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小説サイト投稿作品55 「大好きだから」


「大好きだから」

〜LC編集部のおすすめポイント〜

出版社に勤める千秋の恋人はハトコであり、人気モデルの怜央。
ある日、仕事で撮影に立ち会うことになった千秋だが、怜央と女性モデルとの絡みに嫉妬を覚えてしまい…。

仕事をしている恋人を見ていると、かっこいい、という気持ちと同時に少し寂しい気持ちになる…。
そんな経験のある人にオススメです。

有名人の恋人

「そうそうー怜央くん、いいよー。アンジュちゃんと見つめあってー」

カメラマンの声とシャッター音がスタジオに響いている。
雑誌編集者であるわたしはスタジオの端で、怜央とアンジュのいちゃらぶショットを ときにイライラ、ときに胸をズキッとさせて見ていた。
まさか怜央がわたしの担当する月刊誌の表紙になるなんて…ううん、思わなかったわけじゃない。
高校生でモデル事務所にスカウトされ、それからめきめきと活躍し、現在美大生の怜央は学業とモデル業を両立している。

予定では5月号の表紙モデルは怜央ではなかった。
表紙を飾る男性モデルが昨晩タクシーで帰宅途中、後ろから追突される事故に合ってしまい、 大きなケガはなかったけれど、むち打ちになってしまったのだ。
彼の穴を埋めるために、急遽同じ事務所の怜央に決まった。
これは編集部にとってラッキーな出来事。
今朝、三井さんから怜央が表紙と聞いたときは口をあんぐりあけてしまった。

有名人の怜央が恋人だと、誰にも言っていない。
それに本当に怜央が自分の彼氏なのか、今はわからなくなってきている。
以前のように隣のお姉さん的存在じゃないのだろうかと。

約1ヶ月前、手がかじかむほど寒い日、わたしと怜央は恋人同士になった。
怜央の甘くとろけそうなほどのキスに翻弄され、このままベッドへ…。
なんて期待はたっぷりキスをされた後に砕け散った。

散々、わたしの唇を楽しんだ怜央は極上の笑顔で「送っていく」と言ったのだ。
あれから約1ヶ月ぶりに会ったのはこのスタジオだった。
しかも、目と目が合っただけで、会話なんて一言もしていない。
この1ヶ月間、スマホだけがわたしたちの会話の手段だった。

嫉妬するオンナ

「怜央くん!アンジュちゃんの肩に手を置いてーそうそう!優しく包み込む感じにねー」

カメラマンの声で物思いにふけっていたわたしは我に返った。
大勢いるスタッフの隙間からライトのあたる怜央を見ると、アンジュのオーガンジー素材のブラウスが包む華奢な肩に手を置いている。
アンジュはプル艶の唇で怜央に微笑み…怜央はアンジュの肩に手を置いて見下ろし…
仕事でも怜央が女の子と一緒にいるところを見たくなかった。わたしはクルッと向きを変えてドリンクコーナーに向かった。

嫉妬だ。これは嫉妬。
怜央の仕事なら当たり前。わかっているけれど、胸に渦巻くモヤモヤがとめどなく溢れ出てくる。
ブラックコーヒーと書かれた銀色のポットを掴むと、紙コップに注ぐ。

「千秋、それブラックだよ?」

声を落とした三井さんの声。

「知っています」

これを用意したのはわたしなのだから。

「ブラックは飲めないんじゃなかった?」

さらに追及する三井さんは不思議そうな瞳を向ける。

「好きじゃないけど、今は必要なんです。にがーいコーヒーが」

ぼそっと呟き、熱いコーヒーをほんの少しすする。熱すぎて少ししか飲めないけれど、その苦味に顔を歪める。

「なにかあったの?急にブラックだなんて」

撮影場所から少し離れているから私語は大丈夫だけど、やはり声は落とし気味だ。

「なにもありませんよ。あ、三井さんも飲みますよね?」

わたしは三井さんにもブラックコーヒーを淹れて手渡す。

「ありがとう。編集長の顔見て。ご満悦じゃない?」

それはそうに違いない。事故に合ったモデルには申し訳ないけれど、今人気があるのは怜央なのだから。
月刊誌なんて内容はどこも似たり寄ったり、表紙で売り上げが左右されるご時世。

若い女性に人気の怜央、幅広い層の男性に人気のアンジュ。ふたりが揃えば最高のカップル。

すれ違い

「もうそろそろ衣装チェンジよね」
「あ、そうでした」

わたしたちは進行状況を把握するだけで、衣装はスタイリスト任せ。
怜央の方を見ると、休憩に入ったようでカメラマンアシスタントやスタイリストが近づくのが見えた。
アンジュとマネージャーがわたしたちの横を通り、スタジオを出て行く。

「千秋、飲み物を持って行って」
「はい!」

飲み物の好みはあらかじめ聞いてある。
外国メーカーの炭酸水と某高級フルーツ店のマンゴーやパパイヤ、イチゴなどのフルーツ盛り合わせがアンジュの好み。
わたしは小さな冷蔵庫からフルーツの入ったパックと炭酸水を取り出しドアに向かおうとしたそのとき、持っていたものに影が落ちる。
横を向くと濃紺のジャケットを見事に着こなした怜央だった。

「れ……」

怜央と言いかけてやめる。ここは職場。怜央と知り合いだと思われてはいけない。

「ここのスタッフさんですか?僕のところにも飲み物をお願いします」

怜央がにっこり笑う。極上の王子様スマイルだ。

「は――」
「わたしがお持ちします!」

三井さんがわたしの返事をさえぎり、自分が持って行くと言う。

「千秋、早くアンジュさんのところへ持って行きなさいよ」
「は、はい」

その場にいる怜央に後ろ髪を引かれる思いを断ち切り、スタジオを出た。
戻ると怜央も三井さんもいなかった。顔を見て話せるチャンスだったのにな……。
怜央、少し痩せたみたいだった。

届かないメール

わたしたちが会えないのは、怜央の大学進級課題制作のせいもあった。 少しして三井さんが満面に笑みを浮かべて戻ってきた。

「千秋っ!見てー」

三井さんは「じゃーん」と言いながら、スマホの画面をわたしの目の前に差し出す。
怜央と三井さんのツーショット。

「良かったですね」

わたしも一緒に撮りたいな。恋人同士になってから1枚も撮っていない。 そんな思いを隠して気がなさそうに言うと、三井さんはキョトンとした顔になる。

「ちょっと、千秋。羨ましくないの?」
「そ、そりゃあ羨ましいですよ」

三井さんの突っ込みに慌てる。

「そうかなぁ。全然羨ましそうに見えないわ。 ま、千秋は怜央くんが好みじゃないって言ってたもんね。あ!怜央くん!」

すぐ近くに三井さんに笑顔を向ける怜央が立っていた。 休憩を取らずに着替えだけですぐに戻ってきたようだ。
春らしい水色のカーディガンとレモンイエローのロールアップのパンツ姿。
今の会話聞かれてなかったよね?怜央の顔を見てもまったくわからない。
怜央は三井さんに軽く頭を下げると、カメラマンの方へ行ってしまった。 怜央の手にスマホが握られているのを見て、わたしは急いでメールを打つ。

『さっきの会話は気にしないでね』

三井さんの会話を聞いていた前提としてのメール。話ができないぶん、誤解されるのも嫌。それだけ書いて送った。
遠くから怜央を見ていると、送ったメールに気づき見ている。
見たら何かしらの返事があるものと思っていたけど、怜央は近くにいたマネージャーにスマホを渡してしまった。

怜央…。

でも、メールを送ってしまってから仕事中に何やってるんだろうと自分に嫌悪した。
だから、きっと怜央もそう思ったに違いない。
うなだれたとき、アンジュが戻ってきた。キラキラパワーを振りまきカメラマンの元へ。
カメラマンの褒め殺しともいえる言葉に、モデル2人は生き生きと動いている。
見ていると2人の仲の良さが伺える。

ズキッ…。

心臓がチクリと痛む。嫉妬するなんて馬鹿げている。モデルなのだから身体が触れるのだって当たり前。
だけど、ライトの下で輝く2人を見ていると、胸にどす黒いものが湧き出てきて泣きたくなってきた。

辛い気持ち

「ほんと、怜央ってカッコいいね」

三井さんが小声でそんなわたしに耳打ちする。

「そう…ですね…」

か細い声しかでなかった。

2人を見るのも仕事。持ち場を離れるわけにはいかない。だけど、見ているのがだんだん辛くなってきた。
怜央の笑顔を一身に受けるアンジュが羨ましくて仕方ない。

「――秋?千秋?」
「は、はいっ!」

我に返ると三井さんがわたしの顔を覗き込んでいた。

「どうしたの? ぼんやりして。気分でも悪い?なんだか瞳も潤んでいるみたいだけど」
「ちょっと人酔いしちゃったみたいです。外の空気吸ってきていいですか?」

今日のスタジオはいつもより人数が多い。でもそれは単なるいいわけ。

「ここはわたしに任せて、新鮮な空気吸ってきて」
「すみません」

三井さんの好意に甘えて、頭を下げると静かに廊下に出た。
南青山にあるこのスタジオはデザイナーズマンションのようにおしゃれな建物。
スタジオは2階。1階は控室。3階から屋上に出られるのを記憶していた。

大好きだから

階段を上りかけたとき、スタジオのドアが開いた。
スタッフが出てきたのだろうと、気にも留めずに足を進めたとき――

「千秋さん!」

怜央だった。驚いて振り返ると、階段の下に怜央が立っている。
それから怜央は階段を一段飛ばしで身軽に上がってくる。わたしは茫然と怜央を見つめた。
どうして…?
怜央はわたしが立っている段までくると、心配そうな瞳で問いかけるように見下ろす。

「千秋さん、大丈夫?」
「大…丈夫…って?」

怜央はわたしが嫉妬していたことがわかっているの?
返事もできずにいると、怜央はポケットから何かを取り出した。そして、わたしの手にそれを握らせる。
怜央の一言と手に置かれたものに、瞬きもできないくらい驚く。
手に置かれたのは怜央の部屋の鍵だった。

「…鍵…?」

わたしの頭にふんわりと怜央の手が置かれ優しく撫でられる。

「わかっているから。じゃあね」

微笑を浮かべた怜央は、もう一度わたしの髪を撫でると階段を引き返した。
頭を子供のように撫でられ、「わかっているから」の一言で、わたしはなんて心が狭かったのだろうと悟る。

「怜央…」

ふっと心が軽くなる。
それは綿菓子よりも軽く、嫉妬と言う名のどす黒かった雲は一気になくなり、顔が自然とにやけてくる。
それだけ怜央の大きな手のひらはわたしに自信を与えてくれた。
これから先、わたしたちの恋はどうなるのかわからないけれど、今わかることは誰かに嫉妬する必要はないってこと。
ちょっぴり自信をもらった大事な鍵をジャケットのポケットにしまい、階段を駆け下りスタジオのドアを開けた。
そこに大好きな彼がいる。

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