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小説サイト投稿作品43 「Love it.」


「Love it.」

〜LC編集部のおすすめポイント〜

主人公の愛未が恋する上司の当麻には好きな人がいた。切ない恋だと分かっているけれどこの気持ちは止められない。
顔もスタイルも、特に自慢出来るような容姿ではない愛未だがひとつだけ誇れる部分を生かしてアピールすることに。
彼は振り向いてくれるのか…!?

恋愛にあるあるな要素がたくさん詰まっているので、女性ならどこか共感できるところがあるのではないでしょうか?
少しずつ近くなる二人に読んでいるこちらがドキドキしてしまう作品です!

ウサギとワンコ

──彼には好きな人がいる。そんなことには、あたしが入社した直後から気付いていた。
それでも、あたしは彼に恋をした。

あたしより三歳年上で、営業を担当している当麻さん。
短大を卒業して、自動車メーカーの営業事務職に就職したあたし、折井 愛未(おりい えみ)は、二年経った今も彼のサポート役として働いている。
爽やかな印象の黒髪の短髪に、犬のようにくりっとして綺麗な二重の瞳。
整った可愛らしい顔立ちをした彼は、先輩やおばちゃん職員によくからかわれる“いじられキャラ”であり“愛されキャラ”。
ちょっぴりツンツンしていて、態度も素っ気なくて、満面の笑みを浮かべた顔なんかもあまりお目にかかったことはなくて。
入社した当初は、ミスしたらすっごい怒られそうだなぁとか、苦手なタイプかなぁなんて思っていた。
元からあたしは消極的で人見知りするタイプだから、そんな性格も手伝って、彼と接するときはなんとなくおどおどしていたのだ。

そして、入社して一ヶ月ほど経ったある日。
契約書の作成のことで当麻さんに聞きたいことがあり、同じフロア内の営業部のデスクに向かったときのこと。
デスクの前に立ったまま、忙しなく何か作業をしている彼の背後から声を掛けたのだけれど。

「と、当麻さん!あの、中村様の契約書のことでお聞きしたいことが──」

──バンッ!と、
突然当麻さんのデスクで響いた音にビクッと肩をすくめ、驚いた衝撃であたしの手から書類がバサバサと落ちた。
えっ!?当麻さん、何か怒ってる!?「今忙しいんだよ、見てわからねー?」とか言われちゃう!?
一瞬パニックになったあたしは、落とした書類を拾いもせず固まったまま彼を見つめていた。
すると。

「あ、ごめん」

振り返った当麻さんは無表情のままそう言い、デスクの上の分厚いバインダーを引き出しにしまう。
な、なんだ…今の音は当麻さんがこのバインダーを落としただけだったのか…!
びくびくと縮こまったままのあたしをもう一度見やった彼は、少し笑みを浮かべて不思議そうに首をかしげる。

「どうしたの?折井さん」
「あっ…て、てっきり、当麻さんが怒ったのかと思って…」

口元に手をあててそう言うと、彼はぶはっと吹き出した。顔をくしゃっとさせて笑う姿を初めて見たあたしは、さらにぽかんとしてしまう。

「面白いねー折井さんって。なんかウサギみてぇ」
「へ…ウ、サギ?」
「なんかいつもオドオドしてるでしょ。今の、音に敏感なとことかも、昔学校で飼ってたウサギを思い出すわ」

えぇ…それでウサギ!?ウサギって言われると可愛い気もするけど、決して褒められてはないよね!?
返答に困っていると、当麻さんは表情を和らげたまま、

「言っとくけど、俺そんなに怒ったりすることねーよ?もっと気楽に接してよ」

と言って、あたしの強張った気持ちを解してくれた。
なんだ…当麻さん、全然怖くない。勝手に決めつけて、苦手意識持っちゃって、あたしってほんとバカ。そして単純。
皆から“ワンコみたい”とからかわれている彼にウサギ呼ばわりされるって、なんか笑えるけどね。

「あーあ、書類落としちゃって」
「あっ、すみません!!」

屈んで書類を拾おうとしてくれる当麻さんにはっとさせられ、あたしも勢いよくしゃがみ込んだ。
そのとき、ゴツン!と音がしたと同時に、目の前にチカチカと星が飛ぶ。

「いったぁ〜!!」
「こ、の石頭…!」

同じようにおでこを押さえて悶えるあたしたち。
あたしが慌てていたせいで、当麻さんのおでことごっつんこしてしまったらしい。うぎゃ〜、これは本当に怒られるのでは…。

「すすすすみません!!当麻さ──」

謝ろうとすると、突然彼がこちらに向かって手を伸ばすので、再びビクッと肩をすくめた。
そして、彼の手はあたしの頭をわしゃわしゃと撫で回す。

「わぁ!と、当麻さん!?」
「お前、ちょこまかしすぎ。やっぱりウサギだな」

不機嫌そうにそう言った彼だけれど、その顔には笑みが浮かんでいた。ボサッと乱された髪のまま、本日三度目のキョトンをするあたし。

「キレーな髪が台無しだな。さっきの仕返しだ」

そう言って意地悪っぽく笑う彼に、あたしの胸がキュンと音を立てた。
髪を撫でられた感覚と、初めて間近で見た無邪気な彼の笑顔は、その後しばらく忘れることができず。
長いこと続くことになるあたしの恋は、この瞬間に始まったのだった。

顔もスタイルも、どちらかと言うと幼くて、特に自慢できるような容姿ではないあたしだけれど、一つだけ誇れるものがあった。
それが、この髪の毛。
くせがほとんどないストレートで、友達からは“触りたくなる髪”だと言われるし、美容師さんからも褒められたりする。
それを、当麻さんが何気なく“キレーな髪”と言ってくれたことが嬉しかった。

今まで言われてきたセリフも、彼に言われるとまったく違う重みがあるような気がした。
だったら、少しでも魅力的な子だと思ってもらえるように、もっと綺麗にしようか。
この肩につくくらいのセミロングの髪をもっと伸ばして、ちゃんとトリートメントもしようかな。
それで、もしも意識してもらえたら…ウサギ扱い大歓迎。もう一度、あなたの手で髪に触れて、撫で回してほしいよ。

魔法の香り

それからというもの、あたしは当麻さんだけを見つめ続けた。
だから簡単にわかっちゃったよ。あなたが、他の誰とも違う目で見ている人がいるということに。
その人は当麻さんと同い年で、一般事務をしている早瀬さん。

いつも明るく、笑顔がとっても可愛くて、あたしにも気さくに話しかけてくれる人。
当麻さんとはよく言い合っているところも見るけれど、お互いに遠慮しないで自然に笑い合える関係はすごく羨ましい。
無愛想でいることが多い彼が、無邪気に笑ったり、とても優しい目で見つめているのは彼女だけ。意外とわかりやすいんだなぁ、当麻さんって…。

その証拠に、彼が早瀬さんのことを好きだというのはもはや周知の事実となっていたのだけれど。
そのことに気付いたときはもちろんショックだった。…それでも、諦めることはできなくて。
誰にも言えないまま、ずっとこの気持ちを胸に秘めて、彼を見つめるだけの日々を過ごしていた。

そんな片想いを続けてちょうど1年が経った頃から、あたしは当麻さんの様子がおかしいことに気付いた。
なんだかぼーっとして、心此処にあらずという感じ。
他の人は気付かないような些細な変化が気になって、頼まれていた資料を渡しに行ったあたしは何気なく問い掛けた。

「当麻さん、どこか具合でも悪いんですか?」
「え、何で?」
「なんか元気がないような気がするから…」

すると、資料を受け取った彼はわずかに苦笑を漏らした。

「あーちょっとね。つーか、よく気付いたな」
「それはまぁ…」

“よく見てますから”と口走りそうになり、慌てて口をつぐむ。
それより何か気の利いたことを言わなきゃ、と急いで考えを巡らせた。

「折井さん?」
「あ、えぇとですね!あたしは当麻さんのサポート役であるので、あたしにできることがあれば何なりと言ってくださいね!」

…ってあたし、何よくわかんないこと言ってんの?ほら、当麻さんキョトンとしてるし!可愛いし!
気恥ずかしさから目線を泳がせてみたり、髪を撫でたりしていると、彼がぷっと吹き出す。

「ありがとな。なぜかキョドってる折井さん見てると元気になれそうだわ」
「そ、そうですかね?えへへ」

おかしそうに笑う彼だけれど、彼にとってのあたしの存在意義が生まれたようで、ちょっぴり嬉しかった。

けれど、その数日後。早瀬さんと、彼女の先輩である女性社員の深町さんが、給湯室で話しているのを偶然聞いてしまった。
早瀬さんにも好きな人がいて、その相手は当麻さんではないことを。最近当麻さんの元気がないのはそのせいなのかも…。

その日帰宅したあたしは、複雑な気持ちのまま湯舟に浸かっていた。
当麻さんの気持ちを想うと切ないけれど、早瀬さんの好きな相手が別の人でよかったという安堵感が入り交じる。

「あたしにできることって何だろう…」

彼が弱っているだろうこの機会にアタックする…なんてしたたかなことは、臆病ウサギのあたしにはできそうもない。
他にできることと言ったら、やっぱり彼を元気づけることくらいだ。
鼻の下までお湯に浸かり、ぶくぶくと息を吐きながら目に入ったものは、最近お姉ちゃんが使い出したヘアオイル。

これ、すっごくいい香りがするんだよね…近くを通るたびにフルーツのいい香りがふわっと鼻をかすめて、それだけでいい気分になれちゃうの。
柑橘系の香りには心身ともにリフレッシュさせる効果があるってよく言うし。
もし当麻さんのもとにこの香りが届いたら、少しは彼を癒せるかも…?

そんな単純な思い付きで、あたしはヘアオイルをお借りすることにした。
彼に一定の距離を保ってしか近付けないあたしには、これが精一杯のアピールにもなる。
どうか、あたしの想いも届きますように──。

一年経って、肩の下まで伸びた長い髪の毛に、小さな乙女心とともに魔法の香りを馴染ませていった。

恋するウサギ

それからまた約1年。あたしは凝りもせず当麻さんを見つめ続けている。もちろん髪の毛の手入れも怠っていない。
早瀬さんの恋が実ったと知ったときも、その彼氏と暮らすためにこの職場を辞めることになったときも。

当麻さんが切なげな表情をすることに気付いていたから、あたしはまるでおまじないのようにあのアイテムを使っていた。効果は…今のところナシ。
いい加減諦めろと、あたしの恋心を知っているお姉ちゃんは言ってくるけれど、2年も続けている恋だからこそやめられないのよ。
いつしか太陽が痛いほどの日差しを放つようになっていて、最近は真夏日が続いている。
いつものように、1階のショールームでお客様に出したお茶を片付けていると、また新たなお客様がやってきた。

当麻さんが担当している人だ。あたしはその男性を席に案内し、二階のオフィスにいる当麻さんを呼びに階段を駆け上がる。
すると、ちょうど2階から降りてくる彼と鉢合わせた。

「あ、当麻さん!お客様がお待ちで──っきゃ!!」

一段上ろうとして足を滑らせたあたしは、前のめりに転びそうになり思わず叫ぶ。段差にぶつかるのを覚悟して目をつむった、その一瞬。

「危なっ──!」

咄嗟に出たような声がすぐ頭上で聞こえ、あたしの身体は階段ではなく、逞しい胸板にしっかりと抱き留められていた。

「あっ、ご、ごめんなさ──!」

パッと顔を離し、一段上にいる彼を見上げると。予想以上に近い距離に彼の綺麗な顔があって、心臓が激しく飛び跳ねた。

当麻さんの腕があたしを支えてくれていて、胸に飛び込んでしまったような体勢に、急激にドキドキし始める。
少し見開かれた彼の瞳から目が離せず、身体も硬直してしまって動けない。そして彼も、何故かあたしを引き離そうとはしない。

「あ、の…っ」

喉に張り付いていた声をやっとのことで絞り出し、上目遣いで見つめていると、はっとしたようにあたしの身体を優しく離す彼。

「ったく、危ねーなお前…気をつけろよ」
「は、はい!すみません!!」
「じゃあ、俺行くから」
「はい!行ってらっしゃいませ!」

ピシッと姿勢を正し、敬礼しそうな勢いで無駄に元気よく返事をすると、彼は足早に階段を下りていく。
はうぅ…ビックリした〜!!
一瞬の出来事だったけれど、なんだか当麻さんに抱きしめられたようで、ドキドキが鳴り止まない。

でもすごい迷惑そうな顔してたし…ていうか、実際迷惑だったよね。
彼の耳がちょっと赤くなっているように見えるなんて、あたし都合よすぎだよ。
深く息を吐き出し、彼の背中を見つめながら、いまだ激しく動き回る心臓を無理やり宥めていた。

待ちぼうけ

そんなハプニングをほんのり嬉しく思っていた矢先、あたしの気分をブルーにさせる出来事が起こった。
お昼休みに飲み物を買おうと休憩コーナーへ向かったとき、自販機の前で当麻さんが誰かと話しているのが見えた。
あ…深町さんだ。
早瀬さんがいたときから、3人で話している場面はよく見ていたから、仲がいいことは知っている。けれど。

「早瀬のとこに、ですか?」

当麻さんの口から出た名前に反応して、あたしは足を止めた。
別に隠れる必要なんてないのに、休憩コーナーの角に身を潜めるようにして耳を澄ませる。

「そう。久々に顔見たいから、一緒に行ってくれない?今週の土日あたり」
「あぁ……いいですよ、行きましょうか。俺も会いたいし」

──チクン、と胸に小さな痛みが走る。
早瀬さんはきっと彼氏さんと仲良く暮らしているはずで、当麻さんとどうこうなるわけではないのに。

それでも、あの優しい表情を浮かべて『俺も会いたい』と言っている彼を見ると胸が苦しい。
やっぱり、当麻さんはまだ早瀬さんのことを想っているのかな…?その心に、あたしが入る隙間はないんだろうか。
早瀬さんとの思い出話をしながら計画を立てる、楽しげな2人の声を耳に入れながら、
結局何も買わずに、あたしは財布を握りしめて踵を返した。

翌週の月曜日、あたしは浮かない気分で仕事をしていた。
この土日のどちらかに、当麻さんは早瀬さんのもとへ会いに行ったはず。
2人が会っていたと考えるだけで、あたしの心はどんよりした曇り空になってしまう。
当麻さんは今日は外回りで忙しく、会社へ戻るのは定時後になりそうだと言っていた。オフィスに彼の姿が見えないだけで寂しくなる。

今日ばかりは自分のために髪の毛からフルーツの香りを漂わせているけれど、やっぱり気分は上がらないや。
ため息を何度もついた1日がやっと終わりに近付き、定時を過ぎてもやっぱり当麻さんは戻ってこなかった。
徐々に社員が退社し、賑やかだったオフィスもがらんと静けさを増していく。今日は会議が長引いているらしく、部長方もまだ戻らない。
あたしは自分の仕事は終わっているし、別に帰ってもいいのだけど…。

「…待ってようかな」

なんとなく、当麻さんより先に帰るのは気が引けて、タイムカードを押した後もあたしはデスクに座ってしばらくぼーっとしていた。
彼がもう恋を諦めていたとしても、会ったらまた想いが募ってしまうんじゃないかな…とか、考えてしまうのはそんなことばかり。

「あーもうやだぁ……」

ネガティブな自分が嫌になって、あたしはデスクに突っ伏した。

ウサギの観察

──どのくらいそうしていただろう。
誰かが、あたしの髪に手を滑らせていることに気付く。優しい手つき…気持ちよくて、なんだか安心する。

「…キレーな髪」

あれ、この言葉前にも聞いたなぁ。あたし夢見てるのかな?

「もう定時過ぎてんのに、俺のこと待ってたのか?」

そうです、あたしは当麻さんが来るのを待ってて…。

「って、んなわけないか」
「──んなわけあります!」

ガバッと顔を上げたあたしは、思わずそう言ってしまった自分に自分で驚く。見上げると、そこにはこれまた驚いたように目を見開く当麻さんが。

「びっくりした…起きてたの?」
「あ、や、今起きたというか…あたし、寝てました?」
「寝てる、と思ったけど」

なんだか意味不明な会話のやり取りをして、あたしはぼけっとした頭のまま壁に掛けられた時計を見やる。 三十分くらいしか経ってないけど、うたた寝しちゃってたみたいだ。
オフィス内を見回してみても、あたし達以外に誰もいないし…まだ会議終わってないんだ。
ということは、今あたしの頭を撫でていたのは。

「あの、当麻さん、今…」

「頭撫でてました?」とストレートには、なんだか恥ずかしくて言えずに口をつぐむ。
どうしよう、と黙り込んでいると、同じように沈黙する当麻さんが、若干頬を赤らめてあたしから目を逸らした。

「…何かあったのか?」
「え?」

突然そう問い掛けられて顔を上げると、彼はちらりとあたしに視線を戻して無愛想なまま言う。

「朝会ったとき、元気ないような気がしたから」
「あ…わかりました?」
「ウサギを毎日観察するのが日課になってたからな」

──ドキンと胸が鳴る。ウサギって、あたし?

うそ…あたしなんかの様子を気にかけてくれていたの?
片想いを始めて2年間、抑えていた気持ちが一気に溢れ出し、もう黙っていられなくなった。

「…あたしの好きな人が、その人の好きな人に会いに行ったから、気になって仕方なくて…」
「なんかややこしいな。誰のこと?」

震える声を必死に落ち着かせながら、彼の瞳をまっすぐ見つめ、思い切って口を開いた。

「当麻さんが、早瀬さんに会いに行ったからです」

沈黙すること3秒。この時間がこんなに長く感じたことってない。
一瞬ぽかんとした当麻さんは、この三秒であたしの言葉の意味を理解したらしく、みるみる頬を赤く染める。
そして片手で口元を覆うと、再びあたしから目を逸らしてぼそっと呟いた。

「何で知ってんだ、俺が早瀬に会いに行ったって…」
「このあいだ、休憩コーナーで深町さんと話してるのを聞いちゃいました」
「あー、あのときね…」

うなだれる当麻さんの表情はよく見えなくて、あたしの間接的な告白にどんな答えが返ってくるのかわからない。
その恐怖と緊張で、またびくびくと縮こまっていると、頭上から呆れたような声が投げ掛けられた。

「でもお前、いつの話してんだよ」
「へ?」
「あいつのことはとっくに諦めついてるし、もう友達以上には想ってないんだけど」

いつの話って…そんなに前から、もう好きって気持ちはなかったってこと?
心底“くだらない”とでも言いたそうな彼の顔を見ると、今の言葉は嘘ではなさそうだ。

「そ、そうだったんですか?」
「そう」
「会って、また好きになっちゃったとかは…」
「ないない。あんな薄情なヤツ」

薄情なヤツって。完全否定する当麻さんに、あたしは一気に肩の力が抜ける。な、なんだ…あたしの取り越し苦労だったのか…。

「つーか、他に好きなコいるし」
「えっ!?」

予想外の当麻さんの一言に、せっかく解れたのにまた身体に力が入ってしまう。
まさか他に好きな人がいたなんて…そんなのってアリ!?

「だ、誰、ですか…!?」

あたしの片想いは結局実らずに終わるのか…と半分絶望しながら聞くと、彼はぽつりと、

「いい匂いがするコ」

と言った。

「俺が落ち込んだときとか、元気がないときには決まってその香りがして、自分でも気付かないうちに癒されてたんだ。 …いや、そのおかげだけじゃなくて、そいつ自身が俺のそばにいたから、だな」

それって──まさか。絶望の淵から、一筋の希望の光が差し込む。
信じられない想いで彼を見つめていると、「だからつまり…」ともどかしそうにくしゃっと頭を掻く。
そしてほんのり紅潮した顔を向けると、その綺麗な瞳であたしを捉え、はっきりとした口調で言った。

「俺には、お前が必要ってことだ」

撫でてください

──心臓がわし掴みにされたみたい。
きゅうっと苦しくなって、でもその苦しさが愛しくて。瞳にじわりと熱いモノが込み上げる。

「当、麻さん──」
「こっち来て」

極度の緊張と嬉しさで震えるあたしの手をそっと握り、椅子から立ち上がらせる彼は。
羨ましく思っていたあの優しい笑みをふっと浮かべ、後頭部に手を回して引き寄せた。
彼の胸にコツンとおでこが触れたあたしは、ここがオフィスであることも忘れ、夢のような至福に包まれて目を閉じる。

「お前の髪の匂いは媚薬みたいだな」
「ビヤク?」
「美味そうで、食べたくなる」

ぜひ食べてください!!なんて、口では言えるはずもないので、心の中で叫びながら顔を熱くするあたし。
長いこと続けてきた片想いも、髪につけ続けた香りのおまじないも。全部無駄じゃなかったのだと、今やっと思えた。

「当麻さん、大好き、です…」

自然とこぼれた言葉はカタコトみたいに拙かったけれど、彼はもう片方の手を腰に回してギュッと抱きしめてくれた。
しかし。あたしの髪を優しく撫でながら顔を埋める彼は、あろうことかこんな一言を口にする。

「この髪、触りたいと思ってたけど…やっぱり触るんじゃなかった」

えぇぇ!?どーゆう意味!?

「な、何で…っ」

さすがに黙っていられずバッと顔を上げると、なんだか熱っぽい瞳であたしを見つめている当麻さんにドキリとする。
彼は、さっきの言葉とは裏腹に髪を撫でる手を止めずに、耳元に唇を寄せて囁く。

「…これ以上のこと、したくなるから」

──腰が砕けるってこういうこと?心臓はバクバクと激しく踊って、身体に力が入らない。
当麻さんの腕が支えてくれていなかったらへたり込んでいるだろう。
湯気が出そうなくらい熱を持つ顔を彼の胸に埋めていると、クスッと笑う声が聞こえる。

「会社だから、今はこれだけで我慢するけどな」

髪にキスが落とされるのを感じて、全身が火照り出す。そんなふうにされたら、あたしだってもっと触れてほしくなっちゃうよ。

「いっぱい、撫でてください。…ウサギは撫で回されるのが好きなので」

って、あたし何言ってんのー!今さら恥ずかしがってももう遅いけど!
ぎゅっと彼のスーツを握りしめていると、はー…と大きく息を吐き出され、さらに後悔する。
…でも、それは一瞬で。くいっと顎を持ち上げられたかと思えば、目の前にあったのは真っ赤に染まった当麻さんのムスッとした顔で。

「そーいうこと言うと本当に我慢出来なくなるからやめろ」

ぶっきらぼうにそう言うと、ほっぺたをギューッとつねられた。

「いたたたたた!!」
「俺は帰る」

頬を押さえるあたしからさっさと離れてしまう当麻さんに、慌ててあたしも帰り支度を始める。

「ちょちょちょっと待ってください!!」
「ほんと忙しないウサギ。いや…愛未」

あわあわしながらバッグに荷物を詰め込んでいたあたしは、ピタリとその動きを止める。
今、初めて名前で呼んでくれた…。彼を見やると、愛おしそうな眼差しであたしを見つめている。

「早く来い。いっぱい撫で回してやるから」

もう抱えきれないくらいの幸福感が沸き上がって、あたしは満面の笑顔で「はい!」と元気な返事をした。
やっぱり、あなたにとってのあたしは、ウサギよりも“好きな女の子”でありたい。
これからも髪を撫でて、心と身体に触れて、あたしを愛してください──。

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