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官能小説 終わらないバカンスを君と
終わらないバカンスを君と
『ごめん、仕事でトラブル。どうしても行けなくなった。本当にごめん』
空港の出発ロビーでの喧騒の中、スマートフォンの画面に浮かび上がったたった数行のメッセージを見て、美羽は静かに息を吐き出した。
嘘だな――と女の勘が告げる。
半年以上前から楽しみにしていた、南の国への一週間のバカンス。
来年には三十歳の大台に乗る美羽にとって、この旅行はただの『お泊まり』以上の意味を持っていた。
それとなく結婚を意識した素振りを見せて、この旅行でプロポーズ――なんて、左手の薬指を意識しながら、この日のために準備してきたのに。
電話をかけても、無機質なコール音が虚しく響くだけだった。
「……最低」
ポツリとこぼれた声は、最終の搭乗案内を告げるアナウンスにかき消された。
今からキャンセルすれば、ただでさえ痛い出費が完全に無駄になる。
ここで引き返して、一人で狭い東京のマンションに帰り、暗い部屋で一人泣くなんてまっぴらごめんだった。
「……行くよ、一人で」
誰に言うでもなく呟き、美羽はトランクの持ち手を強く握りしめると、搭乗ゲートへと歩き出した。
***
南の国の空は憎らしいほど高く、澄み切っていた。
水上飛行機を乗り継いで辿り着いたリゾートは、まさに絵に描いたようなカップルたちの楽園だった。
波の音がダイレクトに聞こえる水上ヴィラのテラス、視界をジャックするようなターコイズブルーの海。
そして、天蓋付きのキングサイズのベッドの上には、タオルで作られた二羽の白鳥が向かい合ってハートを描き、赤いハイビスカスの花びらが散らされている。
「あーあ。一人じゃ広すぎるよ……」
荷物を放り出し、美羽はベッドの端に力なく腰を下ろした。
タオルの白鳥を片方だけ乱暴に崩すと、目頭がツンと熱くなる。
泣きたくない。せっかくの楽園にいるのに、あの最低な男のために涙を流すなんて絶対にしたくない。
美羽は勢いよく立ち上がると、トランクを開けた。彼に見せるはずだった、背中の大きく開いた黒いサマードレス。
それを身に纏い、いつもより少し濃い真っ赤なリップを引く。
「せっかく来たんだから楽しまないと! 確かホテルの外にバーがあるって案内が……」
チェックインした時にもらった周辺エリアのマップを見ると、ホテルを出てすぐの海岸にオープンエアのバーがある。
今なら水平線へ沈む夕日が見られそうだ。
美羽は小さな斜め掛けのカバンに必要最低限のものを詰め込むと、軽い足取りで部屋を出た。
海風が心地よいオープンエアのバーへ向かい、カウンター席の端に滑り込む。
「強いお酒を。甘くないやつで」
バーテンダーに注文し、グラスをゆらゆらと傾けながら、オレンジ色に染まっていく水平線をぼんやりと眺める。
ただ波の音を聞いていると、一人で生きていく未来がリアルに迫ってくるようで、また胸の奥がチクチクと痛み出す。
「コンニチハ。もしかして、日本人?」
不意に、隣から日本語交じりの英語が降ってきた。
顔を上げると、そこにいたのは黒いエプロンを身につけたウェイターの青年だった。
日に焼けた褐色の肌に、潮風に遊ばれたような金髪。そして、南国の熱気には似つかわしくない、ひどく透き通ったグレーの瞳が、美羽を真っ直ぐに見下ろしていた。
「……そうだけど」
「わお、ラッキー! 俺、日本すっごく好きなんだ。いつか行きたいと思ってて。ねえ、少し話聞かせてよ」
警戒する隙も与えないほどの屈託のない笑顔に、美羽は毒気を抜かれてしまった。年の頃は、おそらく二十代半ばくらいだろうか。
「仕事中じゃないの?」
「今はちょっと手が空いてるから平気。俺、ナツ。君は?」
「……美羽」
短く名乗ると、彼は「ミウ、綺麗な響きだね」と嬉しそうに目を細め、勝手に美羽の隣の席に腰を下ろした。
「一人旅? こんなロマンチックな島に一人なんて、めずらしいね。あ、ケンカ?」
無邪気なふりをして、痛いところを的確に突いてくる。カチンときて睨みつけたが、ナツは悪びれる様子もなく、グレーの瞳を悪戯っぽく瞬かせた。
「当たりって感じ? せっかくバカンスに来たのに、そんな暗い顔してちゃダメだよ。……ねえ、明日の昼、俺と一緒に遊ばない?」
「は?」
「俺、昼間は観光案内とかアクティビティのインストラクターやってるんだ。とびきり綺麗な海、案内してあげるからさ」
強引で、身軽で、眩しい。今の美羽には到底持ち合わせていない熱量に圧倒されていると、バーの入り口から団体客がどやどやと入ってきた。
「あ、呼ばれてる。じゃあ美羽、明日の昼の十二時、ロビーで待ってるから!」
美羽が返事をする間もなく、ナツはパチンとウインクを残し、足早にカウンターの奥へと消えていった。
あとに残されたのは、グラスの中の溶けかけた氷と、微かに漂うシトラスの香りだけ。
「……なんだか、嵐みたいな子」
どうせ、明日の予定なんて何一つないのだ。美羽は溶けた氷で薄まったお酒を飲み干すと、少しだけ口角が上がっている自分に気がついた。
***
翌日、ロビーに降りると、真っ白なTシャツに洗いざらしのデニムショーツを合わせたナツが、すでに待っていた。
彼が片手を上げて見せる笑顔は、南国の強い日差しに負けないくらい眩しい。
「美羽。来ないかと思ってちょっとハラハラしてたよ」
彼の口から飛び出すフレンドリーで軽快な英語に、美羽も肩の力を抜いて同じように英語で応じる。
「約束は守るわ。それに、予定が空っぽなのは本当だから」
「最高! じゃあ行こうか。今日はとびきりの場所に連れてってあげる」
ナツは自然な動作で美羽の手首を軽く引き、小型のボートへとエスコートしてくれた。
海風を切り裂いてボートが進む。彼の案内で辿り着いたのは、観光客の姿が一切ない、手付かずの自然が残る小さな無人島だった。
パウダーサンドの白い砂浜と、どこまでも透明な海だけが広がっている。
「どう? ここは地元の人間しか知らないシークレット・ビーチなんだ。海、入ろうよ!」
Tシャツを脱ぎ捨てたナツの背中を見て、美羽は思わず息を呑んだ。
しなやかな筋肉が浮き出た褐色の肌。肩甲骨から腰にかけてのラインは、普段から海で鍛え上げられていることが一目でわかる。
昼間の太陽の下で見ると、彼の存在感はより一層際立って見えた。
「ちょっと、私、泳ぐのそんなに得意じゃないんだけど……!」
「大丈夫、俺に任せて。ほら、手出して」
波打ち際で躊躇する美羽を、ナツが海の中から笑って手招きする。差し出された彼の手を取ると、ぐいっと強い力で引っ張られ、美羽はたまらず海の中へ飛び込んだ。
「冷たっ! ちょっと、ナツ!」
「あはは! 美羽、顔! すっごい真剣!」
容赦なく海水をかけてくるナツに、美羽もムキになって水をかけ返す。
その時だった。予想以上に大きな波が、音を立てて美羽たちの頭上から降り注いだ。
「きゃっ!」
波の勢いに足を取られそうになった美羽を、ナツの逞しい腕が咄嗟に引き寄せた。
「危なっ……あはは、美羽、髪の毛わかめみたいになってる!」
「ちょっと、笑い事じゃないわよ! ナツだってひどい顔!」
波に濡れたお互いの顔を見て、美羽たちは声を出して笑い合った。
波の揺れから守るように、ナツの腕は美羽の腰にしっかりと回されたままだ。ふと笑い声が止んだ瞬間、お互いの吐息が届くほどの距離に顔があることに気がついた。
濡れた金髪から滴る水滴が、彼の形の良い鎖骨へと滑り落ちる。グレーの瞳から、いたずらっ子のような光がスッと潜み、静かな熱を帯びて美羽を真っ直ぐに見つめていた。
「……ナツ?」
波音だけが響く中、彼がゆっくりと顔を寄せてくる。
触れるだけの、けれど海水の冷たさを一瞬で忘れさせるような、熱くて柔らかなキスだった。
太陽の下、開けた海での不意打ちの口づけに、美羽の心臓がドクンと大きく跳ねる。
「捕まえた」
唇を離したナツが、至近距離で悪戯っぽく微笑む。
突然の不意打ちに、美羽は息をするのさえ忘れて彼を見つめ返した。ドクン、ドクンと、波の音よりもずっと大きな自分の心臓の音が耳の奥で鳴り響いている。
出会って間もない年下の男の子からのキス。唇に残る微かな海水のしょっぱさと彼の熱を、美羽は不思議と『嫌だ』と感じていなかった。
それどころか、もっと触れていたいとすら錯覚しそうになる自分自身に一番驚いていた。
「ほら、美羽! 次はあっちで魚探そう!」
呆然とする美羽の手を引き、ナツは再び無邪気な笑顔で海の中へと駆け出していく。
しばらく海で遊んでいたが、お腹が減ったからランチにしようと、ナツは行きつけのローカルな食堂へ連れて行ってくれた。
メニューから適当にチョイスして頼んでくれる。
こぢんまりとした食堂だが、手入れは行き届いていて、飾られている調度品も可愛らしくて美羽はついキョロキョロと見渡してしまう。
すぐにテーブルいっぱいの料理が運ばれてくる。鼻孔をくすぐるいい香りに目を細めていると、ナツは待ちきれないとばかりに手を付け始めた。
初めて見る料理だが、ナツの真似をして食べてみる。
平たいパンに炒めた野菜を乗せて丸めると、大きな口でがぶりと頬張る。
「ん、美味しい!」
「だろ? ここの料理は最高なんだ!」
コーラが入ったグラスを傾けながら、ナツがふと目を細めて美羽を見た。
「……何?」
「いや。美羽って、笑うとすっごく可愛いんだなと思って」
さらりとストレートな言葉を落とされ、心臓がドクンと跳ねた。フランクな褒め言葉だと頭ではわかっているのに、海の中でのあのキスの感触が蘇り、彼に見つめられると顔が熱くなるのを止められない。
それにシンプルに褒めてもらえるのなんて、いつぶりだろう。
「昨日の夜、バーで声かけた時はさ。すごく綺麗だけど、悲しい顔してたから」
ナツはテーブルに肘をつき、少しだけ身を乗り出した。彼の微かなシトラスの香りが、スパイスの匂いに混じって鼻先を掠める。
「俺、今の美羽の顔の方がずっと好きだよ」
真剣なトーンで告げられたその言葉に、美羽は息を詰まらせた。
みじめな気持ちでこの国へと降り立った昨日の自分を、この年下の青年がいとも簡単に塗り替えようとしてくれている。
「……ありがとう、ナツ。今日は本当に、楽しい」
「どういたしまして」
ナツはふわりと微笑み、美羽の髪に付いていた砂粒を優しく払い落とす。その指先が耳元に触れた瞬間、甘い痺れが背筋を駆け抜けた。
「でも、バカンスはまだ始まったばかりでしょ? 今夜もバーにおいでよ」
真っ直ぐな視線で告げられた言葉に、美羽は小さく頷いた。
傷ついて空っぽになっていたはずの時間は、いつの間にか彼を中心に回り始めている。その誘いを断るという選択肢は、もう今の美羽の中には存在しなかった。
***
夜の海辺のバーは、昼間の爽やかな空気から一転して、仄暗い照明とメロウな音楽に包まれていた。
カウンターの奥でシェイカーを振るナツは、白いシャツの袖を無造作に捲り上げ、流暢な英語で次々と客の注文を捌いている。
時折、女性客から親しげに肩を叩かれては、あの人懐っこい笑顔で応じていた。
その光景をカウンターの端からぼんやりと眺めていると、昼間彼に満たしてもらったはずの心が、再び急速に冷えていくのを感じた。
あんなに若くて、誰からも愛される魅力的な彼。それに引き換え、二十九歳にもなって、プロポーズされると信じ込んでいた男に捨てられ、こんな遠い異国の地で一人、強いお酒に溺れてる自分。
「……バカみたい」
自己嫌悪に苛まれながら、美羽は度数の強いカクテルを水のように呷った。アルコールが全身を駆け巡り、視界がぐらりと揺れる。
胸の奥に澱のように溜まっていた惨めさが、酔いとともに涙となって溢れそうになった。
「美羽、飲み過ぎだよ」
不意に、手元のグラスがすっと奪われた。見上げると、眉間に少し皺を寄せたナツが立っていた。いつの間にかエプロンを外し、心配そうに美羽を見下ろしている。
「もう仕事、終わったの?」
「上がらせてもらった。ほら、帰るよ。立てる?」
美羽の腕を引いて立たせようとしたナツに寄りかかった瞬間、足から力が抜け、美羽はそのまま彼の広い胸に倒れ込んでしまった。
「おっと……。しょうがないな」
ナツは小さくため息をつくと、美羽の膝裏と背中に腕を回し、軽々と抱き上げた。
フワリと浮遊感が体を包み、彼の高い体温と、少し汗ばんだシトラスの香りがダイレクトに伝わってくる。
「大丈夫よ。下ろして、自分で歩けるから」
「嘘ばっかり。大人しく運ばれてて」
夜の海風が火照った頬を撫でる。柔らかな波の音と、美羽を抱えてヴィラの桟橋を歩く彼の規則的な足音だけが、ぼんやりとした頭に響いていた。
水上ヴィラの部屋に着くと、ナツは美羽をキングサイズのベッドにそっと下ろした。
間接照明の淡い光の中、彼がベッドサイドに水の入ったグラスを置く。その優しい背中を見ていたら、張り詰めていた糸がふっつりと切れてしまった。
「……私なんて、魅力ないもん」
「え?」
「もうすぐ三十歳で、可愛げもなくて……だから、捨てられたんだわ」
まとまりのない言葉が口をついて出る。溢れ出した涙がシーツに染み込んでいくのを、止めることができなかった。
「美羽……」
ベッドの端が沈み込む。ナツの大きな手が美羽の頬を包み込み、親指でそっと涙を拭った。

「そんなことないよ」
耳元に落ちた声は、昼間の無邪気な少年のものではなかった。
低く、少し掠れた、大人の男のひどく甘い声。顔を上げると、ナツのグレーの瞳が、薄暗い部屋の中で熱を帯びて光っていた。
「俺が今日、一日中どんな気持ちで美羽を見てたか……全然わかってない」
言うが早いか、彼の手が美羽の後頭部を引き寄せ、重い口づけが落ちた。
「んっ……、ぁ……」
アルコールの熱とは違う、焼け付くような熱さが唇から全身へと伝染していく。
昼間の海での触れるだけのキスからは想像もつかないほど深く、貪欲なキスだった。
息継ぎの隙すら与えられないまま、彼の熱に口内を侵されていく。
「ナツ……だめ」
「ダメなんて言わないで。……もう、我慢できない」
唇を離したナツが、美羽の耳朶を甘く噛みながら囁く。
彼の指先が、サマードレスの背中のファスナーをゆっくりと滑り降りた。ジリッという微かな音とともに布地が緩み、華奢な肩紐が二の腕へと滑り落ちる。
あらわになった美羽の肩口に、彼が顔を埋めた。
チュッ、と音を立てて吸い付かれ、そこから鎖骨、胸の谷間のすぐ上へと、焼け付くようなキスの軌跡が点々と刻まれていく。
「あ……っ、ナツ……」
「美羽、すごくいい匂いがする。……甘くて、とろけそう」
掠れた声で囁きながら、ナツは自らの白いTシャツを下から無造作に引き抜いて床へ放り投げた。薄暗い間接照明の下、昼間の海で見たしなやかな筋肉が、汗ばんで艶やかに光っている。
彼が再び美羽に覆い被さると、素肌と素肌が直接触れ合った。
誰かの肌に触れるなんて、初めてじゃないのに。まるで初めての夜を迎える少女のように頭の奥がクラクラと眩暈を起こす。
「っ……は、ぁ……」
美羽のドレスを腰元まで引き下げると、ナツはまるで壊れ物を扱うかのように、その布地をゆっくりと足元へと滑らせていった。
あらわになった素肌を夜気が一瞬だけ撫でたが、それもすぐに彼が放つ圧倒的な熱に塗り潰される。
「……綺麗だ」
薄暗い間接照明の下、美羽のすべてを暴き出すようなナツの視線が、つま先から首筋までをねっとりと這い上がってきた。
その瞳には、ひたすらに愛しいものを慈しむような、ひどく甘い色が満ちている。
自信を失っていた美羽の身体を、彼はまるでこの世で一番美しい宝物でも見つめるかのように、熱い吐息とともに見下ろしていた。
「ナツ……そんなに見ないで……」
恥ずかしさに耐えきれず両手で顔を覆おうとしたが、手首をふわりと掴まれ、頭上のシーツに縫い付けられてしまった。
「隠さないで。美羽の全部を俺に見せて」
低い囁きとともに、ナツの唇が美羽の胸元へと落ちた。
鎖骨のくぼみに舌先を這わせ、そこからゆっくりと、味わうように柔らかな肌の起伏へとキスの雨を降らせていく。
幾度も重なる柔らかなリップ音や微かな水音が静寂の部屋に響くたび、美羽の口からは抑えきれない甘い吐息がこぼれ落ちる。
「っ……あ、んっ……」
キスの軌跡を追うように、今度はナツの大きな手が美羽の素肌を直接這い回り始めた。
海を知り尽くした少しざらりとした指先が、肋骨のラインを確かめるようになぞり、腰のくぼみを強く引き寄せ、そこから下腹部へと円を描くように滑っていく。
少し硬い男の手のひらと熱が、快感となって頭の芯をジンジンと痺れさせた。
「すっごく熱い……。美羽も、俺と同じくらいおかしくなりそう?」
彼の手が太ももの内側へと侵入し、最も熱を持った柔らかな場所の輪郭をなぞるように、じっとりと焦らすように撫で上げる。
核心に触れそうで触れない、その執拗でねっとりとした愛撫にビクンと身体が大きく跳ね、下腹部の奥がきゅうっと切なく甘く締め付けられた。
「んっ、ぁ……ナツ、だめ……っ」
「可愛い。美羽が俺の指にどうやって応えるか……もっと教えて」
熱を含んだ声で囁きながら、ナツの顔が再び上がり、逃げ場を奪うように美羽の唇を深く塞いだ。
同時に、彼の手の動きは先ほどの意地悪な焦らしをやめて、美羽の最も熱を帯びた中心へと触れた。
「んっ……!」
ビクン、と大きく跳ねた美羽の身体をベッドに縫い留めるように、ナツの長い指先が、甘い雫で濡れた柔らかな場所をゆっくりと、けれど確かな圧をかけて押し開いていく。
「ナツ……っ、あ……」
彼自身の指が美羽の奥の熱を確かめるように沈み込み、微かな水音を立てながら、ゆっくりと深いリズムを刻み始めた。
少しざらりとした指の腹が、最も敏感な部分を的確に捉えて擦り上げるたび、目の前が白く明滅するほどの快感が波のように押し寄せる。
「美羽、すごく熱い……。こんなにトロトロになってる」
重なり合った唇の隙間から、ナツの甘く掠れた声が響く。さらに深く、より濃密に美羽を甘やかしていく。
彼が指を動かすたびに生まれる熱い摩擦と、呼吸すら奪い尽くす深いキス。
美羽は自分でも聞いたことのないような艶やかな声を、彼の口内へと吐き出し続けていた。
美羽という存在を丸ごと肯定するように、傷ついた心を一つひとつ丁寧に解きほぐして愛おしむように。
隅々まで美羽の輪郭を確かめ、理性が完全に溶け落ちるまで、美羽は彼に甘く蕩かされ続けていた。
***
心地よい波の音と、窓から差し込む南国のまばゆい光で目を覚ました美羽は、あまりの不快感に思わず口元を手で覆った。
完全な二日酔いだ。
「痛っ……」
ガンガンと鳴る頭を押さえながら身を起こそうとして、自分がシーツの下で一糸纏わぬ姿であることに気がついた。
ベッドの足元には、美羽の黒いサマードレスとナツのTシャツが、昨夜の激しさを物語るように乱雑に脱ぎ捨てられている。
隣を見ると、金糸のような髪をシーツに散らし、彫刻のように整った顔立ちのナツがすやすやと眠っていた。
無防備な長いまつ毛や、シーツから覗く引き締まった肩口を見るだけで、昨夜の狂おしく熱い記憶が鮮明にフラッシュバックしてくる。
彼に身を委ね、何度も名前を呼びながら、自分でも聞いたことのないような声で泣いてすがったこと。
彼がそれに、どこまでも深く、蕩けるような熱で応えてくれたこと。
何度も何度も絶頂に到達し、最後は気絶するように眠りに落ちたこと。
「信じられない……」
恥ずかしさに顔から火が出そうになり、シーツをギュッと握りしめて頭を抱えた、その時だった。
「……おはよ」
掠れた低い声とともに、ぐんと腰を強く引き寄せられた。
「きゃっ!?」
「もう起きたの?」
寝起きの気怠げな瞳が、至近距離で美羽を捉える。
気まずくて目を逸らそうとしたけれど、ナツの逞しい腕が美羽の身体を逃さず、そのままベッドへと組み敷かれた。
「ナ、ナツ、ちょっと待って……」
「昨日の夜は、あんなに可愛く俺にすがってたのに?」
意地悪に微笑んだナツの顔が近づき、『おはよう』の挨拶にはあまりにも不釣り合いな、深く、そして甘い口づけで美羽の息を奪った。
昨夜の続きをねだるような、とろけるような熱い舌の絡まりに、美羽の頭の芯は朝から再び白く染め上げられていった。
それからの数日間は、まるで甘い魔法にかけられたような日々だった。
ナツは仕事の合間を縫っては美羽を色々な場所へ連れ出し、夜になればヴィラのベッドで狂おしいほどに愛し合う。
だが、どんな魔法にも必ず終わりが来る。
搭乗ゲートを告げるアナウンスが無機質に響き渡り、否応なしに美羽を現実に引き戻した。
手元のチケットに視線を落とし、美羽はゆっくりと息を吐き出した。
一週間前、一人でこの空港に降り立った時の絶望感は嘘のように消え去り、代わりに胸を満たしているのは、息が詰まるほどの切ない喪失感だった。
「……それじゃあ、ここで。一週間、本当にありがとう。最高のバカンスになったよ」
努めて明るい声を出して振り返る。これが最後。
この青い海と空の下だけの、綺麗な思い出。日本に帰れば、美羽はまた現実を生きる二十九歳の女に戻るのだから。
けれど、美羽を見下ろすナツの瞳には、いつもの無邪気な光はなかった。
「美羽はさ、これで終わりにするつもりなんだ」
「え……?」
不意に手首を掴まれ、強引に彼の広い胸の中へと引き寄せられる。
周囲の喧騒が、彼の高い体温とシトラスの香りで一瞬にして遠ざかった。
「ナツ……」
「俺は、思い出なんかで終わらせる気、これっぽっちもないから」
頭上から降ってきた低く真剣な声に、心臓が大きく跳ねる。見上げた彼の瞳は、夜のヴィラで見せたあの時と同じ、熱を孕んだ大人の男の色をしていた。
「日本に帰っても、俺の場所、ちゃんと空けといて。必ず会いに行くから」
「ナツ……っ、ん……」
反論する隙は、深く重なる唇に奪われた。別れの挨拶にはあまりにも甘く、そして強い独占欲に満ちた口づけ。
彼が唇を離した時、美羽が心にかけたはずの『綺麗な思い出』という鍵は、もう跡形もなく溶けて消え去っていた。
「……待ってるから」
美羽の小さな呟きに、ナツは出会った時と同じ、最高に眩しい笑顔を見せた。
***
帰国してすぐの週末に美羽は彼――いや、元カレと、都内のカフェで向かい合っていた。
「本当にごめん。……なんか、お前から結婚の雰囲気を出されるのがプレッシャーで、重くて。あのまま旅行に行ったら、もう後戻りできない気がして……、でも仕事だったのは本当」
コーヒーカップから視線を逸らしながら言い訳を並べる彼の顔を、美羽はひどく冷めた気持ちで見つめていた。
あんなに好きでたまらなかった相手のはずなのに。
以前の美羽なら、ここで許してしまっていたかもしれない。『プレッシャーかけてごめん』と自分をすり減らしていたはずだ。
けれど不思議なことに、今の美羽の中に彼への未練や執着は、一ミリも残っていなかった。
美羽の心を満たしているのは、目の前にいる男ではなく、眩しい南国の太陽と、美羽を丸ごと肯定してくれたナツなのだから。
「……そう。わかったわ」
「えっ……?」
「これで終わりにしましょう」
あっさりと告げた美羽に、彼は信じられないというように目を丸くした。もっと責められるか、泣かれるとでも思っていたのだろうか。
そんな労力を払うだけの価値がこの男にはないというのに。
「もう連絡しないで。あ、旅行代金のキャンセルできなかったあなたの分、きっちり計算してあとでメールしておくから。今週中に振り込んでね。それじゃ」
呆然とする元カレを残し、美羽は迷いなく席を立った。カフェを出て深呼吸した瞬間、ずっと背負っていた重い荷物が下りたように、足取りがふわりと軽くなった。
それから、数ヵ月後。
東京の冬は冷え込みが厳しく、すっかり分厚いコートが手放せない季節になっていた。
婚約間近だと思っていた彼を失い、一人で迎えることになった今年の冬。
あのまま南国のヴィラで泣いて帰ってきていたら、きっと凍えるほど寂しくて憂鬱な季節になっていただろう。
けれど今の美羽は、冷たい風が吹く帰り道でも、コートのポケットの中でスマートフォンが震えるのを密かに楽しみにしている。
『今日のまかない! 魚ばっかりで飽きたよー』
『日本の冬って本当にこんなに寒いの? 美羽がこの前送ってくれたマフラーぐるぐる巻きの写真、可愛かった』
時差を越えて届く、他愛ないメッセージと写真の数々。
いまだ目に焼き付いて忘れられないターコイズブルーの海や、現地で元気に働く彼の姿を見るたびに、美羽の中にあの南国の熱がじんわりと蘇る。
美羽も負けじと、職場の近くのイルミネーションや、たまに少しだけ着飾った自分の写真を送っていた。
遠い異国に住む年下の彼との、まだはっきりとした名前のつかない関係。それでも美羽の日常は、ナツからの通知一つで確実に鮮やかに色づいていた。
残業を終え、最寄り駅の改札を抜けたところで、聞き慣れた通知音が鳴った。
『仕事終わった? お疲れ様』
冷え切った手を擦り合わせながら、美羽は画面に文字を打ち込む。
『今終わったところ。すごく寒いよ。ナツは今から仕事?』
すぐに既読がつき、彼から一枚の写真が送られてきた。画面に表示されたそれを見て、美羽は思わず立ち止まった。
見慣れた日本のコンビニ、冷たそうなアスファルト。そして、背景に写り込んでいるのは、美羽が今まさに立っている最寄り駅の看板だったからだ。
混乱する頭のまま、続くメッセージに目を落とす。
『俺の場所、ちゃんと空けて待っててくれた?』
ドクン、と心臓が大きく跳ねた。嘘でしょ、と呟きながら勢いよく顔を上げ、周囲を見渡す。
足早に行き交うダウンコートやウールの波の中で、不意に、あの微かなシトラスの香りが鼻先を掠めた。
「みぃーつけた」
背後から降ってきた、少し掠れた、ひどく甘い声。振り返った美羽の目に飛び込んできたのは、厚手のジャケットを着込み、ほんの少し鼻の頭を赤くしたナツだった。
彼の手には大きなボストンバッグが一つだけ。相変わらず身軽で、眩しくて、強引な嵐みたいな人。
「……ナ、ツ……? 嘘、なんで……」
「サプライズ。約束は絶対守る男なんだぜ?」
驚きで言葉を失っている美羽を見て、ナツはあの悪戯っぽい、けれどたまらなく熱を帯びたグレーの瞳を細めた。
そして、周囲の目など一切気にせず、美羽を力強くその腕の中に閉じ込めた。
「もう、離さないよ」
東京の冷たい夜の空気ごと、彼のもたらす熱い魔法が、再び美羽を甘く溶かしていった。
END
あらすじ
彼氏にドタキャンされた南国一人旅。
どん底の私に、現地の青年が声をかけてきて……。









