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小説サイト投稿作品28 「抱きしめるなら、ここで。」(ペンネーム:永以真子さん)


「抱きしめるなら、ここで。」(ペンネーム:永以真子さん)

〜LC編集部のおすすめポイント〜

友人と好きな人がかぶってしまった…そんな体験をした人は意外と多いのでないでしょうか。
その友人が、仲いいのなら尚更、自ら退くことを選ぶ方も少なくはないと思います。
でも、それはとても切ない選択ですよね。

この物語は、そんな自ら退く方を選んだ女性の物語。
好きなのに好きといえない…切ない気持ちに胸がキュンキュンします。ラストには意外な展開も…!

愛しい人

梅酒はグラスで飲むのが好き。
透明か、または擦りガラス。とにかく色の入っていないグラスがいい。
信楽焼だか美濃焼だか知らないけど、こんな黒い焼き締めのカップに入ってたら梅酒の色が全然わからないじゃない。せっかくの味も半減だ。
ぐいっとカップをあおったら、大きな氷が鼻の頭を直撃した。

「奈緒さん、温かいお茶飲みませんか?」

おしぼりで鼻の頭を拭う私に微笑みかけたのは、ひとつ年下の後輩である武田君。
つんつんと艶っぽく立たせた髪が、若さを感じさせる26歳。
はっきりした目鼻立ちのキリッとした顔に、子犬のような黒くて大きな目がかわいい。

「お茶?まだコレ飲んでるのに?」
「それを飲み終わってからでいいですよ。あ、お寿司が来たけど食べます?」

手にしたカップを揺らして視線を送ってみせると、武田君が目を細めた。
ほんのりと赤くなった頬が武田君らしくない。いつも宴会では、顔色は変わらなかったはずなのに。

運んできた大皿を置いて逃げるように戻ろうとする店員を、武田君が呼び止めた。
温かいお茶を頼んで、大皿に並んだ寿司を丁寧に小皿に取り分ける。
終始笑顔だけど、武田君も今日は飲み過ぎたらしい。私も飲み過ぎた。

いつの間にか、武田君は私の隣りに座っていた。絶えず何か話していたけど、内容までは覚えていない。
ただ、やたら話しかけてくる武田君に笑わせてもらえたことは鮮明。

おかげで沈みがちになっていた気持ちを、なんとか浮上させてもらえたから感謝してる。
ぼんやりと霞みがかった視界には、赤い顔で歯を見せて笑う職場のメンバー。
和室には座卓が二列に並べられ、上座と思われる前方の席に一組の男女が座っている。
照れ臭いのか、それとも単に酔っているからなのか顔を赤らめている女性は雅恵。私のひとつ年下の後輩で武田君の同期。

隣で雅恵に向けて優しい眼差しを注いでいるのは、斎木さん。雅恵と私の直属の上司だ。

今日は雅恵の歓送会兼二人の結婚祝賀会。
職場の同じ課のメンバー20人で、海鮮料理を味わうことのできる懐石料亭にやってきた。

雅恵は時おり左手の薬指に輝くリングを撫でながら、斎木さんを見上げて微笑んでいる。
心から幸せそうな、眩しいほどの笑顔。

雅恵は本当に綺麗になってる。1ヶ月後に結婚を控えているから当然だろう。
羨ましくて堪らない。綺麗になっていくことも結婚も。斎木さんの隣に居られることも。

斎木さんのことを先に好きになったのは私。
雅恵が入社する前から、私は斎木さんのことが好きだったのに。恨みなどはないけれど、思い出すと悲しくなってくる。

心の奥

斎木さんは私の指導員だった。私より5歳上で柔らかな顔立ち、長身でふわりとした雰囲気。
それなのに仕事をこなす姿はきびきびとして凛々しい。厳しいことを言うも多々あるけど、丁寧に優しく根気よく指導してくれた。
1日の大半を過ごしている職場で、私が斎木さんを好きになってしまうのは当然の成り行き。

だけど小心者の私は、なかなか気持ちを打ち明けることができなかった。
もし伝えてしまったら、斎木さんとの関係が崩れてしまうかもしれない。
失くしてしまうのが怖くて、私は気持ちを胸の奥に沈めることを決めた。
1年経ち、斎木さんは私の指導員から外れ、引き続き直属の上司として私の傍にいて仕事をすることに。

クリスマスやバレンタイン、いろんなイベントが訪れるたびに気持ちが大きく揺さぶられる。
何度も打ち明けてしまおうかと悩んだけれど、やはり私は決意することができなくて。

斎木さんを見つめているだけで、満足していた。

そんな状況を変えたのは、雅恵の入社。私は雅恵の指導員を任されることに。
かつて斎木さんに教えられたことを思い出しながら、丁寧に教えることに努めた。

自分の仕事と教育を抱えて急に忙しくなったけれど、日々の充実感は大きい。
それに後輩ができたことが嬉しくて、いっそう真剣に仕事に取り組むようになった。

おかげで責任のある仕事を任されるようにもなり、仕事にやり甲斐と楽しみを持てるようになり。
いつしか斎木さんへの思いは、心の奥へと沈んだまま。

今は仕事優先。
好きな気持ちは変わらないけど、ときどき思い出したように揺らぐ程度に変わっていく。

やがて、雅恵と私は似ているかも?と気付き始めた。
確信した頃には、すっかり仲良くなっていて、プライベートでも食事や買物に出掛けたりするようになった。
雅恵は、私にとって妹みたいな存在。小心者なところは私に似てるけど、雅恵は泣き虫。
そこだけは、私に似ていない。

告白

『斎木さんのことが好き』
真剣な目で言った雅恵の顔を、今でも鮮明に覚えてる。雅恵が入社してから、初めて迎えるバレンタイン。

日頃お世話になっている上司に渡すチョコレートを、休日に雅恵と一緒に買いに行ったときのこと。
立ち寄ったカフェで、雅恵が言ったんだ。
私は、何にも返すことができなかった。自分の気持ちも言えず、ただ黙ったまま。
雅恵が気持ちを打ち明けるのを、聞いて頷くだけ。

斎木さんへの気持ちを話す雅恵の目が、次第に潤んでくる。
その目から涙が溢れないようにと、私は見守ることしかできなくて。何にも言えなくて。
ついに溢れ出した涙を見た瞬間、「応援するよ」と言ってしまった。

雅恵は知らない。私が斎木さんのことを好きだなんて。
私から話したことはないし、誤解されるような行動を取ったこともない。
だから、私に打ち明けてくれた。雅恵は私のことを信頼してくれている。

それなら…固く口を噤んで、気持ちを封じ込めた。

困った妹

宴会はお開きになり、店の前で主役の2人を囲んでいた。
今日限りで退社する雅恵との別れを、皆が惜しんで帰ろうとしない。

「奈緒さん、ありがとうございます。本当に、本当に感謝してます」

すでに涙で頬を濡らした雅恵が、私の手を取り上げた。
握り締めてくれる手から、雅恵の感謝の気持ちが痛いほど伝わってくる。嘘偽りのない雅恵の気持ちが嬉しい。

私は、後悔なんてしていない。悔しいとも思わない。

「おめでとう、雅恵。もう泣かないで、来週ご飯食べに行くでしょう」
「はい、泣きません。でも…、嬉しくて…」

声を詰まらせたと思ったら、さらに涙が溢れ出た。
鼻をすすって肩を揺らして、子供みたいに泣きじゃくる困った妹。

「ほら、泣かないの。化粧が取れちゃうよ?」

ハンカチを渡したのに、ぎゅっと握り締めたまま。拭こうとしないから、取り上げて頬を拭いてあげた。
それでもまだ、涙はどんどん溢れ出してくる。

「ありがとう…ございます…奈緒さん、ずっと私のお姉さんでいてくださいね」

そんなこと言われたら、私も弱い。すでに潤んでる目から涙が零れ落ちないようにと、なんとか耐えてきたけど結構きつい。

「もちろんだよ、雅恵は私の妹なんだから」

と、口に出したのがスイッチ。堰を切ったように、涙が頬を流れ落ちていく。
こんな顔を皆に見られたくなくて、雅恵の肩を抱いた。お互いの涙が止まるまで、こうしていようと。

「ふたりとも、お別れじゃないんだから」

柔らかな声に顔を上げると、斎木さんの穏やかな笑顔。
ほんのりと赤くなった頬はお酒を飲んだせいか、照れ臭さのせいか。どちらにしても、斎木さんの顔にも幸せが滲んでる。

「しょうがないなあ…」

斎木さんの伸ばした腕に絡め取られるように、雅恵が私の元をするりと離れていく。

包み込む腕

さっきまで雅恵を抱いていた腕を、風がすり抜けていく。風の残した冷たさと寂しさが、胸を締め付ける。
涙を拭う雅恵の肩を抱いた斎木さん。寄り添う2人を囲んだ皆の輪から、いつの間にか弾き出されてしまっていた。

幸せを醸し出す2人を皆の背中越しに見つめながら、『幸せになってね』と心の中で祝福を贈る。
その瞬間、ぐいと腕を引っ張られた。皆とは反対側の後ろの方へと。
あまりにも突然で状況も飲み込めずに、ただ引っ張られていく。必死に振り向いたら、武田君の背中が目に飛び込んだ。

「武田君?なに?」

問いかけても、答えてくれない。掴んだ手を解くことよりも、ついて行くのに必死。
ずんずんと大股で歩く武田君に合わせていたら、足が絡みそうになる。
いつもよりお酒を飲んでたからなおさら足元が覚束ない。皆の背中が遠ざかっていく。
私がわけもわからず武田君に引っ張られていることなんて、誰も気づいてない。

ひょいっと武田君が道を逸れた。駅に向かう通りを外れて、一筋細い道へ。
街灯が少なくて薄暗く、あまり人気のない道には私たちだけ。ようやく速度を落とした武田君と、並んで歩き始める。
だけど、繋いだ手はまだ離してくれない。

「待ってよ、どこへ行くの?」

上がってしまった息を整えながら尋ねると、急に武田君が足を止めた。
危うくぶつかりそうになった武田君の背中が、くるりと方向転換。
振り向いた肩におでこがぶつかると同時に、すっぽりと腕の中に収まった。

飛び退こうとするより早く、武田君の腕が私を包み込む。ぎゅうっと力を込めて抱き締める形。
ますます、わけがわからない。

「奈緒さん」

ぽつんと呼びかける低い声が、体の触れてる部分から伝わってくる。じんわりと熱を持ってくるような不思議な感覚。
こんな状況になっても何も言えないのが小心者の私。ただ、ドキドキし始めてるだけ。

とんっともたれ掛かるように髪に触れたのは、おそらく武田君の頭。
いや、おでこかもしれないし頬かもしれない。私の方に、頭を傾けてきたことは確か。
さっきよりも密着度が増して、息苦しいぐらい。

からだ委ねて

武田君が息を吸い込んだ。

「奈緒さん、僕を見てくれませんか」

言われた通り、顔を上げようとするのに動けない。だって武田君が私の頭にもたれ掛かって、強く抱き締めてるから。
こんな身動き取れない状態で、どうやって見ろという?わかってるのかいないのか、武田君は腕を解こうとしない。

「武田君、離してくれないと見れないよ…」

遠慮がちに口に出してみた。言うべきか言わざるべきか迷った末に。

「いいよ、このままでいいから聞いて」

武田君のしっとりした声が、心地よく体に染みてくる。宴席で話していたときの声とは明らかに違う。
ぽんっと、浮かんだ予感に体が強張る。

「武田君、なに?」

恐る恐る尋ねる声が震えて、まさか? と思った。身体中が一気に熱を持ってくる。

「ずっと見てたんです。仕事してるときの奈緒さん、すごく綺麗で…でも、奈緒さんが見てたのは俺じゃなくて…」

言葉を詰まらせる武田君の胸の鼓動。だんだん速くなってくるのが伝わってきたら、私まで…。

武田君の言ってる意味がわかってしまったら余計に。
全部見て、気付いていたんだ。私が斎木さんのことを好きだと。だから今、こうして…?

「さっき泣いてる奈緒さんを見てたら、我慢できなくて…、ずっとこうしたかったから」

武田君が腕を緩めて、顔を覗き込む。目を細めて、口角を上げて。
職場では見たことのないような色っぽい笑顔に、胸が大きく揺さぶられる。
もはや何と答えたらいいのか、わからなくなって。私はただ、黙って見つめ返すしかない。

「奈緒さんのこと好きです。俺を見てくれませんか」

照れ臭そうに武田君は顔を伏せ、再び腕を回した。髪に触れた鼻先を摺り寄せてくる仕草がこそばゆい。
速くなっていく鼓動に耳を澄ませながら、武田君の背中に腕を回した。武田君が応えるように、熱を帯びた体を強く抱きしめてくれる。

「私なんかで…いいの?」
「奈緒さんだからいいんです」

ぎゅうっと腕に力を込めるから、私も。照れ臭いのはお互い様。
今ここで抱きしめてくれた武田君に、委ねてみてもいいかな。

永以真子さん/著

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