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官能小説 【完結】Sweet of edge〜恋と愛の間で揺れてみて〜 7話


待つ時間

春は真っ暗な自宅に帰って来ると、電気を点けた。灯りに照らされた部屋は綺麗に片付いている。料理はあまり得意ではなかったけれど、掃除だけは好きだった。

白を基調とした部屋の中で赤いソファが存在感を主張している。春が一人暮らしをする時にこだわったのは、この赤いソファだった。このソファがあるだけで、部屋が華やいで見える。

ジャケットを脱ぐとハンガーにかけ、そのまま、バスルームに向かった。一度ソファに座ってしまったら、鉛のように重たくなった身体はなかなか動かない。だから、春は家に帰って来ると、すぐにバスルームに直行することにしていた。

「あ、そうだ……」

洋服を脱ごうとした手を止めて、再びリビングへと戻る。バッグの中から取り出したのは、内館からもらった化粧品の試供品だった。

クレンジングと洗顔料の試供品を手にすると、洋服を脱ぎ、バスルームのドアを開ける。シャワーの蛇口をひねると、冷たい水が出たのち、熱いお湯が勢いよく出てきた。慌てて、春はシャワーに背を向ける。手や髪を濡らす前に、春はクレンジングのパウチを開けた。真っ白なクリーム状のクレンジングを手に取ると、入念にメイクを落としていく。クレンジングは馴染みが良く、肌への負担も少なく感じられた。

春は三十代が近付くにつれて、出来るだけ、メイクを濃くしないように気を付けていた。派手なメイクは年齢的に無理をしているように見えるし、ナチュラルな方が男への受けもいい。けれど、何よりもメイク前とメイク後の落差を少しでも減らしたかった。恋人の前で化粧を落とした時にがっかりされるのが怖いと思うようになったのは、いつからだったろうか。少なくとも、大学生の頃はそんなことを考えたことすらなかったはずだ。

春はシャワーで綺麗にメイクを落とし終えると、いつものように頭から順に洗い始めた。

食事の誘い

食事に誘われた女性
 

バスルームから出て、一通りのスキンケアを終えた頃には、もうすでに二十時を過ぎていた。簡単に夕飯を作り、テレビを見ながら、一人で食事を始める。仕事帰りにカフカに寄って、桃や小都音と食事をしている時は感じない、何とも言えない孤独感がわっと押し寄せてくる瞬間がある。 それは、テレビから聞こえる人の声を聞いていても変わらない。同じ空間に自分以外誰もいないということがひどく寂しい。

春はスマートフォンを手に取った。帰宅してから、一度も見ていなかった。もしかしたら、夏野から食事の誘いが来ているのではないか、という淡い期待も心のどこかにある。

「あ……」

思わず、声が漏れた。

淡い期待が思いがけず叶ったのだ。夏野からのメッセージは、ひどく簡潔なものだったが、それでも待ち侘びていた春にとってはとても嬉しかった。

夏野はなかなかスケジュールを確保することが出来ず、連絡出来ずにいたらしい。けれど、漸く、時間を作ることが出来たので食事に行こうと日程が書かれていた。幸い、春もその日は空いている。

さっきまで感じていた孤独が嘘のように消えてゆく。孤独を消し去るには、恋が一番容易いのだ、と春は思った。

自分の恋愛だけで手いっぱい

翌日の夜、春は桃と小都音とカフカにいた。相変わらず、三人はカウンターに横並びに座っている。店内に客はまばらなこともあり、稜治は春たちの前でグラスを拭いていた。

「そう言えば、夏野さんとの食事はどうなったの?」

小都音はシャンディーガフを飲みながら、春に視線を向ける。

「それが実は……」

春が口を開いた瞬間、桃と稜治が好奇心を隠さず、春を見た。

「昨日、夏野さんから連絡が来たの」

「とうとう来たんですね!」

「でもね、やっとスケジュールを確保出来たからって内容だったから、私より優先したいこともいっぱいあるし、私は二の次、三の次っていうか……」

「なーに、贅沢なこと言ってるのよ。デート出来るだけいいじゃない」

小都音はグラスに残っていたシャンディーガフを一気に飲み干すと、稜治に「おかわり」とグラスを差し出した。

「俺もそう思うなぁ。デートの時間を作るってことは、それだけ春ちゃんに会いたいってことでしょ? 他に優先したいことって仕事での付き合いかもしれないし、春ちゃんを誘う前から決まってた予定だったかもしれないよ。マイナスに考えるのは良くないと思うな」

稜治の言葉に春は「そうですね」と頷いた。

「いいなー。デート出来るだけ、羨ましいです」

桃は頬杖をつきながら、稜治に視線を向ける。稜治はそんな桃の視線を軽く受け流し、小都音のドリンクを作っている。

春はつい最近までデートする相手すらいなかったことを考えると、誘われてから時間がかかったとしても、デートが出来るだけ十分恵まれているかしもれない、とふと思った

「で、小都音ちゃんはいつ俺とデートしてくれるの?」

出来上がったシャンディーガフを小都音の前に置いて、稜治は言う。

「デート?私、誘われましたっけ?」

「俺がずーっと小都音ちゃんに一途なのは知ってるでしょ?いい加減、店の外で一度くらい会ってくれてもいいと思うけどなぁ」

「お店でしか会えないから、いいと思うんですけど」

「どうして?」

「薄暗くって、お互いの粗が見えないから」

小都音の切り替えしに稜治は苦笑する。

いつも核心に迫りかけたところで小都音がするりと躱してしまう。そんな二人のやりとりを桃はつまらなさそうに聞いていた。

春は身近なところで巻き起こる三角関係に、どう対応すべきか思考を巡らせる。けれど、答えは出ない。結局のところ、恋愛は当人同士の問題だ。周りがとやかく言ったところでどうにもならない。

それよりも、正直、春は今、自分の恋愛だけで手いっぱいだった。そして、そこまで考えて、はっとする。 夏野とのことをいつからか春は恋愛だと認識するようになっていたのだろう。あんなにも桃と小都音に恋だと言われていた時は否定していたのに。

「小都音ちゃんはいつになったら、俺の気持ちに応えてくれるのかな……」

溜め息交じりに言う稜治に、「稜治さんが本気で伝えてくれたらね」と小都音は言い、グラスに口をつけた。その後も、春たちは恋愛だけにとどまらず、美容や最近話題の芸能人の噂話などを喋り続けている。春たちよりも後に来た客が一人帰り二人帰りとする中で、入口のドアが開き、新たな客が入って来た。その客は春たちから少し離れたカウンター席へと当たり前のように腰をかける。

「いらっしゃい」

稜治がにこやかに声をかける。

「いつものでいい?」

「ああ」

稜治の問いに男は短く答えた。稜治の態度から察するに、男はここの常連客らしい。春は短く答えた男の声に聞き覚えがあった。春は恐る恐る男の方へ顔を向ける。そこに座っていたのは、紛れもなく、内館その人だった。

声の主に想像がついた時点で春は男の方を見なければ良かった。それくらい、春にもわかっている。しかし、好奇心には勝てなかったのだ。



【NEXT】いつもより、遅くまで残業していた春。帰り支度をしていると上司だが年下の倉前がやってきて…。(Sweet of edge〜恋と愛の間で揺れてみて〜 8話)


あらすじ

バスルームから出て、一通りスキンケアを終わらせると、テレビを見ながら食事を始めた。

それは孤独感を感じるもので、ひどく寂しい。

帰宅してから一度も見ていなかったスマートフォンを手に取ると、夏野から食事の誘いが来ていた。

簡潔な内容ではあったものの、春の淡い期待が叶い、とても嬉しかった。

春はさっきまで感じていた孤独が消えていくのを感じる。

孤独を消し去るには恋が一番容易いのかもしれない、と春は思った。

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野々原いちご
野々原いちご
小説家。 1984.3.12生まれ。 法政大学文学部…
嶋永のの
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フリーのイラストレーター・漫画家(少女漫画・TL)
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