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【前編】恋愛とセックスのかけ算/27歳 里衣菜の場合
顔には自信がある
夜、ベッドに寝っ転がってホッとすると腰に鈍い痛みを感じる。コールセンターの仕事は一日中座りっぱなし。
通話相手に顔が見えるわけではないので好きな格好で対応してもいいだろうと思うがそうはいかない。
マネージャーが見回りに来る。パーテーションで仕切られたブースをいちいち覗くので、背筋を伸ばして誠意を持ってお客様に対応してます的な仕事フォームを保つ。
この仕事のおかげで里衣菜の腰はゴリゴリにこっている。ネットで「腰痛改善」「腰が痛い」など入れるとあやしげな健康グッズや整体院がずらりと並ぶ。
里衣菜は腰痛予防ストレッチという動画サイトを開き、講師の動きを見よう見まねでストレッチをする。
里衣菜は顔には自信がある。高校の頃からクラス一の美形と噂されていた。
スッキリした輪郭。少しつり上がった大きな瞳。鼻筋がきれいな角度を描く。
手足もスラリと長く生んでくれた母に感謝している。
故郷の和歌山の大学でミスに選ばれた栄光の経験もある。ただ就職で東京に出てきてからはパっとしない。
ミスの経験を活かして安定した会社に就職できたものの、コールセンター勤務。本社広報部に配属されるという夢は砕かれた。
都会には里衣菜以上の美貌の持ち主はいくらでもいる。たまに本社に行くと受付で女優顔負けの完璧女が作り笑いをしている。
口紅の角度も計算しつくした完璧女を見るたび胸の奥でちょっとだけ野心がのぞく。
「私もチャンス来ないかな」。
チャンス待ちをするようになった。
本社研修の帰り、電車の中で「チャンスの掴み方」「運気アップ」で検索すると出て来る出て来る。
里衣菜が気になったのは風水サイトだった。
「住む場所を変えて運気を呼び込む」。
里衣菜のマンションは日当たりが悪いワンルーム。キッチンが狭すぎて自炊する気もおこらない。つい、できあい惣菜を買って帰る毎日だ。
「そうか!ボーナス出たことだし、引っ越ししてチャンス待ちするかな」
生年月日を入力して簡単なチェックテストをして出てきた答えは「北西への引っ越しが大吉」。
里衣菜は速攻決断型だ。翌週には北西に位置する駅の不動産屋に向かっていた。
小田急線沿いにある小さな不動産屋。きれいな店構えではないが地元物件に強そうな気配がただよう。
自動ドアをあけて中に入る。
「いらっしゃいませ。賃貸をお探しですか」
里衣菜は目を見開く。初恋のカレにそっくりの肩幅が広い濃い顔の男。高校のときの陸上部キャプテン。中距離選手だった小川先輩に似ている。
里衣菜は新体操部、部室が近かったのですれ違うようになり、里衣菜の一目惚れ。美貌女子の里衣菜に好かれているとわかって断る男はいない。すぐに付き合ったが小川先輩は親の仕事の都合で神戸に転校してしまった。
手をつないだだけの関係。不完全燃焼の恋だからこそ、鮮やかな思い出のまま胸に残っている。時に小川先輩を思い出して里衣菜は指で股間をいじることもある。今のところ妄想の性の相手は小川先輩なのだ。
目の前に、大人になった小川先輩が佇んでいるような気になる。
「あっ!はい。家賃7万以内でキッチン広いとこ、できれば日当たりいいとこ……」
担当の男は名刺を差し出し、永野道雄と名乗った。
里衣菜が気に入りそうな部屋の見取り図をサクサクとテーブルに並べ、メリットデメリットを的確に早口で説明する。できる男。
低めの声も、スッと上目遣いで相手の目を見るまなざしも小川先輩にそっくりだ。里衣菜は「北西!恋のチャンス到来……」と胸の中でこぶしを握る。
「来月にでも引っ越ししたいんですよね。ではこれから車でお連れします。3部屋、続けてご案内します。新百合ヶ丘近辺になります」
ワイシャツの上に濃紺のジャケットをはおると大人の男の色気を感じる。煙草の香りが車内を漂う。やはり小川とは違う。
小田急線沿いの部屋は、どれも気に入った。その中で一番駅から遠いが、キッチンが広い部屋を選んだ。
生活習慣を変えれば新しい出来事が起こる。これからは自炊をする。外食と惣菜弁当はやめる。
里衣菜はその部屋を決めた理由を永野にうれしそうに話した。永野は白い歯を見せて豪快に笑った。
「いいですね。自分を変えるって。夢を見る女性、好きです。藤川さんの料理うまくなったら食べてみたいなあ」
「はい。三ヶ月でうまくなりますから、食べに来てください」
速攻契約。永野は困ったことがあれば電話をくれと携帯番号とLINEを書いたメモを渡した。
里衣菜は腰痛を忘れ、新しい部屋で背伸びをした。真っ白い壁、大きな窓、狭いけれど朝陽がよく当たるベランダ。そして大きなシンクと2口のコンロがついたキッチン。
変われる。パッとしない毎日を変えることができる。本社受付に座っている完璧女みたいになれる。
部屋が変われば吸い込む空気も違ってくる。里衣菜ベランダで大きく息を吸い込んだ。
夕食に招待
3ヶ月後、通勤と周囲の環境にも慣れた頃、里衣菜は永野を夕食に招待した。
いい部屋を紹介してくれたお礼と言うと、永野は会社に内緒ですよと前置きをして、来てくれた。マーガレットの花束と駅前のケーキ屋のミルフィユを2つ持って。
「ネットレシピを見てそのとおりに作るようにしたらおいしくできるようになったんです。食べに来てください。油琳鶏(ゆうりんち)」
「へえ、中華料理の定食屋で食べたことしかないな」
「永野さん、いいお部屋を見つけてくれてありがとう。前住んでたとこから北西にあたるし、ばっちり運気アップの予定なんです。会社でもいいことあったんですよ。配属変更希望出したら通りそうだし」
「それはよかった。藤川さん、」
「あのう、里衣菜って呼んでください。お友達になってください」
里衣菜は自信がついていた。仕事も恋もうまくゆく。根拠はないが、運気アップを信じることは素晴らしい。人を積極的にする。
「まいったな。お客さんとこんなに親しくなったのは初めてですよ」
「永野さん、もてるでしょ。イケメンさんだもの。独身女子なら狙いたくなりますよ。というか……指輪してないから独身……ですよね……」
永野は大きくうなずく。
「女の人って、指輪とか見るんですね」
「ええ。でも気になる男の人の手だけですよ。実は永野さん、初恋の人に似てるんです。面影が」
「そりゃうれしい。里衣菜……さん……こそきれいだからもてるんでしょう」
「いえいえ、きれいな人は山ほどいるの。東京ってすごい。部署が変わったら誰かいい人探そうかなーって……」
話がはずんだ。
油琳鶏にスーパーで買った紹興酒がよく合い、二人は酔っ払ってしまった。
「初恋の先輩とはキスした?」
永野がトロットした目つきでいきなり問いかける。
「してない。興味ある年頃だったけど、先輩は神戸に引っ越しちゃったから」
「そのあと、誰とも付き合ってないんだ?」
里衣菜はコックリする。
「遊んでるように見えるでしょ。派手な顔立ちだから、いっぱい付き合ってるみたいって友達には言われる」
「きれいな顔だ。女優さんと話してるみたいだ。キス……したいなあ」
永野が里衣菜の手を取る。
小川先輩と永野の顔がかぶる。小川先輩とキスもエッチもしたかった……。
里衣菜は目を閉じて全身の力を抜き、永野の胸になだれ落ちる。長い長いキスだった。里衣菜の妄想をはるかに超えるうっとり感。永野の舌の動きに抵抗するように里衣菜も舌を動かす。
永野の熱い息づかいが里衣菜の女芯を呼び起こす。永野の胸に手を当てるとドクンドクンと波打っている。永野はその手をスルリと自分の股間に導く。
床に座ったまま里衣菜は永野の硬くなったのものを手でなぞる。形がはっきりわかる。怖いようなかわいらしいような。思っていたより大きい。
「里衣菜さん、経験ないんだよね」
キスの合間に永野が尋ねる。里衣菜は何も答えない。こういうとき、どう答えればいい?
とまどう。
「してみる?」
セックス上級者との初体験

「30までに経験できるのもチャンスのひとつ。このままだとヤラミソになっちゃう」
里衣菜は興味本位のひとりエッチしかしたことがない。セックスがどんなものか見当がつかない。興味津々。
永野ならいい。小川先輩に似ているから。永野に初めて身体を開くことを許した。
電気を消してカーペットの上に横たわる。里衣菜のベッドはシングルの木製ベッド、二人で寝るには狭すぎる。重量制限に耐えられない。
「痛くないようにするからね」
慣れた言葉。濃い顔立ちでトークがうまい永野の女経験はおそらく両手では足りないだろう。そんな気がする。
この容貌。この色気。OLから奥さんまで永野に言い寄られると皆がその気になるに違いない。
永野が上に乗っかってくる。顔がすぐ近くにある。里衣菜は永野の太い眉にキスをした。そこが一番小川先輩に似ているのだ。
永野は里衣菜の小ぶりの胸を、ほぐすように揉み始める。男に胸を触られるのがこれほど心地よいものとは。
里衣菜は口を半分開いて、「はあ」と声を発する。自分でも聞いたことがないような甘えた声。驚いた。こんな声が出るんだ。セックスっていったい……。
永野が里衣菜の衣服を全部取り、足の間に頭をずらす。両手でゆっくりと肉の扉を開く。顔から火が出るほど恥ずかしい。だが興味のほうが勝つ。永野は痛くないようにするために、たっぷりと唾液を塗りつける。
「はあ……はあ……はあ」
「初めてだとどうしても痛いかもしれない、緊張してこわばってるからね」
里衣菜は足を思いっきり開いてみる。痛くてもいい。ヤラミソになるよりは。
初恋の人に似た男に捧げる。友達にも堂々と話せる。その時、ふっと思い出す。
「あの、ネットで読んだけど、私も舐めてあげないといけないんじゃ……」
「今日はいいよ。初めてだろ。まず入れてみよう」
永野はゆっくり腰を沈める。里衣菜の奥の奥に向かっておいしいものを味わうようにノックリノックリ、すこーしずつ押し入る。
「緊張しないで、ゆるめて、ゆるめて」
永野の言葉通りに里衣菜は受け入れる。
「いらっしゃい。痛くないわ。気持ちいい。」
永野はノックリと腰を里衣菜の骨盤に押し付ける。
「いたっ」
永野があわてて身体を離す。
「ごめん。そこが痛いんじゃなくて腰が・・腰痛持ちなの。職業病」
永野が笑って、足元にあったピンクの水玉のクッションを里衣菜の腰の下に入れる。
「これで、痛くないよ」
再開する。永野はやはりセックス上級者だ。どんなアクシデントにも動じない。
何分間、永野の一部が里衣菜の壺で遊んでいただろうか。痛みのすれすれで気持ちよさに変わる永野の動き方は絶妙だった。初めてなのに気持ちいい。ひとりでいじるのとは大違い。
里衣菜は長い手足を永野の首と腰に巻き付けて
「ずっと、ずっと、このままにしてて」
と小さくつぶやいた。
どんどん膨らむ性知識
晴れて本社勤務が決まった。憧れの広報部ではないが営業3課。受付の完璧女より上にのしあがった。
部署が変わったので精密機器に関する勉強をしなければならない。休日は図書館にかよい、里衣菜はステップアップをめざした。
いい土地に引っ越したから運気が変わった。永野さんとエッチできて妄想エッチから抜け出したし、料理するようになって健康にもなった。
引っ越し効果でチャンスゲット。里衣菜は部屋の窓側にうさぎのぬいぐるみを飾り、手を合わせた。
「北西の神様、サンキュー!」
里衣菜は身体の底から小さな火の玉が無数に沸き上がるようなエネルギーを感じていた。永野とは水曜の夜、たまに性の手ほどきを受ける関係が続いた。セックスするというより教えてもらうといった形だ。
里衣菜には初めての男。永野は百戦錬磨。対等なセックスなどできるわけがない。
口での咥え方も習った。ぬいぐるみ人形を指で握って、咥える強さを教えてくれた。里衣菜の性知識はどんどん膨らんでいった。
日曜日、図書館で勉強していると、また腰痛の兆しが出て来る。コールセンターのときほどデスクワークはないが、一時間同じ姿勢でいると蘇る。ズンズンと脊髄の周りに鈍い痛み。左手で腰をさすりながら本を読んでいると誰かが後ろから話しかけてくる。
「腰痛ですか?」
痩せ気味で背が高い男が心配そうに里衣菜を見ている。手に「骨格のすべて」という分厚い本をかかえている。
「僕は、この近所で鍼灸院をやってるんです。座っている時間が長いと痛みが出てきますからたまに立って身体を動かしてください」
「は……はあ」
「ストレッチはしてますか?」
「ああ、YouTubeで見たのをたまーに。でも最近は忙しいからさぼってるかなあ」
「よかったらロビーのソファのとこに来て。簡単なストレッチ法をおしえてあげます」
少し長めのヘアスタイル。少女コミックに出てくる目の中に星が光っているような男だ。
言われるままにロビーに出てストレッチのやり方を教えてもらう。数ミリ、腰骨を伸ばしただけで随分痛みがやわらぐ。
「こんど、一度いらしてください。針を打てばもっとよくなりますよ。あ、僕は院長の柳田といいます」
「はあ……あのう、藤川里衣菜です。保険証は持っていくんですか」
里衣菜は新しく出現した男に少しだけ傾いた。チラリと左の指に目をやる。指輪はしていない。
「やったね!チャンスは必ずやってくる。自分が変わろうと思えば」
職場で新しくできた友達、ジュンカとココアを飲みながら盛り上がる。ジュンカは里衣菜より1年先輩にあたる。ノリが合うので毎日ランチを一緒に食べている。
「りいちゃん、なんか自己啓発本に刺激された?おもしろいこと言うよね」
「ジュンカさん、やばいよ。風水とか気学とかおばさんのやるもんと思ってたんだけど、まじやばい」
「うちの親もやってるよ。方位取りとか行ってあちこち旅行したり神社行ったり。私は信じないけど」
「へえ、ジュンカさん、幽霊は信じるのに方位取りは信じないんだね。残業の時、幽霊が出るって噂の資料室には絶対近づかないじゃない」
女子トークが続く。最後はお決まりのセックストークだ。永野に教えてもらうセックスの話は鉄板。
ジュンカが課長と月1度湾岸のホテル密会している話も鉄板。ジュンカは婚約者がいるがイマイチ、セックスの回数が少なく、課長とすると帳尻が合うとへんな理論を述べている。
「その鍼の院長さんとはどうなのよ。付き合ってみれば?指輪してないイイ男。りいちゃん、きれいだからイチコロで付き合えるよ。不動産屋さんは遊びの相手でしょ」
「うん。不動産屋さんと結婚する気はないよ。だってぜったい浮気するよ。セックスの権化みたいな人だもん。かっこいいんだけどな」
「かと言って、うちの本社のいけてる男はみんな早々に刈り取られたしね」
「だよねえ。肉食女子が入社一年目に手つけちゃうよねえ。出世しそうないい男には。ジュンカさんはウィナーよ。ゴーコンで商社マンゲットって王道だもの」
里衣菜はジュンカと恋について話しているうちに悟った。いいなと思った男とは早々にしておかないと、他の女に横取りされる。一応しておくと強い立場でいられる。
たかがセックス、されどセックス。ジュンカと対等にセックスについて話し合えるのも永野によって女になったおかげだ。経験がモノを言う世界だ。そうだ、やっておこう。柳田と。
里衣菜は土曜を待って、柳田の名刺に書いてある住所を訪ねた。こざっぱりした鍼灸院だった。柳田と若手の石川という鍼灸師と二人で運営している。里衣菜の顔を見ると柳田はこぼれるような笑顔を見せた。
「いいかも・・永野さんよりさわやか・・」
里衣菜は、ベッドの上で腰を出してうつぶせになった。
鍼治療は初体験だ。最初怖かったが、極細の針で浅く打たれ、全く痛みは感じない。それより、柳田の細い指でツボを抑えられると、ポっと火がついたように感じた。
永野に鍛えられ、里衣菜の女芯は完全に脱皮し成熟していた。帰り際に柳田とLINEを交換した。
「また痛くなったら連絡します」
「この前教えたストレッチも朝晩しないといけませんよ」
新しい恋が始まる瞬間。里衣菜はまた
「チャンスがどんどんやってくる。引っ越しラッキー!」
と胸の奥で叫んだ。
初デート
柳田とLINEのやり取りが始まった。永野にはあえて言わず、水曜のセックス指導は続けている。柳田は永野とは対象的に仕事熱心でおとなしいタイプの男だ。
「腰がずいぶん楽になりました。ありがとう」
「それはよかった。ストレッチの効果もありますよ。よかったら新しいストレッチも教えますよ。ほんとは鍼治療に来てほしいけど。そうだ、一度お茶でもどうですか」
LINEを交換して2週間後だった。
「誘われた……やっぱ、すごい。引っ越しパワー」
窓際のうさぎの神様に手を合わせる。里衣菜は訪れる幸運を引っ越しで運気が上ったからと思うようにしていた。美貌をもっているのに今までパッとしなかった人生が、北西への引っ越しで好転したのだと。これで腰痛が治り、柳田とうまくゆけば万事オッケー。
柳田との初デート。露出の多い服を選んだ。オフショルダーのブラウスにクリーム色のミニスカート。いざというときのためにいつもより1000円高いブラジャーとパンティーのセットアップ。白のレース。パンティの腰回りは紐になっているスタイル。
柳田が選んだ店は中国茶の専門店。台湾の箪笥など品がいい調度品が数々並び、店内は茶葉のいい香りが漂う。
客層は年配者が多く落ち着いている。あまりに静かなので小声でしゃべってしまう。柳田が話をする時、ほかの人に迷惑にならぬよう里衣菜に顔を近づける。ボソっと話す仕草に里衣菜は胸をときめかせる。
プーアール茶を小さい盃で何度も口に運ぶ。身体中が解毒されるような渋い味わい。
「めずらしい茶があるから、これも飲んでみよう。木柵鉄観音。」
柳田が中国茶と漢方についてうんちくを述べ始める。退屈な話。
「こんなまじめそうな男の人が私の中に入っている時、どん悶え方をするんだろう」
里衣菜は茶を飲みながら妄想を始める。
柳田の細く長い指が急須を持ち上げて茶を淹れる。トポントポンといい音がする。里衣菜はしたくてもじもじし始めた。
「どうかした? 腰の調子悪い?」
「え……うん」
「針、しようか。今日は院は休みだから石川くんもいないし」
院内で二人きりになる。治療用のベッドにうつ伏せになる。柳田が腰回りに針を打つ。里衣菜は針を腰に射したままチラリと柳田を見やる。
「手、握ってください。院長」
柳田が一瞬驚くが、丸椅子をベッドの横にゴロゴロ引っ張り、うつ伏せになっている里衣菜の手を握る。
「あの……。針抜いたら、腰回りさすってもらえませんか」
柳田は何も言わずにいつもの笑を浮かべる。里衣菜は勝負に出た。休日で誰も来ない鍼灸医院。玄関にはカーテンがかかっている。
密室。チャンスだ。脱いだ。白いブラジャーとパンティだけになり、またうつ伏せる。
「腰、さすってください」
柳田は大判のタオルをかけようとするが、里衣菜は遠慮する。柳田の手のひらが里衣菜の腰回りを撫でる。あたたかい熱が伝わる。
穴が開いた腰骨がふさがって腰痛が完治するのではないかと思えるほど心地よい。柳田は賢そうだし、まじめに日々を生きている感じがする。付き合ってくれないかなと願う。
裸ではないが背中を見せる形でうつぶせに寝そべっている。二人だけの密室。キスしてくれるのを待ってみよう。顔だけ横に向けて寝たまま尋ねる。
「柳田さんは、好きな人いるんですか」
柳田はオッという顔してはにかむ。
「いないよ。前付き合った人と3年前に別れれてからは誰も……。この院を開くのに精一杯でそれどころじゃなかった」
「一月先まで予約満員になるくらい患者さんいるじゃないですか」
「やっと軌道にのったんだよ」
「じゃあ、そろそろ彼女つくってもいいんじゃ?」
里衣菜は悪巧みをしている子供のように柳田に畳み掛けた。柳田がウォーターサーバーで水を汲んで持ってくる。
「はい、お水飲んで」
「ありがとう」
ベッドに腰掛け、一口水を飲む。里衣菜は裸足で立ち上がり、柳田に抱きつく。
「おいおい。何してる……」
柳田が、そっと里衣菜の腕をすり抜け、困った顔をする。
「私じゃ駄目ですか。彼女候補になりませんか」
柳田は3歩下がってエアコンの空調を調節しようとする。
「里衣菜さんのことは気になっているよ。本音を言えば付き合いたい。でも、抱き合ったり……その……キスしたりはしてはいけない」
「さっき、手を握ってくれたじゃないですか」
「針が不安なのかと思ったから」
「へんなの……」
「僕は……その奥手のほうだから……前の彼女も……そこが不満で浮気された……」
浮気度100%男
家に帰ってからジュンカにLINEをする。
「鍼灸院で二人きりになった。針もしてもらった。下着姿で抱きついてみたけど、逃げられた。これって?」
「めずらしいー男。ガチ草食?」
「元カノと別れた理由もそれっぽい」
「でもイケメンで鍼灸の院長ならいいじゃない。セックスは外ですれば。不動産屋はセフレになってくれるでしょ」
里衣菜は肩を落とす。永野にいろいろ教えてもらい、男の人と一緒に気持ちいい部分を見つけることが好きになったのに。男の人をいい気分にさせる技も磨いたのに。
柳田と付き合うことになるとネットや雑誌でよく目にするセックスレスになってしまうかもしれない。柳田は里衣菜に好意を持ってくれていることはわかったから喜んでいいはずなのだがなにか心が弾まない。鍼灸院の診察券を見つめてため息をついた。
翌週の水曜日、永野が深大寺にドライブに行くから半休取れと誘ってきた。里衣菜の部屋で抱き合うだけの関係が長く続いていたので里衣菜は驚く。外で会うなんてどういうことか。
境内は緑が多く、平日というのに参拝客で賑わっている。ちょっとした観光気分になる。
子供と手をつないだ若いパパとママもいる。結婚っていいな、家族ほしいな、里衣菜はあらためて思う。隣を歩いている男は……パパにはならないだろう。
なったとしても女をとっかえひっかえ漁って、里衣菜は家で泣くはめになりそうだ。参道を歩きながら永野に尋ねる。
「ねえ、知り合いに見られたらまずいでしょう。お客さんとデートとか……こういうことしちゃいけないんだよね」
「遊びでエッチしたらまずいけど、マジで結婚するなら会社は文句言わないよ」
さりげに永野が返す。
「なんて言った?」
「里衣菜ちゃんの部屋でばかり会う関係はやめて、まじめに付き合いたいって思い始めた」
里衣菜は歩く足を止める。
「まじで?」
「まじ」
「あり得ないっしょ」
「なんで?」
なんでと聞かれても答えに困る。あり得ないと思っていた。エッチだけの関係と割り切って部屋に入れていた。
精力絶倫、浮気度100%男。まさに肉食男。そんな男が見せたマジ顔に里衣菜は天地がひっくり返ったような衝撃を受ける。
お寺の神様が永野に冗談を言わせたのかもしれない。何度も身体を重ね合い、いい気持ちにさせてくれた男。
もちろん嫌いではない。むしろ好きだから抱かれてきた。とても人に言えないようないやらしい姿も見せた。指示通りに変態的なこともした。それは永野のことを好きだったから。でも遊びだけの男だと言い聞かせていた。
30人
永野とはエッチするだけだと思っていたから、ほかの男に目をやった。結婚したいと思った男は柳田。柳田の出現は里衣菜の人生の山場だと思っている。里衣菜の乱れる心中は解せず、永野は誘う。
「あの店で蕎麦食おう!ここは蕎麦が有名なんだ」
蕎麦屋ではしゃぎながら蕎麦をすする二人はどこから見ても恋人同士だ。
「俺、2年後には独立する。今、営業成績No.1だから自信がついたんだ」
「永野さんのお客さんって女性客が多いでしょ」
「ああ、OLさんが多いよ。みんな、友達も部屋探してるからって紹介してくれるからな。口コミがすごいんだ」
「さわやかトークだし、かっこいいもん。もてるよねー」
「あらら?里衣菜ちゃん、いまになって焼きもち?里衣菜ちゃんこそ、きれいだから会社の男どもが寄ってくるんじゃないか」
こんな普通の話ができる人だったんだ。里衣菜は永野の違う一面を見つけた。悪くない。
モテる男と付き合うってことは浮気しても許す度量が必要なのかもしれない。いや、浮気しないよう里衣菜が魅力的であればいい。女磨きを続けていれば永野は浮気などしない。
里衣菜の頭のなかで柳田がすっ飛び、永野との将来像がクルクル回転した。
「永野さん、今まで何人の女の人と付き合った?」
「うーーん、8人かなあ。高校の時から数えると」
「何人と……した? 隠さず話して」
「んなこと聞くのかよ。教えたら付き合ってくれないだろう」
「教えてくれなくちゃ付き合わない!」
永野は蕎麦湯をトクトクと椀に注ぎながらにやける。
「里衣菜ちゃんとは、エッチで始まったから教えるよ。30人」
両手で足りないのはわかっていたが。
「そんなに??」
「お客さんだけじゃなくて、会社のアルバイトさんとか、近所のおばさまがたからも言い寄られるんだよ。俺、フェロモン出てるのかな」
里衣菜の頭のなかに、ジュンカが現れる。
「そんなヤリチンやめときなよー。裏切られるよ」
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あらすじ
初恋のカレにそっくりな男性・永野と出会った主人公。
デートを経て初めてのセックスを捧げてから、セフレとしての関係を続ける。
そんな中、新たに出会った男性・柳田を結婚相手として意識するが…