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小説サイト投稿作品48 「壊れるくらい抱きしめて」【LCスタイル】

「壊れるくらい抱きしめて」

〜LC編集部のおすすめポイント〜

片想いが実らなかったことを知り、偶然通りかかった同僚の彼に手を引かれ
誰もいない部屋で抱き寄せられたことをきっかけに、その彼を意識してしまった恵那。
過去のトラウマや後輩たちの陰口などつらい経験により心を閉ざしがちだった恵那は、
同僚たちのあたたかさに救われながらも心を開いていき…

傷心しているときに抱きしめられることには弱い女性も多いのではないでしょうか。
最後までドキドキできる要素が満載の作品です!
言われてみたい素敵なセリフにも必見♪

あなたの一番になりたい

オフィスの写真

自分でも可愛げがない女だと思う。
石川恵那、25歳。短大を卒業して入ったこの会社ではすっかりお局のキャラになってしまった。
元々ズバッと言う性格でオブラートには包めない言い方をしてしまう。
それにオシャレもあまりうまく出来なくて唯一伸ばしている髪の毛は仕事中、一つに束ねたまま。
自分に合ったメイクも分からなくて無難なベージュのアイメイク。
こんな私を誰が好んでくれるんだろう。でも、そんな私にも密かに恋心を抱く人はいた。

2つ年上だけど同期の林 真宏さん。
仕事はピカイチ。彼の営業トークで落とせないものはないと言われているやり手の営業マン。
私は営業事務だからたまに彼のサポートに回されることもある。
そんなときは少しだけグロスを塗ってみたりするのだけれどそんな様子に気づいてくれるわけもない。
それでも私はただ彼の仕事をサポートできるだけで良かった。別に特別になりたかったわけじゃない。
そんなのはただの意地?プライド?本当は理美の場所にいたかった。
なんで誕生日に理美と林さんのキスシーンを見なくちゃいけないんだろう。

今日は私の誕生日。
未だに実家暮らしのあたしにお母さんがご馳走を作って待ってるからねと言って、あたしを見送った。
さすがに25歳。もういい年なんだし、両親に誕生日を祝ってもらうなんて恥ずかしい。
でも、ニコニコと話すお母さんにそんなことは言えなくてありがとうと言い仕事に向かった。
久しぶりに残業をせずに帰れる。お疲れ様でしたと声を掛け、会社を後にする。

誕生日だからって私だけが祝ってもらうのもなんだか気が引ける。
お母さんに花束でも買って帰ろうと会社の最寄り駅の近くの花屋さんに立ち寄った。
ガーベラが綺麗だな。さすがにカーネーションは時期外れだしね。
色とりどりに並ぶ花たちに目を奪われていると突然カバンの中の携帯が震えた。

そしてカバンを開けて気がついた。お財布、デスクの引き出しの中だ。
カバンの中に財布が入っていないことに気がついて急いで会社に戻る。
今日は眠気が少し酷かったからブラックコーヒーを買ってそのままデスクの中に入れてきた。
忘れてた。定期があるから帰れるけれど、花束を作ってもらった後だったら恥をかくところだった。

でも、戻ってこなければよかった。
自分のデスクに戻り財布をカバンに入れる。林さんのデスクをチラッと見ると資料がたくさん置かれたままになっていた。
席を外してるだけか。誕生日だし、少しくらい話がしたい。コーヒーでも買って待っていよう。
財布を握りしめ給湯室を横切り、自動販売機に向かおうとした。

そんなとき、少しだけ給湯室の扉が開いていた。
気づかないふりをして通り過ぎれば良かったのに、目を凝らして見てしまった。
きつく抱きしめあって強くキスを交わす林さん。そしてそのキスの相手は同じ同期で受付の鈴木理美。
理美と林さんはそんな関係だったんだ。後ずさりするもその場から動けない。このままじゃ二人が出てきてしまう。
理美には林さんが好きなことを伝えていない。誰にも言ってない。私の秘めた恋心なんて。
だからこうやって傷ついて涙を浮かべていても誰にも相談なんて出来ない。

「こっちおいで」

突然左手を掴まれ引っ張られる。顔を見ると林さんと同じ2つ年上で同期の松本修吾さん。
企画開発部で同期の飲み会で話すことはあるけれどこんな風に腕を引っ張られるほど親しくはない。
だけどそれでも今はあの場所から私を引き離してくれるなら縋りつきたかった。
連れて来られたのはあまり人が来ない第二資料室。
埃っぽくてあまり人は立ち入らないけれど今にも泣きそうなこんな姿を誰にも見られたくなかったからちょうどいい。

「見たくないものは見なくていいよ」

ぎゅっと抱きしめられた。力強い腕、優しい言葉。堪えきれなくなって我慢していた涙は決壊した。

見たくなかった。
たとえ私が彼の瞳に写っていなかったとしてもただの同期としか思われていなかったとしても、
それでもあんな幸せそうにキスを交わす姿なんて見たくなかった。
松本さんはただ嗚咽を漏らしながら胸の中で涙の止まらない私を抱きしめて背中をポンポンと撫でてくれた。

同期会の誘い

コーヒーの写真

あの悲しい誕生日から一ヶ月。久しぶりに同期会のお誘いを受けた。
同期会をいつも計画してくれるのは望月優香さん。
優香さんは林さんや松本さんと同い年で同じ営業事務の良きお姉さん。
可愛げのない私まで妹のように可愛がってくれて、年齢の違う私や理美を同期会にいつも誘ってくれるとても優しい人。
肩までの髪の毛はいつも綺麗に巻いていて自分に合ったメイクをちゃんと分かってる。
私服もスカートからパンツ、何でも履きこなせる憧れ。

「恵那ーどうしたの?仕事で失敗した?それともあいつらに何か言われた?」

優香さんにランチに行こうと言われ、近くの洋食屋で同期会に誘われた私は
サービスランチのハンバーグを食べる手をピタリと止めてしまった。

同期会。あの日から林さんへの恋心は少しずつ薄れていった。
まだ完全に消化したわけじゃないけど理美とも普通に接することができるし、林さんを見てもそんなに胸が痛まない。
その代わり、松本さんのことをつい目で探してしまうようになった。

松本さんのいる企画開発部は同じフロアだけどなかなか顔を合わせる機会もない。
唯一、顔を合わせるとするなら自動販売機くらい。
だから私はあの日から毎日、一日に一度自動販売機に行くようになった。
さすがに毎日コーヒーを買うわけじゃない。その奥に女子トイレもある。
少し遠いけれど松本さんの姿を見られるのならとついそこまで行ってしまう。

「おーい!恵那!!聞いてる?大丈夫?あいつらにあたしがガツンと言ってあげようか?」
「えっ?あっ、だ、大丈夫です。別の考えごとしてました。た、食べましょう」

無理矢理箸を進めると優香さんは納得いかないような不服な表情を浮かべるも
自分もパクパクとサービスランチを食べ始めた。
優香さんの言うあいつらとは私の陰口を言う後輩たち。
私はどうしてもオブラートに包めなくてつい、後輩たちにもきつい口調で言ってしまう。
それをよく思わない後輩たちが給湯室で私の悪口を言っているのを偶然通りかかって聞いてしまった。

「てかあいつ、何様?仕事できるから偉そうにすんなって!」
「ほんと、マジうざいよね。でもさ、絶対あいつって男いないよね。男もあんなツンケンした女、絶対嫌だって」
「うんうん。あたしなら金積まれても能面とはできないわ」
「うわーっそれって女の価値ゼロだね。名前だけは『エナ』なんて女の名前なのにさ」

丸聞こえの大声。能面、女の価値ゼロ。そんなの分かってる。
私だって可愛げがなくて男の人に敬遠されることだって知ってる。でも、どうしても可愛くなんてなれない。
唇をぎゅっと噛み締めて零れ落ちそうな涙を拭って背筋を伸ばしていつもよりヒールを響かせその場を後にした。

「恵那!!ちょっとおいで」

資料を届けデスクに戻ると後輩たちがクスクスと私を見て笑っている。
その後輩たちを一蹴するように睨みを効かせた優香さんは軽く私のデスクを叩き外に私を連れ出してくれた。
優香さんもたまたま後輩たちの悪口を聞いたらしく咎めてやろうと思ったけれど
まずは私を抱きしめたかったと女子トイレでぎゅっと抱きしめてくれた。

「…優香さん」
「ほんとあいつら大嫌い!!恵那が仕事できるからって僻みとはいえ、醜いわ!!」

優香さんに抱きしめられて私は堪えていた涙を抑えられなくなってしまった。
優香さんはただ黙ってポンポンと背中を撫でてくれた。
その日から何かあればすぐに言ってと優香さんは常に気にしてくれるようになった。
後輩たちは相変わらず私のことを気に入らないみたいだけど小さな陰口は気にしないようにすることにした。
あれ?今思えば松本さんと優香さん二人とも同じように私を慰めてくれた。
私、抱きしめられるとつい甘えてしまうのかもしれないな。

「で、本当に何もないの?」
「ないですよ。小さな陰口は気にしてません」
「じゃあどうしてそんな顔してるの?あたしにも言えない悩みがあるの?恵那はすぐ溜めるんだから」

お金は貯めてもストレスは溜めるんじゃないわよとひょいと伝票を持ってスタスタと行ってしまう優香さん。
急いで追いかけてレジの前で財布からお金を出すも今日はあたしの奢りと
優しい笑みを浮かべてお金を受け取ってはくれなかった。

閉ざされていた心

夜のビルの写真

毎日の努力も虚しく、松本さんにはなかなか会えなかった。
企画開発部に知り合いでもいればそれを口実に行くこともできるけれど、
松本さん以外の知り合いはいない。元々あまり人付き合いは得意じゃない。
だから恋愛相談もできない。まあそれには思い出したくもない過去があったりする。

高校時代、好きな人がいた。
その人とは付き合いもなく一方的な片思いだったけれど好きだった。
友達にも相談した。みんな親身になって相談を聞いてくれてアドバイスをくれたりもした。
でも、放課後先生に呼ばれて職員室に行った帰り、待ってるねと笑顔で言ってくれた友達の本音を聞いてしまった。

「ねえねえ恵那の恋、どう思う?」
「ないでしょ。だってさ相手彼女いるじゃん」
「だよねー。しかも必死すぎ!!」
「うんうん。絶対実るわけないのにね!」

それ以来、好きな人が出来ても相談なんてできなくなった。
一人になりたくないから友達には適当に合わせていたけれど、自分の話になると話題を変える。
私だって大っぴらに自分の恋を聞いてほしい。だけどトラウマが邪魔をする。
こんな実らない片思いを話してまたバカにされるんじゃないかって。

結局合わせるだけの友達は高校卒業と共に疎遠になった。
短大時代にできた友達も聞き役に徹することで
彼氏とうまくいかないときにだけ連絡が来る便利屋の相談員みたいな付き合いになってしまった。

こんな少し閉ざしがちだった私の心を開いてくれた優香さん。
優香さんなら私の実らない片思いだって親身に聞いてくれるに違いない。
何度もそう思って林さんのことを相談しようとも思った。
だけど結局出来なくて失恋。
そしてその後私を慰めてくれた松本さんを意識し始めたけれど結局それも言えないまま。

だいたい林さんを好きだったはずなのにもう松本さんを意識するなんて軽い。
そんなに軽いものだったのかな。
だから林さんも松本さんも来る同期会に参加するのは気が引けた。
自分の気持ちがとても薄っぺらいもののような気がして仕方なかったから。

「こら!!恵那。何帰ろうとしてるの!!もう恵那のお母さんにはちゃんと同期会に連れて行くって連絡済みだからね!!」

あっと言う間にやってきた週末の同期会の日。
優香さんにバレないようにこっそり退社しようとしたらあっさりと捕獲されてしまった。

優香さんとうちのお母さんはメル友。
一度優香さんをうちに連れて行ったとき、優香さんがお母さんに私を妹のように思っていると伝えてくれた。
お母さんはとても喜んでくれて、それ以来出不精でメールが苦手な私の代わりに
お母さんと優香さんが計画をして休日には3人で出かけたりするようになった。
お母さんに連絡済みなら逃げられない。
帰って小言を言われるくらいならと腕を引かれるままに同期会に参加することにした。

優香さんが選んだお店は和風居酒屋。
モダンな店内は昭和初期を思わせるような佇まいでBGMは聞いたことがあるけどしらないような昭和歌謡が流れている。
ここの角煮が美味しいのとニコニコと話す優香さんと店員さんに案内された場所は6人用の掘りごたつの個室。
同期は全員で5人だから広々使えるし、なかなか居心地が良さそう。

「やっぱり足伸ばしたいもんね。掘りごたつにしてよかった、よかった。
でもまだ誰も来てないなんてどんだけ集まり悪いのよ、うちの同期会は!!」

優香さんが怒っている隙に一番端の目立たない席にそっと腰を下ろす。
耳に入ってくる昭和歌謡がなんだか新鮮。
また端に座るの?!と私の前に座る優香さんからとてもいい香りがした。
香水?それに優香さんの肌はとても綺麗。女子力があるってこういう人のことを言うんだろうな。

「で、何を悩んでたの?まだ誰も来てないんだし、さっさと吐いちゃいなさい!!」

ズイッと詰め寄られ眉間に皺が寄る。綺麗に塗られたアイシャドウ。
決して濃すぎないチーク。甘い香りはグロスかな。 近すぎる顔を見ながらそんなことばかり考えていると個室の扉がノックされた。

「お連れ様がお見えになられましたのでお通ししますね」

ガラッと開けられた扉の外には松本さん。
そしてなぜかうちの後輩で散々と私の悪口を言いまくっていた黒岩さんが松本さんに腕を絡めて立っていた。

気まずい同期会

お酒の写真

「ちょっと!!黒岩!あんたなんて呼んでないんだけど!!松本、あんたが連れてきたの?」
「えーっ別にいいじゃないですか。同期会なんて言わず交流会にしましょう」

ズカズカと入って来た黒岩さんは松本さんの腕を引っ張って優香さんの隣に座る。
私と松本さんは対角線上の端と端。黒岩さんはテーブルの真ん中に置かれたメニューを見つけると
松本さんに体を擦り付けるようにして二人でメニューを広げた。

帰りたい、今すぐ帰りたい。

「黒岩!!今日は同期会なのよ。あんたなんて呼んでないし、まだ人が来るんだから帰りなさい!!」
「あっ、それって堀部さんですよね?堀部さん、残業してたんできっと無理ですよ。
それに5人なら一つ席空いてますよね。だから気にしないでください。
それに松本さんだって若い子がいたほうが嬉しいですよね?」

あざ笑うような眼差しを向けられ、思わず視線を逸らす。
松本さんは愛想笑いで対応してるけどベタベタと触りまくる黒岩さんにイライラする。
でも私にそんな資格なんてない。
せめて優香さんみたいに女子力の高い綺麗な人だったら自信を持って邪魔できるのに。

19時半を過ぎてようやく林さんと理美が一緒にやってきた。
そして堀部さんからは残業が終わらず不参加のメールが優香さんの元に届いた。
黒岩さんがいることに林さんも理美も戸惑いは隠せなかったけれど、
当の本人は悪びれる様子もなく、ずっとベタベタと松本さんに夢中になっていた。
結局、優香さんがどれだけ言っても黒岩さんは帰らない。
気まずいまま、そして優香さんが超絶不機嫌なまま始まった同期会。

松本さんはどうして黒岩さんを連れてきたんだろう。松本さんは黒岩さんが好きとか?
黒岩さんが松本さんを好きなことは見ていればわかるけれど。
こんな辛い時間をあと何時間も過ごしたくなくて煽るようにお酒を飲んだ。

「あのさ、ちょっと同期だけじゃないから言いづらいんだけど俺と鈴木、付き合ってるんだ」

お酒が回ってきて少しいい気分になっていた頃、林さんが意を決して打ち明けた。
みんなの目が一気に2人に集中する。
林さんの隣に座る理美の頬は赤く染まっていてすごく可愛らしい表情を浮かべてる。
理美は小動物のようで本当に女の子らしく可愛らしい。身長も小さくて受付でいつも笑顔を振りまいている。
理美のことをいいと思っている人はたくさん社内の中にもいる。
そんな理美は私と同い年でそして私のことも『恵那ちゃん』と呼んで声を掛けてくれる。
私が一線を引かなければ理美とももっと親しい仲になれるはず。

勝てるわけない。理美みたいな素敵な女の子に。
素直に認めると林さんと理美は本当にお似合いのカップルだと心から祝福できた。
だから理美に向けて不器用ながらに笑顔を見せた。

「おめでとう、理美、林さん」

声が涙声になってしまったのは決して失恋したからじゃない。
やっと理美を心から同期で良かったと思えたから。

優香さんには憧れていた。でも、理美には嫉妬してた。
多分自分では気がつかないけれど理美にきつく当たってきた部分もあるはず。
それでも理美は最初から私に対する態度を変えることはなかった。
林さんとのキスシーンを見たときは理美に対して悔しい気持ちでいっぱいだったけれど
今、二人が並んでいても微笑ましいと見守ることができる。
それはきっと、私を慰めてくれた松本さんのおかげ。
林さんから松本さんへの心変わりの早さは否めないけれど、やっぱり私は松本さんが好きなんだ。

「わーっ!!おめでとうございますぅ。なんだか素敵でお似合いのカップルですよねー。松本さん。
あっせっかくだから松本さんもあたしと付き合っちゃいませんか?」

優香さんが二人をとても祝福していて今日は宴の無礼講よ!と林さんと理美にメニューを手渡し
好きなものを頼みなさいと楽しい雰囲気だったのも束の間、また黒岩さんが横から邪魔をした。

「俺は、パス。売約済ですから」

今度はその言葉に一気にみんなの目が松本さんに集中した。
さすがにベタベタとしていた黒岩さんも少し戸惑いの表情を浮かべている。

「えっ、そ、そ、それって…」
「あっ、そういえばそうよねー。松本はもう売約済だわ。
それに松本って香水振りまいてベタベタくっついたりする女とか、
あっあと一番嫌いな女は陰口を大声で聞こえるように言う女だっけ?」

挑発的な視線で黒岩さんを黙らせる優香さん。その視線に耐えきれず黒岩さんは松本さんに助けを求める。
でも、松本さんはそんな黒岩さんを拒絶するような言葉を放った。

「そう、給湯室で誰が聞いてるかもわからないのに大声で名指しで悪口を言う女は大っ嫌いなんだ。
だからその手、離してくれるかな?それと…堀部に無理矢理残業押し付けて俺の後つけてきたんだから謝ろうか?給湯室でのこと」

ぶつかる視線

夜景の写真

えっ?なんだ?何のこと?何も知らない林さんと理美が慌て出す。
居心地の悪くなった黒岩さんは身の回りのものを片付けて私を見ずに立ち上がった。

「あ、あたしちょっと用事思い出したので帰ります」
「こらっ、立場が悪くなったから逃げるな。何のために俺が黙って好きなようにさせてたと思うんだ?
頃合いを見て謝らせたかったからに決まってるだろ。早く謝りなさい」

逃げ出しそうな黒岩さんの腕を引っ張って真剣な顔で話す松本さん。
優香さんは私に優しい笑みを浮かべてくれた。泣きそう。松本さんがここまでしてくれることが嬉しい。
でも、さっき売約済だと聞いたから嬉しいけれどこれ以上好きになりたくないから苦しい。
二つの思いで今にも決壊してしまいそうな涙。

「黒岩!あんた大人でしょ。都合が悪くなったから逃げるなんていつまでも子どもみたいなことするんじゃないわよ!」
「あーもううるさいな。分かった、分かりました!すいませんでした」

私をきつく睨みつけて謝罪とは思えない口調を放った黒岩さんは
松本さんに掴まれた腕を振り払って個室を出て行った。
嵐が急に去った。
この状況を一番把握できていない私は理美が心配そうに背中を撫でてくれても反応を示すことが出来なかった。

「ごめんな、ちょっと嫌な思いをしたかもしれないけれど
どうしても俺はあの子を見過ごしたくなかったんだ。あんな謝り方で気分は悪いだろうけれど」
「ほんとよ!松本が黒岩を連れてきたときはどうしようかと思ったけど
なんとなく考えが分かったからあえて無視してた。本当にあいつ嫌なやつね!!」

どっかに異動でもしないかしら、とメニューを広げる優香さんに、林さんが説明しろよとまくし立てる。
メニューを開きながらことの成り行きを林さんと理美に説明する優香さんの横にそっと移動してきた松本さん。
短髪の黒髪で奥二重の瞳は優しげ。ネイビーブルーのネクタイは少し緩めてあってそれが妙に色っぽい。
しっかりとちゃんと松本さんの姿を目の前で見た。
こんな素敵な人に彼女がいないわけがない。今までどうしてこの人に興味を持たなかったのだろう。
こんな素敵な人が同期にいたのに私は林さんしか見ていなかった。ようやく気付いたのに…

「えっ?恵那?!ちょっとどうしたの?」
「恵那ちゃん、大丈夫?」

こんな気持ち、知りたくなかった。抱きしめてほしくなんてなかった。
まだ、林さんに失恋するだけのほうがずっとずっと立ち直りだって早かったに決まってる。
心配そうに優香さんと理美が声を掛けてくれる。
でも、私はただずっと大粒の涙を零しながら松本さんを見ていた。

「どうして、どうして優しくするんですか?あんな風に守られて好きになるななんてそんなの私には無理です。
彼女がいるならもう私にはかかわらないでください!!」

本当なら立ち上がって今すぐにでもここを立ち去りたかった。
だけど理美や林さんの後ろを通らなきゃいけないし、なんだか空けてもらうのも格好悪くて
結局テーブルにうつ伏せることしか出来なかった。
情けない、格好悪い。こんなこと言われても松本さんは困るだけなのに。

「恵那ちゃん、それって俺のことが好きだって思ってもいいのかな?」

松本さんの言葉に顔を上げると真剣な眼差で私を見てる松本さん。
そっと林さんと理美は立ち上がり私の横に松本さんが座った。

「恵那、松本とよく話すこと。あーもうあたしも彼に会いたくなってきたわ。
松本、ここあんたの奢りね。さっラブラブカップルさんも行きましょうか」
「恵那ちゃん、またゆっくりご飯行こうね」
「お前ら、こんなとこで羽目外すなよ」

みんながニコニコしながら私と松本さんに手を振って個室を出て行ってしまった。
どうしよう、松本さんと二人っきりになってしまった。
しかもここは後ろが壁で逃げられない。とりあえず視線を逸らした。

「恵那ちゃん、俺…」
「ごめんなさい。彼女がいるのに変なこと言ってごめんなさい。勝手に好きになって…」

言い終わる前に松本さんの腕が伸びてきて強く腕の中に閉じ込められる。
胸を押して離れようとするも逆に離さないと強く腕を回される。

「ま、松本さん、離してください!彼女がいるのにこんなこと…」
「彼女なんていない!」
「嘘、だってさっき売約済だって…」

少しだけ腕を緩める松本さん。それでも軽く視線がぶつかるくらいの距離。
まだ私は松本さんの腕の中にいる。

「売約済だよ。俺はずっと恵那ちゃんが好きだった。俺の気持ちはもう恵那ちゃんに売約済なんだ。
恵那ちゃんこそ、林が好きだったんじゃないの?」
「…確かに林さんのことが好きでした。でもあの日松本さんに抱きしめられて、松本さんのことを好きになったんです。
軽いですよね。自分でも思います。だけど、もう毎日松本さんのことばかり考えるくらい松本さんしか見えないんです」
「恵那ちゃん」

またぎゅっと力強く松本さんの胸の中に閉じ込められた。トクントクンと聞こえる松本さんの心音。心地いい。
絶対に叶わない、実るはずのない片思いだと思ってた。こんな風にまた抱きしめてもらえるなんて思わなかった。

「…恵那ちゃん、もっと抱きしめたいな。うちに来ない?」

強く、抱きしめて

マグカップの写真

私は今、松本さんの家にいる。
さすがに思いを伝えあってすぐに家に来るなんて早すぎるし、
誘われてのこのこついてきて本当に軽いと思われるかもしれない。それでも今、松本さんと離れたくなかった。

「コーヒー持ってくるからそこで待ってて」

松本さんの家は2LDKの広めの部屋。リビングには大きな黒のソファが置いてあってTVがある。
キッチンは使い勝手のいい対面式。正直一人暮らしにしたらとても広くて
彼女とでも同棲していたのかなとつい考えてしまった。

「はい、お待たせ。ってどうしたの?恵那ちゃん」
「いえ、あのとても広いお家だなと思って」
「ああ。ここ姉貴とシェアして住んでたんだけど
姉貴が遠距離の彼氏追いかけて出て行ったから俺が一人で住んでるんだ」

なんだ、そうだったんだ。ホッとして淹れてもらったコーヒーを口にする。
あっ、カフェオレだったんだ。しかもこれ私の好きなカフェオレ。
トスンとソファに座る私の横に松本さんが座った。

「俺さ、結構前から恵那ちゃんのこと気になってたんだ。でも同期会くらいでしか話すこともないし、
縮まらない距離をずっと優香に相談してたんだ。でもさ、優香も大したアドバイスくれなくてさ。
恵那ちゃんの好きなもの教えてくれるだけだったんだ」
「あっ、だからこのカフェオレ」
「そう。結構これ俺も好きになった。俺、女々しいだろ?強引に距離を縮めることもせずにこうやって
恵那ちゃんの好きなものをこっそり買ってるなんてさ」
「いいえ、少しくすぐったいけれど嬉しいです」

本当、こんな可愛げもなく後輩や友達だと思ってた子に陰口を言われ、
大切な人たちも心から信用できなかった私をずっとそんな風に見ていてくれたなんて、くすぐったくて、とても嬉しい。
そっと一口カフェオレを飲んだ。

「でもさ、あの日偶然黒岩さんたちの陰口を聞いて立ち止まってた恵那ちゃんを見た。
泣くのかなと思ったらすっと背筋を伸ばしてそこを立ち去る姿を見てさ、かっこいいと思った。
でも抱きしめて泣かせてあげたいとも思ったんだ。
でもそんなことできないから優香にだけ知らせて俺の代わりに慰めてもらった」

「そう、だったんですか。だから私が林さんと理美を見たとき、抱きしめて泣かせてくれたんですね」

「…違う。あの時は林に嫉妬してた。俺だけを見て欲しくて弱ってる恵那ちゃんを抱きしめたくてたまらなくなった。
涙を堪えて我慢している恵那ちゃんを抱きしめたくて夢中だった」

「松本さん…抱きしめてくれてありがとうございました。
松本さんに抱きしめられて私、松本さんのこと、好きになったんです。だから気持ち届きました」

「あーもう!そんなこと言わないで。
俺、今理性保つの必死だから!!」

腕を引かれまた強く抱きしめられた。
優しく抱きしめられるのも好きだけど、こうやって気持ちをぶつけるかのようにきつく抱きしめられるのも好き。
松本さんに抱きしめられるのは、好き。

「恵那ちゃん、好きだよ。恵那ちゃんのこと本当にずっと好きだった。こうやって腕の中に閉じ込めたかった」

「私も、私も、松本さんが、し、修吾さんが好きです」

腕を緩め、また視線がぶつかるくらいの距離で抱きしめられたままそっと瞳を閉じると修吾さんの唇が下りてくる。
私は大好きな人に抱きしめられながら初めてのキスをした。

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