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官能小説 【完結】Sweet of edge〜恋と愛の間で揺れてみて〜 3話


葛藤

いつもと変わらない一日が今日も始まる。
朝礼を終えた後、春は自分の仕事を淡々とこなしていた。
入力作業をしながら、いつまでこの仕事を続けようかと、そのことばかり考えていた。
三十歳を目前にし、結婚の予定もない。この先、ずっと一人で生きていくのだとしたら、老後のことも心配だ。
出来ることなら、派遣社員ではなく、正社員として働きたい。
派遣社員は正社員と違い、いくらか面倒な仕事が免除されている。

けれど、退職金やボーナスなどの手当ては一切ない。
交通費だって出ない。唯一、社会保険に入れることだけが安心出来ることだった。
今いる会社では派遣社員から正社員になることは難しい。
正社員採用を前提とした紹介予定派遣ならまだ可能性もある。

けれど、最近ではそういった案件も減ってきていた。
考えれば考えるほど、自分の人生なのによくわからなくなっていく。
あの時、会社を辞めなければ今頃は――。
正直、最近、そう思うことが増えていた。
けれど、辞めざるを得なかった。
あのまま、あの会社にいることは春のプライドが許さなかったのだ。

思いもよらない告白

休憩中の3人
 

昼休憩になると、春と桃、小都音の三人は社員食堂へとやって来ていた。
会社の近くに定食屋やレストランなどもたくさんあるが、低価格で美味しい定食が食べられる社員食堂の魅力には勝てない。だからか、社員食堂は毎日盛況だった。

「ねぇ、知ってる? 今度、第一営業部と第二営業部の合同飲み会があるの」
小都音は鯖の味噌煮を食べながら言う。

「合同飲み会ですか?」
桃は不思議そうに小首を傾げた。

「同じ営業部同士、交流を深めましょうってことらしくて。取引先もかぶってるし、情報共有をしていた方がいいこともあるだろうし、仲良くしましょうってことみたい」
「へぇ、そうなんですね。まだうちの部署にはその話回ってきてないですけど、ちょっと楽しみかも」
「あら、桃ってば、もしかして、いい男いないか探そうとしてるの?」
小都音の言葉に桃はくすくすと笑った。
「そんなことありませんよー。私、好きな人いますから」
桃の言葉に春と小都音は箸を止めた。

「今、なんて言った?」
「好きな人がいる?」
「はい。好きな人がいます」
桃は屈託なく微笑む。
「今までそんな話、聞いたことなかったけど、いつから?」
春は箸を止めたまま、桃に問う。

「うーん……。結構前から好きだったとは思うんですけど、好きだって気が付いたのは、ついこの間です」
「え? そうなの? 私たちの知ってる人?」
小都音は矢継ぎ早に質問する。
「はい。知ってます」
春も小都音も顔を見合わせた。自分たちが知っている男の顔を一気に思い出そうとする。けれど、桃が好きになりそうな男の顔が思い浮かばない。二人はとうとう思いつけなかった。

「誰?」
小都音は単刀直入に訊いた。
「稜治さん」
「えっ!?」
春と小都音の声がハモった。二人の声に周囲の視線が一斉にこちらを向く。

「二人とも声が大きいですってば」
「ごめん」
「だって……」
春も小都音もそれ以上何も言えなかった。

稜治は三人がカフカに通うようになってから、ずっと小都音を口説いている。桃もそれを知っているはずだ。
「あ、わかってますよ! 稜治さんが小都音さんのことを好きだって。でも、好きになっちゃったものはしょうがないかなって」
小都音は返答に困っているようだった。春はそんな小都音の様子を見て口を開いた。

「恋愛は何が起きるかわからないし、いいんじゃない?好きでいるのは自由だもの」
「はい!だからその、小都音さんには悪いんですけど、稜治さんにはアタックさせてもらいます!」
桃は遠慮がちに、けれど、はっきりと宣言した。
「うん、いいんじゃないかな」
小都音にしては珍しく中途半端な言い方をする。動揺しているのは明らかだった。

「それより、楽しみですね。飲み会」
桃はさらりと話題を変えた。これ以上、この気まずい空気に耐えられなかったのだろう。

「そうね。春と夏野さんの恋が急展開するかもしれないし」
「ちょっと、なんでそうなるのよ」
「なんでって、お酒の席はどんなハプニングがあるかわからないじゃない」
「そうだけど……。私は別に夏野さんのこと好きってわけじゃないし……」
「でも、夏野さんは春さんのこと好きかもしれませんよ?」
「なんでそうなるのよ」

桃の突拍子もない発言に春は眉間に皺を寄せた。

「だって、なんとも思っていない相手にわざわざ話しかけて、自己紹介なんてします? 普通しませんよ」
「言われてみれば確かに……」
「ほら、だんだん、春も満更でもなくなってきたんじゃない?」
「やめてよ。そんなんじゃないって何度言えば……」

春が否定しても、小都音と桃は炊きつけようとする。そんな二人を不思議に思った。
どうして、自分にそこまで恋をさせたいと思うのだろう。
恋をしていない自分はひどく可哀想に見えるのだろうか。
恋をしていないと言えば、小都音だって同じではないか。

それでも、自分だけがこんな風に言われるのは、正社員ではないからだろうか。
結婚は人生のゴールではない。それでも、残りの人生を安心して暮らす為には必要なものかもしれないとも思う。
特に退職金もあてに出来ない自分のような人間には。そこまで考えていけないと思った。
今の自分は少し僻みっぽくなっている。人生への焦りが視野を狭め、心の余裕を奪っているのだ。

春はネガティブな思考を押し込めるように、生姜焼きを口に運んだ。

残業

あと十分で終業時間になる。
基本的に派遣社員の春に残業はない。デザイナーをやっていた頃は、残業なんて当たり前だった。それに比べれば、なんて平和なのだろう。

「あの、玖波さん」
声をかけられ、振り向いた先には倉前が立っていた。
倉前は春よりも年下だったが、直属の上司にあたる。可愛しらしい顔立ちと丁寧な言葉遣いで好感の持てる青年だった。

「はい」
春は倉前を見上げ、返事をする。
「申し訳ないんですが、今日って残業お願い出来ますか?」
倉前は本当に申し訳なさそうに言った。
「大丈夫ですよ」
春は笑顔で倉前に答える。いつも親切にしてくれる倉前の頼みとあれば、多少のことならなんだって引き受けようと思っていた。

「この資料、明日、先方との打ち合わせで必要なんです。今日中にお願いしたいんですけど……」
「わかりました。作り終ったら、お持ちしますね。何部いりますか?」
「先方の分が二部、うちの分が二部で合計四部、お願いします」
「製本は先方の分だけで大丈夫ですか?」
「はい。うちの分は一ヶ所留めておいてもらえれば大丈夫です」
「わかりました」
「本当にすみません。よろしくお願いします」

そう言って、倉前は頭を下げると、自分の席へと戻った。倉前が終業間近にこんなお願いをしてくるなんて珍しい。きっと、急な打ち合わせが入ったのだろう。

春は渡された手書きの資料を基に企画書を作り始めた。

エレベーターで

残業を終え、春はエレベーターを待っていた。

上層階までいってしまったエレベーターはなかなか四階には降りて来ない。階段を使った方が早いかもしれないと思ったが、四階分も階段を降りる気にはなれなかった。
不意に人の気配を感じて、春は視線を向ける。すると、そこには夏野がいた。

「お疲れ様」
「お疲れ様です」
「今日は残業?」
「はい。急ぎの案件があって」
「大変だね」
「夏野さんはまだ仕事ですか?」
「うん。まだ帰れそうにないね。だから、一服しようと思って」
「そうなんですね」

春は夏野がこの間九階で降りた理由がようやくわかった。喫煙所に行く為だったのだ。
「あ、来たね」
夏野の言葉通り、階下に行くエレベーターのドアが開いた。
中には誰も乗っていない。

「それじゃあ、気を付けて帰ってね」
「ありがとうございます。お先に失礼します」

春は会釈をすると、エレベーターに乗り込んだ。
ドアが閉まると同時に顔がほころぶ。
夏野のことは好きではない。けれど、話せると少し嬉しい。

そんな少し特別な存在だということは、春にもなんとなくわかっていた。



⇒【NEXT】「良かったら、今度食事にでも行かない?」(Sweet of edge〜恋と愛の間で揺れてみて〜 4話)


あらすじ

恋はどうやって始まるんだろう。
恋をどうやって始めたらいいんだろう。

春はそんなことを思いながら夏野への気持ちが何なのか戸惑っていた。

そんな時、第一営業部と第二営業部での合同飲み会の話が持ち上がる。
夏野に接近できるチャンス。しかし、春にはまだ戸惑いも…。

その様子を見た桃は…。

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野々原いちご
野々原いちご
小説家。 1984.3.12生まれ。 法政大学文学部…
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フリーのイラストレーター・漫画家(少女漫画・TL)
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