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小説サイト投稿作品27 「つなぐ理由」(ペンネーム:櫛川沙希さん)


「つなぐ理由」(ペンネーム:櫛川沙希さん)

〜LC編集部のおすすめポイント〜

手をつなぐってドキドキしますよね?それが、突然のことだったら?
思いがけない人からされたことだっら?確実に意識してしまいますよね。

それはきっともう恋の始まり。2人の微妙な距離感にドキドキしました!
不器用な彼にもキュンキュンします。手って意外と見られてるものなのですね!

重なる瞬間

「ちょっと飲ませすぎちまったからな。上杉、せーこちゃんのことは頼んだぞ」

飲むといつも笑い上戸になる課長が、地下鉄の駅に続く階段を下りていくわたしと上杉先輩に向かって声を掛けてきた。

「聞いてんのか、このむっつり上杉っ。何度も言うけどな、せーこちゃんはみんなのアイドルなんだからな。 いくらせーこちゃんが酔っ払ってるからって送り狼とかになったら承知しねぇぞう」

課長はひらひらと手を振りながら他の先輩方と一緒に山手線の駅に向かって歩き出した。
それを見送ると、上杉先輩と一緒に再び地下に続く長い階段を降りていく。
通勤に地下鉄を使っているのは、うちの課では上杉先輩とわたしだけ。
だから飲み会の帰りは自然と2人きりになる。

この上杉先輩とは、同じ課にいてもあまり会話をすることがなかった。
べつに嫌われているとか何か理由があるからではなく、先輩とは仕事上での接点がないのだ。
おまけに上杉先輩は寡黙で就業中に無駄なおしゃべりをするようなタイプでもない。
挨拶くらいは毎日交わしているけれど、上杉先輩がどんな人なのかまだ入社して半年のわたしには分からなかった。
だからいつもながら、2人きりというこの状況がすこしだけ気まずいような。
先輩の横に並んで歩きながらやや緊張して階段を下りていた。
時刻はそろそろ10時という半端な時間で、ひともまばらだ。

――帰り、座れたらいいな。
おろしたてのパンプスがまだ足に馴染まなくて靴擦れしてすりむけた足首が痛く、 それを庇うように変な歩き方をしていたら、不意にからっぽだった右手が何かに捕らわれた。

「…っ」

いきなりのことで思わず隣にいる人を見上げる。
今日も突然断りもなく手を繋いできた上杉先輩は、顔色を変えることなくただ黙々と歩き続ける。
――飲むと真っ赤になる体質でよかった。

あまりにも堂々としすぎている上杉先輩の隣で、緊張もマックスに達したわたしは、自分の顔がじんじんと熱くなっていることを感じていた。

地下鉄

いたって平凡な顔で特別可愛いわけでもないわたしが、課長や年長の先輩から「アイドル」なんて呼ばれていることには理由がある。

『聖子』今ではちょっと古臭く感じるこの名前が、わたしの名前だ。 青春時代に昭和を代表するトップアイドルに夢中だった父の 「娘が生まれたら絶対に“聖子ちゃん”にするんだ」という独り善がりな決意によって名付けられた。

この名前は父と同世代の人たちからはやたらとウケがよく、高校のときはバイト先の社員さんに、学生時代は先生に、 会社勤めになってからは上司の方々に、すぐに名前を覚えてもらえるという利点があったけれど、 「聖子ちゃん」と呼ばれることは本当はすこし苦痛だった。
そのうえ冗談でも「アイドル」扱いなんてされるとつらかった。
いくら『聖子ちゃん』でも、その名前の恩恵に与れることもなく、わたしはどこにでもいるような十人並みの顔だ。

平凡な容姿のくせにやたらとおじさんたちにちやほやされるのを見て、バイト仲間やクラスメイトが馬鹿にするように冷めた目を向けてくるのがいたたまれなかった。
今の職場でもわたしが入社するまで課でいちばん若かったという4歳年上の先輩が、「顔面偏差値あの程度のくせに、アイドル扱いとかウケるんだけど」と、 化粧室でわたしの容姿を貶しているのを聞いたことがあった。
『聖子』だなんて名前でさえなければ、わたしみたいな地味な女は目立つこともなく、嫌われることもなかったかもしれないのに。

だから職場で『聖子ちゃん』と呼ばれることは本当に嫌だった。
けれど課長がわたしをそう呼ぶから、それに倣って男性社員も女性社員もみんな『聖子ちゃん』と呼んできた。
でもただひとり、わたしのことを「戸田さん」と苗字で呼んでくれるひとがいる。

それが上杉先輩だった。

「せんぱーい。なんだかあっついですねぇー」

いったん離れた手が改札を通った後に当たり前のように再び繋がれると、いよいよ恥ずかしくなってきて上杉先輩に話しかけていた。

地下鉄のホームには電車を待つひとたちが列をつくり、時折その中からわたしたちにちらりと視線を寄越してくるひともいた。
若い学生カップルならまだ知れず、どう見ても仕事帰りの会社員とOLといういい年をした大人同士が、こんな場で堂々と手を繋いでいる姿は奇異に見えるのだろう。
いままでろくに恋愛なんてしたことがなく、もちろん男の人と手を繋いだ経験もないわたしは、いつもこの状況が恥ずかしくてわざと周りに聞こえるようにすこし大きめな声で、しかも舌っ足らずに喋って酔っ払っているひとのふりをした。

これは上杉先輩の目を欺くためでもある。

わたしが入社してすぐに開かれた新人歓迎会のとき。
場の空気を悪くしたくないという気負いから、わたしは奨められるがままに注がれたお酒を飲み続け、お開きになる頃には足元が覚束ないくらいに酔っ払っていた。
そんなわたしをアパートまで送ってくれたのが上杉先輩だ。
おまけにふらつきながら歩くわたしが転倒することを危惧してか、アパートに着くまでの間上杉先輩はずっと手を握ってくれて、先輩にもたれかかるわたしの体を支えてくれた。
恋愛経験のないわたしは先輩の紳士的な気遣いにすっかり舞い上がってしまい、 翌日は真っ先に「昨日はすみません。ありがとうございましたっ」と意気込んでお礼を言いにいった。
でも対する上杉先輩は、見ていたパソコンのモニターから視線を外さないまま
ただ素っ気なく「戸田さんは飲みすぎないほうがいいよ」と言っただけ。

友達から、飲み会で酔っ払っうような女を「ガードがゆるくてだらしのない女」だといって嫌う男もいるのだと聞いて、 上杉先輩もわたしのこと「自力で帰れないくらい飲んで迷惑かけてきたどうしようもない女」だと呆れているのかもしれないと思って落ち込んだ。
ただ手を握られただけでどきっとして、先輩のことを意識しそうになっていた自分が恥ずかしくて、自戒も込めて 「飲み会のときはもうぜったいに飲みすぎない。上杉先輩に迷惑かけない」と固く誓った。
なのに次の飲み会の帰り道。なぜか先輩はまたわたしと手を繋いできた。

伝わる体温

わたしはアルコールを飲むとすぐに赤くなる体質だから、ちょっとしか飲んでいないときもものすごく酔っているように見られることもあった。
だから先輩も、首筋まで赤くしているわたしがまた酔っ払っていると思って心配したのかもしれない。

わたし、今日は酔ってないから大丈夫ですよ。
わたしの手を引いて歩いてくれる先輩にそう言おうと思うのに、なぜかその言葉は口から出てこなかった。
上杉先輩に酒にだらしのない女だと思われるのは悲しいなと思っているのに。
今日は「ちゃんと量を考えて飲んだから正気です」と言って駄目後輩のイメージを返上したいのに。
それ以上に繋がれた大きな手の感触が心地よくて、離し難くなっていた。

繋がった手のひらや指先からはほんのりと上杉先輩の体温が伝わってきて、自分でも分かるくらいに心臓がばくばくしていた。 離すまいとするようにしっかりと握ってくれる手の強さにいいようのない幸福感がじわじわ沸いてきて、その晩もふわふわとした夢見心地でアパートまでの道を歩いていた。

――ひとの肌に触れることって、こんなに気持ちのいいことだったんだ。

就職のために3月に親元を離れて友達も知り合いもいない東京に来て、心細いひとり暮らしをはじめたわたしは、人肌に飢えていたのかもしれない。
だからこんなに他人の体温をうれしく思っているのかもしれない。
冷静にそう考えようとしている一方で、ひとには言えないような妄想が思い浮かんでいた。

――手が触れているだけでこんなに気持ちがいいなら。もし抱きしめられたり、キスなんてされたら…。

熱に浮かされたようにぼうっとした頭でそんな不埒なことを想像してみる。相手はもちろん、上杉先輩だ。
先輩のことなんてまだ何も知らないくせに。どんな人かも分からないくせに。
それでもわたしの心はわたしの戸惑いを置き去りにしてどんどん走り出す。この手を離したくない。
そんな思いを込めて、先輩にバレないくらいこっそりと繋いだ手を握り返していた。

離れた手

その後も相変わらず、先輩とはオフィスでも飲み会でも必用最低限の会話しかしない「ただの職場の同僚」という関係のままだ。
なのに飲み会の帰りには必ず先輩の方からわたしと手を繋いできて、アパートまで送ってくれる。
だからいつ触れられてもいいように、手のお手入れは念入りにしておいた。

もともと肌が弱くて食器用洗剤で荒れやすく、放っておくとすぐにガサガサになってしまうから、 一人暮らしを始めてからは毎日欠かさず寝る前にハンドクリームを塗っていた。
上杉先輩とまた手を繋ぐことがあるかもしれないと思ってからは、アロマのいい香りのするクリームを塗り込んでマッサージも欠かさずするようになった。
おかげでメイクやファッションを研究しても容姿には全然自信がないままだったけど、手だけは自分で見ても惚れ惚れするようなつやつやでふっくらしたさわり心地のいい手になっていた。

先輩は、わたしのことどう思っているんだろう。
今晩も手を繋いで地下鉄の列に並びながら、考えても答えの出ない疑問を頭にめぐらせていた。
先輩に手を繋いだままでいてほしくて、飲み会のあと先輩に手を繋がれるといつも酔っているふりをした。
先輩が内心わたしのことを「また酔っ払ってる」と呆れているのかもしれないと思うと怖かったけれど、わたしが堂々と先輩の手を独占できるのはこのときしかないから。

だからだらしのない舌っ足らずで「外はすずしいですねぇー」なんて言いながらアパートまでの道を浮かれながら歩いていたのに。

「戸田さん。もうここからはひとりで帰れるだろ」

アパートの近くにある公園にさしかかったところで、先輩は唐突にわたしの手を離した。

「じゃあお疲れ。気をつけて帰って」

そう言った上杉先輩はいつものように何を考えているのか読み取れない無表情のままだった。
だからなんで唐突にこんなことを言い出すのかわからなかった。
ただひとつわかるのは、先輩に見放されて今すごくかなしいということだけだ。
――やっぱりわたしなんて、手の掛かる面倒な後輩だとしか思っていなかったんだ。

先輩と手を繋げることに浮かれる反面、もしかしたらそうかな、と思っていた。
いつか「面倒見きれない」といわれてしまうんじゃないかと、本当はずっとびくびくしていた。
先輩にこんなにはっきり拒絶されて、もうこれ以上嫌われる心配をしなくてすむな、よかったなと思う。
でも。もう先輩がわたしと手を繋いでくれることはないんだと思うとせつなくて。
このひとも、このひとの手もわたしのものじゃないとわかっているのにつらくて。
泣きたくなったけれど、お腹にぐっと力をいれて堪えた。

「上杉先輩っ」

背中を向けて去っていこうとする先輩を呼び止めて、その場で勢いよく頭を下げる。

「送ってくださって、いつもありがとうございました!」

感謝の気持ちと、申し訳ない気持ちと、切ない気持ちもめいいっぱい詰め込んで先輩にお礼を伝える。

「いつも心配してもらって、手まで繋いでもらって…わたし今までろくに女の子扱いしてもらえたことがなかったから、先輩から親切にしてもらってすごくうれしかったです!」

ありがとうございました、とさらに深く頭を下げると近寄ってきた上杉先輩の靴先が視界に映った。

触れて欲しい

「なんだ。戸田さん、顔赤かっただけでやっぱ酔ってなかったんだ」

冷静な指摘に恥ずかしくなって顔を上げられなくなる。

「すみま…」
「謝らなくていいし、お礼なんて言わなくていい。俺がしてたのは親切じゃないし。戸田さんのこと、大事っていうか、丁重に扱っていたつもりだった」

言っている意味がよくわからなくて、顔をおそるおそるあげながら尋ねてみる。

「丁重…?ってわたしが4年ぶりにうちの課に来た新人だからですか?」

こつん、と頭を小突かれた。

「全く、戸田さんは。…男が女の子のこと、壊れ物みたいに扱う理由なんて決まってるだろ」
「…よく、わかりません…」

すこしだけイラついたような顔で、
「戸田さんって天然なのか計算なのかときどきほんとに分からなくなる」 と文句のように呟く。

「戸田さんってさ、高校は共学だった?」
うなずくと、職場では滅多に自分のことを話さない無口な先輩らしくなく、上杉先輩は自分の身の上話をはじめた。

「俺はさ、中高、男子校だったんだ。大学も女子が2割しかいないような男ばっかの学部で。 しかも部活でガチで大学野球なんかやってたもんだから、彼女みたいなコがいた時期もあるけど、あまり女の子に免疫なんてなくてさ…」

そう言った先輩の顔はどこか恥ずかしげだった。

「就職して同期にたくさん女子がいたからさすがに慣れたけどでも戸田さんくらい年の離れた年下の女の子って、いまだにどう扱えばいいのか分からなくて。 正直戸田さんがウチに配属されてからどう接っすればいいのかいつもすごい戸惑ってた」

それであの新人歓迎会の帰り道。ただ純粋に新入りのわたしのことを心配してくれて、酔っ払ったわたしが転倒したりはぐれてしまわないように、上杉先輩はとっさにわたしの手を取っていたのだという。

「でも君の手なんて、繋がなきゃよかったよ」

先輩はそういって自虐っぽく笑う。

「君の手を取ろうとしたときは、本当にやましい気持ちなんてこれっぽっちもなかったんだ。 藤井とか時田とか他の後輩の面倒みるときと同じ感覚でいたっていうか。 さすがに男相手みたいに肩組んで抱えてやるわけにはいかないから手を繋いだだけで、本当に変な意味はないつもりだったのに…」

先輩の視線がわたしの手に留まったのがわかってなんだが恥ずかしくなって思わず両手をぎゅっと握り締めると、上杉先輩は思わず本音がこぼれてしまったという顔で呟いた。

「…びっくりした。女の子の手って、こんなに華奢だったんだって思って。 君、飲み会の後はいつも真っ赤で酔ってるように見えたからそれにかこつけて、酔ってるなら手を繋いで歩いたほうが危なくないだろとか自分の中で言い訳して、 断りもなく手を繋いだりした。でも戸田さん、酔ってたわけじゃないんだよな」
「…ごめんなさい」
「謝られると、俺の方こそごめんなさい、だな」

いつも職場では素っ気なくてクールな人なのかな、と思っていたのに。先輩は恥ずかしそうに謝ってくる。

「あの晩、平気な顔して戸田さんの手を引いて歩きながらほんとはすごいどきどきしてた。 戸田さんの手がすごくやわらかくてすごくちいさくって、壊れ物みたいだったから」

先輩はあの日から、ずっとわたしのことが気になっていたと言う。

「そんなつもりがない戸田さんにとっては迷惑な話だろうけど、職場でも飲み会の帰り道でも勝手にひとりで君のこと意識しまくってた。
だから正直参ってたよ。君が無邪気に話しかけてくるたびに、冷静じゃいられなくて。
だからいきなりで悪いけど、困るようだったらはっきり言って。もう君の手に、勝手に 触れたりしないから」

わたしは先輩にもっと触れて欲しい。先輩に手を繋いで欲しい。

手…つないで

でもそれを言うにはまだ勇気が足らない。
わたしのことをどう思ってくれているのか、もうすこし先輩の口から聞きたかった。
けどそれも怖くてうまく言葉が出てこない。

「ごめん。本当に困らせるつもりはなかったんだ」
「ち、ちが…わたし、困らないですっ。…でもその、わたし。全然かわいくないですよ…?」
「戸田さんはかわいいよ」

わたしに話しかけながらすこし照れたような顔をしていたのに、「かわいい」の言葉だけは真顔ではっきりと言う。
アルコールではないなにかがわたしの内側で火が付いたように熱くなっていく。

「せ、先輩っ。さっき免疫がどうとかって言ってましたけど、私の方こそ、免疫ないんです…」

まだお付き合いをしたことなんて一度もないのだ。
だから「かわいい」だなんて冗談でも軽々しく言わないでくださいとお願いすると、上杉先輩は子どもっぽく唇を尖らせて「軽々しくなんて言ってないだろ」とちょっと怒った顔をする。

「…戸田さん、誰に言われたわけでもないのに、いつも先に退社するときは周りに
『何か自分にお手伝いできることありますか?』って訊いてから帰るだろ?
そういう周りに気遣いできるとこいいなって思うし、共有スペースの整頓いつもやっておいてくれるし、あと変な顔のひつじの付箋使ってるとこもかわいいなって思うし」

「あ、あれはひつじじゃなくてアルパカです……!」

ぷっと先輩が吹き出す。

「そういう変なこだわりあるとことか、ほんとにかわいいよ。だから何食わぬ顔して君と手を繋いだり、紳士的なフリして家まで送ることができなくなってきたんだ」

つまり俺は君が好きなんだ。

素っ気なく言われる。
でもそれが先輩がクールだからなんじゃなくて、照れているからなんだと今はわかるから。
勇気を振り絞って、先輩に触れてもらうためだけにお手入れしていた手を差し出す。
先輩は暗い夜道でもわかるくらい顔を赤くさせると、ぎこちない仕草でそっとわたしの手を取ってくれた。
それから手を繋いでアパートまで歩く途中、わたしはうまれて初めてキスをした。

わたしも先輩が好きです。

そう伝えると好きな人から与えられる最高にしあわせなキスを、もういちど味わうことになった。

櫛川沙希さん/著

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