注目のワード

恋愛とセックスのかけ算/36歳 涼子の場合


暗黙の了解

父親が広いリビングで大きな声をあげている。

「おい、俊子さん、カーペット、けばだってるじゃないか。週末は大事な客があるんだから、クリーニング業者呼んでくれ。すぐに」

お手伝いの俊子さんがパタパタと足音をたてながらリビングに向かっている。

「はい、旦那さま、気づかないですみません」

涼子は薄紫のベルベットのワンピースのファスナーがひっかかってイライラしていた。

「もう、俊子さん、ちょっと来て!私の部屋。おとうさん、カーペットより私の洋服の方が大事でしょ」

この日の夜は、父親の取引先の会社社長、奥村家と一緒にディナーを楽しむ事になっていた。ファミリーディナーという名目の見合いだということは暗黙の了解で。ベルベットのワンピースを着て、螺旋階段を降りると、父親は目を細めた。

「いいねえ、涼子、似合ってるじゃないか。友之くんも気に入ってくれるぞ」「とうさん、ファミリーディナーはもう最後にして。もう20人近い殿方に会いましたけど、みなさん、ありきたりの話しかしないから、つまんないの。結婚なんて無理」

涼子は皮肉っぽく言い放った。

「おまえ、そんな偉そうな事言える年じゃないだろ。若く見えるからいいけど、36歳なんて行き遅れもいいとこだ。会ってもらえるだけでもよしとしなさい」

一番嫌な言葉を投げつけられ、涼子のいらだちに拍車がかかった。

母の由梨江がドアを開けた。

「涼子ちゃん、あなたが紫系だから、かぶらないようにベージュのブラウスにしたわ。あら?また親子喧嘩?おとうさん、女の子に年の話だけは絶対しちゃだめですよ。私なんかいまだに24歳よ。おほほ」

天然のお嬢様育ちの母がいると場がなごむ。しかし「釣り合う婿を選びなさい」という絶対価値観を持つ両親は涼子にとっては厄介な存在だった。

セックスの力

ファミリーディナー最後のデザート時、いつも親たち4名は、席を外すと言ってラウンジに消えてしまう。この日も小ぶりのフランス菓子をはさんで友之と対面で座ることになった。

「このお店、小さい頃から来てるんですけど、シェフがどんどん変わって昔みたいなシンプルな料理がなくなりました」

皺ひとつないシャツに、あきらかに仕立てられたとわかる濃紺のベストを着た友之が口を開く。

この手の会話が涼子は一番苦手だ。さしさわりない食事の感想、最近の天気の話、本はどんな作風が好きか、休日は何をして過ごすかというありきたりの質問。色白で端正な顔立ちをした友之に少し興味を持ったが、開口一番の言葉で気持ちが萎えてしまった。

「友之さんは、もやし炒め定食とか豚汁はお嫌い?私、ひとりで定食屋さん行くのが趣味です。塩鮭一匹でゴハン3杯食べた事あります。結婚したら定食屋やりたいくらい」

きょとんとする友之の顔が愉快だった。

「私、36歳なんです。友之さんよりいくつか年上。長く生きてるぶん、生意気ですよ」

涼子はクスっと笑ってナフキンをテーブルに置き、席を立った。化粧室の前にある小さなソファにドスンと腰をおろし、垂らしていた髪の毛をバレッタでひとまとめにする。

「あーあ、いい男はいないもんねえ」

独り言を言いながら後輩の春美にラインを入れる。春美は大学時代ラクロス部で後輩だった。お嬢様なのに破天荒という気質が似ていて大人になった今でもしょっちゅう会っている。

「春ちゃん、またからぶり。もう結婚なんかあきらめたわ」

「涼子さーん、ダメですよ。投げやりになっちゃ、バージン捧げる相手選びだと思わなきゃ」

「もうー!今、春ちゃん何してるの?」

「セックスーーー!真っ最中!」

「バーカ!」

春美は20代のうちに体育会系の肉食男と結婚し、いきなりセックスに目覚めた。その快楽の様子を事細かに涼子に教えてくれるので涼子はすっかり耳年増になってしまった。

スポーツ観戦しながらでもあそこに指を入れられる、旦那が出張する時は一駅だけ一緒に新幹線乗って、化粧室でいたしてしまう、外で食事をするとテーブルの下では足の指をいつも股間に押し付けられる…。

厳しい親の元で育てられ、そういう経験がない涼子には顔が赤らむほど刺激的な話だった。そのおかげで、セックスには人一倍興味があるが、相手がいないという変な状況に陥った。春美は性の喜びを知って人生観が変わったとまで豪語する。たしかに昔より俄然色っぽくなったし、いきいきしている。

「セックスは女を変える力があるのか」

涼子はなよっとした坊ちゃまではなく、筋肉質の強い男性に憧れていた。映画や動画で筋肉質の男の上半身を見ると、なんだか股間がもぞっとする感覚を覚えた。父親の勧める婿候補には絶対いないタイプ、せめて40になるまでには現れて欲しいと願った。

出逢い

髪を切ってもらっている女性

ひと月後、父がまたファミリーディナーの話を持ってきた。

「涼子、友之君とはあのあと会ってないんだろう。父さんは、もうあきらめた。結婚相手は自分で探しなさい。」

「ほんと?ものわかりいいのね」

「ただな、最後にひとりだけ会っておいて欲しい男性がいるんだよ。倉木商事の会長の甥っ子さんで、東大卒の官僚候補なんだ。涼子の年齢を伝えると、大人の交際相手を探しているからぜひ会いたいとさ。36歳でも会ってもらえるんだぞ。父さんの顔をたてて、一度だけ会ってくれないか」

涼子はこの年になるまで裕福に育ててくれた父親に感謝をしている。最後の願いなら聞いてやろうと思った。

「いいわよ。これで最後。でもね、みんなでお食事ってすっごく疲れるから最初からふたりのお見合いデートにしてくれない?」

まったく乗り気のしない東大卒エリートとの約束の日、ふと涼子は髪の毛の色を変えたくなり、美容院に行った。母親と一緒に通っている馴染みの店ではなく、ファッション誌で見かけた感じのいいテラスがある表参道の美容院。

白木のテラスに観葉植物が置かれ、明るいイメージだったので一度行ってみようと思ったのだ。店内は雑誌に載っていた通り、太陽の光が燦々降る注ぐ気持ちいい空間だった。店のあちこちにグリーンや小さな花の鉢が置かれている。

パーマ液特有の匂いが少なく、アロマデェフューザーからラベンダーとローズのほどよく混ざった香りが流れ出ている。大きな楕円形の鏡の前に座って自分を見つめると冴えない顔をしていた。

いくつになっても親が選んだ人としかデートできない自分、まともに男性と付き合った事がない自分、35歳を過ぎてしまった自分。寂しい感情が浮かんでは消える。鏡は正直だ。素のままの自分を映し出す。

プルプルっと首を左右に降ると、後ろに栗色の髪をした涼しげな目元をした美容師が立っていた。スリムな黒いジーンズを履いている。

「いらっしゃいませ。担当の小川です。愛称はYUUです。裕也っていう名前なんです」

胸の黒いネームプレートには「YUU」と金色の文字が浮かんでいた。一瞬、鏡の中で目が合った。ドキリとした。

「あ、よろしくお願いします。髪の毛の色を変えてみたくて」
「かしこまりました。サンプルメニューをお持ちしますね」

涼子は、とっさに言った。

「あの、あなたと、YUUさんと同じ色に染めてください…」

裕也はちょっと驚いたようだったが、すぐにやさしい微笑みを浮かべた。涼子の髪の毛をさわりながら、裕也は世間話を始めた。上半身は細身だが上腕には筋肉がつき、頼もしい腕が鏡に映った。

本音

「初めていらしてくださったお客様に申し訳ないんですが、何か嫌なコトありましたか?髪の毛が訴えてますよ。気分が滅入ってるって…」

「え?髪の毛でわかるんですか?細くなったり、枝毛になったりしてる?」

裕也は無邪気に笑った。

「ウソです。艶もあって、健康的な髪質です。ただお顔見てると、お疲れみたいだから」

涼子は裕也に髪を触られながら、だんだんと心を許していた。

「そう、今夜はまったく会った事ない人と初デート。親が決めたお見合いらしきものなの。でもわかってる。きっと、いつもと同じ退屈な会話。同じ質問ばかりでもうため息が出そう」

「へえ、今の時代に自由に恋愛できない女性なんているんですね。驚いたな。セレブというか、お嬢様ならではの悩みなんですね」

「そうかもしれない。周りの友達はみんな好きな人ができてどんどん結婚してゆくから。私、友達の結婚式18回出席してるの。けっこういい年なんで」

「髪の色変えると、きっと彼氏さんできますよ。お客さんによく言われます。カラーリングしたら恋が成就したって」

「恋愛運があがるの?うれしいな。」

裕也が真顔で言った。

「髪の色や髪型が変わると今まで隠れていた違う自分が現れて、明るくなったり、魅力的になるんです。だから恋も始まる。僕はだからこの仕事好きです。お客さんのいい所を引き出してあげられるから」

若く見えるのにしっかりしたことを言うなと思った。今までディナーをした男たちに「自分の今の仕事が好きだ」など自信を持って言う男はひとりもいなかった。親の後継者、エリートコースに自動的に乗る与えられし男たち。初めて出会った裕也の言葉には重みがあった。

「隠れていた自分ってどんなだろう…」

「本音を言えるんじゃないですか。これは嫌い、あれしたい、これしたいってふうに。今までは本音を押さえていたんでしょう。ご両親のために」

涼子は考えさせられた。

カラ―リングが終わり、ブローをしてもらいながら、だんだんと気持ちが高ぶってきた。

「あの…あの…本音言っていい?」

「ええ、どうぞ」

「私、今夜の仕込まれたデートなんか行きたくない!」

クスっと裕也が笑いながらドライヤーを強いモードに切り替え風の音を大きくした。そして小声でささやいた。

「じゃあ、代わりに僕とドライブしましょう。ただし、車は持ってないのでバイクですけど」

始まり

鏡を覗くと明るい栗色の髪の毛の自分がいた。冴えない顔をしていた数時間前とは別人だ。

「わあ。印象変わるのね。私じゃないみたい」

「お似合いですよ。またのお越しをお待ちしています。こちら僕の名刺なので指名してくださいね」

名刺の裏に携帯の番号が書いてあった。目配せをしながら「店は19時に終わります」と付け加えた。涼子はドキドキしながら自分の髪の毛を指先でつまんでいた。

近所のカフェで言い訳をあれこれ考えた。

「おかあさん、春美が病気になったからお見舞い行くことにする。今夜のお相手、延期してもらって。おとうさんにはあとであやまるから」

春美をだしにつかったメールを母に送り、涼子は裕也の仕事が終わるのを待った。

ヘルメットをつけるのは初めてだ。危ない乗り物に乗った事がない。もちろんバイクも初めて。怖がる涼子を「大丈夫、普段の1/3のスピードでゆっくり走るから」と安心させてくれた。

夜風が頬に当たる。クラッシュされた氷がチクチクと頬を撫でるようななんとも言えぬ心地よさ。

「気持ちいいー風が冷たくって」

裕也の背中に抱きついて小声で言った。

「え? なに? 聞こえない」

「気持ちいいーーー」

出した事のないような大きな声をおなかから出す。こんな大声が出る事が新鮮だった。

車で見るのとは違う風景がそこにあった。きらめくビル群、ライトアップされたレストラン、交差点の信号までが絵に描いたようにおしゃれに映る。適度なスピードで通り過ぎてゆく東京の風景。光の残像が脳に焼き付く。心地よかった。心がハイになった。

「YUUくん、また会ってくれる?」

裕也の背中を倍の強さで抱きしめ、涼子は隠れていた自分が現れてくれた事を喜んだ。そしてその日から涼子の恋が始まった。週2回、裕也が早番で店を出れる日と、定休の火曜日にバイクで走るようになった。

気持ち

これまで恋人という存在を意識したことがなかった涼子にとって、裕也は初めて心から好きになった相手だ。年齢は9歳年下。父も母もこれを知ったら卒倒するにちがいない。

隠しながら3ヵ月が過ぎた。しかしその間、「付き合おう」という言葉は裕也からひと言もでなかった。不安になりながらも一緒にいる時間を涼子は大切にした。

その夜、涼子はめずらしく酔っていた。父親の縁故で入社した会社で、上司主催のパーティーがあり、ワインを飲み過ぎたのだ。帰り道、無性に裕也に電話をしたくなった。今までの不安な思いが溢れ出た。

「YUUくん、あのね、私たち、もう出会って3ヵ月だよ。なんでキスしかしてくんないわけ?」

酔っている事があきらかにわかる口調だ。

「涼子さん、酔った勢いでそんなこと言っちゃだめだよ。シラフの時に話そうよ」

裕也のほうが大人だ。

「私が経験ないってわかってるんでしょ?だから重いんでしょ?」

裕也はやれやれといったふうに答えた。

「違うよ、涼子さんが、そういうことするの嫌なのかなって思ってただけ。厳しい家で育った人だから」

「ええ?そうだったの?嫌じゃない!全然嫌じゃない。私、YUUくんのこと、本当に好きなの」

本当の気持ちを素直に言うことができた。

翌日の夜、涼子はYUUのひとり暮らしのワンルームの部屋に押し掛けた。

「涼子さん、僕、迷ってるんだよ。涼子さん、お嬢さまだし、僕なんか不釣り合いだ。遊びと割り切って付き合ってるのかなってずっと思ってたし」

「違う。遊びじゃない。仕事に誇りもってるYUUくん、尊敬してる。YUUくんこそ、36にもなるおばちゃんじゃ、嫌なのかと思ってた」

その後、裕也は何も言わず、涼子を抱き寄せた。

いつもは軽いキスなのに、その夜は舌をからめた長い長いキスをした。裕也の手が涼子の栗色の髪の毛をかかき上げ、白いブラウスのボタンをはずす。春美から聞いてはいたものの、涼子は頭の中が真白になる。どう反応していいのかわからない。

「YUUくん、私…」

「だいじょうぶ、何もしなくて。僕が全部してあげるから」

「あの、シャワー…」

「うん。僕が洗ってあげる。髪の毛も身体も。お風呂、狭いけどね」

ユニットバスの小さいバスタブにふたりで立ち、熱いシャワーを思い切り流した。男の人の前で裸で立っている自分が信じられなかった。髪の毛を丁寧に洗ってくれる。プロの指使いに心がとろけそうだ。

そして乳房にボディシャンプーをたらし、手のひらで丸く円を描くように撫でる。それだけで涼子の乳首は硬直した。ツンと立った乳首を口に含む。初めての感触に涼子は恥じらう。思わず股をキュっとすぼめた。

「恥ずかしがらないで、リラックスして」

熱いお湯が肩と背中に降り注ぎ、身体の隅々まで熱を帯びている。

幸福

裕也の下腹部を見ると、大きくなったそれにシャワーのしぶきがあたって飛び散っている。まじまじと見つめる涼子に「初めて見る?さわっていいよ」と裕也が言った。

右手でそっとその頭の部分を包んだ。

「生きてるみたい…」

「生きてるからかわいがってやってよ。涼子さんのここも生きてるよ」

裕也の指が涼子の股間に滑り込む。

「あっ、そんなところ触るの?」

「たしかめなくちゃ」

「何を?」

「中が熱くなっているかどうか…力を抜いて」

涼子は立ったまま目を閉じて脚を軽く開いた。どの指かわからない。

膣の中に何かが入り込んだ感触。いよいよ初体験をすることになるのだ。好きになった男と一緒になれる、と思うと単純にうれしかった。

「いい感じ。熱くなってる。ベッドに行こうか」

裕也のベッドは狭いシングルベッドだ。バスタオルを敷いて寝かせられ、裕也はまた長いキスをした。キスをしながら手が太ももをまさぐる。膝からゆっくり股間に向かってのぼってくる。

「ああ、YUUくん、なんだか怖い…」

裕也は、胸、おなかにやさしくキスをしながらその部分に到達した。

「何するの?」

「舐めてあげる。もっと濡れるように」

「いやよ。やめて」

裕也が聞こえないふりをしてその部分を両手で開き、舌を入れ込む。背中に衝撃が走るような快感。涼子は目を閉じて観念したかのようにグっとのけぞる。春美が教えてくれたことなどどこかに飛んで行ってしまった。裕也にすべてをゆだねるしかない。

「涼子さん、ここ、スタンバイできてるから、入れるよ」

涼子はコクンとうなづいた。裕也はゆっくり、秒速3センチの速度で入ってきた。

「脚を閉じないで、痛くしないから」

それが身体の深部まで到達したとき、涼子はうれし涙を流した。

「YUUくん、好きよ。好きよ」

入ったままの姿勢で動かずに裕也は涼子の髪の毛を撫でた。

「涼子さん、きれいだよ」

今度は何度かそれを抜き差しする。きわまでゆっくり。

気持ちいいのかどうかなど初めての涼子にはわからない。とにかく好きな裕也と一緒になれたのが嬉しいだけ。押し殺していた自分に気づかせてくれた裕也を愛おしいと思った。

そして裕也は「ウっ」と言いながら果てた。涼子を抱きしめる裕也の心臓の鼓動が聞こえた。自分の胸の上で裕也の心臓がトクトク音を立てる。あたたかい胸だった。

「最高の初体験だわ…」

「ごめんね、いかせてあげられなかった」

「いいのよ、いくってどういうことか、私、よくわからないし。でもとっても幸せよ」

冷蔵庫にあったジンジャーエールを飲みながら裕也は涼子の髪の乱れを直してくれた。

「ポニーテールにしておきましょうか。お客さん。ずいぶん髪が乱れてますね」

涼子は照れ笑いした。

好きな男に抱かれるということで、一段階段を上がったような気になれた。

「YUUくん、ありがと。私、ずいぶん変われた気がする。もうおとうさんの顔色見ながら生きるのはやめるね。私からあらためて言っていい?」

「何を?」

「私とお付き合いしてください」

裕也がやさしく笑って涼子の鼻先に軽くキスをした。ジンジャーエールの香りが甘くただよった。


END

あらすじ

主人公の涼子は36歳。
父から最後のお見合いを頼まれ、しぶしぶ行くことにした涼子はお見合いの前に美容院に行った。

そこで出会った年下の男性美容師に気を許していき…

公開中のエピソード 全67話公開中
三松真由美
三松真由美

恋人・夫婦仲相談所 所長 (すずね所長)・執筆家…

カテゴリ一覧

官能小説