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【中編】恋愛とセックスのかけ算/23歳 藤香の場合


庭師への欲情

足を開いたままテレビ画面を横目で見る。

映画はそろそろラストシーン。ブロンズ美女が庭師の男と駆け落ちする。

よく見かける恋物語。

鏡に目を戻す。

ちょっとジンジンしている。脈が早くなっている。

尿道の上の突起を人差し指の腹で押して見る。お尻の穴がキュッとしまる。

「なんだろう、この感じ……」

怖くなって、鏡を伏せる。すばやく部屋着を身に着け、チャンネルを替える。

立ち上がってインスタントココアを入れる。決まりきった日常が、メガネショップに行った日から、数ミリ単位でずれてきている。

翌週、会計事務所に複雑な仕事がはいったということで急遽アルバイトを雇うことになった。高田が面接して決めたバイトスタッフは野々宮美乃里。

藤香よりひとつ年下の利発そうな子だった。メタルフレームのメガネをかけている。眼鏡の下には鋭い眼光。

着ている服はグレーのパンツスーツ。藤香より大人っぽく見えるのは間違いない。

一人が気楽でいいと思っていたのに。

とは言うものの美乃里がいることで負けたくない思いも芽生え、さらに仕事がはかどるようになった。毎日昼休みに、二人でお弁当を食べるうちにしだいに打ち解ける。

「美乃里ちゃんは、土日、何してるの?」

「ふふふ、土曜は別のバイト。日曜は疲れてるからひたすら寝てるんですよ」

「へえ、どんなバイト?」

美乃里がメガネを外して、セミロングの髪の毛を両手で掻きあげる仕草をする。唇を半分開くと舌先が見え隠れする。

あのいやらしい口元。女優も母もこの口元で息を吐いていた。高田はいない。

「イメクラ……ブクロはいいお金もらえる店多いの。火曜と木曜の夜も行ってる」

藤香は美乃里の意外な告白に度肝を抜かれて反応できない。

「藤香さんも体験してみれば?1日体験あるのよ。紹介しましょうか?」

我に戻る。首をブルブル横に振る。

「びっくりした……でも、そんなお金必要なの?何のために?」

「ちょっとでも贅沢したいじゃないですかあ。180円の珈琲より450円の珈琲飲みたいし。1900円の服より、19000円の服のほうが見た目も着心地もいいに決まってるでしょ」

「そのスーツも、そう言えば高そうよね」

「そう。そこまでハイブランドじゃないけど、着心地はいいんです。安いもの身につけるとそれなりの女に見られそうだから、ちょっと高めの女めざしてるんです。だって高めの男捕まえたいですから」

平然と恋愛理論を述べる美乃里を見ているといつのまにかたくましく思えてくる。

父親よりずっといい男と結婚してやる

美乃里に一目置くようになった。

簿記の仕事中も声をかけてはいけないと思うくらい集中してこなしている。

とても副業でイメクラに行っているとは思えない。

目的に向かってまっしぐらという迫力も垣間見れる。

手こずっていた大きな案件が一段落した日、藤香は美乃里を食事に誘ってみた。

この行動もまた規則正しい生活を送る藤香にとってはイレギュラー極まりない。

大半が女性客のオムライス専門店で、レディースセットを二人分頼む。

サラダもドリンクも付いて1480円なら藤香でもごちそうできる。

美乃里は一年先輩の藤香に敬意を払いながら、少しだけプライベートの話もしてくれた。

大学の経済学部に進みたかったが親の離婚で母親と暮らすことになり、断念したこと。

悔しさがバネになり、母親が憎み続けた父親よりずっといい男と結婚してやると決意したこと。

その手段は手に職を持つこと。

そしてそれでも不足する資金をいかなる手段を使ってでも手に入れることが鍵だとキリッと藤香を睨みすえて語った。

「美乃里ちゃんの考え方……なんだか怖いけど……それくらいしないと幸せを掴めない気がしてきた」

美乃里は、今度は諭すようにゆっくり語る。

「何が幸せ?そこは藤香さんが決めておかないとダメよ。節約して、一生一人で自由気ままに暮らすのが幸せならそれでいい。うちの父親みたいなギャンブルでいつもすってんてんの男と結婚するより、一人の方が絶対幸せって思う」

「そうかあ。私は結婚は考えてないなあ」

「私も高校の頃は、親のひどい喧嘩見てたからそう思ってたんですよ。でも、いま、一人になった母を見てると昔よりずっと愚痴が多くなってる。寂しいだの、お先真っ暗だの、子供は巣立ったら戻ってきやしないだの、一人でいることを呪っているみたいに……」

「年とってから一人でいると、心細いのね、きっと。私もそうなるかなあ。うちは両親健在だからわかんないけど」

「だからね、私、決めたんです。父親よりずっとしっかりした男を見つけるって。そのためには、自己投資しないと、結局父親みたいなのが寄って来るっていうこともわかったから」

「それでイメクラのバイトも始めた?」

美乃里は自身たっぷりにうなずく。

「バイト代で遊ぶわけじゃない。資格取ったり、見栄えのいいスーツと靴買ったり。それなりの男が来る場所に行くことも大事……」

「そんな場所あるの?」

「ビジネスセミナーとか、金融系の人たちの集いとか」

藤香は、美乃里が自分の頭上より数メートル上の世界で生きている感じがしてきた。

話を聞くとなるほどと腑に落ちる。

しかし藤香はそれを簡単に真似できるとは思えない。

会員制のバー

バーではなかった。

住人用の部屋。

真っ白な壁、大理石の床。

三和土の脇にかけてある絵画三枚は小さなライトで照らされている。

まるで美術館だ。

「お酒飲むって、個人のおたくで?」

美乃里が答える間もなく、グリーンのサテンシャツを粋に着こなした男が現れた。

「いらっしゃい、バルダンツァへようこそ」

リビングに通される。

四人の男と髪の毛を腰まで伸ばした美しい女がソファでワイングラスを傾けている。

「あら、美乃里ちゃん、いらっしゃい。かわいいお友達も一緒なのね」

ふっくらした身体つき。

Gカップはあるだろうか、こんなふくよかな女性の胸元を間近に見たことがない。

藤香は息を飲む。

美乃里が説明しはじめる。

「ここは会員制のバーなの。店員がいるわけじゃなく、みんながお酒や葉巻を持ち寄って自由に飲むスタイル。私のお客さん……こちらのケントさんに紹介してもらったの」

よく見るとサテンシャツの男はツーブロックにした髪をガッチリ固め、メイクをしていた。

「リラックスしなよ。ここは我らが休息するオアシスのような場所なんだ。僕は大家のケント。」

「ケントさんはトレーダーよ。お父様が不動産会社を経営されててケントさんはこのマンションチェーンのオーナーなの」

藤香は別世界の会話がうまく消化できない。

瞬時に悟ったことはここに集めっている人たちは本代をケチって、浮いたお金でたい焼きを買わないということだ。

ふくよかな女が話す。

「私はカオル。自分のブランドの化粧品会社をやってるの」

どおりで、一般人とは違う光り方をしていると思った。

全身の肌から微粒の光線が出ているよう見える。

美しすぎるのだ。

顔立ちも肌も。

大きすぎるバストも。

「ラメ入りのパウダーを全身に塗っているのかと思いました……全身から光が出てるみたい」

率直に口にした。

カオルは声高に笑う。

「おもしろいこと言うのね。今度、うちのラインナップすべてプレゼントするわ。三日もすればあなたの肌も光り始めるわよ」

カオルが藤香の手を取って頬ずりした。

「かわいいわ。あなた。お名前は?」

「ふ、ふ、ふじか。岡崎藤香です……」

アソコの目覚め

マオカラーのスーツを着た背の低い男が藤香にグラスを持たせる。

「歓迎のしるしに乾杯しよう」

そこにいる皆が藤香を囲む。

「バルダンツァの新カスタマー、藤香に乾杯!」

そのあとは、夢の中でただよっているようだった。

商社マン、輸入品会社の社長、大手ダイニング経営者……自己紹介を聞きながら頭の中がくすぐられている。

頭も身体もこそばゆいような快感。

酒が強いかどうか飲んだことがないので自分ではわからなかったが、どうやら強いほうらしい。頑丈そうな漆黒のテーブルの上にカラのボトルが所狭しと並んでくる。

「藤香は、恋人はいないの?」

誰かが尋ねる。

「いません。恋とか結婚とかあまり考えないんです。地味なんです……」

ケントが興味津々という顔つきで乗り出す。

「じゃあ、バージンってこと?いや、まさかね……」

「もちろん、経験ないです」

一同、顔を見合わせる。

部屋にはわずかに聴こえるくらいでボサノバが流れている。カオルが羽織っていたボレロを脱ぐ。

「じゃあ、キスしましょう。私とならいいでしょ。女同士だし、友情のキス」

「え?」

拒む隙なく、カオルがソファの横に座り、藤香の頬を両手でロックする。いきなりやわらかな唇が藤香の唇に覆いかぶさる。

「……んっ??」

甘い香り、かんでしまいたくなるほどプニュリとした口触り。

舌先が藤香の口をこじあけるように入ってきた時、あきらかに股間が目覚めた。ピクリとしたのだ。

カオルのたわわな胸が藤香の痩せた胸を圧迫する。それもまた得も言えぬ心地よさ。幼き頃、ぬいぐるみの熊を抱いた時の思い出。スポンジでパンパンにふくらんだ熊のおなかは押しても押してももとに戻る。

ふわふわのぬいぐるみが好きだったあの頃。

カオルの乳房が藤香にこすりつけられる。

美乃里もケントも、よくあることというように静観している。カオルが藤香の格子柄のスカートのすそから手を差し込み太ももを撫でる。

「あっ……」

密着

ベッドでキスされる女性

身体を離そうと腰をよじる。

別サイドに座っているマオカラーの男が藤香の腰を抑えて動かないようにする。

「やめてください……」

「いいじゃない、うさぎちゃんみたいに震える藤香、かわいいわ」

カオルがベージュのロングドレスを自ら脱ぎ始める。

「何するんですか」

美乃里が立ったままケントとキスし始める。

ペチャペチャと音をたてて腰を密着させている。

「藤香さん、ここにいる人達はそれなりの人たちよ。教えてもらいましょうよ。今まで藤香さんが目をつむってきたことも、あきらめていたことも」

「私、こういうこと嫌いなの。彼氏が欲しいなんて思わないし」

パンティ一枚になったカオルが藤香を抱き寄せる。

同性の身体をここまで間近で見たことがない。

しかも豊満すぎる胸。

血管が透けて見えるほど薄い肌の上に大きな乳首がゴロリと鎮座する。

「藤香、これ口に含んでみて」

「え?いや……いやです……」

拒絶しながらも、カオルの胸に引き寄せられる。

きれいなおっぱい。

乳首がまるで私をはやく舐めてと懇願しているようだ。

ソロリと唇を近づける。

意に反して大きく口を開ける。

ハブっと乳首を食いつくように舐める。

蜜の香り。

カオルはメープルシロップを乳房に塗っているのだろうか。

舌先が甘みでしびれる。

「んわあああぁぁぁ」

カオルが座ったままのけぞる。

おいしい、いやらしいほどにおいしい。

藤香は夢中で乳首を吸う。

チュウチュウと赤子に戻ったかのように。

幽霊に見えた母親もこうやって吸われたのだろうか。

あの車庫で。

「酔ってる?私、酔ってるの?狂ってる?誰かが吸う葉巻の香りで頭がいかれた?」

カオルの胸を吸いながらも数秒ごとに理性が目覚める。

それでも、とろけるほどの口触りに、またも理性は封じ込められる。

次に理性が戻った時、アパートに向かうタクシーの中にいた。

美乃里が先に降りる。

1万円札をそっと渡される。

「これで払ってくださいね。おやすみなさい。今日はオムライスありがとう。ま・た・あ・し・た!」

男受けする笑顔

その日から、ルーチン化された日常が少しずつ軌道を替えていった。

事務所での美乃里はあいかわらずメガネの堅物な経理女子のまま、さくさくと仕事をこなしている。

藤香はバルダンツァの出来事を一切美乃里に問いただすことはせず、普通に接することにした。

話題にしようにもあまりに現実的でなく、初めての酒で酔ってやらかしたことと思うようにした。

高田は人員が増えて、担当顧客を増やすことができたと上機嫌だ。

美乃里を正社員にしてもいいと切り出した。

週2回、西武地下の豪華なケーキを土産に買ってくるようになった。

「いやあ、岡崎くんと美乃里くんはベストコンビだよ。優秀な人材二人いると10人雇った気分だよ。こんなに仕事がはかどるなんてなあ。君たち、気が合うだろ」

気が合うなど、何をフックに言うのだろう。

二人共メガネをかけて、数字に強いというだけで生真面目と見えているのか。

見た目とはそういうものなのか。

藤香は地味キャラを変えてみたくなった。塩顔の店員が頭に浮かぶ。

新しいメガネを買おうと思い、就業後あのメガネショップに足を踏み入れた。

店内をぐるりと見回す。

いた。アイメイクをするきっかけになった塩顔店員が学生風の男性客に接客していた。

ディスプレイを見ながら彼があくのを待つ。

「いらっしゃいませ。どんなフレームをお探しですか」

店員が話しかけてきた。藤香は深々とお辞儀をしてみた。

「あ!何ヶ月か前にいらした……」

「はい。やっぱりメガネ、新しく作ることにしました。近視だけじゃなく乱視もあるなって思って」

「承知しました。では……」

ひととおりの説明を聞き終えて、店員の名札を見る。

「倉木……さん?倉木さんがフレーム選んでください。私、自分ではどれが似合うかわからなくて」

倉木はプレートの上に4本、自分が選んだものを並べた。

控えめな色のものと、パステルトーンのもの。

「今日は明るい色のファッションなので、こちらのクリーム色は合うと思います」

「かわいらしい色。シュークリームの中身みたい」

「いいたとえですね。毎日シュークリームと一緒にいられるなんて女性っぽいですね」

決めた。

藤香は、視力を測り終えたあと、倉木にとびきりの笑顔を向けた。

藤香の人生のルーチンにはなかったアクション。

男受けする笑顔。

一週間後にメガネを取りに行くと、倉木がかわいらしいシュークリームのイラストのシールと一緒にメガネを渡してくれた。

「え?これ」

倉木がほかの店員に聞こえぬよう小声になる。

「お客様が喜んでくださったんで、シール、プレゼントします。ケースに貼ってもらえると……うれしいかな……なんて」

ゴロリと音をたてて人生が変わる月

ルーチン外の行動をしたら、気になる彼が振り向いてくれた。

そんな瞬間だった。藤香はさらに自分の枠を超える。誘うような言葉かけてみた。

「ありがとう。また会えるといいですね」

「メガネの不具合があったらすぐにご来店ください」

塩顔の彼は深々とお辞儀をした。

恋愛は苦手という思い込み……藤香は反省した。

「わたし、この人のこと……倉木さん、好きかもしれない」

シュークリームのシールを貼ったメガネケースの写メを撮った。

とてもインスタに投稿などということはできなかったが、そのケースと画像が藤香の苦手意識をやわらげてくれるのは確かだ。シールが目に入る度に気持ちが華やぐ。

翌月、新しいメガネをかけて駅ビルのエスカレーターで上階に昇っているとき、下階にりてくる倉木とすれ違った。

「あ!」

倉木が一旦、下階に降りて、昇りのエスカレーターに駆け乗り、ドタドタと藤香に追いつく。

「こんにちは。ずっと探していました。クリーム色のメガネかけてる人……できればメガネが合わないとかでお店に来ないかななんて思ったりして」

藤香にとって、初めての彼氏ができた記念日となった。

それからは、ネットの恋愛応援サイトで勉強しながらデートを重ねた。

デートに最適の場所、女子力満点のファッションと髪型。真っ黒の髪を少し明るい色にして、ゆるくウェーブをかけてみた。黒い服は捨てて、ファストファッションの店でコーディネートした。クリーム色のメガネは必ずかけていた。

倉木もメガネがよく似合う。メガネカップルの取材ということでファッション雑誌のカメラマンから街頭スナップを撮らせてくれとも言われた。

藤香の人生がゴロリと音をたてて変わった月だった。

⇒【NEXT】「はじめて、手、つないだ」(【後編】恋愛とセックスのかけ算/23歳 藤香の場合)

あらすじ

真面目に23歳まで生きてきた藤香はひょんなことから会員制のバーに招待される。
そこで豊満な肉体を持つカオルと、バーの大家であるケントと出会い…

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