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官能小説 鏡の魔法

幼なじみのアドバイス

キレイになりたくて鏡を見る女性


出勤前、玄関の横にあるドレッサーの鏡をのぞき込む。
身だしなみの最終チェックをするためだ。だけどこの時間が、沙織にとっていちばん苦痛だった。

鏡の中に映っているのが、昔ながらの日本人顔をした冴えない女だからだ。
一重まぶた、丸い鼻、薄い唇…痩せてはいるけれど、寸胴な体型はかえって貧相な印象を受ける。おろしたてのスーツも心なしかやぼったく見えた。

沙織は溜息をつくと、鏡を振りきるようにして玄関のドアを開けて外に出た。

外は抜けるような青空が広がっていたが、沙織の気分は向上しない。
自分に自信がないから、通り過ぎる誰もが自分をブスだと思っているのではないかと被害妄想してしまうのだ。だからいつも背を丸めて、悪いことをしているわけでもないのに、コソコソと歩くようになった。

もう二十九歳になるのに彼氏もおらず、女として生まれたことが惨めで仕方ない。沙織がうつむき加減で駅までの道を辿っていると、

「まーたそんな泥棒みたいな歩き方して」

突然声をかけられ、沙織はひっと身をすくませた。おそるおそる振り返ると、スーツ姿の青年が立っていた。見慣れたその姿に、沙織は安堵の溜息をつく。

「なんだ、彰か…」

「なんだとはなんだ」

彰は心外そうに言うと、当たり前のように沙織と並んで歩き始めた。

彰は近所に住む幼馴染みで、小中高大と同じ学校に通い、就職こそ別の道を進んだはずなのに通勤時間は同じなのか、こうして毎朝顔を合わせている。

イケメンと言っても差し支えないほど整った顔とスタイルを持つ美丈夫で、いつも自分に自信があるようなところは沙織と正反対だった。女との噂も絶えない。そんな彼が未だに自分と仲良くしてくれることが不思議だったが、子供の頃からずっと一緒に育ったからだろうと沙織は思っている。

「そっちこそ泥棒は言い過ぎじゃない」

むっとして言い返せば、彰は口元に笑みを浮かべた。

「それがいやなら、もっとしゃんとして歩けよ」

「だって…」

沙織は言いよどんだ。自分の自信のなさを、彰はよく知っている。
だから何かとアドバイスをしてくるようになったのだが、沙織はいつも聞き流していた。なぜならそんなことをしてもムダだと思っていたからだ。

それに何より、彰に群がる女たち―華やかな化粧や服で彰の気を引く彼女ら―のようになりたくないという想いが強かった。

「お前は細いし足もキレイだから、背筋を伸ばしたほうがいい」

「また始まった」

うんざりした顔を向ければ、彰は至って真剣な面持ちで沙織を見返してきた。

「今日は沙織にプレゼントがある」

「誕生日はまだ先よ?」

「知ってるが、誕生日までに役立つように」

怪訝としていると、彰は鞄から手鏡を取り出した。シンプルだけど、女が持つようなピンク色の可愛らしいハート形をしている。けれど沙織は途端に顔をしかめた。

「鏡はきらいよ」

「それも知ってる。でもこの鏡は普通とはちがう、魔法の鏡なんだ」

「え?」

「これをのぞくたびに、お前はどんどんキレイになっていく」

「そんなバカな…」

「ウソじゃない」

「まさか…」

沙織は疑り深い目を彰に向けながらも、いつの間にか手鏡を受け取っていた。

「しばらく出張で朝会えないけど、俺のアドバイス、思い出せよな」

彰はそう言って笑い、沙織の背中を気安くばんっと叩いた。

ココロ変わり

翌日から沙織は、決して信じているわけではなかったけれど、半信半疑で手鏡をのぞき込むようになった。
するといつもは出勤前に玄関の鏡でチェックするだけだったから気づかなかった細かな点が目につくようになり、気づけば沙織は勤務後、デパートの化粧品売り場に足を運んでいた。いつもなら疲れて家に帰るところだったから、これには自分でも驚いた。

「いらっしゃいませ、お客さま。何かお探しですか?」

人のよさそうな店員に話しかけられ、沙織は緊張しながらも手鏡で発見した自分の欠点を打ち明けた。店員にバカにされるかもしれないという想いは杞憂に終わった。

「どうぞこちらにおかけください」

笑顔でイスを勧められ、沙織は腰を下ろす。店員は丁寧にメイクの仕方を教えてくれ、似合う色を選んでくれた。

「いかがでしょうか?」

店員に軽くメイクを施してもらった顔を見て、沙織は自分の変化におののいた。

「こんなに変わるものなんですね…」

やぼったいと思って見るのもいやだった一重まぶたが、アイラインとアイシャドー、そしてマスカラによりくっきりとして、涼やかな目元に仕上がっていた。素直に言えば可愛かった。
そんな沙織の胸中を察したのか、店員がほほえむ。

「そうですよ。女性はメイクでいくらでも思ったような自分に変身することができます」

「変身…ですか」

「お客さまはいまは黒のスーツですが、服を変えるだけでもきっともっと印象が変わりますよ。昨今では仕事用のスーツも可愛らしいものがたくさん出ておりますから」

化粧品を買った沙織は店員の言葉に従い、今度はそのまま婦人服売り場に向かった。

「いらっしゃいませ、お客さま。スーツをお探しですか?」

言われて、沙織は自分がいつの間にか堂々と歩いていたことに気づいた。いつもなら何をしたいのかわからないような、うかがう目で見られてしまうのに、メイクをしただけで自分に自信を持てたみたいだった。

「えっと…仕事用なんですけど…もう少し華やかなものを…」

さすがに言いにくくて口ごもってしまったけれど、こちらの店員も親切に対応してくれた。
これまで白のブラウスにジャケット、タイトスカートという出で立ちだった沙織に、グレーとベージュのスーツを薦めてくれた。柔らかい印象の襟元に、寸胴型を隠せるマーメイド形に広がったスカートが特徴の可愛らしいものだ。
ブラウスもスーツに合うように、リボンがついたものが選ばれた。

「まあ、よくお似合いですね!」

試着した沙織を見て、店員が手を打ち鳴らす。お世辞かもしれないけれど、沙織はうれしかった。これまで鏡を敬遠してきた沙織だったが、何度も何度も鏡をのぞき込み、その姿を確認してしまう。

そうしていつにない充実した気持ちでデパートを出た沙織は、さっそく明日からオシャレを楽しんでみようと思っていた。

それ以上はやめて

それから数日後の朝、沙織は念入りに化粧を施した顔を彰にもらった手鏡で見つめていた。
あれからメイクを練習したことで、鏡に映る自分が日に日に美しくなり、そんな変化がうれしくて仕方なかった。

自分はこれまで外見のコンプレックスから卑屈に生きてきたけれど、いつしか女であることを楽しめるようになっていた。

その証拠に、通販でも積極的に気になるコスメや洋服などを購入するようになっていた。

中でも気に入ったのが、春を感じさせる桃の香りのコスメだった。

唇用の美容液やヘアオイル、香水など…桃の香りをまとうと、一気に自分が華やいだような気がして、幸せな気分に浸ることができたからだ。

玄関を出るさいに見るドレッサーの鏡に映る姿も、名残惜しげに何度も見つめてしまう。今日は思いきって白のトップスにカーディガン、シフォンスカートを着て出勤することにしていた。

「よし!」

気合いを入れてドアを開けると、沙織は笑顔で会社に向かった。

駅までの道を辿る足取りが軽い。もう通り過ぎる人に自分がブスだと思われていると被害妄想を抱くこともなく、青空の下、堂々と胸を張って歩いていた。

自分からただよう女性らしい桃の香りが、さらに背中を押してくれているような気がする。

「沙織?」

呼ばれて、彰だとすぐに気づいて振り返った。

「彰!ありがとう!」

開口一番にそう言ったら、彰は驚いたように目をみはっていた。彰に会うのは久しぶりだったから、お礼を言うのが遅くなった。ここまで心身ともに変われたのは、彰のおかげだ。

「まだ?誕生日おめでとう?って言ってないのに」

彰が苦笑する。

「あ、そっか。そっちもありがとう!」

沙織は笑った。今日は沙織の三十歳の誕生日だった。こんなに気分よく誕生日を迎えられるとは思っていなかった。

「なるほど。俺のアドバイスは効き過ぎたってことか」

「え?」

彰がぼそぼそ言うから沙織は聞き取れなかったのだが、それは独り言のようだった。彰は沙織に向き直り、彼女を褒めてくれた。

「キレイになったな、沙織」

「うん、彰のおかげだよ。本当にありがとう」

「でも、それ以上はやめてくれ」

「は?」

きょとんとする沙織に、彰は生真面目な顔で言った。

「誰にも見せたくなくなるから」

「っ…!?」

沙織は瞬間、真っ赤に顔を染め、幼馴染みを見やった。すると改めて自分は女で、彰は男なのだということに気づいた。

END

あらすじ

29歳で彼氏もおらず、自分に自信がないせいでいつも背を丸めて歩く沙織。
うつむき加減で駅まで向かっていると

「まーたそんな泥棒みたいな歩き方して」

と、声を掛けられ、そこには顔立ちの整った幼馴染の彰の姿があった。
彰は彼女にピンクの手鏡を渡と

「この鏡を覗くたびにキレイになる」

と言って出張に向かってしまった。

まさか…と、信じていない沙織だったが…?

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