注目のワード

官能小説 月夜の蜜香に溶かされて


月夜の蜜香に溶かされて

「……26歳。同じじゃん。私と、何が違うのよ」

佐伯梓は家の近所の公園のベンチに腰掛け、コンビニで入手してきたストロング缶のプルタブを弾き開けると一気に煽った。
ぐびぐびと一気に飲み干すと空き缶をコンビニの袋の中に放り込み、新たな缶を取り出す。

隣の家に住んでいた二つ上の幼馴染の健人お兄ちゃん。転んで膝を擦りむけば飛んできてくれた優しいお兄ちゃん。
結局梓の好意に最後まで1ミリも気が付かなかった、鈍感なお兄ちゃん。

今日、彼から照れくさそうに紹介された婚約者は、梓と同じ26歳だった。
もし彼女が、うんと年上の洗練された女性なら諦めもついた。
もし彼女が、守ってあげたくなるような年下なら納得もできた。

けれど、同じ時間を生きてきた、同じ「26歳」の女。
何が勝敗を分けたのか――それが分かっているから、なお梓の心はささくれ立つ。

「おねーさん、1人で酒盛りなんてこのご時世危ないですよ?」

不意に上から降ってきた声に、梓は重い瞼を持ち上げた。
視界に入ったのは、オーバーサイズのパーカーを着崩した、琥珀色の髪の青年。
街灯を背にしているせいか、その輪郭が少しだけ不自然にゆらめいて見えた。

「……見ての通り、酒盛りじゃなくてヤケ酒。放っておいて」

「それ、一番危ないやつ」

青年はくつくつと笑いながら、断りも入れずに梓の隣へ腰を下ろした。

彼が座った瞬間ふわりと、この都会の公園には不釣り合いな、どこか懐かしい香が混ざったような匂いが鼻腔をくすぐる。

「……ナンパ? 悪いけど、あんたみたいな若い子を相手にする元気、今はないわよ」

「ナンパなんて滅相もない。ただ、今にも消えそうな顔して飲んでるから。……何かあった?」

夜風に溶けるような優しい声音。
それなのに、ふと背筋が凍るような空気を孕んでいるのは、彼が本心から梓を案じているわけではないからだろう。
傷ついた獲物を観察するような、残酷な響きが混じっていた。

「20年以上好きだった人が、私と同い年の子と結婚するんだって」

梓はまだ中身がたっぷり入った缶を持つ手に力を入れた。パキッという乾いた音が、静かな公園に響く。

「へえ。……それ、その相手の男がバカだね。こんなに美味しそうな子滅多にいないのに……ね」

「美味しい……? 何それ」

「例え話だよ。ねえ、梓。君のその陰鬱とした気分、俺が少しだけ晴らしてあげようか?」

いつ自分の名前を彼に教えただろうか――梓は酔いの回り始めた頭でぼんやりと青年の顔を見る。

青年の手が、梓の頬に伸びた。

指先が触れた瞬間、パチリと小さな静電気が走る。
その瞳の奥に、金色の火花が灯ったように見えたのは、きっと酔いのせいだと梓は思う。

至近距離で見る青年の顔は、水面に映った月のようにどこか現実味がなかった。
胡乱な笑みを浮かべているのに、現実の男が放つような泥臭い欲望の匂いが一切しない。
人を惑わすためだけに作られた幻影のような凄艶さに、梓は目を逸らすことができなかった。

「どうやって?」

あまりにも自信満々に言う男に面白くなってきた梓は、酔いの力も借りて乗ってみることにした。
それに今は手ひどく扱われても良い気がした。

「簡単なことだよ」

青年の唇が梓の耳元に触れるか触れないかの距離まで近づく。
夜風は冷たいはずなのに、彼の吐息だけが、狂おしいほどの淫香を孕んでいた。

「あの男も、あの子も……あんたを縛る全部、俺が食ってあげる」

青年が梓の耳たぶを甘く食み、長くしなやかな指でパチン、と音を鳴らす。

その瞬間、突風が吹き荒れた。

視界を埋め尽くしたのは、吹雪のような花弁だ。
街灯の無機質な光も、遠くを通る車の走行音も、あっという間に薄紅色の渦に飲み込まれていく。

眩暈のような浮遊感に襲われ、梓は咄嗟に青年の胸元を強く掴んだ。

やがて風が止む。

恐る恐る目を開けると、そこはもう見慣れた近所の公園ではなかった。

頭上には天を覆わんばかりの巨木が、狂ったように花を散らしている。
どこからか三味線の不規則なリズムが響き、むせ返るような沈香と甘い蜜の香りが漂っていた。

「キレイ……」

ここが現実世界じゃないことは一目瞭然だった。あまりにも美しく現実離れした景色に梓はほう、とため息をもらした。

「あんまり心を寄せると、帰れなくなるよ。ま、俺はどっちでもいいけどね」

手を引いて連れてこられたのは、川面にせり出した静謐な奥座敷だった。
御簾が夜風に揺れるたび、青白い月光が畳を舐めるように照らし出す。

「……なに、ここ」

「俺たちの遊び場。誰も、あんたに現実の苦しみなんて求めない場所」

答えた青年の姿に、梓は息を呑んだ。
いつの間にか彼が着ているのはパーカーではなく、闇を織り込んだような深い紺青の着流しに変わっている。
そして、その裾からは黄金色に輝く大きな尾がゆらりと覗き、琥珀色の髪の間には獣の耳がぴんと立っていた。

「驚いた? ……俺はレン。ご覧の通り、人の理からは外れて生きる存在」

レンは梓の腰を抱き寄せ、そのまま柔らかい畳の上へと押し倒した。
至近距離で見上げるレンの瞳は、もはや人間のものではない。
縦に細く割れた獣の瞳孔が、極上の獲物を前にした愉悦に細められている。

「あんた、本当に……」

ストロング缶がもたらした安っぽいアルコールの酔いは、いつの間にかすっかり抜け落ちている。
代わりに全身を巡り始めているのは、彼から立ち上るむせ返るような甘い香による逃れようのない『酔い』だ。

理性が危険を知らせるよりも早く、痺れるような妖しい甘美さが、梓の思考をドロドロに溶かしていく。

「化かされたままでいなよ。その方が、ずっと幸せだろ?」

その言葉は、猛毒のように梓の心臓へ染み渡った。

理性が警鐘を鳴らしているはずなのに、頭の芯がひどく麻痺してうまく思考が回らない。
レンの纏う濃密な妖気と、媚薬のように甘く脳髄を浸す匂いが、梓の脳から健人への未練も、選ばれなかった絶望も嫉妬も、何もかもを強制的に剥がれ落としていく。

自分が誰で、今日何に傷ついて泣いていたのかすら、靄がかかったように思い出せなくなってくる。

妖しい狐に化かされている梓

まともな判断力は奪われている。
化かされているという抗いようのない引力に惹かれるまま、梓は本能の赴くままに自らその熱に縋り付くように腕を伸ばした。

彼の手がブラウスのボタンを弾き飛ばし、露わになった白い肩口に熱い舌を這わせる。

「あっ……」

吸い上げられるたびに、残っていたわずかな理性の欠片すらも快楽の濁流に押し流されていく。

レンの唇は肩から鎖骨のくぼみへと移動し、そこでもまた梓の肌を熱く灼くような痕を残した。
彼の手がはだけたブラウスの隙間から躊躇なく中へ滑り込む。

「っ……!」

人間の男の、焦れたような荒々しさはない。
ただ、確かめるように、ゆっくりと、彼の長くしなやかな指が梓の胸の膨らみを包み込んだ。
薄い下着越しに伝わる彼の体温は、やはり人間のものではない。
魂まで直接触れられているような、ぞくりとするような異質な熱だった。

レンは梓の胸を愛撫しながら、その反応を、彼女の身体から立ち上る熱情を、まるで香りを愉しむかのように貪欲に吸い込んでいる。
彼女の中にある健人への叶わぬ想いや、選ばれなかった惨めさ、そして目の前のあやかしに溺れていく背徳感……それらすべての『人間の欲』を、彼は一滴残らず味わい尽くそうとしていた。

梓は抗うことなど忘れたまま、彼の指がもたらす新たな快感に、身体を弓なりにしならせる。

「……いい匂いだ。あんたの絶望も嫉妬も、こうして全部、極上の蜜に変わるんだ」

そして彼の長い指が、今度はゆっくりと下へと這い、梓の太ももの内側を執拗になぞり、秘められた柔らかな場所へと辿り着く。

陶酔しきったような妖しい吐息を落とすと同時に、レンは梓の胸元へと深く顔を埋めた。
邪魔な布地をずらし、月光の下に露わになった柔らかな頂を熱い唇で吸い上げ、尖った犬歯で甘く食む。

「やっ、あ……っ、んんっ!」

胸の先端を責め立てる獣のような口付けと、下腹部を弄る指先の動きが完全に連動し、梓の身体は雷に打たれたように大きく跳ねた。
上下から同時に流し込まれる快感に、もはやまともな呼吸すらできない。

レンが梓の下着を完全に払い、あらわになった秘部を指先でねぶる。
蜜のあふれる蕾を指の腹でこねられ、弾かれると、抑えきれない嬌声がみだらに響いた。

「あぁっ、ん……!」

レンが自身の衣を脱ぎ捨てる。
月光に照らされたしなやかな体躯の背後には、幻のように何本もの尾が揺らめいて見えた。

彼が梓の足を大きく割り、一気にその最奥を貫いた瞬間、梓は天を仰いで嬌声をあげる。

「あ……っ! あ、ああああ……っ」

容赦なく突き上げられる衝撃のたびに、甘く咽ぶような声と肌を打ち付ける音が混じりあい、夜の闇へと甘く溶けていく。

「……泣いてるの?」

激しい律動の中、レンが梓の目尻に滲んだ涙を指で掬い取る。

「全部忘れて、魂ごと俺と一緒に溶け合おう?」

目を細め、指先に雫となっている涙をぺろりと舐めとる。
まるで力を得たとばかりに梓の中でレンのモノが大きくうごめく。

「は、あっ、れん……っ、おかしく、なる……っ」

「いいよ壊れて。あんたの全部、俺が骨の髄まで喰い尽くしてあげるから」

レンは梓の唇を塞ぎ、彼女が抱える苦悩も絶望もすべて食い尽くすように、激しく貪欲に腰を打ち付けた。

梓は永遠にこのまま溶けてしまいたいと願いながら、怪しく光る黄金色の瞳の奥へ、深く、深く溺れていった。

***

狂おしいほどの熱に浮かされ、どれほどの時が経ったのだろうか。

視界を埋め尽くしていた薄紅色の揺らめきがゆっくりと収まり、絶頂の余韻が心地よい気だるさへと変わっていく。

彼の指先が、汗ばんだ梓の額を優しくなでる。
その手つきは獣じみた激しさとは打って変わって、ひどく名残惜しげで、どこか哀しげだった。

「……そろそろ、時間だ」

レンの低い声が梓の耳元で微かに震えた。

「え……?」

レンが身を起こすと、その背後の大きな黄金色の尾がゆらりと揺れた。
彼は梓の着崩れた服を丁寧に整え、最後に梓の額に冷たいキスを落とした。

先ほどまであんなに熱かった彼の唇が、今はひどく冷え切っている。
その冷たさが梓を現実へと引き戻し始めた。

「……満足した?」

梓は力なく横たわったまま、自嘲気味に口角を上げた。

あれほど梓を苛んでいた健人への執着も、同い年の女への嫉妬も、今はもう遠い国の出来事のように現実味がない。
文字通りすべてを削ぎ落とされたような、奇妙な虚脱感の中にいた。

「もっとひどい目に合うんだと思ってたわ。あんたも案外、お人好しね」

挑発するようにレンを見上げる梓の瞳には、怯えも未練もなかった。
そんな彼女を見て、レンはくつくつと喉の奥で笑った。

「どうかな。俺はただ一番美味しい所を食べただけだよ」

彼は冷たい指先で、梓の唇をそっと撫でる。

「でもね、一度俺に底まで食い荒らされたあんたは、もう人間の生ぬるい幸せじゃ絶対に満たされなくなる。……それでもまだ、俺をお人好しって呼べるかな?」

梓は自身の体がじわりと熱を持ち、奥深くで甘く疼き始めるのを感じた。
抗いようのないその反応を見て、レンの三日月のようにつり上がった黄金の瞳が、満足げに細められる。

レンが長くしなやかな指でパチンと音を鳴らす。
その瞬間、奥座敷を囲んでいた美しい風景が墨を流したように一気に崩れ去った。
銀色の川も狂い咲く花も、むせ返るような甘い匂いも。

遠ざかる彼の姿と共に、猛烈な睡魔が梓の意識を黒く塗りつぶしていった。

***

「……っ!」

遠くを通る車の無機質な走行音に、梓は弾かれたように目を開けた。
視界に飛び込んできたのは街灯の青白い光の下、ハラハラと花びらが舞い散るいつもの公園の風景だった。

ベンチに座ったままの梓の体は、夜風に晒されてすっかり冷え切っている。
慌てて手元のスマートフォンの画面をタップすると、表示された時刻はあの青年に声を掛けられてから、まだほんの数分しか進んでいなかった。

「夢……だったの?」

梓は乱れた呼吸を整えようと、胸に手を当てた。
だが、その肌には確かにまだ誰かに強く抱きしめられ、奥深くまで貫かれたような熱い感触が残っている。
体の中の微かな疼きが、幻惑ではなかったことを告げていた。

ふと見るとジャケットの襟元に、一本の長く美しい黄金色の毛が落ちていた。
それを指でつまみ上げた瞬間、夜風に乗ってあの媚薬のように甘い匂いがふわりと鼻先をかすめる。

梓は暗い夜空を見上げ自嘲気味に、けれどどこか憑き物が落ちたような顔で笑った。

「……化かされた、か」

先ほどまで確かに抱えていた絶望や嫉妬は、胸を刺すような痛みを持ってはいなかった。

名前も思い出せないあの青年が、梓を縛る重たい感情をすべて食い尽くしてくれたのだろう。

そして同時に味気ない現実のぬくもりでは到底癒やせない甘い毒を、この身体に残していったのだ。
下腹部に残る重く甘やかな感覚に、思わず腿をすり合わせる。

それでも一歩踏み出した足取りは、数分前よりもずっと軽く、現実の冷たいアスファルトを確かに踏みしめていた。

花びらの舞う街灯の下、彼女は一人歩き出す。その背中にどこからか小さなクスクスという笑い声が聞こえた気がした。

END

あらすじ

失恋の夜、梓に声をかけてきた美しい青年。
彼に誘われた先で、梓は甘い幻に囚われていく――。

公開中のエピソード 全100話公開中
カテゴリ一覧

官能小説