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官能小説 【完結】Sweet of edge〜恋と愛の間で揺れてみて〜 18話


時間と理由

春と内館は食事終えると、駅に向かって歩いていた。
「内館さんは恋をしたくなることってないんですか?」
「私ですか?今は特に」
稜治の言っていた通りだな、と春は思う。
「私が言うのもなんですけど、恋っていいものですよ」
「どうしたんですか、急に」
「悩んだり悲しくなったり怒ったり、嫌な思いもいっぱいしますけど、そういった感情を抜けた先には幸せだなって思える瞬間が待ってる気がするんです」

「……惚気ですか?」
「惚気られるほど、恋愛は上手くいってません。あなたもお察しの通り、自分の過去の恋愛と桃たちのことを重ねるくらいにまだ傷は癒えてませんから」
「それじゃあ、無理することはないんじゃないですか?」
「無理?私が無理をしているとでも?」
「ええ、私にはそう見えますよ。いずれ、時間が解決してくれます」
「でも、あなたの傷は時間が解決してくれてないでしょう?」
「えっ……」
「あっ……」
言ってしまってから、春は“しまった”と思った。稜治から内館の恋人が亡くなったことを聞いてはいたが、内館は春が知っていることは知らないはずだ。

「知ってるんですか?美希のこと」
「この間、稜治さんに聞いて」
「全くあの人は……」
内館は何かを諦めたように溜め息をついた。

「確かに私の場合は時間が解決してくれていません。でも、これから先、もっと時間をかければ、解決するかもしれない」
「新しい恋が解決してくれるとは思わないんですか?」
「新しい恋ねぇ……」
内館は大通りを走る車のヘッドライトに目を細めた。走りすぎて行く車の走行音がやけに耳障りに感じる。

「新しい恋が解決してくれるのなら、それも良いのかしもれませんね」
「だったら……」
春はそこまで言って、口ごもった。
「だったら?」
内館に先を促され、自分が続けようとしていた言葉にはっとする。

“だったら、私と――”

春はそう言おうとしていたのだ。自分でもそんなことを口にするつもりなど全くなかったのに、なぜか口をついて出ようとした言葉はそれだった。
自分には夏野がいる。きっとあともう少しで付き合うことになるだろう。なのに、どうして、今、内館に自分と恋をしようなどと言えるのだろうか。

「いえ、なんでもありません」
春は首をすくめ、左右に振ると視線を前へと向けた。
「――!」
春が足を止めたことで、内館も釣られて足を止め、春が見ている先を見つめる。
春の視線が捉えていたのは夏野だった。距離は多少あったが、間違いなく、目の前にいるのは夏野その人だ。

「夏野……」
夏野は春と内館の姿をその視界に認めると、踵を返した。
「まずい。今のは完全に誤解されたな」
「どうしよう……」
「追いかけましょう!」
「でも……」
春は足元に視線を落とす。
「ああ、もうまたピンヒール履いてるんですか?いいから行きますよ!」
そう言って、内館は春の手を取ると走り出した。

手をとって走り出す男
 

揺れる心

どれくらい走っただろうか。かなり走ったはずなのに、夏野の姿はどこにも見えなかった。
ピンヒールで走るとヒールが傷むとか、夏野に誤解されてしまってどうしようとか、そんなことよりも、自分の手を握る内館の大きな手や温かな感触に春の気持ちは揺さぶられていた。そして、自分の鼓動が速いのは、走ったからだけではないことを春は自覚していた。

「あいつ、どこに行ったんだ……?」
「思いの外、距離がありましたから、仕方ないですよ」
「だからって、このまま誤解されたままだと困るのはあなたでしょう?」
「それより、あの、手……」
春に言われて、内館は「あ……」と声を発し、慌てて春の手を放した。
「転んだらまずいと思って、つい……。でも、手を繋いでるところを夏野に見られた方がまずいですよね……」

「多分……。でも、大丈夫です」
「え?」
「誤解されて誘われなくなったら、それまでの縁だったってことですよ。本当に好きだったら、相手に別の人がいても奪いに来るでしょう?」
「それはあなたがされて一番嫌なことだったんじゃないですか?」

「そうですけど……。でも、人を好きになるってそういうことなのかもしれないなって。もし、他に好きな人が出来たって彼に言われたあの時、誰にも渡したくないっていう気持ちを私が持っていたら、きっと引き留めていたと思うんです。格好悪いとかそういう感情より先に、誰にも渡したくないって気持ちが勝ったんじゃないのかなって」
春のプライドを守ったのは、泣いてすがらなかったことによるところが大きい。けれど、彼に対する愛情よりも、泣いてすがりたくないというブライトが大きかっただけとも言える。

「浮気相手だって後ろ指さされるってわかってるのに、恋人から好きな人を奪うって誰もが出来ることじゃないと思うんです。勿論、奪うことが良いことだって言ってるわけじゃないですけど」
春の話を黙って聞いていた内館は複雑な表情を浮かべている。誰かの幸せを壊して手に入れるものが本当に幸せだと言えるのだろうか。きっと、内館はそう自問しているのだろう。

「私には人の幸せを壊して手に入れる幸せは、本当の幸せだと思えませんけどね。奪える人は、理性がなくて貪欲なだけだと思います。」
「その意見も正しいと思います」
春は微笑むと歩き出した。

「まぁ、私もあまり人のことを言えるような立場にはないんですけどね」
「今、何か言いました?」
「いえ、何も」
小さな声で言った内館の言葉は車の走行音にかき消され、少し先を行く春には届かなかった。

心もとない街灯が通りを照らしている。駅からはもう随分と離れてしまっていた。けれども、春と内館はそのことには触れず、駅まで黙って歩いた。
夏野とは気が重かった沈黙も内館となら居心地が良い。理由はわらかなかったが、ふいに感じる居心地の良さには、理由なんてないのかもしれない。

迷い

内館と二人でいるところを見られて以来、春は夏野に避けられているような気がしていた。カフカ以外で会っているのを見られれば、誤解されたって仕方がない。
内館にああは言ったものの、誤解を解けるものなら解きたいと何度もメールを送ろうとしたが、文章を打っては消しを繰り返し、結局、今日まで夏野にメールの一つも送れずにいる。

「どうしたの?元気ないじゃない?」
「そう?そんなことないわよ」
エレベーターの前で落ち合った小都音に春は大袈裟に微笑んで見せる。
「それにしても、桃は今日も同期の子たちとランチ?」
「そうみたい。査定も近いし、相談したいことも多いんじゃないの?」
「そうねぇ……。同期同士じゃないとわからない話もあるものね。そう言えば、春もそろそろ結論出さないといけないんじゃないの?派遣の契約更新の件」
「うん……、そろそろかな」
デザイナーに戻るか悩んでいることを内館以外にはち明けていない春は、小都音の問いに曖昧に答える。

「更新するの?」
「まだ決めてないの。でも、違う仕事に就くなら早い方が良いかなって思ってる」
「そうね。定年まで仕事を続けるなら、人生は働いてる時間が一番長いだろうし、重要よね、仕事って」
春は頷き、床に視線を落とした。模様があるわけではないのに、蓄積された汚れや傷で模様のような痕がいくつもついている。人生は日々の蓄積によって積み上げられていく。その間に汚れることだって傷つくことだってあるだろう。そうしたものをいかに受け入れたり、跳ね返したりしていくかが重要なのかもしれない、と春は思う。

「ねぇ、春。今日、久々にカフカに行かない?」
「いいけど……」
「けどって何よ」
「ううん、行こう。私も最近行ってないんだ」
春がそう言うと同時にエレベーターのドアが開き、二人は混み合っているエレベーターに遠慮がちに乗り込んだ。

春の困惑

桃から色々と聞いてしまっている所為か、カフカにいつものような居心地の良さはなかった。
春は溜め息をつきたくなるのを我慢しながら、グラスについた水滴を指でなぞる。
「今日は二人だけ?」
白々しい稜治の言葉に春は苛ついたが、顔に出さないように努めた。

「そうですよ。桃がいないと華やかさに欠けるでしょ?」
小都音の言葉に「そうだね」と短く答え、稜治は他の客の元へと行ってしまった。きっと気まずいのだろう。

「夏野さんとはその後どうなのよ?」
「どうも何も避けられてるみたい」
「なんでそうなるわけ?」
「なんでって、この間、内館さんと二人でいるところを見られたから」
「どうして、二人でいたのよ」
「一緒に飲みに行ってて」
「えっ、ちょっと待って。春が好きなのって、夏野さんよね」
「うん」
「でも、内館さんともデートしてるの?」
「デートってわけじゃないわよ。ただの食事」
「あのねぇ、大人の男女が食事して、デートじゃないって誰が信じるのよ。しかも、あんなに仲が良さそうなのに」
「別に良くないわよ。顔を合わせば言い合いになるし……」
そこまで言って、この間、一度も言い合いにならなかったことをふと思い出す。あの日は内館の隣にいることが不思議なほど居心地良く感じられた。

「誤解は解いたの?」
「ううん。そのまま」
「ねぇ、夏野さんの連絡先知ってるのよね?」
「そうだけど。なんて誤解を解いていいのかわからなくて。付き合ってるわけじゃないし、誤解しないでくださいっていうのも、なんか変でしょう?夏野さんが私のことを好きって決まったわけじゃないし」
そうは言いながらも、春は夏野とのキスを思い出していた。もし、好きでもないのにキスをしてきたのだとしたら、あのキスは一体なんだったのだろう。

「そんなことより、今日カフカに誘ったのって、何か話したいことがあるからじゃないの?」
春はこれ以上夏野と内館のことに探りを入れられたくなくて話題を変えた。小都音はいつもよりハイペースで飲んでいる所為か、すでに頬が赤い。

「春って、別に倉前くんのこと、好きじゃないのよね?」
「うん、いい人だとは思うけど」
「私が狙っても怒らない?」
小都音の言葉に春は一瞬、言葉を失った。


⇒【NEXT】「やっぱり、春ってわかりやすいのね」(Sweet of edge〜恋と愛の間で揺れてみて〜 19話)

あらすじ

内館に悩みを告白し、春と内館はバーを出て駅に向かう。
駅へ向かう道すがら、内館は今は特に恋をする気がないと春に話す。
内館が妻を亡くした話を稜治から聞いていた春は、
新しい恋が解決してくれるとは思わないのかと内館に聞く。

そんな会話をする二人の前に偶然現れたのは、春に恋心をいだく夏野だった。
彼は二人の様子を特別な関係だと勘違いし、背中を向けて遠ざかってしまう。

その時内館が意外な行動に出て…。

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