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官能小説 Sweet of edge 夏野と海悠編「唇が甘すぎて」


断る理由

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傷心の夜は、何もかもが切なく映る。ビルのネオンも酔っ払ってはしゃぎながら歩く大学生たちも乾いた風の匂いも、その全てが切なかった。

夏野は人混みを抜けて、静かな路地へと入って行く。<民家の間に挟まれたそのバーを見つけたのは、春にフラれてから間もなくのことだった。隠れ家的なその佇まいを気に入り、足しげく通っている。自宅に程近く、どんなに飲んでもすぐに帰ることが出来る距離にあるというのも魅力の一つだった。

夏野が決まっていつも座るのは、店の一番奥のカウンター席だ。ここなら、人の出入りを気にせず、ゆったりと飲むことが出来る。夏野は店内にかかるジャズを聴きながら、ナッツをつまみにウィスキーのロックをゆっくり飲むのが好きだった。

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「ねぇ、隣いい?」

背後から唐突に若い女性の声がした。振り向くと、歳の頃なら二十二、三といったエキゾチックな雰囲気の女性がグラス片手に夏野を見ていた。身体のラインがわかるタイトなミニのワンピースから露出した脚は適度に肉付き、健康的な美しさがある。

夏野は思わず彼女に見惚れかけた。しかし、どんなに外見が魅力的であったとしても、見ず知らずの女性と飲むのは好ましくないと思った。

女性はぷっくりとした唇を不満そうにへの字に曲げて、返事をしない夏野を大きな丸い瞳で見つめる。無言の圧力だ。夏野はそれに耐えきれず、「どうぞ」と言った。いくら考えても、彼女の誘いを断る理由を思いつけなかったのだ。

「ありがとう」

女性は幼さの残る笑みを浮かべ、夏野の隣のバースツールに腰を掛けた。

「いつも店の端っこで飲んでるから、気になってたの」
「ここなら、落ち着いて飲めるからね」
「確かに店が狭いと、人の出入りって気になるんだよね。でも、気を取られるのはバカらしくって好きじゃない」
「バカらしい?」

夏野は彼女の言葉にくすりと笑って、鸚鵡返しに問う。

「だって、折角、自分のペースで飲んでるんだよ? それを誰かに乱されるのって、バカらしくない? 空間が破たんするっていうか」
「空間の破たんか……。考えたこともなかったな」

変わった表現をする彼女に夏野は次第に興味を持ち始めていた。

「でも、俺は今、君に自分のペースを乱されているけど?」
「ふふっ、意地悪な言い方するね。たまには乱されることも必要だよ。それが毎回だとうんざりするけどね」
「君こそ、ずるいな。都合の良い言い訳をしている」
「だって、あなたと話してみたかったんだもの。私、自分の欲しいものは自分で手に入れる主義なんだ。だから、あなたと話す時間が欲しくて話しかけたの」
「本当に変わってるね、君は」
「羽鳥海悠(はとりみゆう)」

海悠は夏野の言葉を遮って言った。

「え?」
「私の名前。羽鳥海悠って言うの。君じゃなくて、海悠って呼んで」

初対面なのに名前で呼ぶように言われたことに、夏野は戸惑いを隠しきれなかった。同時に、最近の若い女の子はこんな感じなのか、と思い、自分がそれなりの年齢になったことを感じて内心苦笑する。

「あなたの名前は?」

夏野は促され、「夏野要」と答えた。

「要っていい名前ね」
「ありがとう。あまり言われたことがないから嬉しいよ」
「いつもなんて呼ばれてるの?」
「夏野さんが多いね。仕事をしていると」
「私も会社じゃ羽鳥さんって呼ばれるよ。私の下の名前を知らない人がほとんどだろうしね。友達は海悠って呼ぶけど」
「俺は友達からは夏野だな。会社で呼ばれるのとあまり変わらない」
「じゃあ、私が要って呼んであげる」

夏野は海悠の発言にグラスを持つ手を止めた。

「だから、要も私のことは海悠って呼んで?」
「君は面白い子だね」
「だから、海悠だってば」
「海悠ね……。よく変わってるって言われない?」
「うーん、自由な子ね、とはよく言われるかな」
「自由か、随分優しい言い方だな」
「日本人特有の建前と本音の使い分けだって、私でもわかるよ」
「それがわかっていれば、上出来だ」

さっきまでは声をかけられたことに戸惑いしか感じていなかったのに、海悠とのお喋りが楽しくなってきている自分に夏野は驚いていた。

気が付けば、彼女の持つ雰囲気に飲まれている。海悠の言う通り、たまには誰かにペースを乱されるのも悪くないのかもしれない。

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夏野は取引先から直帰し、今日はいつもより早くバーでグラスを傾けていた。流れるジャズに一人で聴き入るのは久々だ。大抵、海悠が先に来ていて、最近はこの店で一人でいられる時間は基本的にない。けれど、海悠と一緒にいることで、自分だけの時間が削られることに不思議と夏野は嫌悪感すら抱いていなかった。

春のことで傷ついた夏野の心は、次第に海悠の存在で癒されている。いつの間にか、夏野がバーに通う理由は、ゆっくりと一人で飲めるということから、海悠と話がしたいという理由に変わっていた。

でも、夏野はこれが恋だとは認識していない。楽しい時間を共有出来る相手が出来たという程度のことだ。<勿論、海悠を魅力的な女性だと思う。海悠は話していて面白いし、一緒にいて楽しい。美人でスタイルだっていい。

けれど、あどけなさの残る海悠を恋愛対象として見るのは、大人である夏野には難しいことだった。恋に発展してしまえば、今よりもずっと楽しいかもしれないし、春のことだってあっという間に吹っ切れてしまうかもしれない。それでも、夏野はこれ以上、踏み込む気になれなかった。

「あれ? 今日は早かったんだね」

すでに飲み始めていた夏野を見つけて、海悠は少し驚いたように言った。

「ああ、外出先から会社に戻らずに帰って来たからね」
「仕事は営業?」
「そうだよ。言ってなかったっけ」
「うん、聞いてない」

海悠はそれだけ言うと、ハイボールを喉を鳴らして一気に飲んだ。その様子を見て、仕事のことは訊かれたくないのだろう、と夏野は察する。今まで仕事の話が出なかったのは、海悠が話題にしてこなかったからだ。いつだって、話題を振るのは海悠からだった。訊かれたくないことを訊く趣味を夏野は持ち合わせてはいなかったが、海悠がどんな仕事をしているのか気になっているのも事実だ。

「次は何を飲む?」

しかし、夏野は気にならない振りをして、海悠に問いかけた。

「飲み過ぎじゃない?」

夏野は心配そうに海悠の顔を覗き込む。目鼻立ちのはっきりした海悠の顔を夏野はまじまじと見て、その美しさに溜め息が出そうになった。

酔っている所為で海悠の頬は赤く染まり、瞳は潤んでいる。それがどこか儚げで、手を伸ばさなければどこかに行ってしまいそうな気さえした。

「……大丈夫」

考えるような間があってから、海悠は答えた。しかし、大丈夫ではないことは明らかだった。

「とにかく、今日はこれ以上飲むのはよそう」
「うん……」

威勢の良い普段の海悠とは違うしおらしい姿に、夏野は胸がときめくのを感じた。

だが、そんな気持ちを振り払うように夏野はかぶりを振る。年齢差を考えたら、これ以上踏み込むべきではない。夏野はどこか理性的だった。

支払いを済ませ、海悠の身体を支えながら夏野はバーを出る。

「家は近所?」
「うん……」
「ここら辺、タクシー通らないからな……」

夏野は「送っていくよ」と言って、海悠に家の場所を尋ねる。すると、意外にも海悠の住むマンションは夏野のマンションのすぐ近くだった。

「一人で大丈夫だよ?」
「足元がそんなにフラついているのに?」
「……」
「俺の家も同じ方向だから気にしなくていいよ」
「……ありがとう」

申し訳なさそうに言う海悠の頭をぽんぽんと軽く撫でると、夏野は海悠の肩を抱き寄せた。

断る理由

海悠が住むマンションは四階建ての完全オートロックのデザイナーズマンションだった。マンションにはエレベーターがない。夏野は海悠を支えながら、彼女の部屋がある三階までの階段を一段ずつ上がっていく。階段の手すりは薄いピンク色に塗装され、タイルは煉瓦色でどこかオシャレな雰囲気があり、海悠の住むマンションらしいなと夏野は思った。

夏野は海悠を支えながら、階段で三階まで上がりきると、彼女のバッグから鍵を取り出した。

「開けるよ」
「うん」

夏野は海悠を抱きかかえたまま、玄関のドアを開けると、海悠を壁にもたれさせた。どうにか海悠は自力でハイヒールを脱ぐと、玄関で座り込む。夏野は急いで玄関の鍵を閉めると、自分も靴を脱ぎ、海悠の脇に腕を差し込んで彼女を持ち上げた。

「ごめん……」
「あと少しだから」

夏野はそう言うと、玄関から見えているベッドに海悠を運んでいく。

部屋はシンプルに整えられ、無駄なものは見当たらない。途中、ミネラルウォーターの入った段ボールが詰まれているのが視界に入った。唯一、その段ボールがこの部屋に不釣り合いだった。海悠をベッドに座らせると、彼女は力尽きたようにベッドの上に倒れこんだ。

「冷蔵庫開けるよ」
「うん」

夏野はキッチンへ行き、冷蔵庫を開けると、ペットボトルを探す。案の定、ミネラルウォーターのペットボトルがいくつか入っていた。その一本を取り出すと、キャップを開けながら海悠のいるベッドへと戻る。

「はい、飲んで」
「……ありがとう」

海悠はだるそうに起き上がると、夏野からペットボトルを受け取り、勢いよく水を飲んだ。

「キャップ貸して」
「いいよ、俺が閉める」

夏野は海悠からペットボトルを取り上げるとキャップを閉めて、ベッドの上に座り込む彼女を見据えた。少し乱れた姿が妙にセクシーだった。

「ねぇ……」

海悠が顔を上げて、夏野に何か言ったが彼は聞き取ることが出来ずに身をかがめる。その一瞬の隙を海悠は見逃さなかった。

海悠は夏野のネクタイに手を回し緩めると、そのまま彼のネクタイを引っ張った。夏野はバランスを崩し、ベッドに膝をつき前のめりになる。夏野のその先にあったのは、海悠の唇だった。

「……!」

突然の海悠からのキスに夏野は驚き、言葉を発することが出来なかった。自分が誰かに突然キスをされるなんて考えたこともなかったのだ。それは主導権がいつだって自分にあるという驕りからだった。

「欲しいものは自分で手に入れるって言ったでしょ?」

海悠は悪びれる様子もなく微笑む。明らかに海悠にペースを乱されていた。夏野はどうにか乱されたペースを元に戻そうと思考をめぐらす。

しかし、そんなことは無駄だとすぐに気が付いた。最初からだったではないか。海悠に出会ってから、夏野には普段の彼らしさなどはなく、海悠のペースに飲み込まれ続けている。

夏野が自分の頭の中を整理しようとしている間にも、海悠は夏野のネクタイに手を伸ばし、いとも簡単にほどいてしまった。そして、ワイシャツの第一ボタンを外す。戸惑っている夏野に海悠は悪戯っぽく笑って見せる。

そんな海悠の姿に夏野の理性は、行き場を失った。海悠の肩を両手で抱くと、ベッドに荒々しく押し倒した。いつもの夏野は紳士的だ。けれど、紳士的な振る舞いをする余裕が今の夏野にはなかった。

夏野は海悠の洋服を脱がす間も惜しんで、トップスの中に手を入れ、その上から胸を愛撫する。ブラジャーを外すと、トップスをたくしあげ、胸の先端に吸い付いた。セクシーな身体のラインに舌を這わせると、海悠の甘ったるい喘ぎ声が夏野の耳に届く。

次第に夏野の手は海悠のヒップラインをなぞり、下着へと到達する。彼は下着のウエスト部分に指を引っかけて、手早く脱がした。夏野の指が濡れそぼった海悠の蜜壺に入り込むと、彼女は少し苦しそうな声を上げた。

「痛かった?」と問う夏野に海悠は首を左右に振る。

夏野は海悠の肉壁を優しく指でほぐしていくと、彼女の敏感な部分を口に含んだ。快感にたまらず声を上げる海悠を見て、夏野は満足そうに更に舌で転がす。十分に海悠の中が潤ったのを確認すると、夏野は海悠の身体に自分の体の一部を沈めた。

海悠は悩ましげに夏野を見上げる。その視線のいやらしさに夏野は心をかき乱されるようだった。夏野のピストン運動に海悠はうっとりとした表情を浮かべる。

夏野は海悠の腰を持って抱きかかえると、体勢を逆転させた。夏野が下から突くと、海悠の形の良い胸が何度も揺れて、その度に彼女は艶のある声で啼いた。

ギャップはお好き?

ふと目が覚めて隣を見ると、海悠が静かな寝息を立てている。海悠の寝顔を見ていると、夏野は不思議と愛おしいと感じた。海悠は寝返りを打ち、夏野にぶつかるとゆっくりと目を開けた。

「もう朝? 今日は休み?」と問う海悠に夏野は「ああ」と答える。海悠は手で口元を覆い、大きな欠伸をすると、下着を穿いてベッドから抜け出した。

「朝ご飯食べるでしょ?」
「まあ……」

夏野が曖昧に答える横で、海悠は大きめのTシャツを着ると、キッチンへと歩いて行く。

「苦手なものは?」
「特にない」
「良かった。あるもので作るから大したもの作れないけど」

言いながら、海悠は手際良く、朝食の準備を始める。

大きめのTシャツからは今にも下着が見えそうで、昨夜のことが思い出される。欲望のままに乱れる海悠は美しかった。

「コーヒー淹れたら、出来るから」

海悠の言う通り、ソファの前にあるローテーブルには、すでに二人分のホットサンドとサーモンのマリネ、フルーツの入ったヨーグルトが並べられていた。マグカップにコーヒーを淹れ終わると、海悠はローテーブルへと運び、夏野に「出来たよ」と言った。夏野は下着を穿き、ベッドから出ると海悠の隣に座った。

「ありがとう」
「このくらい、当たり前でしょ」

「いただきます」と二人の声が重なり、どちらともなく、顔を見合わせ微笑み合う。まるで、恋人同士だなと夏野は思った。

海悠が作ってくれた朝食は美味しくて、夏野は完全に海悠に惹かれ始めていた。

「どれも美味しい。海悠がこんなに料理が上手いとは思わなかったよ」
「それって見た目の所為?」
「そうだね。料理上手にはとても見えない」
「失礼しちゃう。外見と能力は比例するとは限らないのに」
「でも、いいんじゃない? こういうギャップに男は弱い」
「そう? それじゃあ、これからはギャップを武器にしようかな」

海悠は言いながら笑う。

夏野は海悠の笑った顔を見るのが好きだということに、この時ようやく気が付いた。

「そうそう、要に言っておきたいことがあるの」
「何?」
「一回寝たくらいで彼女になったとか思わないから安心して」
「え?」

夏野は海悠から飛び出した言葉に自分の耳を疑った。女性は一度寝たら、彼女になりたいと言い出す生き物だと思っていた。

夏野が返答に困っていると、海悠は再び口を開いた。

「でも、私は要のことが好き」

海悠はそう言って、今日何度目かの笑顔を夏野に向ける。その笑顔は決して作り笑いなんかではなく、夏野への好意の結果として向けられたものだった。

答えに詰まっている夏野に海悠は「真面目に考えすぎ」と笑った。

海悠の家を後にしてから、夏野は海悠のことが頭から離れない自分に困っていた。海悠は一度寝たくらいで彼女になったとは思わないと言っていたが、自分はどうだろう。海悠への好意は恋心だという気もするし、傷心からくる一時期の迷いのような気もしていた。

新しい一週間が始まり、夏野はいつも通り、会社の自動ドアを抜ける。受付の人影が視界に入り、違和感を覚えた。

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「嘘だろ……」

受付には眼鏡をかけ、髪を束ねた海悠の姿があった。

「やっと気が付いてくれた? 随分前から、私は要のこと知ってたんだよ」
「だったら、なんで……」
「なんでって、私が同じ会社の人間だって知ってたら、仲良くしてくれた?」
「それは……」
「最初から長期戦のつもりだったから、この間のは結構な進歩だったんだよね」

海悠は悪びれる様子もなく言うと、屈託なく笑った。

「今日は何時に終わる?」
「デートのお誘い?」
「ああ。もっと海悠のことを知りたいから」
「五時には終わるよ」

海悠はとびきりの笑顔を夏野に向けた。


END

あらすじ

夏野が行きつけのバーのいつものカウンターの端で落ち着いていると、突然後ろから女性に声をかけられる。

「ねぇ、隣いい?」

振り返るとそこには、20代前半のエキゾチックな雰囲気をもつ美女が立っていた。

健康的な美しさをもつ彼女の名前は羽鳥海悠(はとりみゆう)。
夏野は断る理由もなかったので、彼女の申し出を受け入れ…

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小説家。 1984.3.12生まれ。 法政大学文学部…
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