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官能小説 【完結】Sweet of edge〜恋と愛の間で揺れてみて〜 8話


静けさ

睨みあう男女
 

内館は視線を感じて顔を上げた。そして、そこに飛び込んできた女の姿に「嘘だろ……」と口走る。春はそんな内館の姿を見て、ああ、やっぱりな、と思った。あの声に四度も会えば嫌でもわかるようになる。

「どうも」 春は目が合って無視するのも大人げないかと思い、小さく挨拶する。

「どうして、あなたがここに?」 男はあからさまに嫌そうに言った。

「どうしてって、食事をしに来てるからに決まってるでしょ」

「そんなことは言われなくたって、わかってますよ。そうじゃなくて、なんであなたがこの店に来てるんだって言ってるんです」

「常連なんです。悪いですか? 第一、あなたこそ、どうしてここに?」

「私も常連ですよ」
男が吐き捨てるように言うと同時に、稜治がウィスキーのロックを持って、内館の前にやって来た。

「あれ? 春ちゃんと耕太って、知り合いだったの?」
稜治は驚いたように二人の顔を交互に見た。

「知り合いっていうか……」

春が言いかけたのを遮るように、内館が今までの経緯を説明し始めた。春は黙って内館の説明に耳を傾ける。その説明は全て正しかった。

「ねぇ、春。私たち、内館さんとのこと、何も聞いてないんだけど」
一通り説明を聞いた小都音が春の脇腹をつつく。

「だって、言うほどのことじゃないかなって思って」
「しかも、夏野さんと同級生ってすごくないですか?」
桃も声を潜めて言う。

「偶然よ。偶然」
春はこの話題をあまり長引かせたくなくて、適当に答えた。

「でも、意外だなぁ。春ちゃんと耕太がそんな風に出会ってたなんて」
呑気な稜治のセリフに春は溜め息をつきたくなったのをぐっと堪える。

「耕太はさ、春ちゃんたちが来るずっと前からここの常連なんだよ。いつもはもっと遅い時間に来るんだけどね」

「ってわけだから、私の方が常連歴は長いってわけ」
内館は勝ち誇ったように春を見た。

「でも、本当はもっと遅い時間に来るんでしょう?だったら、時間通り来なさいよ」

「なんだと!?」

「何よ!?」
春と内館は睨み合う。

「まぁまぁ。俺の店で喧嘩はよしてね。お酒は楽しく飲まなきゃ」
稜治の言葉に春も内館も相手から視線を外し、前に向き直った。

「そんなことより、春ちゃんはデート、どこに行くの?」
稜治は春を見て、にっこり微笑む。春としては、夏野と同級生の内館の前でその話題を持ち出されるのは嫌だった。デートの相手が夏野だとバレれば、“あの女はやめておけ”と内館が夏野に忠告する可能性だってある。

「まだ決まってません。食事に行くだけですし」

「あんなじゃじゃ馬、デートに誘う男がいるなんて驚きだね」 内館がぽつりとこぼす。内館のそんな小さな独り言など、無視をすれば良いことだと春にはわかっていた。
わかっていたのにも関わらず、「見る目がある人は誘ってくれるんです」と気が付けば言葉が口をついていた。

「ほぅ。俺はてっきり男の目が悪いのかと」
地味に続く言い争いに、桃と小都音と稜治の三人は思わず顔を見合わせる。
結局、この後も春と内館のどうしようもない言い争いは終電の時間まで続いた。

人懐っこい笑顔

昨日は飲みすぎたな、と春はぼんやりする頭で思う。出来れば、今日は定時に帰りたい。目に入れたコンタクトレンズにもずっと違和感があった。

「あの、玖波さん」 定時の時間まであと少しというところで、背後から声をかけられ、春は振り向いた。

「申し訳ないんだけど、明日の午前中に打ち合わせが入ってしまって。先方にこの資料を持って行かなきゃいけないんだ。今から頼むと残業になっちゃうんだけど、お願い出来ないかな……?」
男性社員は申し訳なさそうに書類を差し出した。春は瞬時に自分の体調と今置かれている状況を考える。

「わかりました。大丈夫ですよ」

「ありがとう!助かるよ!今から、別のお客さんのところに行かなきゃいけないから、会社には戻って来られないんだけど、製本二部、うちの分二部を机の上に置いておいてもらっていい?」

「はい。わかりました」
春が笑顔で答えると、社員は何度も頭を下げてお礼を言って外出していった。

春は手元にある資料に視線を落とし、溜め息をつく。

少しでも早く家に帰りたい。けれど、残業すれば、五分単位で残業代がつく。なんの手当てもない派遣社員にとって、残業代はほんの小さなボーナスみたいなものだ。今月は残業をそれなりにしているから、交通費の半分くらいは出るだろう。それに困っている社員のお願いを無下に断れるほど、春は自分勝手でもなかった。

ぼんやりするまま、春は手書きで書かれているデータを入力し、表を作ってゆく。営業事務に慣れてしまえば、このくらいの作業はさほど頭を使わなくても自然と出来るようになる。

春は次々にデータを入力し、全ての表を作り終えると、今度は企画書全体の体裁を整え始めた。ふと時間が気になって時計に目をやると、二十時を過ぎている。普段なら、シャワーも浴び終え、食事をしている時間だった。
お腹が空いたな、と春が思ったその時、背後に気配が生まれ、コンビニ袋のカシャカシャという音が耳に届いた。 振り向くと、そこには倉前が立っていた。

「お疲れ様です。玖波さん」
倉前は人懐っこい笑顔で春に話しかける。

「お疲れ様です。倉前さんも残業ですか?」

「まぁ、そんなところです。派遣さんだけに残業させるわけにいかないですし」
にっこりと微笑む倉前の後ろに視線をやると珍しく、ほとんどの社員がすでに帰宅して、いなかった。

「すみません。こんな遅くまで仕事させちゃって」

「なんで倉前さんが謝るんですか。倉前さんが頼んだわけじゃないのに」
倉前の実直さがなんだかおかしくて、くすくすと笑いながら春は言う。

「でも、ここの社員だから」
そう言って、倉前はコンビニ袋の中から、缶コーヒーを取り出した。

「ブラックと甘め、どっちがいいですか?」
「え?」
「仕事頑張ってる玖波さんに差し入れです」
「ありがとうございます。ブラックがいいです」
「じゃあ、はい」
倉前は春の机の上にブラックの缶コーヒーを置くと、自分の席に戻って行った。

いい人だな、と春は倉前のことをよく思う。春が派遣社員としてこの会社に勤めるようになってから、変わりなくずっと親切にしてくれている。

春は倉前からもらった缶コーヒーのプルタブを開けると、無機質なスチール缶に口をつけた。苦い液体が身体の隅々まで行き渡る。

あと少し、頑張ろう。春はパソコンに向き直り、仕事を再開した。

食事の誘い

春が頼まれていた仕事が全て終わったのは二十一時を過ぎていた。春が帰り自宅を始めると、再び倉前がやって来た。

「お疲れ様です。仕事終わりました?」

「はい。すみません、残業に付き合ってもらっちゃって」

「いえ、気にしないでください。僕もやっておきたい仕事がありましたから。それより、帰りに少し食事でもどうですか?お腹、空いてません?」

確かにお腹は空いている。けれど、二人きりの食事に春はほんの少し戸惑った。

「あ、すみません。二人きりだとまずいですか?」
春の心中を察したのか、倉前は申し訳なさそうに春を見る。

「いえ、そんなことありません。ぜひ」
春は戸惑いを隠すように笑顔で答えた。

相手は部署の上司だ。特に他意があるわけでもないだろう。第一、倉前は自分より年下で、外見だっていい。きっと、彼女がいるはずだ。部下としてではなく、女として返事を躊躇った自分が少し恥ずかしかった。



【NEXT】倉前が春を連れて来たのは、お気に入りの和食居酒屋だった。食事も終盤に差し掛かり、お酒も随分と進んでいた頃…。(Sweet of edge〜恋と愛の間で揺れてみて〜 9話)


あらすじ

春と内館はお互いがなぜこのお店にいるのかと言い争いを始めたのだが、稜治から春と内館が知り合いだったのか?という質問をされ、稜治が春との今までの経緯を説明した。

さらに稜治は春がデートに行くことを内館の前で話してしまい、内館から「あんなじゃじゃ馬、デートに誘う男がいるなんて驚きだね」という嫌味を言った事を皮切りに二人の言い争いは終電まで続くことになる。

その翌日、春は他の男性社員に仕事をお願いされいつもより遅く残業をしていた。すると、年下だが上司の倉前が差し入れをもってきてくれたのだ。

再開した仕事も終わり、帰り支度をしていると倉前が再びやってきて…。

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野々原いちご
野々原いちご
小説家。 1984.3.12生まれ。 法政大学文学部…
嶋永のの
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フリーのイラストレーター・漫画家(少女漫画・TL)
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