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官能小説 【完結】Sweet of edge〜恋と愛の間で揺れてみて〜 2話


揺れる気持ち

エレベーターで揺れる気持ち
 

噂をすれば影がさす、とはよく言ったものだ。ついさっき、桃と話題にしていた夏野がそこに立っている。
一八〇センチは越えているであろう長身と黒縁の眼鏡が印象的だった。

「ごめん。僕が押したんだ」

「いえ……」

申し訳なさそうに言う夏野は、今まで春が噂で何度か耳にしていたクールなイメージとは違って見えた。

「何階ですか?」

「九階を」

夏野に言われ、春は九階のボタンを押す。すると、すぐに自然とドアは閉まった。

「ありがとう」

「いえ……」

夏野と言葉を交わしているのが不思議だった。
噂に聞くだけの人だと思っていたし、他部署の人と話すことは派遣でこの会社にやってきてからほとんどなかった。

「第一営業部の派遣さんだよね?」

夏野に個人的な質問をされ、春は面食らった。まさか、話しかけられるなどとは思ってもみなかったのだ。

「はい……」

春が驚いているのがわかったのだろう。夏野は苦笑した。

「ごめん。いきなり、話しかけられても驚くよね。第二営業部の夏野です。いつも社員並みに早く来てる派遣さんがいるなって思ってて。でも、今日はギリギリだったから、どうしたのかなって少し気になってたんだ」

「ああ……」

気の利いた言葉ではなく、何とも間抜けな頷きしか出て来ない自分が恥ずかしくなる。

「今日は出掛ける前に母親から電話がかかってきて……」

「田舎のお母さんから?」

「いえ、田舎ってほどでもないんですけど。首都圏ですし。朝からちょっと言い合いになっちゃって、それで……」

「ふふ、言い合いか。君らしいね」

「それって……」

夏野の言葉に春の表情は曇った。気が強そうだと子どもの頃からよく言われていた。
きっと、顔立ちの所為だろう。意思の強そうな二重の目がいつだって彼女の第一印象を決定づける。
夏野もきっとそう思ったに違いない、と春は瞬時に思った。

「あ、いや、別に悪い意味じゃなくてね。本音でぶつかりそうだなと思ったんだ」

夏野は爽やかな笑顔を春に向けた。
夏野に対してクールなイメージを持っていた春は、その爽やかさにたじろぎ、意外性にほんの少しだけときめいてしまう。
春が答えに詰まっていると、九階に到着する音ともにドアが開いた。

「それじゃあ、僕はここで」

去り際にも再び爽やかに微笑んで、夏野はエレベーターを降りて行った。
夏野が女子社員に人気があるのも頷ける。
たった数分、言葉を交わしただけなのに、春は夏野のことを考えている。
良い噂はあまり聞いたことがなかったが、実際に接してみると悪い人ではないのだろうな、と思わせる説得力があった。
十一階に着くと、春は人事部に書類を出し、四階へと戻った。
その間も夏野のことを考えている自分に春は少し驚いていた。

オシャレなバーにて

仕事を終え、春と桃、夏野と同じ第二営業部の正社員である小都音の三人は行きつけのイタリアンバー“カフカ”にいた。
煉瓦造りを彷彿とさせる店内は薄暗く、各テーブルにはお洒落なキャンドルが置かれている。
店内に人はまばらだったが、三人はいつも通りカウンターに横並びに座っていた。

この店に初めて来た時に空いていたのがカウンター席だけで、仕方なくカウンター席に座ったのが始まりだった。
それから自然と同じ席に座るようになり、今に至る。
マスターの稜治と意気投合して、ここに来ると稜治と話したくなるからというのも理由としては大きい。

「それは恋よ」

今日、夏野と喋ったことを伝えた春に対し、小都音は自信ありげに言った。

「やめてよ。別に好きだなんて一言も言ってないじゃない」

「それ本気で言ってる?こんなに気にしてるんだから、恋に落ちたも同然でしょ」

「私は夏野さんが爽やかで驚いたって話をしただけよ」

「ねぇ、桃。今の春の口振りは明らかに異性として気にしてるわよね?」

小都音に話を振られ、桃はうんうんと何度も頷く。

「ほら、見なさい」

春は小都音の言葉にあからさまに溜め息をついた。

「社内恋愛なんてありえない」

吐き捨てるよう言う春に、小都音は怪訝な顔をする。

「どうして?社内恋愛はどこの業界にだってよくあることでしょ?社会人になったら、社内以外で出会う方が難しいのに」

「そうかもしれないけど……」

春の答えはどこか歯切れが悪い。

「でも、夏野さんってあんまり良い噂聞きませんよね」

桃はカシスオレンジを一口飲んで、小都音の方を見た。

「まぁね。女にだらしないって話は確かに聞くけど、営業成績も部署で一番だし、仕事に対してはすごく真面目よ。わからないことを質問しても丁寧に教えてくれるし、先輩としても頼りになるし」

「小都音こそ、夏野さんのことが好きなんじゃないの?」

春の言葉に小都音は鼻で笑った。

「冗談やめてよ。私、ああいうタイプ好きじゃないの。スカしてるっていうか」

「でも、そういうところが女性社員には受けてるんですよね。クールでカッコイイって」

「そうなのよね。更衣室でもよく夏野さんの名前は耳にするし」

「ふーん。そうなんだ」

春は興味なさそうに言うと、赤ワインを飲んだ。

「楽しそうだね。恋バナ」

カウンターの隅でさっきまで他のお客さんのドリンクを作っていた稜治が三人の前にやって来る。
細身の身体にシャツをさらっと着こなし、短髪に涼しげな目元が年齢の割に彼を好青年に見せている。

「他のお客さんの対応してたのに、聞いてたんですか?」

小都音がじろりと稜治のことを睨むと、稜治は肩をすくめて見せた。

「小都音ちゃんの喋ってることは、自然と聞こえちゃうんだって」

涼しい顔をして言う稜治に対し、小都音はどこかバツが悪そうだ。

「またそんなこと言って……」

「俺、小都音ちゃんのこと、本気なんだけどな」

「その冗談、面白くないですよ?」

「小都音ちゃん、好きな人出来たの?今、夏野さんっていう聞きなれない名前が聞こえてきたんだけど」

稜治は小都音の言葉など意に介する様子もなく、質問をする。
けれど、途中からしか聞こえていなかったらしく、稜治は見当はずれのことを口にした。

「違います。春に好きな人が出来たって話をしてたんですよ」

「だから違うって言ってるでしょ?」

春は小都音を睨みつける。

「え? どういうこと?」

稜治はほっとしたような表情を一瞬だけ浮かべ、春を見た。

「たまたま、クールで女癖があんまり良くないって噂の人に話しかけられたけど、爽やかでびっくりしたって話をしただけです」

春はかいつまんで説明する。

「私は春が夏野さんのこと、好きだと思うんですけど、違うの一点張りで」

「桃ちゃんはどう思うの?」

「私も春さんは夏野さんのこと、好きとまでは言いませんけど、気になっているとは思います」

「なるほどね」

稜治は腕組みをし、考え込む素振りを見せた。

「恋愛が始まると、自分では客観的に見ることが出来ないからね。まだ好きになっていなくても、その夏野さんって人が、春ちゃんの気になる存在になっている可能性はあると思うけどなぁ」

「稜治さんまで……!」

春は味方になってくれると思っていた稜治が、自分の意見を肯定してくれなかったことに不満そうに口をへの字に曲げた。

「で、どうなの?気になるの?気にならないの?」

春は言われて、今日の出来事を思い返す。真っ先に夏野の笑顔が思い出された。気にならないと言えば嘘になる。けれど、決して好きなわけではなかった。久々に恋愛対象圏内の相手と出会えたとは思う。だからと言って、一目惚れでもない限り、すぐに恋愛に発展するわけではない。勢いだけで恋を進められるほど、春はもう若くはなかった。

「気になりはするけど……」

「ほら、やっぱり、好きなんじゃない」

春が答えるや否や、小都音はすぐさま言った。 小都音を納得させられるような反論の言葉が見つからず、春はしばし黙りこくる。
そして、心の奥底で疑問がゆっくりと渦巻いていた。

恋はどうやって始まるんだろう。

恋をどうやって始めたらいいんだろう。
その方法がわからなくなっている今、気になるというただそれだけで先に進める気には到底なれなかった。



⇒【NEXT】 不意に人の気配を感じて、春は視線を向ける。すると、そこには夏野がいた。(Sweet of edge〜恋と愛の間で揺れてみて〜 3話)


あらすじ

春は休憩中に桃と噂をしていた夏野とエレベーターで偶然一緒になる。
突然、夏野に話しかけられ驚く春。 それに、噂で耳にしたクールなイメージとは違って見えた。

エレベーター内で個人的な質問をされ、春は面を食らう。
その様子を見た夏野は苦笑した。
「いきなり話しかけられても驚くよね」と、謝ると、
夏野は改めて自己紹介をしてくれた。

たった数分、言葉を交わしただけ。
夏野と別れた後も、春は夏野の事を考えてしまっていて…。

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小説家。 1984.3.12生まれ。 法政大学文学部…
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フリーのイラストレーター・漫画家(少女漫画・TL)
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