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恋愛とセックスのかけ算/31歳 美咲の場合


誰にも言えない関係

「あー疲れた。満員電車きついわあ。かあさん、ゴハン。」

美咲がリビングに入ると姉の美鈴が振り返って睨んだ。

「ちょっとー、31にもなって、かあさんゴハンはないでしょ。作ってもらってるんだから自分であっためなさいよ」

「ねえさん、来てたの。また信二さん出張?実家近いと楽でいいよね。私も都内に住んでるいいオトコ、早く見つけなくっちゃ」

美咲は冷蔵庫からサラダを取り出し、しわひとつなくきちんと貼ってあるラップをピリっとはがした。
水菜の上に薄切りトマトが赤い花火のように飾られている。
母がソファで料理雑誌を読みながらつぶやいた。

「家が居心地いいから美咲はいつまでも結婚しないのよね。お勤めから帰ったら食事の用意はできてるし、使い慣れた部屋も無料提供だものね」

「かあさん、皮肉?!今に素敵な旦那様見つけて出て行くから。かあさんが寂しいって思っても、ねえさんみたいにしょっちゅう里帰りしませんからね」

唇をとんがらせて反逆したものの心の奥でわだかまりがあった。
都内に住んでいる素敵なカレシなんてきっと現れない。先週の拓人との戯れがよぎった。

拓人の中指が美咲の身体の内側をすべて撫で回す。美咲の内側が弾力を持ちながら拓人の指を押し返す。
思い出しただけで細長い滝が腰を滑り落ちる気分になる。
ジンとした快感。トマトの赤みが目に焼き付く。

美咲は2年間、人に言えない関係を続けている。
友達の礼子に誘われた飲み会でなんとなく好感を持った相手。キリっとした目つきも滑舌のいい話し方も好ましかった。
拓人も美咲を気に入ったらしく酔いにまかせて飲み会のあとこっそり囁いた。

「道玄坂通って帰ろう。駅まで送ってく」

道玄坂の裏にはきらびやかなネオンのホテルが密集しているのを知りながら美咲は応じた。
30歳までにはカレシを作って結婚したいと短絡的に考えていた美咲にとって拓人はギリギリの時期に現れた候補者に見えた。

ホテル街のネオンと学生向けの居酒屋の看板を交互に見ながら二人で歩いていると拓人が美咲の腰に手を回し「キスしたい」と言った。
驚いた振りをする美咲。美咲の腕を引っ張り路地に入りこんで、むさぼるようなキスをしかける拓人。

元カレと別れてから久しぶりに触れる暖かい舌先。
拓人の舌が美咲の舌の左端をなぞった瞬間、いやらしい部分が目覚めた。
美咲の舌が意思を持って動き始める。身体が拓人を欲しがった。
美咲は拓人の舌をもて遊ぶようにしながら途絶えた声で言った。

「そこに入ろう…」

揺れる椰子の葉

天井にハワイアンタッチのイラストがぼんやり見える。フェイクの椰子の木の影が壁に映る。
美咲の鼻先に拓人の肩が触れる。汗ばんでいる。チロリと舐めてみる。
欲情している男の味。

初めて会った男と道玄坂の裏にあるハワイで抱き合うなんて思ってもいなかった。
一夜限りで遊ばれているかもしれない。それなのに気分がよかった。

正確に言えば、美咲のカラダが喜んでいる。別れた元彼との交わりより数段気持ちが昂っている。
拓人が押しいって来るたびに腰の辺りで小さな花火があがっている感触。
拓人が果てたと同時に美咲の赤い花火が終わる。残像を残して。

美咲は独り言のようにつぶやいた。

「セックスってこんなに気持ちいいものだったかな…」

拓人が照れたように答えた。

「俺も、そう思う。カラダ、合ってる。ぴったり。」

大の字で寝そべっている拓人の肩をもう一度、舐めてみた。さっきと味が違う。落ち着いた男の味。

「また、会える?」

上体を起こしまっすぐに拓人の目を見て尋ねた。

「うん、会いたい。また抱きたい。でも…」

「でも何?」

「俺、奥さんいるんだ」

椰子の葉が揺れた気がした。風もないのに。

「ごめん、美咲ちゃんが、あんまり魅力的だったからその、つい…」

「私から誘った!謝るのとか、やめてよ。ってか、ハワイ行ったことある?新婚旅行で行ったとか?」

「いや、ないよ。サイパンならあるけど」

「ふうん、この部屋、ハワイ風で、気にいっちゃった。お風呂も美肌の湯って書いてあるし。お肌つるつる。また来たいな」

何言ってるんだ? と思いながら美咲は笑った。

ギリギリの時期に現れた男は、結婚候補者ではなかった。
結婚相手をさがしている時期に寄り道なんかしてる場合じゃないのに。
今夜だけの遊びで割り切るのが一番。椰子の葉っぱをつまんだとき、拓人がベッドの脇にあるオーディオのスイッチを回しながら言った。

「また来ようよ。このホテル。BGMも波の音にすればよかったな。ほら。」

ザーという波の音が流れた。美咲は拓人の肩を少し強めに噛んだ。

冷めた紅茶

道玄坂の裏にあるハワイ、それから何度も二人は椰子の木の下で愛し合った。
拓人と一緒にいる時の美咲は自然に振る舞うことができた。
会社では後輩から慕われて姉御肌で通している。
落ち込んでいる同僚には背中をたたいて「しっかりしなさい」と励ます。

強がっている自分が唯一安らげる場所、それが拓人の胸の上だった。
鼻先が拓人の肩に当たる瞬間、いとしくてたまらないと感じる。独り占めできればどんなに幸せかと。

1年前、友達の礼子が結婚した。

「先にいくかー? 遊べなくなるじゃん」

とジョークまじりにぼやいてみたが。礼子が結婚した時期から自分の不透明な未来が気になり始めた。

姉の美鈴はちょうど35歳。結婚して6年経つのにいまだに子供ができない。
身体に問題はないらしいが美鈴はあせっていらついている。その話題は家ではタブーになってきている。
高齢出産の年齢に達した姉の様子を見ていると、早く結婚しなくちゃなと感じる。

31歳。合コンの誘いも日に日に少なくなっている。
合コン真っ盛りの後輩達はやたら目元のメイクに気合が入っている。美咲はもうまつげエクステには興味がなくなってきた。
後輩達のくるっとした目元を見ながら、どんどん覇気がなくなる自分を感じた。
拓人のことを思うと彼氏を見つけようという気にならない。

日差しがやわらぎ、秋の気配を感じるようになった午後、打ち合わせが終わってカフェのテラス席でノートパソコンを開いた。
涼しくなったら温泉に行こうと拓人に誘われていた。二つの夏を過ごして初めての旅行のお誘い。

「道玄坂のハワイからステップアップね」

美咲は嬉しかった。ネットで温泉情報を見ながら、紅茶を一口すすった。
なにげに視線を遠くに移した。心臓がドキドキ動き始めた。
道路の向こう側に拓人の姿が見えたのだ。女性と二人で笑いながら歩いている。
白いブラウスに長めのベージュのスカート。この季節にぴったりの落ち着いた色合い。栗色の髪の毛はバレッタできれいにまとめられている。

「奥さん…かな。平日なのに」

美咲はパソコンをパタンと閉じた。アッサムティーが冷めている。
ぬるい舌触りがたまらなく気持ち悪い。

「すみません、熱い紅茶欲しいので、もう1杯。あ、ポットで持って来て」

美咲の心の中にも秋の風がスっと吹いてきた。

ハワイを夢見て

ハワイを夢見て

夜、ベランダに出て美咲はめずらしくため息をついた。

窓の外はすっかり秋の月。
夏の夜にビアガーデンの真上に浮かんでいた楽しげな月といつ入れ替わったのか。
どこか寂しげな霞んだ月の光が見えた。足下に転がっているプランターには咲いている花もなく、乾いた土肌を見せていた。

拓人とはお互いに干渉しないと割り切っていた。
拓人も美咲のプライベートの事はいっさい聞かない。美咲も何も聞かない。
嫉妬しない。邪魔しない。暗黙の了解の2年間。

拓人について知っている事は結婚している事、子供はいない事。印刷関係の会社に勤めている事だけ。
拓人の背景は何も知らない方が楽だとわかっていたから。

ただ、身体のことはすべてわかっている。
どのラインを指でなぞれば幸せそうな顔をするか。どんなキスをすれば勃ち上がるか。
そして、肩を噛むと切ない味がすることも。それだけ知っていれば奥さんより上位にいる気がする。
拓人は終わったあとに必ず「かわいい」と言ってくれる。それだけで充分だと。

しかし今日の美咲は好戦的な気持ちとやるせない気持ちが入り乱れていた。
白いブラウス、ベージュのスカート。季節の移り目をわきまえている聡明な妻。
携帯を見つめた。今までメールでのやり取りは会う場所と時間を決めるだけ。
まるで打ち合わせ時間を決めるような機械的な言葉。感情がある言葉はいっさい送っていない。

既婚者であるあちら側に考慮して。
美咲の携帯には「TAK」で登録してあるが拓人の携帯にはどうだろう。
美咲の事は架空の男性の名前で登録してあるはずだと今更ながら思った。山本とか、鈴木とかよくある名前で自分は隠されている。

道玄坂の裏のハワイにしか私たちは旅行しちゃいけない関係だったんだ。
おもりを胸に置かれたような気分。美咲は暗黙のルールを破った。

『今日、一緒に歩いていた人、奥さんでしょ。きれいな人だね』

こんなメール、嫌がられるに決まっている。わかっていた。

本当のハワイにいつか一緒に行きたいと願っていた事も。
それなのになぜこのメールを送りたいのか。
離婚して私と一緒になってと考えているわけではない。彼の結婚生活を壊したいのではない。
私は寂しい。

将来、子どもがいるあったかい家庭ができるのか不安なだけなのだ。
冷たい夜に抱いてあたためてくれる拓人。寂しさを埋めてくれる彼は都合のいい相手のはず。
都合のいい関係をハンマーで殴り壊すような一通のメール。美咲は送信ボタンを押した。
そして、「TAK」のアドレスを削除した。涙が右の目からツっと流れた。

月の光は美咲とプランターをやさしく包んでいた。赤い花火はもうあがらない。
どこかで聞いた波の音が耳に入ったような気がした。

「マウイ島がいいかな、オアフ島かな。連れて行ってくれる彼氏、見つけなきゃ」

美咲は涙をぬぐった。


END

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あらすじ

31歳で結婚せず実家暮らしの美咲には、誰にも言えない秘密があった。
飲み会で出会った男性に道玄坂の裏の裏のきらびやかなネオンのホテルに誘われるが、実はその男性は…

公開中のエピソード 全67話公開中
三松真由美
三松真由美

恋人・夫婦仲相談所 所長 (すずね所長)・執筆家…

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