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小説サイト投稿作品64 「カクテルよりもあまいkiss 後編」


「カクテルよりもあまいkiss 後編」

〜LC編集部のおすすめポイント〜

「地味な仕事を任されている地味な女」の友里のもとへイケメンで仕事ができる上司、東課長が目の前に現れてから、すべてが変わった…
コンタクトレンズ、髪型、メイク、そしてドレス。
パーティーのためにと、まるで別人のように綺麗になっていく友里だが、やはり課長のことが気になって…
女の子がどんどん綺麗になっていく変身ストーリーってやっぱり女性の憧れですよね。

あくまで「パートナー」として参加したパーティーで、友里は彼を射止められるのか?
女性の複雑な心境が細かく描かれていて、共感できるシーンが多いのではないでしょうか。
彼もまた素敵な男性で、思わずキュンとときめいてしまいます♪

課長と二人きり

みるみる変わった私に、私以上に周りが驚いたらしい。
女性の情報網とは恐ろしいもので、どこから漏れたのか、1週間も経たないうちに私が東課長のエスコートでパーティに出席する話が知れ渡っていた。
同僚、先輩を問わず、周囲の女性からは、しつこくあれこれ訊かれた。
余計な詮索をする質問には、仕事上、必要なだけ”というスタンスを必死に貫き、後は笑ってごまかした。

だって…。事実、その通りだし。
東課長は仕事上、たまたま、私という存在が必要なだけなのだ。余計な迷惑をかけたくない。
もし、うわさ通り東課長が技術部の『詩織さん』とお付き合いしているならなおさらだ。
東課長は、私を「利用」しているだけなのだ。胸の奥が、ズキリと痛んだ。

そんな、パーティの日も近づいたある日。

「ここだ」

仕事の終わった後、東課長に連れてこられたのは、新橋。
ビルとビルのあいだを縫って、少し奥まった静かな通りに入ったところに、黒い木の塀で囲まれた一角があった。
よく見ると、小さな四角い灯篭型の看板が掛けてあり、「おがわ」と、筆文字でひらがなが書かれている。

「あ…あの。ココって?」

なんか、ものすごく、敷居が高そうですけど…?私は一瞬、躊躇した。
ところが、東課長は慣れた仕草で木戸を開け、中に声を掛けると、小さなくぐり戸をさっと抜けて中に入ってしまった。
意を決し、東課長に続いて中に入ると、玉砂利が敷かれた短い小路があり、
その先には白木でできた、静かなたたずまいの玄関が待っていた。
も、もしかして、ココが噂の、りょ、『料亭』というところでしょうか…?

予約してあったのか、お着物姿の仲居さんが心得たように通してくれたのは、お座敷の個室だった。
中央には黒くて大きな座卓…というのでしょうか?
テーブルがあって、課長は、そのテーブルを挟んで、私を向かい側に座らせた。

「あ、あの…」

どうにも落ち着かない私に対して、落ち着かないどころかほっとした様子の課長はあぐらをかくように悠然と座ると、軽く襟元に人差し指を差し入れてネクタイを緩めた。
うっ…。な、なんか、大人の男の色気全開で、目のやり場に困る…。

「ん〜…?何だ?」

案内してくれた仲居さんが渡してくれたお品書きに軽く目を通していた課長が視線を上げて私を見る。

「あ、いえ…その。私、こういうところ、初めてなので…」

課長はふわりと笑った。あ。こんな優しい顔もするんだ。

「…そうか。まぁ、誰も見てないし、気楽にしてくれ。料理は任せてもらっていいか?」
「お、お願いします」

任せるも何も、何をどうすればいいのか、見当もつかないんだもの。

まるで見ていたように、絶好のタイミングで注文を取りに来てくれた仲居さんに東課長が淀みなく注文をすると、仲居さんは、私に愛想の良い笑顔を浮かべて『ごゆっくり』と言って出て行った。
“ごゆっくり”って言われても…お座敷に…課長と二人きり。なんか、どうにもこうにも緊張するんですけど…?
でも、課長の方はといえば、まったく、のんびりとした様子だ。
座敷の南側は大きなガラスの引き戸になっていて、課長はその向こうに見える、小さな日本庭園にゆったりと目を移している。
夕方ということもあって、灯篭には灯が入り、きれいに整えられた庭園には飴色の光が射していた。

優しさが染みる…

「あの…、今日はどのような…?」

ゆるやかな沈黙に耐えられなくなって、私は切り出した。でも、課長はその質問を完全にスルーした。

「君の後ろ、襖だろう?」

振り返って気がついた。

「あ。本当ですね。なんでこんなところに襖?あ、おとなりもお座敷ですか?」

課長が私に視線を戻す。ん?なんか、ちょっと目が細くなって意味ありげ?

「そう。…で、蒲団が一組敷いてある」
「あ。なるほど。お泊りもできるんですね?…えっ?…」

何気なく言ってしまってから絶句した。
蒲団が…『 一組 』…?それってもしかして…

「枕が2つ、並べてある」
「え…っ…?あ、あの…東…かちょ…」

全身が硬直した。ま、まさか…!

でも。きっちり3秒間、血の気の引いた私の顔を怖いくらいの真顔で見つめていた課長が、唐突にぶーーっと噴き出した。
そして、いかにもおかしさを堪えられないといった様子で言った。

「…冗談だ!冗談。いや、あんまり固くなってるんで、つい、からかってみたくなった。悪かった。 やばい。これはれっきとしたセクハラだな。許してくれ。安心しろ。ここはそういうところじゃない。 襖の向こうはちゃんとした座敷だ。この後、俺はここで接待があってな。その前の腹ごしらえに付き合ってほしくてね」

口元を押さえてくっくっと笑っている。まるで、大きな“ いたずらっこ ”だ。

「はぁ〜〜〜っ…」

私は盛大にため息をついた。ほっとしたら、急に腹が立ってきた。

「もうっ!!人をからかうのも大概にしてください!」

課長は楽しそうにまだ笑いながら、

「いや、だから悪かったって。そう怒るな。ここは俺が奢る。ここの鱧は美味いんだ。 たまには商談なんて関係ない相手とこうしてのんびり食事がしたくてね」

そこへまた、絶妙なタイミングで前菜のお盆が運ばれてきた。
塗りもののお盆に、季節の夏野菜の揚げ物や、一口サイズのきらきらした煮こごりなんかが彩りよく上品に置かれている。

「きれい…」

私は怒りも忘れて美しさに見惚れた。和食って素敵。

「だろう? 味も絶品だぞ」

東課長が、嬉しそうに笑った。得意そうな顔は、あの、子どもみたいな笑顔だ。
ああ。何だか、うまくあしらわれた気がする。でも、まぁいいか。
いつの間にか、緊張もほぐれている。もしかして、私の緊張をほぐしてくれようとした…とか?
課長は何事もなかったように、野菜をおいしそうに口に運んでいる。やっぱり、かっこいいなぁ…。

「最近、嫌な思いをしていないか?」
「え?」

唐突に訊かれて私は首をかしげた。

「俺とパーティに出ることを嗅ぎつけた社の女性たちに、何か言われたり、不愉快な思いをしていないか?」

そうか…。そのことを訊きたかったんだ。だから私を、会社の人の目の届かないここへ…。
口は悪いし、いたずらっこみたいだけど。…優しいんだ。私は笑って見せた。

「あ…。いいえ。仕事のためと説明してますから。信じてくれているかはわかりませんけど」
「そうか。俺の仕事に付き合ったばかりに、すまなかったな」

心配してくれていたんだ。それで、忙しい中、時間をとってくれたんだ。
優しさが、じんと胸に染みた。ずっと引っかかっていた疑問。いまなら訊けそうだ。

ずっと引っかかっていた疑問

「課長は…どうして私を…その、選んでくださったんですか? パートナーにされるんでしたら、私なんかよりもふさわしい方が、もっと他にもいらしたでしょうに…」

たとえば、「詩織さん」とか…。課長はちらりと私と視線を合わせると、ふっと、逸らした。

「食堂のおばちゃん、知ってるだろう?」
「え?…ええ。はい。」

確かに知ってるけど…?

「おふくろなんだ」
「ええっ!?…は、初耳です!」
「別に隠してるわけじゃないんだが、あえていう話でもないんでね。俺はあんまり社で昼食を取らないしな。知ってる人間はほとんどいない」
「そうだったんですか」

食堂のおばちゃんはとても優しい。私はときどき、そのおばちゃんと話をしていた。

「おふくろが言ってたんだ。“いつも、残さずきちんと食べて、 いただきますとごちそうさまを欠かさず言ってくれる女の子がいる”って。 どんな子だろうって思っていた。おふくろが君の名札を覚えていて、名字だけは知っていた。 …で。今回の件で検査報告書に目を通していたら君の名前があった」

うわ…全然、気付かなかった。「がっかりしたんじゃないですか?こんなツマラナイ女で」

私は苦笑いをした。

「まあな。“残念な女”って思ったね」

がーーーんっ!そ…そこまでヒドイ?私!?
危うく涙目になりそうな私に気付いているのかいないのか、課長は淡々と続けた。

「長い睫の縁取りが付いたおっきな目と、白磁器みたいな白い肌はメガネで隠れてるし、 つやつやの髪はただ長いだけでひっつめてる上に、スタイルのよさはダサい作業着で鎧みたいに覆ってるし」

しれっと言ってのけると、微笑する。
その瞳は、“どうだ? 口説かれてる気分は?”まるで、そう言ってるみたいだ。

「…!…褒めるかけなすかどちらかにしてください」

私は赤くなる顔を隠す様に、むくれて横を向いた。でも、正直、照れ隠しだ。
そんな、『恋の駆け引き上級者編』みたいなことされても、どうしたらいいかわからない。
課長はそんな私の戸惑いを察したように、さらりと話題を変えた。

「なにしろ、あの報告書は、読む人間の立場に立って書かれていた。ただ仕事をこなすだけじゃなく、さらにその先を考えるのはなかなかできることじゃない。パートナーとして、傍らにいて欲しいと思ったわけだ」
「…ありがとうございます」

パートナー…もちろん、「仕事上の」だろうけど、なんだか、こそばゆい…。

「まぁ、ちょっと、ヒギンズ教授を気取ってみたくなったのは、自分としても誤算だったな…」
「?」

最後の方、言葉を濁した東課長。
真意がわからず、その瞳をのぞこうとしたら、お椀の汁を飲むふりで、表情を隠されてしまった。
穏やかな沈黙が流れる…。なんか、勘違いしちゃいそうだ。
いけない、いけない…この人にしてみれば、ちょっとふざけた程度のことよね…。何か、他のことを考えよう。

そういえば。最近少し気になることがあった。
それは、女性にはこの変わりぶりにとても興味を持たれたのに、何故か周囲の男性達からはかえって遠巻きにされているような気がしていたのだった。

「課長。私、何だか関係各所の男の人に遠巻きにされている気がするんですが…」

ところが、課長はメインの肉の料理を豪快に口に運びながら素っ気なく答えた。

「そうか?気のせいだろう」

あっさり言われてそれ以上聞けなかったが、なんとなく、気にかかった…。

課長への想い

どのくらい、経っただろう?私は座ったまま、手元のグラスをぼんやりと眺めた。
オレンジ色のきれいなカクテルが照明に反射してきらりと光る。
短時間で意識に霞がかかったようにふわりと気持ちがよくなったのは、このお酒のせいかも。

「…で?僕の話、聞いてくれてます?」

上から降ってきた声に顔を上げれば、私の前に立って少し前かがみに顔を覗き込んでくる人は、銀色のいかにもエリートっぽいフレームのメガネをかけているのに、スマートで嫌味がない。
もしかしたらこの人だって、充分、素敵なのかもしれない。

でも…頭の中で響くのは、『あの人』の声。

“いいか、宮下さんは我が社の新製品の行方を握る大事な官庁の人なんだ。頼むから怒らせないでくれよ。”

東課長のばか。ばか、ばか、ばか…!ひとの気も知らないで。なんだか、自分が情けなくなってきた。

「以前、書類を届けに来てくれましたよね?あのときからずっと、あなたを紹介してほしいって東さんに頼んでいたんですよ」

ピアノにもたれ、少し照れたように笑う宮下さんは、うちの会社にとって大事な人。そのくらい、わかってる。
だけど…私が好きなのは…

無意識に、私の目は東課長を探してしまっていたらしい。
私をちらりと横目で見た宮下さんが、さりげなく口を開いた。

「もしかして、東さんをお探しですか?あの人なら確か…吉崎さん、でしたか?と、ご一緒でしたよ。ずいぶん親密そうだったな…」

一瞬で固まる私。吉崎…吉崎詩織さん…
社外でも、綺麗で頭のいい吉崎詩織さんは有名人。東課長と付き合ってると噂の人。
私は視線を落としてグラスを握りしめた。どうでもいいんだ。東課長にとって。私なんか。
他の男の人に口説かれていようが。私は残ったお酒を一気にあおった。
飲みきれなかったオレンジのお酒が、グラスに残った。まるで、私の課長への想い。未練がましくって、いやになる…

宮下さんが苦笑いを浮かべて肩をすくめた。

「…東さんも罪な人だな。まぁ、確かにモテそうな感じがしますよね。 どうみてもまだ三十歳前後なのに課長だなんてよほど優秀なんでしょうし。 …でも、僕にはわからないな。こんなに可愛い人が側にいるのに見向きもしないなんて。 …どうです?あなたさえよければ、今度、食事でも?うん。そうしましょう! 美味い店があるんです。お連れしますよ」

明るく笑う宮下さんを見上げて思う。もう、やめてしまった方がいいのかな。
こんな思いをするくらいなら…片思いなんて。

「宮下さん、私…」

『私、行きます』と答えかけたとき、

「お話し中、失礼!」

静かな店の雰囲気を台無しにする大きな声が鳴り響いた。
驚いて振り返ると、そこには、息を切らした東課長が立っていた。

「東さん…どうされたんです?」

宮下さんの苦い顔。

「申し訳ありません。ちょっとこいつに話があるので」

言うが早いか課長は、私の手からグラスを取り上げて乱暴にピアノの上に置いた。手を掴まれ、強引に立たされる。

「外の風にあたるぞ!」
「あ…っ!?」

課長は、唖然とする宮下さんを店内に置き去りにしたまま、戸惑う私の手をぐいぐいと引いて歩いてゆく。
気付けば、今日は使う予定ではないと聞かされていた、人気のない裏庭のテラスへと連れ出されていた。

人気のないテラスで

使う予定のないテラスには、ところどころキャンドルが置かれ、幻想的な灯りを灯している。
透明な初夏の夜風が吹き抜ける。庭の芝が月の光にライトアップされ、美しく銀色に輝く。
店内の賑やかさが嘘のように、人影もなく、ひっそりと静まり返るテラスに自分の声がこだました。

「何するんですか?宮下さんのご機嫌をもし、損ねたりでもしたら…」

話し終わらない内に、手を取って引き寄せられた。

「!?」

気が付いたときには、腕の中にすっぽりと抱きしめられていた。

「それとこれとは話が別だ!よかった…。気が気じゃなかった…」

混乱した私は、身じろぎもしないでされるままになっている。…どうして? 詩織さんは…?
抱き寄せた私をさらにきつく抱きしめる課長の低い声が、耳元で震える。

「…どこへ行ったかと思えば、あんなヤツに口説かれてるなんて!」

その声には、不機嫌さが色濃く滲んでいて…え?もしかして…『嫉妬』…してるの?
どうして…あなたが?だって、あなたは詩織さんと…。わからない…。

【東さんも罪な人だな】宮下さんの声が脳裏にこだまする。
モテるひとは、みんなにこんなこと平気でするの?抱きしめられているのに、哀しくなるなんて。

「…大事な仕事関係の方に話しかけられれば、お話ぐらいします…」

何よ…自分だって。涙目なのが自分でもわかってくやしい。

「だから何だ?…ったく、スクリュー・ドライバーなんか飲まされやがって。あれは口当たりがいいからつい、すすんじまう。だが実はベースがウオッカで別名、 『レディ・キラー』っていうぐらい、めちゃくちゃ強いんだ」

そうか。そうだったんだ…だから、たった一杯飲んだだけで、こんなに頭がぼーっとするんだ…。
宮下さんって…爽やかな顔して、ズルイ人。危なく「Yes」って言っちゃうところだった。
東課長がまるで苛立ちをぶつけるかのように、ピアノの上に乱暴にカクテルを投げ出していたのをぼんやり思い出した。

「…まさか、何かされたりしなかっただろうな?」

そう言うと、躯を少し離して私の顔を心配そうに覗き込んだ。
その心配そうな顔を見たら…涙がこぼれた。お酒でぼんやりした頭が回転しない。
今まで詩織さんと一緒だったくせに。私のことなんて、心配なんかしてなかったくせに。
――もう、優しくなんてしないで。

私は思わず、課長を睨みつけた。

「されました」
「なにっ!?…何された…んだ?」

普段、余裕にあふれている顔が動揺している。ふんだ。もっと慌てればいいんだ。
それがお酒の効用なのか、目の前のひとを困らせてみたくなる。私は拗ねて横を向いた。

「…ご想像にお任せします」

課長の顔色が変わった。

「くっそ!あの野郎…!一発、殴ってやる。君はここを動くなっ」

突然、スーツの上着を脱いで私に投げつけると、まるで俊敏な黒豹の様に身をひるがえした。
冷静な人の予期せぬヒートアップに、今度は私が顔色を変えた。

「きゃ…!嘘!嘘ですっ」

私は課長の鍛えられた広い背中にしがみつくと、必死で引きとめた。

「嘘…?」

端正な顔が怪訝そうに振り返る。遥か上から自分を見降ろす瞳に、私は思わず、目を逸らした。
課長は大きくため息をついてこちらに向き直り、私を見る。

次の瞬間、体がふわりと宙に浮いた。
子犬のように軽々と抱きあげられたかと思うと、テラスの縁に腰掛けさせられていた。
シルク・ワンピースの裾が夜の風にふわりと舞う。背の小さな私の視線と、背の高い課長の目線が一緒になった。

カクテルよりも甘い…

「何か、言いたいことがありそうだな。言ってごらん」

優しく促されて心が震える。

「どうして?お付き合いしているひとがいるなら…こんなふうに優しくしないで…」
「俺が?…一体、なんでそんなことを?」

訳が分からないという顔で首をかしげる課長。

「今まで、詩織さんと一緒だったんでしょう?」

私の言葉に、やれやれと首を大きく左右に振る。

「宮下の入れ知恵だな?吉崎の伯父は省の幹部なんだ。紹介すると言われてさすがに断れなかった…。1人にしたままですまなかったと思ってる。言っただろう?その人と名刺を交換しながら、気が気でなかった」
「じゃ…詩織さんとは…?」
「正直に言おう。付き合ってほしいと言われたよ。でも、断った」
「え?」

断った…?私は顔を上げた。

「ああ。きっぱりとね。俺には好きな女性がいるからってね」
「好きな…女性?」

心がさざめく。

「ああ。…背が小さくて、不器用で、どんくさくて、一生懸命で、可愛くて。どうしても、手放したくない大事な女性がいるんだ…ってね」

課長が照れくさそうに微笑んだ。

「それって…もしかして…」

優しく私を見つめる瞳を覗き込んだ。

「おいおい、最後まで言わせるつもりか?意外とえげつないな」

課長は困ったように顔をしかめた。

「ぶ、不器用で…どんくさいですから…」

私が遠慮がちにほっぺをふくらませると、課長が笑った。子どもみたいな笑顔で。

「ああ。そうだ。…不器用で、可愛い君が、俺は…たまらなく好きだ」

止まって欲しい時の流れ…でも、課長はそれを許してくれなかった。

「俺にここまで言わせたんだ。それなりにお返しはしてもらうぞ?わかってるんだろうな?」
「え…っ?」

すかさず課長の長い指が、私のあごを捉えた。ゆっくりと唇が重なる。優しいキスにめまいがしそう。
そんな私を気遣うように、課長はいったんキスをほどいた。

「なぁ…だから頼む。もう、泣かないでくれ。俺にとって、君の涙は思いもかけない破壊力があるんだ」

次々あふれてくる私の涙をその長い指先でぬぐい取る。とても愛し気に。

「頼みはまだあるぞ。俺はこう見えてヤキモチ焼きなんだ。そんな誘うような唇で俺以外の男の前に出るな。そんな旨そうな唇を他の男に見せられたら、宮下よろしく社の内外問わず、 君を紹介しろとうるさい連中に睨みをきかせて必死で追い払ってる苦労が台無しだ」
「え…?」

そ、そうだったの!?だから、男の人達が私を遠巻きに…宮下さんといい、男の人って…!!
…あきれた。私の心中を見透かしたように課長がニヤリと笑う。

「もっとも、他のヤツになんか、俺が見せやしない。俺がみんな頂いてやる…」

艶っぽく微笑う笑顔は魅力的で。

「こんなに好きになっちまうなんてなぁ…誤算だよ。君はまったく」

言うが早いか、スーツ越しにもわかる課長の逞しい腕が私の腰にまわり、お互いの躰を密着させるように引き寄せられた。
そうしておいて、今度はお気に入りのリップが拭いとられてしまうほど、強引に唇が重ねられてゆく。

「…んっ…!」

深くなるキスに、思わず逃げようにも、私の頬に添えられたもう一方の手が耳をかすめて髪の後ろへと差し入れられて押さえられ、 “観念しろ”とでも言う様に、それを封じる。躰から力が抜けてゆく。

ふわり。あまく。煙草の香りが微かに香る…煙草の煙なんて大嫌い。
なのに、どうしてこの人なら許せてしまうんだろう?その香りに…酔わされる。

「スクリュー・ドライバーの味なんか、消してやる…」

それは、『秘密』。月だけが知っている、ふたりの秘密…その光につつまれて…。

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