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小説サイト投稿作品42 「謎解きの後は、あなたとキスを」
「謎解きの後は、あなたとキスを」
〜LC編集部のおすすめポイント〜
OLをしている主人公は、ミステリーが好きというだけの理由で、課長の読解不可能な字を解読する担当になってしまった。
誰にも読めないことをいいことに、課長からのいたずらなメッセージが毎朝PCに貼り付けられていて…?
コメディ要素も多く親しみやすい作品です!
突然の急展開や、思わずクスッと笑ってしまう最後のシーンなどおもしろいポイントがたくさんあります!
ある意味、刺激的な課長との恋をどうぞお楽しみください♪
終わらない謎解き
終業時間になって、皆、次々と帰って行く。今日は金曜日で明日は休みだ。
飲みに行ったり、デートだったり、ただ真っ直ぐ家に帰ってのんびりしたりと、人それぞれの予定があるのだろう。
私は、と言うと。
まだまだ終わらないパソコンへの入力作業で、とてもじゃないが帰れそうにない。
その元凶がこれだ!課長から回ってきた手書きの文書。これには難解な謎が沢山詰まっている。
まずは頭を捻ってそれを解き明かし、自分で纏め、それから文字や数字をパソコンに打ち込む。
他の人の2倍時間が掛かる課長の文書は私達事務の女子から毛嫌いされていて、それが回って来ると誰もが1日ブルーになる。
なぜならその日は絶対に残業になるからだ。中には謎が解けなくて泣いてしまう子もいた。
課長に聞きたくとも営業課長なので大抵社内にいない。
そういうときは事務の女子総出で頭を付き合わせて謎解きをする。
その日も何とか難解な謎を解いて皆で安堵していると、誰かが言った。
佐山さんの正答率が一番高いみたい。え?確かに私が考えつく答えから正解に行きつくことは多いかもしれないけれど、
それは皆のヒントがあればこそ、なのに…。
「そう言えば佐山さんはミステリ小説好きだって前に言ってたわよね。課長の文書は一種のミステリだから、今度からあなたにお願いするわ」
そんなわけのわからぬ理由でミステリもどきの文書を押し付けられた私は、たびたび残業しなければならぬ身に、こうしてなってしまったのだ。
ミステリとか謎解きとか、一体何の話かと言うと…。
別にここで事件があったわけでもなく、ましてやここは警察でも探偵社でもない。
ここはただの平凡な会社で、課長の文書も暗号が隠されているようなミステリ的なものでもない。
それは単なる課長の営業による、提案や決定事項などが書かれた紙なのだ。それならなぜ、謎解きやら解読やらと騒いでいるのか…。
それは「手書きの」というのがミソで、この一言で大体想像が付くかと思われるが、
課長の字が、全くもってド下手…いや、達筆過ぎて、まるで、どことも知れない外国語のように、白い紙の上をのたくっているのだった。
ようやく何とか最後の行を解読し、あとはパソコンに打ち込むだけとなった。
ここまで来ればあとは早い。タイピングは得意ですからね。て言うか、誰でも読める字を書いてくれたら、こんな苦労しなくていいのに…。
課長の専属
急に悲しくなって鼻を啜っていると、オフィスのドアが勢いよく開いて課長が颯爽と入ってきた。
営業から戻って来たのだろうか、片手に黒いビジネスバックを持ち、もう片方は首もとに手をかけネクタイを緩めている。
ホォ、大人の男の仕草だわ。見惚れてしまう。課長は自分の机に向かいカバンを置いた。
そして、中のファイルや書類をかき回したあと、一枚の紙を取りだして、おもむろに何かを書き出した。
あ、これはまずいかも…。
私は課長から急いで目を逸らし、今解読したばかりの文書を素早くパソコンに打ち込み始めた。
私のタイピングの早さなら15分、いや、10分かからずに打ち終わる内容だ。
さっさと終わらせて早く帰らなきゃ。早く早く!と気が焦っているのか、珍しく打ち間違いが酷い。
何度も直していると、どんどん時間が過ぎて行く。ああ、どうしよう!モタモタしてたら…。
「ん、それ俺のだな。やっぱり佐山が俺の担当になったんだな。じゃ、これも頼むわ」
ヒー!やっぱり来たー!手書きで何か書いてたから来るんじゃないかと思ったよー。
「今日じゃないとダメですか!?」
私は涙目で課長を見上げた。その文書をちらりと見た感じ、急いで文字を書いたのだろう。いつもより輪をかけて下手…いや達筆だ。これは酷い。
「そうだな、できれば」
できませーん!
いや、できるけど、今日はもう謎解きなんてしたくなーい!
確かにミステリ小説好きだけど、毎日読むと頭が疲れるでしょ。たまには軽くスイートな小説を読みたくなるものよ。
「佐山ならすぐできるだろ?俺の字を読める数少ない人間だからな」
俺の字を読める数少ない人間?課長、さすがに自分の字が下手なのは知ってるんだ。
「恐れながら、もっと丁寧な字を書けないものでしょうか?」
課長と話しながらも、今日の残業分の打ち込みは終わった。
保存して、プリントアウトして、課長に渡すだけだ。しかも、課長はすぐ横にいる。
時計を見ると18時過ぎ。それほど遅い時間ではない。課長以外の誰かが頼んで来たなら直ぐに受けてもいい仕事だ。
このくらいの文字量(文字なのか…?)なら15分もあれば完成するだろう。
「頭に浮かんだことを忘れないうちに書こうとするからな…」
「清書してから渡して下さいよ」
「そんなことしてたら、いつまでたっても仕事が終わらん」
私だって終わらんよ!プリントアウトした紙がプリンターから吐き出された。私はそれを乱暴に掴み、課長に押し付けた。
「そんなに怒るなよ。…ん、やっぱり佐山は完璧だな」
押し付けられた少しよれた紙を見ながら、課長は満足そうに頷いた。私はその言葉に眉間のシワを寄せる。それを見た課長が苦笑いを浮かべた。
「いや、お前以外のヤツが作成した文書はミスが多くてな。まぁ、俺の字があまりにも下手過ぎるんだろうけど」
よく、わかってらっしゃる。
「最近はずっと佐山が作ってるだろう?ほとんど間違いがないからな。俺専属になったのか?」
ことの顛末を話し、押し付けられたことを素直に話した。
「そうか、悪いな。これからも頼む」
……――。いやだー!
確かに課長は営業課長だけあってエネルギッシュで有能で仕事がデキル、イイ男だけれど。 あの字の下手さ加減をどうにかしてくれー!
付箋の言葉
それから毎日、課長から直接渡されるようになった文書を私は四苦八苦しながら解き明かしていた。
課長が言ったのか、事務の人達が気を利かせてくれたのか、今では私の仕事は課長から回ってくるもののみだ。
他の人達はそんな私に文句一つ言わず、他の事務の仕事をこなしている。よっぽど、課長の達筆過ぎる文字を見たくないのだろう。
とにかくそんな状況であるのに、私はよく残業をしていた。
朝から頭をぎゅうぎゅうに絞っても一体そこに何が書かれているか全くわからないときがある。
そういうときは課長に聞くしか手がなく、課長が帰ってくるまで居残っていることもしばしばだ。
あ〜あ、こんなことなら、以前に読み解いた課長の手書きの文書は残しておくべきだった。
「何で?」
隣で自分の書いた数枚の文書を読み上げながら、課長は私の一人言に疑問を挟んだ。
半分までは自力で解読したけれど、半分はどうしても無理だった。
それで、終業時間頃に会社に戻ってきた課長を捕まえて、書いた本人に読んでもらっているのだ。
「だって、そうすれば課長の字のサンプルになるでしょう?下手な字にも下手なりに同じ癖書きが出るだろうから、 前に解読した文字と比較して調べられたりできるし」
あと文章の流れに使う言葉がいつも同じだったりして、すぐに書いてあることがわかるときもある。
課長が手書きで書いていたあの紙はパソコンで打ち直したあとはシュレッダーにかけて捨てていた。
「…ふーん。そういうもんか」
まるで他人事。課長がもうちょっと読める字を書いてくれたらこんなに苦労しないのに。…とりあえず、これからは手書きの用紙は残しておこう。
―――‥
「……ん?何これ」
いつものように出社して、課長が営業へ行く前に書類の入ったファイルをもらう。ファイルから中身を取り出すとまずは内容確認。
字はなかなか読めないが、レイアウトでそれが企画書であるか、クライアントへの意見書であるか等が何となくわかる。
そして、今日のそれらには見慣れぬものがくっついていた。付箋?注意書きか何かだろうか。てことは、まずはこれから解読しなければ。
『お早う、佐山。今日も頑張って俺の達筆な字を解読してくれ!』
注意書きではなかった。課長からの激励のメモだった。もー!朝一から余計な労力を使ってしまったじゃない!
大事なことが書かれていると思ったから頑張ったのに。
私は苦行とも言える日々をこうして送ることになったのだけど、この日から付箋のメモが頻繁に私のデスクに貼られるようになった。
『今日も残業になりそうか?』
昼休みから帰って来るとパソコンに貼られていたり。
『糖分補給しろ』
十五時のお茶休憩で給湯室から戻ると、デスクの上にチョコレートと一緒に置いてあったり。
『残業頑張れよ!頼りにしてるぞ』
残業しているときに営業から帰ってきた課長が、通りすがりに貼って行ったり。
「課長、メモ紙貼るのやめて下さい。課長の下手くそな…いや、達筆な字を読むのに時間がかかって仕事が進みません。」
付箋にはいつも大したことは書かれていないけど、万が一ということもある。
「え?お前が言ったんだろ、俺の字のサンプルが欲しいって」
最近終業後に、課長が私の隣にいる率が高くなった。自分のせいで私が残業になるのが忍びなくて手伝ってくれているようだ。
「あのメモと、文書や書類の字を毎日見てたら大分慣れたんじゃないか?」
…確かに、初めの頃よりは文字の癖を掴んで読めるようになってきた。
「そう、ですね」
「よし、じゃ、もっと慣れてくれ。ということで飯食いに行くぞ」
――――へ?
なぜ慣れることが飯になるんですか?ねぇ、課長ー!
秘密のメッセージ
『ゆうべの飯は美味かったな。また行こう』
『今日は帰りが遅くなるから直帰する。残業に付き合えなくて悪いな』
『今日は俺が帰社するまで待っててくれ』
『クライアントにいい店教えてもらった、今夜行ってみるか』
…メモの文面が、何ていうか、だんだん恋人宛ての内容のようになってきたのは、私の気のせいだろうか。
しかも、他の人が課長の字を読めないのをいいことに堂々と私のデスクのパソコンに貼っていく。
まだ、瞬時に読めるわけじゃないけれど、何となく文脈がわかると、私は飛び付くようにそれを剥がし、挙動不審になる。
だって、こんな文章他の人に読まれたら課長と私がつき合ってると思われるじゃない?…とは言え、どうせ誰も課長の字は読めないだろうけど。
「課長、こういうメモはやめて下さい」
今朝、出社するといつものようにメモが貼ってあった。
『昼には帰って来る、昼飯は一緒に食おう』
そして、今、2人は会社の近くのファミレスで昼ご飯を食べていた。
「何で?」
「誰かに見られたら…」
「見られても誰も読めないだろ」
それは、…そうかも、だけど。
「だからって、これ以上恥ずかしいこと書かないで下さいね。いくら課長の字が下手…、達筆でも誰か読める人が現れるかも…」
少しもそんなことは思っていないけれど、メモの内容がどんどんエスカレートしそうなので、私は課長に釘を刺した。
しかし、それは余計な一言だったみたいだ。私の言葉を聞いた課長は目を見開いたあと、ニヤリと何か思い付いた顔をした。
『お早う。今日は金曜日だから残業はなしな。今夜は楽しもう』
出社して自分のデスクに着くなり、私はそのメモをパソコンからベリっと引き剥がした。
どうしたことか今日は課長の文字がすぐに読める。それにしても、課長の態度をどう解釈したらいいものか。
会社で残業を手伝ってくれるのはわかる。課長の仕事だし。
たまにお昼ご飯を一緒に食べるのは、あり、かな…?残業後に一緒に夕御飯を食べるのは、他の人とだってあることだ。
だけど、金曜の夜に残業はなしで、今夜は楽しもう、とか、誰も読めないからって
こんなセクハラかパワハラな言葉を書いてくるなんて、課長は一体何を考えているんだろう。
「今日はずいぶん進んでいるな」
昼休みが終わった午後、課長が営業から帰って来て、通りすがりに私のパソコンを覗きにきた。
「そうなんですよ。今日はやけに課長の字が読めるんです」
そう言うと課長は私のデスクの上にあるペンを取り、メモ用紙にサラサラと何かを書いた。
「じゃ、あとで」
メモを置いてさっさと自分のデスクに戻る課長の背中を見送りながら、私はその殴り書きに目を移した。
『この調子なら残業にはならないな。今夜が楽しみだ。お前も期待しとけよ?』
――…。
今日はそれほど考えなくてもすらすら読めた課長の文字が、ここにきてつまずいてしまった。
というか、読めたけれど文章の意味がわからなくて何度も解読し直した。
…一体、何が楽しみで、何を期待したらいいのでしょうか、課長…。
17時になる15分前。ビジネスバックを持った課長が、慌てて会社を飛び出して行った。1枚のメモを残して。
相当急いで書いたのだろう。今まで見た中で最悪にド下手な字だった。
これこそ解読不能な謎の宇宙文字といったていだ。ちょ、残業なしって言ったの課長でしょ!?こんな時間にこんな暗号文渡されてもっ!
―――‥
―――――‥
わからない…。
時計を見るとすでに30分が過ぎていた。残業だ。
というか、これ、残業にしちゃっていいのかな…。
このメモ、多分、課長の個人的な私へのメッセージだと思うんだけど。
いや、だけど、あの時間にカバンを持って出掛けたってことは、急にクライアントに呼び出されたってことだよね。てことは、何かの指示の言葉かもしれないし…。
帰るに帰れないし、こういうとき、課長に電話かメールでもできればいいのに!
実は私は課長の連絡先を知らなかった。課長の用事は毎日数枚のメモ紙に書かれ、私からの用事は直接会社で言えばよかったからだ。
とりあえず、今までの課長の手書き文字のサンプルを漁りながら、もう一度謎解きに挑戦することにした。
すれ違う気持ち
――――しかし。
「ふー、着いたー。あれ?佐山さん、まだ残ってたんですか?」
涙目になった目を上げると、そこにはちょっとくたびれた営業の木下くんがいた。
時計を見るとまさかの18時半だ。あれから更に1時間が経っていたようだ。
「ちょ、どうしたんですか!?何泣いて…ああ、課長の『達筆』のせいで帰れないんですね?
今日はもういいじゃないですか。課長はもうとっくに帰ったんですから、佐山さんも帰ったらどうです?」
「え…課長って、帰ったの?」
木下くんの断定口調が気になって恐る恐る聞いてみた。
「ええ、さっき。何時だろう?18時前だったかな。課長と電話で話して、 最後に、じゃ、俺は帰るから会社に寄るならボードに直帰と書いておいてくれって言われましたから」
…えー!?
木下くんが営業部員の予定を書くボードの課長のところに「直帰」と書いているのを見て唖然としてしまった。て言うか、木下くん、すごい字が上手い。
それを見て、私は更に悲しくなり、席を立って給湯室へ向かった。どうして私は課長の仕事をしなければならないんだろう。
木下くんほど上手くなくていいからほどほどに字が読める人の仕事がしたい。
今になって、課長のあの意味不明な文字の羅列がかなりのストレスになっていることに気が付いた。
シュンシュンとやかんの口から白い湯気が出始めた。火を止めスティックコーヒーを入れたマグカップに湯を注ぐ。
ふわりとコーヒーの芳ばしい香りが辺りに漂った。
胸いっぱいにその香りを吸い込むと少しは気持ちが落ち着いた。
給湯室の小さなシンクに寄りかかりコーヒーを啜っているとため息ばかりが出る。
もういい加減ミステリな謎解きには飽き飽きだ。たまにはスイートな…。
「は…、佐山――」
息を切らした課長がいきなり目の前に現れた。人は驚き過ぎると咄嗟に声も出ないし身動きも取れなくなると、そのときわかった。
「何やって…」
呆れたような、安心したような顔で私を見ると、手に持っていたマグカップを奪ってシンクに置き、そのまま私に近付いて唇を重ねてきた。
課長は冷たい夜の匂いがした。その反面、唇と舌は熱かった。課長の手が私の後頭部をガッシリ掴み、もう片方の手は背中を撫でる。
「ん、…か、ちょ」
確か向こうに木下くんがいたはず。もし見られたら…。私は2人の胸のあいだに挟まれた手で課長を押しやった。
「やめ、…て、下さい」
唇を離そうと顔を動かしても課長は吸い付いて追いかけてくる。
「課、長!」
諫めるような声音でちょっと強く呼ぶと、課長は正気に戻ったようでようやく唇を離してくれた。
「悪かった。まさか、まだ、会社にいるとは思わなかった。あのメモを見て、勘違いして来てくれないのかと思ってた」
唇は離してくれたけれど、課長は私の頭を抱え込み頬擦りしながら謝りだした。
たまにはスイートをと、さっき考えたばかりだったけれど、これは甘過ぎる。
「えっと、勘違い、って…?よくわからないですけど、そもそもあのメモ、1つも読めませんでした…」
「さっき木下に電話で怒られた。佐山が俺の『達筆』のせいで残業して泣いてるって」
そうだったのか、私が給湯室に籠っているあいだに木下くんが課長に電話を…。
「帰る間際にいきなりクライアントから呼び出し受けて、待ち合わせの時間と場所を慌てて書いて渡したんだが、そんなに酷い字だったか?」
待ち合わせ?仕事が終わったあとどこかへ行く予定だった?そういえば、楽しみに、とか期待しとけ、とか言ってたっけ。
「何て書いてあったんですか?」
その前にもう帰ろうと課長は私に帰り支度をさせた。デスクへ戻るとまだ数名残業中の社員が残っていた。
一瞬さっきのキスを思い出し、誰かに見られたのではとギクリとする。が、誰も気にも止めていない。木下くんももういなかった。
それから課長の動きは素早く、さっさと後片付けをして、さっさと私を会社から連れ出した。
謎解きの後は、あなたとキスを
課長は手を繋ぎながら、と言うか私の手をむんずと掴みながら、どこか目的の場所へ向かっているようだった。
多分、2人で行こうと思っていたところだろう。お腹が空く時間だから、居酒屋かどこかか…。
って、えー!?ちょっと待って、ここは――。
「ここに、18時過ぎまでに来てくれって書いたんだ」
課長は入り口の前に立ち止まって私を見ていた。
私はその建物を見上げて思わず後ずさる。だけど、課長に手を握られているため、それ以上下がることができなかった。
「やっぱりな。いきなり連れて来られたら逃げるよな、そりゃ。 メモにもしっかりここの名前書いたから、時間になっても来ないのは、これは勘違いされたかなと思ってた」
勘違い?勘違いって、何の勘違い?勘違いも何も、だってここ…ホテルですよー、ホテル!
しかも、課長、朝から意味深な言葉をメモ紙に残していたし、課長、下心満々じゃないですかっ!
確かに変なラブホテルじゃなくて、お洒落なシティホテルだけど、ホテルはホテルですよ!
何だか課長にがっかりしてしまった。課長の仕事の専属になって、ぐっと親しくなった。
社内でも社外でも一緒にいる時間が長くなって、それが嬉しい自分に最近気付いた。だからって当たり前にホテルに連れ込めると思われていたなんて…。
「お、おい、泣くなって。そりゃ、ここはホテルだけどお前が考えてるようなことじゃないから」
課長はおろおろしながらホテルの向かいにあるカフェバーへ私を連れて行った。
そのカフェバーは軽食と飲み物ばかりじゃなく、この時間はしっかりしたディナーのメニューもあった。
窺うように何か食べるかと問われた私は、気力を保つためガッツリお肉のメニューを頼んだ。
もちろん、お酒は飲まない。酔ってナニかがあったらいやだからだ。
課長もお腹が空いていたのだろう。似たようなメニューを選んで、そして、ソフトドリンクを頼んでいた。
課長は結構お酒好きだから本当は飲みたいだろうに、私ときちんと話そうという意思表示だろうか。
料理が来るまでのあいだ、課長は懐からスマホを出し操作し始めた。
「これを見ろ」
下を向いていた私の鼻先にそのスマホを付き突けてきた。あまりに近いため、そっと顔を上げて焦点を合わせる。
『SRホテル スカイレストランR』
スカイレストラン…?
「そこのホテルにはこの辺で唯一の展望レストランがあるんだ。今日予約しておいた」
私はカフェバーの窓から向かいのホテルを見上げた。でも、高すぎてよく見えない。
「その予約どうなったの?」
「お前が来ないからとっくにキャンセルした」
「私のせい!?」
ムッとして声を荒げてしまった。課長もちょっとムスっとしたまま、もう一度スマホを私に向けた。
「アドレス交換するぞ」
アドレス交換しながら課長はぶつぶつ文句を言っていた。何で俺達はこんな基本的なことをしていなかったのか。
スマホで連絡が取れていたなら今頃俺達は…ゴニョゴニョ、と聞き捨てならぬ言葉が聞こえたような…?
その後、美味しそうな料理が運ばれてきて、私達はしばらく無言で食べていた。
途中、お互いの料理を少しずつ味見して、味の批評をし、追加で私はデザートを課長はビールを頼んでこの日のディナーを堪能した。
すっかり食べ終わり、帰る前に化粧室へ行き戻ると、課長が身を乗り出してきた。
「佐山、ちょっと」
なんだろうと自分も身を乗りだし、課長に近づいた。
ちゅ。
恥ずかしげもなく課長は音を立ててキスをしてきた。私はすぐに顔を引っ込めて口を手で覆った。
「課長、いい加減にして下さい」 「そこのスカイレストランのカップルシートで夜景を見ながらシャンパンを飲んでキスをすると、2人は一生幸せになれるんだってよ。残念だな、カップルシート、予約しておいたのに」
…え、と。それは、つまり。
「もう一度、予約してもいいか?」
課長の表情がやけに固い。緊張しているのだろうか。私はその表情を和らげたくて、頷きながらこう言った。
「今度は手書きの文字で連絡するのはやめて下さい。直接口で言うか、メールでお願いします」
「当然だ。じゃ、言っておくがその日はスイートルームも予約しておくからな」
和むどころか、すっかり自信満々な表情になってしまった。もう、男ってすぐ調子に乗るんだから。
「その前に私に何か言うことないんですかね!?」
課長が偉そうで面白くない。何でカップルシートの予約をするのかも聞いていない。課長の気持ちも聞いていない。
課長はじっと私の顔を眺め、おもむろにポケットから付箋とペンを出した。
そして、サラっと何かを書いて私にそのメモ紙をよこした。ひらがなで3文字。
誰でも読める、比較的綺麗に整った文字だった。私もその文字の下に丸っこい癖字で。
『私もすきです』
と書いて、その付箋を課長の唇に張った。