓子じゃないのに甘くって衝撃を受けました」

嬉しい。雪沢さんとこんな風に話が出来る日が来るなんて、夢みたいだ。

「そういやさ、宮原さんっていつも一人でランチしてるよね?」

「ああ、はい……」

私は歯切れの悪い返事をする。さすがに、先輩に気を遣うのが嫌だとか、つまらない同僚の話を聞きたくないからだ、とは言えなかった。

「俺、一人で食事するの苦手だから、いつもすごいなーって思ってたんだよね」

「え……?」

「また、一人でランチしなきゃいけなくなった時は、宮原さんのところに来てもいい?」

「勿論です……!」

私の返事に雪沢さんは最上級の微笑みを返してくれた。

思い出す帰り道

ヤバイ。どうしよう。ニヤニヤが止まらない。 私はマンションのエントランスに着くまで、ずっとニヤニヤしていたと思う。 それなのに、まだニヤニヤが止まらないのだ。 お昼休憩で少し雪沢さんと話せただけなのに、私は有頂天だった。
もっと雪沢さんと話したかったなぁ……。いや、ダメダメ。 話せただけでもラッキーなんたがら、欲張っちゃダメよ。 だって、「また、一人でランチしなきゃいけなくなった時は、宮原さんのところに来てもいい?」って言ってくれてたし、 そのうちまた話せることがあるはずだよね。

「ちょっと、萌絵ちゃん」

名前を呼ばれたことにはっとして正面を見ると、そこには依ちゃんが立っていた。 依ちゃんこと、佐川依子は同じマンションで育った幼馴染だ。

悩み相談する女性2人

「さっきから、ニヤニヤしたり、真顔になったり、怖いんだけど……」

「えっ、私、そんなに変だった……?」

「うん。かなり怪しかった」

「ちょっと色々考えてたから……」

「どうせ、何かいいことあったんでしょ?」

「どうしてわかるの!?」

「何年、幼馴染やってると思ってるのよ。萌絵ちゃんのことはなんでもお見通し」

「実はさ、いいことがあって」

「片思いの相手に話しかけられたとか?」

「なんでわかるの!?」

「だから、幼馴染だからだってば。てゆーか、萌絵ちゃん、今、何歳よ」

「二十四だけど……」

「二十四で好きな相手に話しかけられたくらいで喜んでてどうするのよ。もっと先に進んでから喜びなよね」

依ちゃんの言う通りだ。確かに私が喜んでいるレベルは中学生くらいで止まっている。 どうにも、昔から恋愛は得意ではなかった。 別にモテなかったわけではないけれど、いざお付き合いとなると気が引けてしまったし、自分から好きになった人には声すらかけることが出来なかった。 恋愛の仕方は大人になったからと言って、急に変わるものでもない。 大学生の依ちゃんの方が余程恋愛には長けていそうだった。

「何よ?」

「いやぁ、依ちゃんは大人だなぁって思って」

「萌絵ちゃんが純粋過ぎるんだよ。話しかけられたことで喜んでるってことは、自分からは話しかけられていないってことでしょ?」

「うっ……」

「はい、図星ー」

「だって、なんて話しかけていいのかわからないんだもん」

「今日は天気がいいですね、とかでいいのよ」

「そんな古典的なのでいいの!?」

「会話のきっかけなんてそんなもんでしょ。その後、話を発展させればいいんだから」

「話を発展させられるだけのテクニックが……」

「じゃあさ、告白しないの?」

「え?」

唐突過ぎる依ちゃんの言葉に私は目を丸くした。

「段階踏めないんだったら、突然告白して、恋愛の対象として見させてから、関係を縮めるって方法を取るのも手だよ」

「告白して、気まずくなったら……?」

「その時は次行けばいいじゃない」

「次って……!」

「ねぇ、萌絵ちゃん。いつまでも二十代でいられるわけじゃないんだからね」

依ちゃんはそう言って、顔を近付ける。

「いい? 結婚して家庭持つのが萌絵ちゃんの子どもの時からの夢だったよね?」

「うん……」

「それを叶えたいんだったら、もたもたしてる時間はないはずだよ。あっという間に、三十歳になっちゃうんだから」

「でも……」

「でも、じゃないの。私たちだって、あっという間に大人になっちゃったでしょ。三十歳なんて、もっとすぐきちゃうからね」

「うん……。でも、告白は出来ないよ。勇気ないもん」

「勇気ねぇ……」

依ちゃんは明らかに呆れたといったように溜め息をつくと、しばし口を閉ざす。

「萌絵ちゃん、最上階にバーがあるのは知ってるよね?」

「行ったことはないけど……」

「あのバーに行ったら、勇気が持てるようになるかもしれないよ」

「バーに行くだけで?」

「あ、ごめん。電車に乗りそびれちゃう。じゃあ、またね」

「え、ちょっと、依ちゃん!?」

私の質問に答えることなく、依ちゃんは行ってしまった。

マンションの広いエントランスで私は、一人呆然と立ち尽くす。 バーに行けば、勇気が持てるようになるかもしれないって、どういう意味だろう? 私は不思議に思いながらも、この日の夜、こっそりバーに行くつもりでいた。

【NEXT】⇒私の悩みも大きく分けたら、セクシャルな悩みに属するってことなのかな……?(【小説版】タワーマンションの女たち 11話)

あらすじ

雪沢旺志郎に憧れる主人公。そんな雪沢とランチをすることになり…

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